暗殺者パロ | ナノ

言わなかったんだよ、政宗の野郎は……

先ほどまでの喧騒が嘘のように、夜の街は静かだった。政宗は一人家の外で煙草を吸っていた。壁に背中を預け、吐き出された煙が空へ上がっていく様を、何もせずただずっと見ている。夜は少し冷えるのか、左手はポケットの中に仕舞われたままだ。

まだ、とは随分と失礼ね。私は誰かさんと違って組織に忠実なだけよッ!
燃え咲かれ、朱雀!
命令じゃない。私は自分の意思であれを受け入れたのよ。そう……組織の命令なんてどうでもいいわ。私の目的は政宗、貴方をこの手で殺すことよ。そのためならどんなことでもできるし、何にだってなれるわ! 何にだって堪えてみせる!
そうね、殺したいくらい憎んでいるわ。
私の知っている貴方はもうどこにもいないのね……。

何度も何度も頭の中で華那の声がリフレインを繰り返す。目の奥から華那の姿が焼きついて放れない。今なお忘れられずにいた華那の姿を見られたというのに、二人の距離はあまりにも遠かった。初めて自分を見たときの、華那の驚いた顔。哀しげな瞳。そしてどす黒い憎悪の言葉。どれもこれも、自分の知っている華那ではなかった。記憶の彼方に追いやった、表情がコロコロと変化する天真爛漫な華那ではない。

毎晩見る夢の中での華那だった。何もない空間。政宗に背を向け、ずっと自分の名を呼んでいる華那の姿。夢の中だけだと思っていた華那が、現実に現れた。見たくなかった、のかもしれない。所詮これは夢の中の華那であると信じていたかったのかもしれない。憎しみという感情に囚われた華那をいざ目の当たりにしただけで、まさかこれほどのダメージがあるとは思ってもいなかったのだ。

華那が敵である以上、政宗は華那と戦わねばならない。だがどうだ。突如現れた華那と刃を交えたが、政宗は最後まで本気で戦うことができずにいた。戦っている最中ですら、心に迷いが生じた。敵である華那を排除しようとする暗殺者としての自分、華那を未だに愛している伊達政宗としての自分。二人の自分が常に纏わりついて離れない。

「苦……」

何故か今日の煙草は酷く苦かった。

一方その頃、リビングでは遥奈と元親がコーヒーを飲んでいる最中だった。他の三人は自室に戻っており、遥奈はなんとなく一人になりたくなかったのでリビングに残っている。そんな彼女の心情を知ってか知らずか、元親もリビングに残ったのだった。

「あの、元親さん。ちょっとだけ聞いてもいいですか?」
「あ、なんだ?」
「今日あたしを襲った華那という女性のことなんですけど……」

華那という名前を口にした途端、元親はコーヒーを噴出しかけた。目を丸く見開き、ゴホゴホと咳き込んでいる。遥奈でも元親が動揺しているとわかるほど、彼の態度は不自然だった。元親はあっちを見たりこっちを見たりと、視線をふわふわとさ迷わせる。しかし遥奈に諦めるつもりがないとわかると、いい加減諦めたのか頭をガシガシかきながら溜息をついた。

「政宗には内緒にするって約束できるなら話してやってもいいぜ」
「します! 約束しますから教えてください」

遥奈はソファから身を乗り出し、暗に早く話せと言わんばかりに元親に迫った。元親は本当に内緒にするのか若干不安になりつつも、「じゃあ話してやる」と言って話を切り出した。

「まずは……俺と政宗のことは話さなきゃいけねえな。俺と政宗は昔、ヘヴンズゲートに所属していたんだ。その頃のヘヴンズゲートは今のような犯罪組織じゃなくて、DFPのような政府公認の諜報機関だったんだ。華那とはその頃一緒だったんだ。華那は政宗のパートナーだった」
「政宗さんと元親さんがヘヴンズゲートに……!?」

つまり政宗と元親と華那はかつての仲間だった、ということだ。かつての仲間が敵同士になり刃を交えた。言葉にすればそれだけのこと。しかし実際は三人共どこかしら辛そうだった。そのときだけは一切の感情を殺す暗殺者より、人としての感情が勝ってしまったのだろう。しかし遥奈にはそのほうが嬉しい。人としての感情があるからこそ、人の痛みが解り優しさを与えることができるからだ。

「俺と華那はかつての仲間ってだけだ。だけど政宗の奴はそうじゃねえ」
「どういうことですか?」
「あの二人は愛し合っていたんだ。見ているこっちが羨ましいくらい幸せそうだった。華那は政宗の仲間でもあり、そして恋人でもあったんだよ」

遥奈は驚きのあまり目を丸くさせた。

「正直ケンカ別れとか愛情が冷めたとかなら、ここまで話が拗れることはなかったんだ。でもあの二人はそうじゃねえ。俺と政宗はとあることが原因で組織を脱走したんだが、そのとき華那に何も言わなかったんだ。一緒に逃げようとも、別れの言葉も何も。言わなかったんだよ、政宗の野郎は……」

華那は言っていた。政宗のことを殺したいほど憎んでいると。あれはこのことが原因なのだろうか。仲間だと思っていた人に、愛した人に裏切られた。まるで自分一人だけが置いて行かれたようで、どうしようもないくらい淋しかったのだろうか。いつしか愛情が憎しみに変わってしまうほどに。

