暗殺者パロ | ナノ

これじゃあちょっとしたホラーハウスね

Keep outと書かれた看板が研究所と外界を遮る高い壁の至るところにかけられている。唯一の入り口は正面門だけ。周辺は監視カメラで二十四時間監視されていた。敷地内は更に厳重になり、赤外線センサーも設置されているだろう。

研究施設から少し離れた位置に、一台の黒塗りの車が駐車されている。監視カメラに映らないギリギリの距離に止められている車の中では、政宗と華那、それに元就が息を潜めて外の様子を窺っていた。後部座席に座る元就はノートパソコンを開き、素早い手つきで黙々とキーボードを叩いていく。彼は今、この研究施設のシステムにハッキングをかけていた。システムを掌握し政宗と華那を中に侵入させるためである。一時的にでも外部センサーを切ることができれば、二人は内部に侵入できる。こういうハッキング技術において、元就の右に出る者はいない。政宗も彼の能力には一目を置いている。

「どうだ毛利、上手くいきそうか?」
「我を誰だと思っている」

当たり前のことを訊くなと言うような元就の返事に政宗はフッと笑みをうかべた。つまり今のところ順調に進んでいるということか。

政宗は視線を華那に移す。彼女は窓の外から微かに見える廃ビルをじっと睨みつけたまま微動だにしない。意思の強さを感じさせる真っすぐで鋭い表情に、政宗は昔の華那の姿を見たような気分を覚えた。彼の記憶の中に存在していた華那も任務に赴く前はこんな表情をよくしていたはずだ。恐怖心を心の奥底に押し込めて、必ず生きて帰ると己自身に誓いを立てる。まるで神聖な儀式のようだった。

華那はかつての自分が力を求めて入った組織に反旗を翻した。自分が求めていた正義がヘヴンズゲートにないと知った彼女は、今まで独りで戦い続けていたに違いない。政宗の知らないところで、己が信じる正義のために密かにヘヴンズゲートと戦い続けたはずだ。

そうは言っても仲間だった人間と戦うのは、どんな人間でも抵抗がある。敵が華那だとしても、政宗は任務のためなら殺す。この先後悔しか待っていないとわかっていても、任務に私情を挟む真似だけは決してしないのが政宗だ。決して迷いや躊躇いがないわけではない。散々迷って、のた打ち回る苦しみの果てに、政宗は華那を手にかけるだろう。そしてその罪を一生背負って生きていく。彼はそういう男だ。

しかし華那は違う。いざというときの非情さが彼女には欠けていた。この世界で一瞬の迷いは死へ直結する。敵の息の根を止め自分が生き残れるのなら、条件反射で銃の引き金を引いても、ナイフで切りつけても構わない。とにかく常に先手を取った者が生き残れるのだ。なのに華那は、そういった非情さをいつまで経っても覚えずにいる。一見非情に見えても、中身は全く非情になりきれていない。いくら冷酷な女を装ったところで、政宗には彼女の本心などお見通しだった。同じ暗殺者として昔はそんな華那に苛立ちさえ覚えたこともあった。非情になれ。でなけりゃ殺されるぞ。何度も華那に忠告した。そのたびには華那悔しそうに、まるで何かを堪えるかのように唇を噛み締めていた。

でもいつの頃からだっただろう。―――華那にはそのままでいてほしいと、そんな甘いことを考えるようになったのは。できることならこんな世界ではなく、もっと光に溢れた世界で生きてほしいと柄にもないことを願うようになったのは。政宗とは違う普通の世界で生きてほしいと願いながらも、情けないほど彼女に依存して、結局傍にいてほしいと思う矛盾した想いを抱くようになってしまったのは……一体、いつの頃からだっただろう? 

