3、なんか流されてます
「えっ、なんでいるの」
「え?」
「えっ?」
今日は日付が変わる前に帰れた、という高揚感は、リビングのドアを開けた瞬間に打ち砕かれる事となる。お隣の幸村くんは、あろう事かまだリビングでまるで我が家のように寛いでいたのである。突っ立ったままの私に、テレビの電源を切りながら「夏休みだから大学ないんだよね」と返答してくれたが、私が聞きたいのはそこではない。っていうか敬語。敬語はどこに消えた。
「あの、私…鍵渡した…よね?」
「ああ、これ?」
何故か幸村くんのポケットにインしている、私のスペアキー。それを取り出してわっかの中に指を入れて、くるくると手持ち無沙汰に回しながら、幸村くんはにっこりと笑ってだってさぁ、と口を開いた。
「桃瀬さん、出る時には、って言っただろ?俺、今日は家から一歩も出てないし」
開いた口が塞がらないというのは、まさにこの事だろう。
「…幸村くん?」
「はい?」
「管理人さんに連絡は、した?鍵の事とか…」
「桃瀬さんの家、電話ないし」
「101号室が管理人さんの家じゃん!」
「だから、一歩も外出てないってさっき言ったよね」
「…言、いました……ね」
えっ?なにこれ、えっ?どういう事?なんで私が呆れたように溜め息つかれなくちゃならないの?しかもなんで私が敬語で喋ってるのどうなってるの。私、何も悪くない、よね。どういう事なの何が起こってるの。とりあえず落ち着こうと冷蔵庫から水を取り出して、椅子に崩れ落ちるように座り込んだ。はあ、と溜め息をつけば幸村くんがソファにごろんと寝転びながら「桃瀬さん疲れてるみたいだし、俺がご飯作ろうか?」と問い掛けてくる。その心配そうな顔は、本当に私の体調を心配してくれているのだろうけども、如何せん全ての原因は彼である。
了承も無しに、勝手知ったように冷蔵庫を漁る幸村くんの姿を見つめながら、ああこれは昼食も勝手に作って食べたんだなと想像するのは容易かった。
私が何したっていうの神様。人に迷惑かけるような生き方はしてないはずです、多分。机にでろんと突っ伏せば、台所からがちゃがちゃ騒がしい音が聞こえる。ソファの前のローテーブルには、棚に綺麗に並べていたはずの漫画が積み上げられていた。
しばらくその体勢でいると、不意に頭をこつんと叩かれた。振り向けば二人分のオムライスを両手に持った幸村くんがいて、テーブルにゆっくりとそれらを置く。
「スプーンとってきて」
「…はいはい」
何故か命令された私は、渋々ながらキッチンへスプーンを取りに向かう。それを渡して席につけば、いただきます、と幸村くんが手を合わせるものだから、私もつられて手を合わせていただきます、と小さく呟いた。あ、なんか久しぶりかも、こういうの。
スプーンで一口掬って食べてみると、ふんわりとしたケチャップの酸味が口の中に広がる。
「おいしい」
「よかった」
そう言ってにこりと笑う幸村くんをちらりと見やりながら、なんだか変な感じだなと思う。だって、昨日までは知り合いですらなかった人とこうして、ご飯を一緒に食べてるのだ。しかも、私の家で。恋人がいたら毎週末こんな感じなのかなぁ、なんて考えながら、口を開いてオムライスを頬張る。
いやでも、これを食べ終わったらちゃんと出ていってもらおう。勝手にとは言え、ご飯を作らせて食べ終わったらはい出てけ、なんて我ながら少し酷いとは思うが、元々の状況がおかしいだけで私は何も悪くない。絶対に。
「あのさ」
「?」
「洗濯物溜め込むの、女としてどうかと思うけど」
幸村くんのその言葉に、飲み込もうとしたオムライスは誤って器官に入ってしまったらしい。ごほごほと噎せる私に、幸村くんは更に言葉を続ける。
「部屋の掃除とか、ベランダの手入れとか。忙しいのは分かるけど、」
「えっ、部屋入ったの?」
「掃除のために」
しれっと答えてくれたが、私だって人間だ。見られたくないものだってもちろんあるし、ましてや彼は昨日までは赤の他人。現在でもちょっとした知り合いレベル。そんな人に自室に入られたのかと思うと、精神的ダメージが半端ない。さすがにオムライスを食べる手を止めて、私は完全に固まってしまう。
「さすがにクローゼットとかタンス開けるのはアレだし、洗濯物畳んでおいたから自分で直しておいてね」
「はっ?ええっ?」
幸村くんが指差す方向を見やれば、綺麗に畳まれたタオルや服、それから、下着。なにすんの!と怒鳴れば、溜め込んでた洗濯物干して畳んだんだから、礼を言われても怒られる筋合いはないよね?とそのお綺麗な顔を少し不機嫌そうに歪める。確かにその通りではあるけど、何か違う。根本的に違う。
「あのねぇ、幸村くん!」
「お風呂入ってるから、ご飯食べ終わったら先に入って来たら?洗い物しておくから」
「え…あ、うん」
自分の皿を流しに持って行きながら、幸村くんがさらりと言うものだから、思わず反射的に返事をしてしまった。少し残ったオムライスを口に入れて、皿にスプーンをのせればそれを後ろから幸村くんが持って行ってくれる。それから、彼に言われた通りに洗濯物を直して、お風呂に浸かった所でようやく私は何をしてるんだろう、と気付かされる事になったのであった。
なんか流されてます
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