「あの、どうしてお二人はヘヴンズゲートを裏切ったりしたんですか……?」
「遥奈も見ただろ? 俺や政宗の普通じゃねえ戦い方を」

普通じゃない戦い方。遥奈には元親が言わんとしていることがわからなかった。しばらく考え、彼女はある一つのことに思い至った。政宗が見せた青い稲妻。華那と元親が見せた紅の炎。どれも普通の人間にはできないことだ。

「あの力は生まれ持った能力じゃねえ。口に出すのもおぞましい人体実験を受け、それに成功した者だけが成しえる力だ。だがその人体実験はかなり危険なもので、その実験を受けた人間の九割が実験中に死んじまった。みんな実験中の苦痛で狂い死にしちまったな。ま、当然と言えば当然だ。自分の身体に本来受け付けるはずがねえ薬を大量に入れられるんだ。体が拒否反応を起こさねえほうがおかしいぜ」
「政宗さんと元親さんはそんな実験を受けて……成功してしまったんですね」

人間が発狂し死んでいくなんてことは滅多にない。発狂してしまうほどの痛みがどれほどのものか遥奈には想像もつかなかった。その痛みに耐え実験に成功した元親でさえ、この話をしているときの表情は見ていて辛い。忘れようにも忘れられない当時の実験のことを思い出しているのか、見ているこっちが泣き出してしまいそうな表情をしていた。

「俺達は組織の命令で強制的に実験を施されたんだが、それがきっかけで俺達は組織を抜け出したんだよ。ちょうどその頃組織で不穏な動きがあってな、この実験のこともそうだが組織がどこへ向かっているのか怖くなっちまったんだ。今にして思えば犯罪組織と姿を変えたのはこのあたりだったのかもな」
「でもそんな実験に華那さんは自分の意思で……」
「おい、そりゃあどういうことだ!? なんでそこに華那の名前が出てくんだよ!」

遥奈は元親が現れるまでの顛末を掻い摘んで話した。華那の武器のことや、彼女が操った炎のこと。そして政宗との会話など全て。全部を話し終わると、元親は「あー……」と意味不明なことを呟きながら頭上を仰いだ。

「俺が思っていた以上に事態は最悪だってことかァ? まさか華那までも力を身に付けていたとはなー……。政宗を殺したいからあんな実験に志願したっていうのかよ。政宗の様子も納得できらァ」
「政宗さんの様子?」
「政宗の奴は口にこそ出さなかったが、華那のことを忘れた日はねえだろうよ。俺と政宗はヘヴンズゲートのこの先が怖くなって逃げ出したって言っただろ? そんな場所に華那に何も言わず残してきたことを政宗はずっと後悔してたんだよ。惚れた女を恐ろしい危険な場所に残すなんて本当に情けねえぜ」
「じゃあなんで裏切るとき、何も言わなかったんですか?」

そんなに後悔しているなら最初から話してしまえばよかったのだ。例え一緒にいることができなくても、何もかも話していたのならお互い辛い思いをしなくて済んでいたはずである。こんなふうにすれ違うことはなかったはずだ。

「言いたくても言えなかったんだよ。組織を裏切るっていうのは、遥奈が想像しているより難しいことだ。遥奈の両親がいい例だな。俺達が裏切ったと知った組織は、まず俺達と親しかった奴に俺達の行方を知っているか聞くだろうぜ。どんな手段を使ってでも……それこそ拷問だって平気でやるだろうな。裏切り者には死を以って償わせる。それがヘヴンズゲートのやり方だ。組織は俺達を殺すまで追い続けるぜ。だから華那には話せなかったんだ。仮に華那に話したとしても、華那もまた裏切り者として殺されちまう。だったら最初から何も知らないほうがいいんだ。少なくとも華那は生きることができるからな。政宗は華那を守るためにあえて何も言わなかったんだ……」

しかしその結果、二人の愛は皮肉にも崩れ去った。ただ守りたいだけだったのに。本当のことを言うことができなかったあまり、二人の気持ちはすれ違ってしまった。華那は政宗に裏切られたと思い、彼を殺したいほど憎んでいる。政宗は未だに華那を愛しているが、遥奈を守るという任務を受けている以上、彼女は敵以外の何者でもない。この先遥奈に危害を加えるようであれば、政宗は華那を殺すしかない。そして近いうちに、華那は必ず再び遥奈のもとに現れるはずだ。

「政宗も俺も、そして華那もプロだ。今日はさすがに動揺しちまったが、任務に私情は挟まないぜ。今度会ったら……俺と政宗は華那を殺しにかかる」
「そんな! だって政宗さんは今でも華那さんを愛しているんでしょう!? それに元親さんだって、華那さんのことをまだ仲間だって思っているんでしょう!?」
「俺達の最優先事項は遥奈を守ることだ。華那が遥奈の敵以上、しかたねえんだよ」

そう呟いた元親の瞳は曇ってしまっていて奥を覗くことができない。暗く冷たい元親の瞳に、遥奈は忘れかけていた暗殺者としての彼を見た。遥奈が見ていたのはモンドズィッヒェルを経営する五人であり、暗殺者としての五人の顔は未だに知らずにいる。政宗や元親がちらつかせる暗殺者としての顔に、何故か戦慄を覚えてしまった。同じ人間なのに同じには見えない。どちらが本物なのか、遥奈にはわからなくなってしまった。


続