彼女にはこんな血生臭い世界で生きてほしくない。出会った世界がそうだったとしても、一刻も早くそんな世界から遠い場所で、一人の女として平凡な幸せを掴んでほしいものだ。きっと自分じゃ無理だから。政宗は自覚していた。自分は一生この世界から抜け出せないと。この世界から抜け出すには、自分は少し遅すぎたようだ。

「………妙だな」
「何がだ?」

元就の不審がる声で我に返った政宗は、少しぎこちない動きで視線を蓮から彼へ戻した。華那も元就の言葉に耳を傾ける。

「我がハッキングを行うよりも前に、何者かがシステムを書き換えた形跡がある」
「明智か……。やっぱここにいやがるようだな」
「施設の防衛システムは既に機能していない。侵入するなら今が好機であろう」

光秀がどういった意図でシステムカットを行ったのかはわからない。だが防衛システムが機能していないこの絶好の機会は見逃せない。罠だったとしても乗り込むなら今がチャンスだ。華那は政宗の表情を窺う。彼は何も言わない。ただ頷いただけだ。華那にはそれで十分だったようで、黙ってドアに手を伸ばした。

「明智が書き換えたプログラムは何重ものロックがかかっているがじきに破れよう。監視システムを掌握したらそなたらをトレースし、こちらからも情報を伝える」
「Okay 頼んだ。行くぞ、華那」
「了解―――」

二人は車から降りると、足早に正面門へと向かう。防衛システムと監視システムはリンクしており、防衛システムを機能させるには監視システムが生きているのが絶対条件だ。防衛システムが機能していないということは、当然監視システムも機能していないということになる。よって監視カメラを気にする必要はなくなった。つまり監視カメラの目を気にして隠れずに済んだということだ。二人は尋常では考えられないジャンプ力で正面門を飛び越えると、真っすぐビルの入口へと向かう。

「立ち入り禁止区域だけあって中は荒れ放題だな」
「でもそれは外から見た場合よ。ビルの中はちゃんと電気が通って整備されている」

自動ドアの前に辿り着くと、二人はそれぞれ左右の壁に背中を預けて中の様子を窺った。ドアには僅かな隙間が開いている。元就の言った通りシステムが書き換えられたせいで、施設は正常に機能していない。中に入るにはドアを破る必要があった。政宗はハンドサインで華那に次の行動を指示する。政宗のハンドサインは周辺を確認しろと言っている。華那は頷くと近くに散らばっていた石を拾うと、ドアの隙間から投げ込んだ。中から石が転がる乾いた音が聞こえる。音に反応して誰かが現れるかと踏んだのだが人の気配も感じられない。

政宗は華那にドアから離れるよう合図を送ると、腰の鞘から一本の刀を抜き、ドア目掛けて刀を振り下ろした。ガラスが粉々に割れる甲高い音がやけに響く。建物の中は真っ暗で何も見えず、不気味なほど静まり返っていた。建物に足を踏み入れるなり、中の異常さに気づいた政宗と華那は辺りを見回した。華那は指先から小さな炎を具現化させると、暗闇に包まれた空間を照らしていく。

「どういうことだ? 人の気配がしねえ」
「ここには研究員の他にも工作員達がいるはずなのに、こんな騒ぎを起こしても現れないなんて妙だわ」
「それに入り口にいてもわかる濃い血の臭い……何があったか大体の察しはついたな」

施設の至るところに色濃く血の臭いが充満している。手で鼻を覆いたくなるくらいだ。一人、二人を殺しただけではこうはならない。大量の血液をばら撒かない限り、ここまで充満しないはずだ。炎で足元を重点的に照らすと、沢山の人間が肉塊となってそこら中に転がっていた。

「光秀の悪い癖が出たわね……。おそらくこの施設にいた人間の九割は生きてないと思うわ」

光秀は人を殺すという行為に快楽を覚えた異常者だ。その手段は徹底的に残忍で、いかに苦痛を与えて殺すかに重点を置いている。そのため組織の上層部も彼の扱いには手を焼いていた。何しろ関係のない人間まで大量に殺し、あまつさえその痕跡を隠そうとしないのである。普通暗殺者は誰にも悟られずにターゲットを始末することに重点を置くのに、この男は白昼堂々残虐な殺人を平然とやってのけるくらいだ。

