お前はオレのことを……憎んでいるのか? 時間は急速に過去へと戻る。 政宗は空を見上げていた。ガラス張りのドームの中とはいえ頭上に広がる青空は本物だ。全てが人工物で造られた世界で、唯一人の手が加えられていない貴重な空。どこまでも果てなく続いている青い空。何者にも縛られない、自由気ままな空に羨望の眼差しを向けている。きちんと手入れされた人工芝の上に寝転び、こうやって空を見上げてどれくらいの時間が経っただろう。そんなとき、政宗の視界に影が覆い被さった。 「こんなところにいた。随分捜しちゃったじゃないの」 「お前こそいつ帰ってきてたんだよ、華那」 華那はコロコロと楽しそうな笑顔を浮かべながら政宗を覗き込む。楽しそうな華那とは対照的に、政宗の顔はどこかつまらなそうだった。 「帰ってきたのはついさっき。真っ先に政宗に会いに行こうとしたのに部屋にいないんだもん」 「悪かったな……手間を駆けさせ、て!」 「きゃあ!」 政宗は華那の手を掴み、強引に自分のほうへと引き寄せた。バランスを崩した華那は政宗に覆い被さるように倒れこむ。結果的に華那は政宗の腕の中にすっぽりと収まる形となってしまった。華那は政宗を睨みつけるが、彼はしてやったりの表情を浮かべている。イタズラが成功した子供のような笑顔を見て、華那は怒る気力が失せてしまった。大人しく政宗の腕の中に収まることにする。 暖かい太陽の日差しを浴びながら、しばらくの間政宗と華那は抱きあっていた。こんな時間がずっと続けばいい。でもそれは無理なのだと、政宗も華那もわかりきっていた。お互いいつ死んでもおかしくない世界にいる。今日は生きていても、明日は死んでいるかもしれない。だからこそ、誰よりもずっとこのままでいたいと願ってしまう。それがどんなに愚かな願い事だとしても、願わずにいられなかった。 「政宗。ずっとずっと傍にいてよね。お願いだから、独りにしないで……」 「………オレが華那を独りにするわけねえだろ」 「うん……」 華那は目を閉じ、心地よい政宗の心音を聴きながら目を閉じる。華那を独りにしない。だがその約束を守れないことを政宗は知っていた。その言葉が嘘だったと、近い将来華那は知ることになるだろう。 「……………Sorry 華那」 「………何か言った?」 「いや、なんでもねえ」 そう呟いた政宗の瞳は、何故か悲しげに揺れていた。華那はそんな政宗に気づくことなく、彼の背中にまわした腕に力を込めた。それはそれは、幸せそうな笑顔で―――。 *** 時間は急速に現在に戻る。 「貴方達を足止めするよう店の周囲にはヘヴンズゲートの連中がいたはずなんだけど」 「Ha! あんな雑魚で足止めできると思うなよ。今頃あいつらが遊んでやっている最中だぜ」 政宗が言う「あいつら」とは幸村達のことだろう。彼らが敵を引きつけ、政宗を遥奈のもとへ送り込んだのだ。三人の周囲で、音もなく風が吹き荒れる。睨み合ったまま動かない政宗と華那。二人の沈黙が遥奈には痛い。政宗は華那を知っていた。そして華那もまた、政宗のことを知っていた。ということは、二人は知り合いなのだろうか? 二人がどういった関係なのかわからない。遥奈には推測することしかできない。痛いほどの沈黙を破ったのは、意外にも華那のほうだった。華那は遥奈ではなく政宗を見ながら、ゆっくりと口を開く。 「……DFPに所属しているという噂は本当だった、ということね。それにしても明上遥奈の護衛の任務についているとは思っていなかったわ。こんな形でまた貴方と会うことになるなんて、神様は私のことがよほど嫌いみたいね」 「そう言う華那こそ、まだHaven's Gateなんかに所属していやがったのか」 政宗は無表情で華那を見据えていた。一切の感情が読めない表情に、華那は満足そうに口元を歪める。 「まだ、とは随分と失礼ね。私は誰かさんと違って組織に忠実なだけよッ!」 華那の火之迦具土神が再び牙を剥き、政宗と遥奈に襲い掛かった。政宗は咄嗟に遥奈を抱え、瞬時にその場から飛び退く。その光景はさながら蛇が身体をうねらせ、獲物に喰らいつかんとするようだった。しかし華那の攻撃はまだ終わってはいない。何度も何度も火之迦具土神を鞭の如く操り、政宗に一切の隙を与えようとしない。 「その腰に身に付けているものはただのお飾りなのかしら!?」 「Shit! しゃあねえか……! 遥奈、舌を噛み切りたくなかったら歯ァ食い縛ってろ!」 遥奈は政宗に言われるまま、口を硬く閉じる。政宗は横目で確認すると、あろうことか遥奈を遠くに向かって放り投げたのだ。突然襲い掛かる浮遊感に遥奈は悲鳴をあげる。まさか投げ飛ばされるとは思っていなかった。