暗殺者パロ | ナノ

大丈夫、私ってば結構強いから

灰色の世界だった。空は曇り、今にも嵐が吹き荒れそうである。辺りは何もない。ただ一面荒れた大地が広がるばかり。ゴツゴツとした岩肌が剥き出しになっている。そんな場所に、彼―――政宗は一人で佇んでいた。

政宗は何もないことを再確認すると、おもむろに前に向かって歩き出した。どこへ向かっているかはわからない。だがずっと同じ場所でいるよりはマシだと思っただけのことだった。しばらく黙々と歩き続けると、視界の先に何かが映った。少し足早に、そして段々駆け足に。視界の先に過ぎった何かに近づけば近づくほど、政宗の足取りは次第に加速していく。

本人も気づかないうちに全力で走っていたらしい。手を伸ばせば触れられるという距離にまで近づいたとき、政宗は自分の息が上がっていることに気がついた。隻眼に映るのは、政宗に背中を向けている人間だった。女性で、それも見覚えのある後姿をしている。目の前にいる女性が誰かわかるなり、政宗は目を見開いた。途端に顔を歪ませる。彼女の後ろ姿を見ていると暗殺者には不必要な様々な感情が溢れだしそうになるのだ。無意識のうちに拳をきつく握りしめる。

政宗……。

政宗の目の前にいる女性が、ゆっくりと彼の名前を紡ぐ。今にも消えてしまいそうな儚い声に、政宗は応えることができずにいた。

政宗……。

女性はもう一度同じ声で政宗の名前を呼んだ。名前を呼ばれるたびに政宗の顔は辛そうに歪んでいく。昔は好きだったこの声も、今では聞くだけで罪悪感に苛まれるだけだ。

政宗………。

女性はゆっくりと政宗のほうへと振り向き、政宗の目を真っ直ぐに見据えながら。

私はあんたを一生許さないわ、政宗―――。

憎悪が滲む表情でそう言うと、その女性は砂となり、風に吹かれて跡形もなく消え去ってしまった。

「―――華那ッ!」

悲鳴に近いような自分の声で政宗は目が覚めた。ベッドから慌てて上半身を起こし、肩で荒い息を繰り返す。身体中が嫌な汗で気持ち悪かった。自分の膝に顔を埋め呼吸を落ち着ける。外はまだ暗く、夜は明けていない。いつもこれだ。いつもこんな夢を見ては、こんなふうに目が覚める。それも決まって最後に同じ名前を叫びながら。

「……自業自得っていうやつなのにな、ったく……」

政宗は自嘲的な笑みを浮かべながら、窓の外から差し込む満月の光に身を委ねた。

***

それからの生活は不安に怯えながらも楽しいものだった。五人が経営しているカフェ「モンドズィッヒェル」の手伝いをしていることもあり、嫌なことを考える時間が減ったことも幸いしていたといえる。お店もそこそこ繁盛しているようで、毎日忙しなく動き回っていた。遥奈を追っていた謎の男達もあれから現れていない。まるであの夜のことが嘘のよう、そんなふうに思えてくるほどだった。

お店の手伝いのことといえば、以前ファミレスでアルバイトをしていた経験が役に立ち、遥奈は満場一致でウェイトレスとなった。今ではすっかり見慣れた光景となっているが、最初の頃は驚きの連続だった。まず五人の役割分担である。意外にも政宗と佐助は料理が得意で厨房担当。幸村と元親は客受けが良いという理由からウェイター。お店の経営に関する金勘定は元就が全て管理している。彼は厨房やホールで働かない。ずっと事務所(つまり家の中)で経営に関する事務仕事をこなしていた。

そしてこれはお店の手伝いをしてから気づいたことなのだが、店に訪れる客の半数以上が女性だったということだ。料理の味もそうだが、店員の容姿に惹かれ常連となる客も多いらしい。たしかに、と遥奈は頷く。だってみんな、かなりカッコイイ人達ばかりなんだもん。最初は最初だけにそんなことにまで気が回らなかった。だが落ち着きを取り戻りつつあったとき、遥奈はふとした拍子に気づいてしまったのだ。

