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First days

おばあちゃんから受け継いだ仕立て屋がだいぶ軌道に乗ってきた頃だった。
スーツをオーダーしてくれたお客様が、私が仕立てた服を着て告白したところ大成功したらしい。それはもうたいそう喜んで、のろけ話と共にお礼がしたいと迫られた。
告白が成功したのなんて本人の努力の賜物なので、お礼なんて受け取れない。それでもと渋るお客様に、彼女の話題をふってそれとなく話を反らした。次のデートはどうするんだという話に、彼は「海上レストランバラティエでディナーを食べるんだ」とそれはもう嬉しそうに声をあげる。ここで思わずお、となってしまった。
料理人は荒々しいが、料理の質はとてもいいと噂のバラティエ。海上にある都合上、船を持っているようなお金持ちくらいしか縁がないお店として町では有名だった。刺激を求めて、料理に惚れて、事実お金持ちが通うほどとも聞いている。元々食べることはとても好きで、いつかお金を貯めて行きたいと思っていた。
そのチャンスが唐突に降ってわいてきたわけで。チャンスは逃がすべきではないと脳内のおばあちゃんは笑っている。だから、舌の根も乾かぬうちに「さっきの話って有効?」と聞いてしまったのも、どうか許されたい。

かくしてお客様の好意で船に同乗する権利を手に入れた私はバラティエへと足を踏み入れた。
お金持ちばかりと聞いたから、自分用に使える一番いい布を使って仕立てた服を身に纏う。ありがたいことに例のお客様が2着目をオーダーしてくれたので、資金も豊潤だ。
次に来れるのはいつになるかわからないのだから、出来るだけ色々食べたいなとわくわくしてメニューに目を滑らせる。思ったより料金設定は高くなくて、これならコースを頼んでもいいかもしれないと考えた。いやでもこれも食べたい。端から端までメニューを眺めて、結局は単品で色々頼むことにした。
コースの提供時間はおおよそ2時間程らしく、帰りも人の船に同乗する身として断念する。時間に気を付けなければなと注文するためにスタッフを呼んだ。

「わぁ……!」

ひとまず頼んだのは前菜、スープ、肉料理だ。セットでパンも頼む。思いの外丁寧にサーブされた料理たちに、荒々しいっていうのは嘘だったのだろうかと首をかしげた。そうこうしているうちに、お腹が早く食べたいと悲鳴をあげる。わかったわかったと頷く気持ちで前菜を口に運んだ。
ーー料理を口に入れた瞬間の、胸を満たす幸福感と来たら!
美味しいものを食べる喜びといったらこれだよなと嬉々として皿をあけていく。そのままスープと肉料理も口に入れて幸福に浸った。たっぷりお腹を空かして来たのは正解だったと満足して、さて次は何を食べようかとレシピを眺めた。

***

彼女を見たのは、ちょっとした好奇心だった。
バラティエは海上レストラン。海の上にあるんだから、そりゃあ船を持っているようなやつしか店にはこれない。島からの定期便なんて存在しねえし、つまり客の大半は金持ちか海賊なんかの船乗りだ。だからレディが一人でテーブルに着くなんて覚えている限りでは初めてのことだった。
仕立てのいい服を着ているが、金持ちの娘と思えるほどではないし、彼氏と今しがた別れたという雰囲気でもない。堂々と一人で席に着き、キラキラと目を輝かせてメニューを見ていた。いつもならレディが一人なんて絶好の機会を逃さず声をかける訳だが、彼女の楽しそうな様子に声をかけるのを躊躇ってしまう。
だって、料理を楽しみにしていると顔に書いてある彼女にすべきことは、声をかけることじゃないだろう。クソうめえ飯を作って出してやることだろうと、料理人としての俺が声を大にして訴えた。それに、あの眩しい輝きを曇らせたくない。なぜだかそんなことを思って、名残惜しさを感じながらも厨房に引っ込んだ。
彼女の席は5番テーブルだったか。5番テーブルの注文を受けて来たコックがメニューを読み上げる。俺が担当しているメニューはない。それを残念に思いながら、別卓から来ている注文の品を仕上げていった。

「5番追加オーダーだ!」

さっきの注文が運ばれて暫く、また別のコックの声が響く。耳を傾ければ魚料理にメイン一品、デザートを二つ。あの小柄な身体によく入るもんだと感心しつつ、メインが俺の担当するものであることにわくわくした。
絶対旨いと言わせてやろうとこっそり張り切って、調理に取りかかる。既に下拵えの済んだ食材を完璧に仕上げて皿に盛り付けた。いつも通りミスもなく完成された一品は、魚料理と共に運ばれていく。先ほどチラリと見た彼女が飯を口に運んだときの表情を思い出した。メニューを見ていた時より更に瞳を輝かせて、幸せそうに顔を緩めていたあの顔を、いや、あの顔以上を見せて欲しい。
胸で燻る想いに思わず首をかしげた。こんなことを思ったのは初めてだ。なんだこれ。じわじわと身体を駆け巡る衝動を振り払う。自分の料理には一際自信がある。だからだろう。そう結論付けて、洗い物を済ませるために袖をまくった。

