暗殺者パロ | ナノ

紙切れ一枚の女

本名非公開。性別女。年齢非公開。血液型非公開。出身国非公開。学歴非公開。職歴非公開。

必要な項目のほとんどが非公開と書かれている書類を、政宗は先ほどからずっと見ていた。見ているといっても実に九割が非公開と書かれているような書類である。文字通りただ見ているだけだ。思考することを止め、景色の一部と言わんばかりに眺めているに等しい。

唯一わかっていることは性別の項目だけ。性別は見ただけですぐにわかる。非公開にする意味がないと判断した結果と思われた。まるで応接室のような、清潔感どころか居心地の悪さを覚える真っ白な部屋の中で、政宗と向かい合って座っている部屋の主たる一人の中年男性はそんな彼の様子を、何をするでなくただじっと見つめている。

「………で、これをオレに見せて一体何の意味があるんだ?」

流石にそろそろ見飽きたのか、政宗は書類をテーブルの上に投げ捨てた。目の前に座っている男に事情を知らされないまま部屋に来いと命じられ、来るなり真っ先に渡されたのがこのふざけた書類だったのだ。

話は一先ずこの書類を見てから、ということである。さっさと退室したいと思っていた政宗は黙って男に従った。一応この男は政宗が所属しているヘヴンズゲートの幹部の一人だ。どこの世界でも、どんな職場でも上司の命令は絶対である。普段は意見の対立から何かと反発することの多い政宗だが、上司の命令に素直に従ったほうが良い場合の見極めくらいはできた。

「そもそも何なんだこの……女? ほとんど非公開じゃねえか」

女という言葉が疑問形になったのには理由がある。書類上性別は女と記載されているが、年齢が非公開となっているため、女と言っていいのか少し迷ってしまったからだ。現在二十三歳の政宗からすると十代は少女だし、逆に年上だったら……。そこまで考えて政宗は考えることを放棄した。この先を考えても気が滅入るだけだ。わざわざ考える必要性がない。

「彼女は証人保護プログラムによって守られている存在だ。いくら我々と言えどその素性を知ることはできない」
「証人保護programたァ物騒な話だな。こいつ、どんなでかいヤマに関わってんだ?」
「それは我々の知ることではない。重要なのは彼女の素性ではないのだからな」

つまりこの上司もまた、彼女の素性を詳しく知らないということだ。あるいは知っているのに知らないふりをしているか。その場合政宗には話せない内容だから隠す、ということになる。

政府側にいる政宗にすら話せない事件となると、事と次第によっては自分の身も危うくなるだろう。知っているのに隠すということは、疾しいことがある証拠だ。事件に政府も一枚噛んでいるということである。それもより黒い部分で、だ。

「彼女は本日付けで組織の一員となる。そして君には彼女と行動を共にしてほしい」
「………どういうことだそりゃ? なんで証人保護されている女がわざわざ?」
「証人保護プログラムを受けられるようにする代わりに、彼女が組織の一員になる。我々が出した条件だ。彼女はそれを受け入れた」

やはりこの女の事件に政府も一枚噛んでいる。政宗は確信した。政府直属の諜報機関に身を置いたら安全を保障する。言い換えると政府の監視下に置かれるということだ。彼女は政府が公開できない情報を握っているのだろう。政府としても彼女を監視し、情報を漏れるのを防ぎたいと思っているはずだ。だったら自分の目が届く場所に置いておきたいと思うのは人間の心理である。

が、この非公開女が組織の一員になることよりも、自分と行動を共にしろと言われたことに政宗は驚いた。行動を共にする。つまり彼女を政宗のパートナーにすると言っているようなものなのだ。常に独りで戦うこと以外考えていない政宗にとって、相棒という存在は邪魔以外のなにものでもない。彼はずっと相棒は要らないと言い続け、今まで誰一人として傍にいることを許さなかったくらいなのだ。

「第一こんな女、使い物になるのかよ?」

使い物―――任務とはいえ人を殺せるのか政宗は問うたのだ。

諜報機関とはいえ、その任務の内容は様々だった。命令が下れば人だって殺している。政宗自身人を殺すことは未だに平気ではなかった。きっと一生慣れることはないとさえ思っている。罪悪感はない。殺すことに躊躇いもない。殺さなければ自分が殺されるだけなのだ。だが人を殺すことに慣れてしまうことだけは許されない、してはいけないものだと思っている。

それはおそらく、自分が人であることの境界線。人を殺すことに慣れ、快楽を覚えてしまった時点で人ではなくなってしまうのだ。それはただの獣にすぎない。自分達が狩る獣と同じ獣に成り果ててしまっただけである。獣になってしまったら今度は自分が、獣になりたくないと抗い続ける狩人に狩られるだけだった。

「一通りの戦闘訓練なら既に受けているはずだ。彼女の訓練を担当した指導官によると、運動センス、戦闘センス共にとても高いと評判らしい。だが……」
「……まだ自分の手を汚したことはねえんだな」
「そうだ……」

評判がよくても所詮訓練の中での話だ。どんなに戦闘センスが高くても実戦で発揮できなければ意味がない。生きるか死ぬかの瀬戸際で「殺せない」などと温いことは言っていられない。この女が人を殺したことがない以上、吉と出るか凶と出るか……。

「……とにかくもうじき彼女もここへ来ることになっている。これは命令だ、伊達政宗。以後、彼女とバディを組み任務にあたれ」
「shit! 最初っからオレに選択肢を用意していなかったんじゃねえか」

抵抗すること自体無駄なことだったのだ。時間と体力を無駄にしてしまった政宗は、ソファに身体を深く沈ませ天井を仰いだ。と、そこに部屋の外からピピッという電子音が鳴り始めた。誰かがこの部屋を訪れ、ドアの外で待っているのだ。上司はデスクに置いてあるボタンを押し通信回線を開いた。ドアの外にいる人間と短い会話を済ませると、政宗に向き直り「彼女がご到着だ」と告げる。政宗は気だるそうに目だけ動かしドアのほうを見た。

「―――失礼します」

シュッという、圧縮した空気が勢いよく飛び出したような音と共に、ドアが横にスライドした。カツ、と汚れが一つもない綺麗な床にどこか威圧的な靴音が響き渡る。全てが非公開と記されていた女なんてろくな女じゃねえ。少なくともこの瞬間まではそう思っていた。現れた女はソファに座っている政宗を見つけると、彼女はじっと政宗を見つめ始めた。あまりに真っすぐに見つめられ、政宗は内心落ち着かない。

「彼が君のバディとなる伊達政宗だ」
「やっぱり! 初めまして。私、音城至華那って言います」

そう言って非公開女もとい音城至華那は、にっこりと笑いながら政宗に握手を求めたのだった。


完