政宗は一瞬だけ遥奈に視線をやり、すぐさま鋭い眼差しを華那に向けた。 背中を地面に打ちつけた遥奈は、痛みで顔を歪めながらも政宗のほうに目をやった。そして遥奈は我が目を疑った。政宗の身体を青い光のようなものが包んでいたのである。耳を澄ませばその光はバチバチと小さな音を立てていた。 「い、稲妻……!?」 「PHANTOM DIVE!」 空高く飛び上がった政宗が身体に青い稲妻を纏い、華那に向かって三本の刀を大きく振り下ろす。政宗自身が避雷針になり、青い稲妻を華那の頭上に落としたようだった。その姿は―――さながら竜。だが華那は動くことなく、ただじっと稲妻を纏った政宗を睨みつけている。そして―――口元に薄っすらと笑みを浮かべた。 「―――燃え咲かれ、朱雀!」 華那が火之迦具土神を大きく薙ぎ払う。そこまではさっきまでと同じだった。しかしそれは先ほどまでとは全く違っていた。蛇が炎を纏ったのである。正確には火之迦具土神から突如炎が出現したのだ。しかしその姿は、まるで地獄の業火で焼かれ、のた打ち回る大蛇のようにさえ見える。炎に包まれた大蛇が鋭い牙を立て、稲妻を纏った竜へと襲い掛かるようだ。これには政宗も動揺を隠しきれなかった。 「なっ……華那、お前まさか!?」 青い稲妻と赤い炎がぶつかり混ざり合う。それは激しい爆発と轟音を生み、公園一帯に衝撃を起こした。木々がザワザワと激しく揺れる。砂煙が立ちこめ、爆発が起きた中心付近は何も見えない。政宗の安否だけが気がかりだった。遥奈はじっと目を凝らして政宗の姿を必死で捜す。やがて砂煙も消え、ぼんやりと人影らしきものを捉えた。影の数は二つ。間違いなく政宗と華那のものだ。政宗が無事だったとわかり、遥奈は安堵の息を漏らす。一刻も早く政宗の無事な姿を確認したいという衝動からか、遥奈は足早に政宗の下へと駆け寄ろうとした。 「……冗談じゃねえ。なんであれに手を出しやがった!?」 突如聞こえた政宗の怒鳴り声に遥奈は足を止めた。 「あれに手を出すってことがどういうことかわかってんのか!? いくら命令っつっても……!」 「命令じゃない。私は自分の意思であれを受け入れたのよ。そう……組織の命令なんてどうでもいいわ。私の目的は政宗、貴方をこの手で殺すことよ。そのためならどんなことでもできるし、何にだってなれるわ! 何にだって堪えてみせる!」 華那が命令ではなく自分の意思でと言った瞬間、政宗は一瞬だけ傷ついた表情を浮かべた。政宗は何も言えず、ただじっと華那の言葉に耳を傾けている。彼女の声は段々感情的になり、最後のほうは聞いていてとても痛かった。政宗と華那がいう「あれ」が何を指しているのか遥奈には見当もつかないが、政宗の必死な形相と咎めるような怒鳴り声でそれが危険なものだとなんとなくわかる。その危険なものに華那は手を出したのだ。政宗を殺したいという、純粋すぎるほど歪んだ理由で。 「自分の意思で、かよ……。Ha! 最悪だな、ったく……」 政宗は哀しげな瞳で華那を睨みつける。あれにだけは手を出してほしくなかった。手を出すことはないと思っていた。あれは絶大な力を与える代わりに想像を絶する苦痛を伴う。それは政宗が一番知っている。政宗も望まぬうちにあれの恩恵を授かったとき、いっそのことこのまま殺してくれと柄にもないことを願ったくらいだ。 だが華那は政宗を殺したいという理由だけであれを受け入れ、彼の願いを打ち砕いてしまったのだ。本を正せば政宗自身が己の願いを打ち砕いたことになる。なんと皮肉なことか。 「華那、一つ聞いていいか? お前はオレのことを……憎んでいるのか?」 「憎んでいるのかですって……? そうね、殺したいくらい憎んでいるわ」 「そうか。なら、それでいい―――」 政宗はスッと顔から一切の感情を消すと、今までと打って変わった冷たい眼差しを華那に向ける。愛刀「応龍」を構えなおし、柄を握る手に力を込める。心なしか彼が放つ空気も変わったように思えた。触れるだけで全てを切り裂きそうな、近づくことすら躊躇われる鋭い何かが生まれたようである。そんな政宗を見て、華那は満足気な笑みを浮かべると、火之迦具土神を構えなおした。 「……ようやく私が知っている「蒼竜」の顔つきになったわね」 「悪ィがそのcode nameはとっくに捨てたんだよ。今のオレはただの伊達政宗だ」 「そう。私の知っている貴方はもうどこにもいないのね……」 華那の火之迦具土と政宗の応龍が激しい火花を散らせながら、何度も何度もぶつかっては離れていく。遥奈には速すぎて二人の動きをまともに追うことができなくなっていた。空に刃と刃がぶつかり合う乾いた音が轟く。華那の炎と政宗の稲妻。