洗い物を済ませて、咥えた煙草に火をつける。吐き出した紫煙を眺めていると、パティが休憩行ってこいと声をかけてきた。もうそんな時間かと思いながら、片手を上げてそれに応える。せっかくだしホールでも覗くかと厨房を出た。
俺は自分を生粋の料理人だと思っている。だから、飯を食っている客の嬉しそうな、幸せそうな表情を見るのが好きだった。くるりと全体を見渡してから、さっきのレディが気になって視線を向ける。ちょうど彼女がメインを食べるところで、思わず生唾を飲み込んだ。
パクリ。口に運ばれた料理が喉を通る。
途端に破顔する彼女にドクリと心臓が動いて、身体中に血液が巡った気がした。さっきよりずっといい笑顔に見えて、飛び跳ねたい気持ちになる。それとも俺がそう願っただけなのだろうか。とにかく堪らない気持ちになって、ホールに足を踏み入れた。レディに声をかけるのなんていつものことだから、きっと他のコックどもは気にしない。……はずだ。この衝動がバレないように、できる限りいつも通りに、でも心は身体を急かして、彼女のいるテーブルへと足を向けた。

***

二度目に注文した料理が届く。やっぱりどれも美味しそうだとうきうきしてカトラリーを手に取った。魚は焼き加減が絶妙で、パリパリとスナック感覚で皮まで頂ける。中でも筆舌に尽くしがたいのがメイン料理だ。口に入れた瞬間の多幸感と言ったらさっき以上で心が躍る。なんだろう、まるでぴったりと歯車があったようなのだ。料理の味が自分の望む味そのままで、十数年生きてきたけれどこんなにも私の好みなのは初めてだった。とろけるように柔らかな肉がソースと共に口内で躍る。幸せと生きている心地が全身に廻り顔が緩んだ。はぁ、と感嘆のため息が漏れ出るのも仕方がない。

「レディ、相席しても?」

不意に、声をかけられて顔を上げた。折角ご飯を楽しんでいたのになと思いながらも、声の主を仰ぎ見る。綺麗なハニーブロンドの髪に、特長的なくるりと巻いた眉。その下にある瞳は若干タレ気味で甘く光った。細い身体に黒のスーツで綺麗なシルエットを持つ男はどう見ても格好いい。彼女の一人や二人いてもおかしくないような男が、なぜ一人で。
私以外に女が一人で座っている席はない。少なくとも彼女を放置してナンパしてきたというわけではないようだ。ならば、入る前に振られてしまったのだろうか。
そうだとしたら節操ないなぁ。別に席が全て埋まっているわけじゃないのに、こんな普通の女に声をかけるなんて。

「ダメかい?」

グルグルと考えているともう一度声をかけられる。ゆっくりご飯を食べたいところだったがまあいいかと、食事を口に運ぶのはやめず頷いて答えた。そうすると、男は嬉しそうに笑って、向かいの席に腰掛ける。綺麗な所作で椅子に座ると声をかけられた。

「おれはサンジってんだ。キミは?」

口に入っている食べ物を飲み下して首を傾げる。

「答えなきゃだめ?」
「ハハ、確かにそうだ。おれは不審者以外の何者でもねえもんな」
「うん」

サンジと名乗った男は思ったより自分のことをわかっているらしい。答える気はないぞとまた料理を口に運ぶ。やっぱり美味しい。

「キミ、すげえ美味そうに食べるよね。それ見てつい、声かけたくなっちまった」

じっとこっちを見る片目を見返しせば、目尻を下げて頬の紅く染めている。ふむ、と一拍置いて、そりゃあまあ、と言葉を続けた。

「だってすごく美味しいもん」

特にこれ、と半分ほど減ったメインのお皿を指さして見せる。

「今まで食べた料理の中で一番かも。味が好みドンピシャっていうか、本当すっごい美味しい。サンジくんも食べる?ていうか何か頼めば?」

行儀が悪いとは思いつつ、カトラリーを置くのも面倒でそのままメニューを指を刺した。サンジくんはふにゃりと笑うと「おれはいいよ」と肘をつく。釈然としないながらも、本人が言うならそれでいいかと食事を続けた。
一口一口を運ぶ様をじっと見つめてくる視線が居心地悪い。どこかうっとりとしたサンジくんに、何、と睨め付ければ、バツが悪そうに頬を掻きながら口を開いた。

「別に邪魔したい訳じゃねえんだけど……つい、ね」
「ついって……」
「おい、チビナス。いつまで油売ってやがる」

文句を言おうと口を開く前に壮年の男性の声が割り込んでくる。サンジくんは顔を顰めながら、ジジイと呟いた。視線を追うように顔を向ければ、コック服のお爺さんが立っている。

「まだ休憩時間だろ」
「バカみたいに注文が入って厨房が回ってねえ」
「……しょうがねえなぁ」

おやおや、これはもしかして?と内心冷や汗をかきながら二人を見ていると、サンジくんは申し訳なさそうにこちらを向いた。

「ごめんね、時間みたいだ。ゆっくりして行って」

こちらに興味がないように歩いていくお爺さんの後ろを追って、サンジくんが席を立つ。歩き出そうとしたサンジくんは、あ、と足を止めると、ふんわりと笑った。

「それ、口にあったみたいで凄え嬉しい」

それ、と指差されたのはベタ褒めしていたメイン料理で。手を振りながら軽やかに去っていくサンジくんに、じわじわと頬が赤くなっていく。サンジくんの背中が見えなくなるまで固まっていた私は、例のお客様に声をかけられて急いで料理をかき込む羽目になってしまうのだがまあ余談である。


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