もしかしてあたし、すっごい人達の家に上がりこんでる!? 客から彼らと一緒に仕事ができて羨ましいという視線と、妬ましいという視線を連日浴びながら、遥奈は足手まといにだけはならないよう必死になって働いていた。

しかしどんなに忙しない日々を送っていても定休日というものがある。その日は定休日で、それぞれが思い思いの日々を過ごしていた。政宗と佐助は朝早くからどこかへ出かけてしまっているし、元就も本を買いに行くと言って先ほど出かけてしまった。家に残っているのは幸村と元親、それに遥奈である。元親は朝方まで起きていたせいか未だベッドの中だ。幸村は今頃テレビのお菓子特集に夢中になっている。彼はああ見えて甘いものが大好きだと言っていた。

何もすることがない遥奈はお店の隣にある階段に腰掛けていた。お店が少し小高い場所にあるので、近くには階段や坂が多い。そこで彼女は何をするでなく、ただぼーっと街を眺めていた。何もすることがない時間は嫌いだ。考えないでおこうと思っていることを嫌でも考えてしまうからである。あの夜のこと、自分を追ってきた連中のこと、そして「逃げろ」というメールを送ってきた両親のこと。

全てが夢だったと思うときがある。しかし他ならぬ自分自身がここにいることが、それは夢ではないという何よりの証拠だった。このままここにいるだけではいけない。五人の優しさに甘えているだけではいけない。これからどうするか考えなくてはいけないのに、考えるのが酷く怖い。何もかも音を立てて崩れてしまいそうな、そんな言い知れぬ不安に駆られてしまう。両親が無事なのかすらわからないのに、この先どうすればよいか全くわからない。

「……ねえお父さん、お母さん。あたしどうすればいいの……?」

無意識のうちにペンダントを握り締める。語りかけてもそこに両親はいない。しかし何かに縋らずにはいられなかった。遥奈は膝に顔を埋め、今にも溢れそうな感情を押さえ込もうとする。

「―――明上遥奈だな?」
「…………っ!?」

聞きなれない声に、遥奈はハッと顔を上げた。目の前には黒いスーツにサングラスという、怪しすぎる男が佇んでいた。能面の上にサングラスをかけただけのような無表情な男に遥奈は背筋が強張った。彼らに見覚えがあった。それはあの夜、自分を追いかけてきた連中と全く同じだったからである。

遥奈は一気に身体を強張らせた。彼女は反射的に立ち上がると、男に背中を向けて幸村が待つ家に向かおうとした。しかし彼女の背後には二人の男が退路を塞ぐように待ち構えていたのだ。二人の男も黒いスーツにサングラスという格好をしている。ということは、三人は仲間なのだろう。大声を上げようにも身体が震えて上手く言葉が出てこない。じりじりと距離を詰めてくる三人の男達を見ているだけしかできなかった。

「悪いが、お前には今ここで死んでもらう」

遥奈は情けないとわかっていても、叫ばずにはいられなかった。誰か……誰か助けて! 幸村さん! 元親さん! 元就さん! 佐助さん! 政宗さん……!

「―――男三人が真昼間から、可愛い女の子に何をやろうとしているのかしら?」
「な……!?」

遥奈に声をかけてきた男の背後から、凛とした女性の声が聞こえてきた。男が後ろを振り向こうとするが、直後その男は前のめりに倒れこみ、そのまま動かなくなってしまった。どうやら気絶しているようである。

「なっ……!? 何の真似だ貴様!」

残り二人の男達が倒れた男の背後から現れた女性にあからさまな敵意をぶつける。しかし女性は怯むことなく、それどころか呆然としていた遥奈を自分の背に隠し、一歩前に出たではないか。女性は腰元に通常よりもかなり大きいベルトポーチのような物を身に付けていた。一体中には何が入っているのやら。少なくともこんな珍しいものをもっている女性は普通ではない。女性の顔は薄っすらと歪んでいる。まるで男二人を嘲笑うかのように―――。