「……ほら、壁のあちこちに血が付着してる。これじゃあちょっとしたホラーハウスね」

政宗は血が付着している壁を指でそっとなぞった。指の腹を見ると、彼の指にも赤い血が付着している。壁の血がまだ乾ききっていないということは、ここで大量虐殺が行われてあまり時間が経過していないということだ。

「とりあえずsecurity roomへ向かったほうが早そうだな」
「そうね、システムがどんなふうに書き換えられているかわかるし、上手くいけば監視カメラの記録が無事ならここで起きたことがわかるかもしれない」

内部の構造が変わったとはいえ、セキュリティルームといった重要施設の場所は変わっていない。この施設はヘヴンズゲートが所有する数ある研究施設の一つで、研究内容に変化があった場合、その研究内容に合わせて建物内部の構造を段階的に変化させ続けてきた。かなり昔に一度だけこの施設を訪れたことがあった政宗でも、セキュリティルームの場所は今もちゃんと覚えている。二人はセキュリティルームがある地下一階に向かうため、奥にある階段から地下一階に向かって歩き出した。

研究施設であるため、施設の内部は真っ白な壁が基本となっている。長い廊下はそれこそ永遠に続くのかと錯覚するほどに、真っ白な壁がキラキラと反射し、人間に不気味な印象を与えていた。

セキュリティルームはエントランスホールよりも凄惨な光景が広がっていた。壁だけでなく天井にまで血が飛び散って、ここの警備員と思われる数名の男性がおもわず目を背けたくなる最期を遂げていた。全員どこかしらの体の部位がないのである。ある者は腕だったり、またある者は足だったり、最悪顔の皮膚だけがない者までいたくらいだ。

「……変だな。いくらあの明智でも、ここまでするか?」

いくらその残忍さで有名な明智光秀といっても、目の前の惨状は何かが違った。それが何かと訊かれれば上手く説明できないのだが……。政宗が感じた違和感は華那も感じているようで、彼女の声は少し震えていた。

「この死体……まるで何かに喰い千切られたみたいね」

彼女の言葉にハッとした政宗は部屋を見回した。壁だけでなく天井にまで飛び散っている大量の血。どこかしら身体の部位がない死体達。彼らは身体の一部分が欠けている。その欠けている部分は、鋭利な刃物で切断されたのではなく、無理やり引き千切られていたのだ。傷口をよく観察すると、歯型のようなものまで確認できる。そう、華那が先ほど言ったとおり、彼らは―――喰い殺されていたのだ。

「違和感の正体はこれだな……。どうやらこいつらは光秀に殺されたってわけじゃないらしい。あの野郎ならお得意の鎌を使って殺すはずだ。だがこいつらは鎌で殺されたようには見えねえ」

ならば。誰が、何が―――彼らを殺したというのだ? 政宗が知る限り、この研究所はヘヴンズゲートの技術力向上を目的として建てられていたはずだ。少なくとも彼がヘヴンズゲートに所属していた頃は、怪しい点は一つもなかった。

「……ってわかんねえことをいつまでも考えていても意味ねえな。ここは監視monitorをcheckしたほうが早いぜ」

幸いセキュリティルームの電力回路は独立しているので、この部屋のみ電力はまだ生きている。コンピュータも無事なので、端末を操作すれば監視カメラの映像を見ることができるのだ。政宗は慣れた手つきでキーボードを操作していく。華那は少し離れた場所でその様子を黙って見ていた。ただしその表情は不自然に硬い。

「Ok これで見られるぞ」
「………なによ、これ」

監視カメラが記録した映像を目の当たりにした途端、政宗と華那はあまりに信じられないその光景に目を見張った。こういう世界に身を置く身故、ありとあらゆる凄惨な光景を目に焼き付けてきたつもりだった。だがこれは、そのどれにも当てはまらない。

二人の目に映る光景――それは人が人を喰い殺すという、とても信じがたい残忍な光景だった。

続