1、断固拒否します
「犬欲しい。いっつも私の帰り待ってくれてて、甘えてくるかわいい犬」
そう言いながら脚を組み換えれば、アンタのマンションペット飼っても良いんだし飼えばいいじゃん、と笑った同僚は、忙しなく携帯を弄っていた。誰とメール、なんて聞かなくても分かる。恐らく、彼氏だろう。可愛らしいストラップがじゃらじゃらついたピンクの携帯をパタンと閉じた彼女は「あのさあ」と横に垂れた髪を耳にかける。
「犬より、カレシ作る方がよっぽど良いと思うんだけど」
「はあ…」
「ほらまたそういう顔する」
「だって面倒じゃん…」
4年間通った大学を出て社会人になって、気付けばもう3年が経とうとしていた。社会人になってから、親はますます結婚だのなんだのと勧めてくるようになったけど、正直そんな暇がないのだ。もっと言えば面倒。仕事もまだ中途半端な部類に入るし、毎日こうして遅くまで働いてクタクタに疲れている中で、よくメールや電話をしたり、土日にはデートで一日中出掛けたりとできるものだと感心する。それよりも、可愛い犬を飼ってごろごろしながら癒してもらう方が、よっぽど建設的だろうに。
「男紹介してあげるから、今度逢ってみたら?」
「えー」
「一回逢ってみなってば」
同僚は再び携帯を取り出して、立ち上がる。電車はガタンゴトンと緩やかに減速し、アナウンスと共に駅に停車した。
「気が向いたらね」
「ひなのばーか」
「はいはい」
ひらひらと手を振れば、彼女はドアの向こうでべーと舌を出していた。普通の女の子がやればイラッとくるだろうその仕草を、可愛らしく思わせる彼女の女子力に乾杯である。私は鞄をぎゅうと抱くように膝に置いて、目を閉じる。終着駅までは、まだ時間が掛かりそうだ。
コツコツと人気のない道に、私のヒールの音だけが響く。帰ったら少しだけ仕事して寝よう。そんな事を考えながらマンションのエントランスから漏れる光が見えた所で、ぴたりと足を止めた。エントランス前に、男の子が座り込んでいる。不良かな。なんか怖いな。目さえ合わせなきゃ、大丈夫だよね。そう決めて、また足を進めていく。エントランスに続く短い階段を登り、自動ドアの前に立った所で「お姉さん」と呼び止められる。冷や汗が流れた。まさか、呼び止められてしまうとは。なんで?私、目とか合わせなかったですよね、お願いします殴らないでください刺さないでください!
覚悟を決めて振り向けば、そこには不良には似つかわしくない、整った顔立ちをした男の子が立っていたのである。
私は思わずポカンと口を開けて彼を見つめた。
「はい…?」
「501のお姉さんですよね?」
何故私の部屋番号を知ってるんだろう。もしかして危ない人か、と一歩後ずされば「俺、隣の502に住んでる幸村精市です」と柔らかな笑みが返ってくる。そういえば、お隣さんには幸村っていうプレートがあった、気もする。でもこれ、新手の犯罪手口かもしれない。油断は大敵だ。警戒を解かないままに見つめていると、彼は整った眉を下げながら「実は」と口を開いた。
「鍵を無くしちゃって、部屋に入れないんです」
「…そ、それは…災難でしたね。管理会社に電話とかしてみたら良いんじゃないですかね」
「携帯、部屋に忘れてきちゃって。財布も部屋だし、この辺りに友達は住んでないんです」
「…………つまり…?」
要領を得ているようで、というよりむしろ得たくない彼の話に結論を促せば、彼は美しい、と形容するのが相応しいような穏やかな笑みを浮かべて、訳の分からない事を言い出した。
「お姉さんの部屋、泊めてくれませんか?」
――…顔が引き攣るのを繕えないのを自覚しているくらいなので、私は今とても酷い顔をしているだろう。
対照的に、彼はその優雅で穏やかな笑みを崩さないままで私をじいと見つめていた。
断固拒否します
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