二人の剣戟が、紅と蒼が、耳を劈くほどの音でぶつかり合っていた。二人ともお互いの手の内がわかっているのかと思うほど、二人は互いの動きを完全に見切っている。全く無駄がない動きで、それこそ舞っているようにさえ思えた。 しかし政宗は小さな違和感を覚えていた。たしかに華那の攻撃は容赦ない。が、どこかおかしかったのだ。政宗が知っていた華那の攻撃と何かが違う。華那の攻撃は舞のように軽やかだったはずだ。しかし今の華那の動きはどこかぎこちない。 「……蒼竜の実力はこんなものだったかしら? 私に遠慮しているわけでもないでしょうに!」 「お前こそこんなもんじゃなかっただろ!」 二人は肩で荒い息を繰り返していた。お互い睨み合ったまま動こうとしない。先に動いたほうが不利だとわかっているからか、それともまだ心のどこかで再会の喜びに浸っているのか、それは誰にもわからなかった。 しかしこの牽制状態も長くは続かなかった。先に行動を起こしたのは華那である。華那は火之迦具土神の刃を分割させ鞭のように操ることで、そこから動くことなく離れた位置にいる政宗に攻撃を仕掛けてきたのだ。政宗の武器は刀。近接戦闘を得意とする政宗には、中、長距離から攻撃を仕掛けることが必然的に有利に働く。 しかし政宗は鮮やかな動きで華那の攻撃を避け、彼女の懐に入らんと距離を縮めていく。華那は間合いが広い武器を得意としているため、懐に入られること自体が不利なのだ。政宗は華那の攻撃を予測しているかのように、無駄のない動きで次々と火之迦具土神の攻撃の隙を縫い進んでいく。 「チッ―――!」 これ以上は無理だと踏んだ華那は火之迦具土神の刃を元に戻した。この隙を逃さんといわんばかりに政宗は一気に距離を詰め、華那の懐へ飛び込んだ。政宗の刀と華那の火之迦具土神が火花を散らしてぶつかり合う。凄まじい力で鍔迫り合いを繰り広げているのか、二人は微塵も動かずにいる。が、華那は急に後ろへ飛び退き政宗から離れた。その直後。 「―――三覇鬼!」 二人が鍔迫り合いを繰り広げていた場所に、炎を纏う碇槍を持った元親が現れたのだ。 ドーンという爆発にも似た衝撃音が辺りに響く。華那は元親とわからなくとも、自分に近づいてくる者がいると予測して後ろへ飛び退いていたのだ。ありきたりな言葉でそれを表すなら、殺気。華那は元親が放った殺気を身体で感じ取り、この場から離れろという本能に従ったのだ。 「遥奈、政宗! 大丈夫か!? 悪ィ、遅くなっちまった……ってオメーは……」 政宗の横に並んだ元親は華那の姿を見るなり意外そうに目を丸くさせる。華那も元親を見て、忌々しそうに表情を歪めた。 「華那か……!? オメー、まだそんなところにいやがるのかよ」 「西海の鬼……アンタもそっち側にいたなんてね……!」 華那の表情が何かを訴えかけるように歪む。元親が何か言いたげに口を開こうとするが、それよりも早く政宗の鋭い声が沈黙を遮った。 「Hey 元親。お喋りはそのへんにしとけ。そいつは敵だ」 「でもよ……華那はオメーの」 「Shout up! それ以上無駄口を叩くなら、お前でも容赦なく叩っ斬るぞ。元親」 政宗は華那から目を離すことなく元親を怒鳴りつける。華那も政宗から視線を逸らそうとしなかった。元親はばつが悪そうに顔を伏せ、そんな三人を少し離れた場所で遥奈は見ていた。何が起きているのか全くわからない自分がもどかしい。 「二対一……いくら私でも二人を相手にするほど馬鹿じゃないわ。遥奈ちゃん」 華那に名前を呼ばれた遥奈はビクッと身体を震わせる。自分を殺そうとしている相手に返事をしてよいものか。遥奈はなんともいえない複雑な表情で華那を見ていた。華那は政宗や元親に見せていたような憎悪に満ちた表情ではなく、遥奈と初めて会ったときに見せた艶やかな笑みを浮かべている。 「今日のところは大人しく帰ることにするわ。じゃあね遥奈ちゃん、また会いましょう」 言うが早いか、華那は一瞬のうちで身を翻し、闇世の街へと消えてしまった。政宗と元親は最初から追うつもりはないのか、逃げる華那の背中をあっさりと見送っている。何故なら二人の最優先事項は遥奈を守ることだからだ。それに華那は近いうちにまた遥奈の前に現れるはずだろう。わざわざ深追いして危険な橋を渡る必要はない。 「あの……政宗さん、元親さん」 「Ah? 何だ? どっか怪我でもしたのか?」 「い、いえ。ただ……何が起きているのか私には知る権利があると思うんです。だから教えてください。―――あなた達は何者なんですか?」 いい加減逃げていては駄目だ。この世の全て、前を見て知ろうとしなければ何も見えないのだから。 続 ← |