「別に私は何もしていないわ。ああ、彼にはしばらくの間眠ってもらったけど。寧ろ何かしようとしているのは貴方達のほうじゃないの? 女の子一人に男三人は頂けないもの」

女性は大袈裟に肩を竦めてみせ、挑発的な笑みを男達に向けた。遥奈は何もできない自分を呪いながらも、これからどうするべきか必死になって考える。この女性を巻き込むわけにはいかない。いや既に巻き込んでしまっているかもしれないが。それでもここから逃げるにはどうすればいいのか考えるしかないのだ。幸い男達の注意はこの女性に向けられている。今なら自分一人だけなら逃げ出せるかもしれない。

あたしが逃げれば男達も当然あたしを追いかけてくるよね。あいつらが追っているのはあたしなんだ。あたしがここから離れれば、少なくともこの人は助かるはず! 遥奈はそこまで考えると、ここから離れるため男達の隙を窺い始めた。しかし女性は遥奈の右腕を掴むと小声で。

「ここから逃げ出して連中の注意を逸らそうと思わないでね。大丈夫、私ってば結構強いから」

遥奈の行動はお見通しだったらしい。そんなことを言われてしまえばここから逃げ出すことができなくなってしまう。遥奈に抵抗の意思が見られないと感じたのか、女性は掴んでいた右腕を離した。

「その少女をこちらに渡せ」
「イヤよ。私って素直じゃないから、渡せって言われたら意地でも渡さないもんね」
「……ならば力ずくだ!」

男達は懐に手をいれ、隠し持っていた「それ」を遥奈と女性に向ける。遥奈は男達が取り出したそれに目を奪われ、小さな悲鳴をあげた。男達が取り出したものは映画やテレビでよく目にする銃だったのだ。しかし所詮は映像の中のもので、こうやって初めて見る銃に遥奈は言葉を失っていた。

「そんなもので私を脅しているつもり? 本当に……甘いわね」

女性は呆れたような、どこか残念そうな声を漏らした。落胆の声に遥奈はおもわず女性へと注意を向ける。しかし―――いない。直前まで遥奈のすぐ目の前にいた女性はそこにいなかったのだ。女は男の耳元で妖しく囁く。女が何を囁いたのか遥奈にはわからない。唯一女の声を聞いた男の表情は凍りついていた。

何が起きたのかわからない彼女の耳に、男達の呻くような声が届く。慌てて男達のほうへ視線を向けると、そこには地面に横たわっている二人の男と、遥奈の目の前にいたはずの女性が静かに佇んでいた。髪が風に靡いて、上手く表情が窺えない。

「……大丈夫? ね、だから言ったでしょう。私結構強いって」

やっぱりこの女性が三人の男を……やっつけちゃったの? 信じられないものを見るような目つきで、遥奈は微笑んでいる女性をじっと見ていた。いつそこまで移動したのかわからなかった。どうやって男達を倒したのかもわからなかった。全ては一瞬。信じられないが、速すぎて何も見えていなかったのだ。

「あ、あの……助けてくださってありがとう、ございます?」
「なんで疑問系なのよ。ま、別にいいけどね。ところでどうしてあんな連中に襲われそうになっていたの? 銃を持っていたじゃない、あいつら」
「あ、はい。大丈夫です。特に何もされていませんから……。なんで襲おうとしたのかは、あたしにはわからないですけど」

何かされる前にあなたが何かしてくれたおかげで大丈夫です、とは言えない。助けてもらったと思うのだが、何が起きたのかわからない遥奈には、本当に彼女が助けてくれたかすらわからなくなってきていたのだ。それより彼女が銃を全く恐れていないほうが遥奈には恐ろしい。偽物か本物かわからなかったとはいえ、あんな状況で銃を出されたら誰だって怯んでしまう。もし女性が格闘技か何かを習っていたとしても、日本人は銃なんてものを見慣れていないので平然としていられるかどうか。

「あ、あたしは遥奈って言います。えっと……」
「ああ。私は華那よ。よろしくね、遥奈ちゃん」

華那と名乗る女性に手を差し出され、遥奈は少し遅れて自分の手を差し出し握手を交わした。突如、風が遥奈の髪を攫う。だがその風は酷く不気味で、遥奈は何故か言い知れぬ不安を覚えた。


続