暗殺者パロ | ナノ

裏切り者へは死の制裁を

どんなことがあっても、朝は必ずやってくる。さらにいうと仕事もやってくるのだ。暗殺者からカフェを経営する普通の青年になった五人は、その日も忙しなく働いていた。昨夜あんなことがあったというのに、五人はいつもとなんら変わらない。一瞬でも気を抜くと色々なことを考えてしまう遥奈とは違い、五人とって昨夜のようなことは日常の一部となっているのだ。彼らのいつもと変わらない態度が、いかに彼らが日常とかけ離れた世界にいるのだと痛感させられる。

忙しい時間が過ぎお店が落ち着き始めた頃が、遥奈達の休憩時間になる。といっても全員一緒に休憩をとるわけではなく、順次休憩をとりお店に穴を作らないようにしていた。この日は政宗と元親と遥奈が先に休憩をとることになっている。

いつもなら自宅で食事をとるのだが、この日だけはいつもと違っていた。きっかけは政宗と元親が近所にあるパン屋のパンを食べたいと言い出したことである。そのパン屋は近所でも美味しいと評判だった。遥奈も食べてみたいと思っていたこともあり、三人でそのパン屋に向かうことになったのである。

本来遥奈は外出を控えたほうがよい身なのだが、昨夜あんなことがあったせいで気が滅入っていたこともあり、二人は気分転換を兼ねて彼女を連れだしたのだ。政宗と元親という優秀な護衛付きなら心配ないと判断したのか、お店に残っている三人も二つ返事でゴーサインを出している。

パン屋に向かう途中で気付いたのだが、今日は街全体が華やかな空気に包まれている。通りを歩いている人達もどこかそわそわしていて落ち着きがない。しかし顔は笑顔そのもので、まるで楽しい何かを待ち焦がれているかのようだった。その理由を知ったのは、パン屋へ行く途中にある広場の近くを通った時である。

「……お祭り、ですか?」
「らしいな。いろんな出店の他に大道芸やパレードみたいなやつもするらしいぜ」

メインストリートの中心部であることもあり、広場の周辺が一番活気で溢れている。元親が言ったとおり様々な出店の他にも、大道芸を披露して観客達を魅了していた。こんな楽しそうな空気に当てられて楽しくないはずがない。遥奈は自分の心が興奮でウズウズしているのを感じていた。そんな彼女の様子に気がついたのか、政宗と元親は互いに顔を見合わせ、遥奈の知らないところで小さく頷きあった。

「予定変更だ。今日の昼飯はここで食うぜ」
「え、どうやってここでお昼ごはんを食べるんですか?」
「色々な出店があるっつっただろ。食うもんには困らねえと思うぜ」

何を食べるか話しあっている政宗と元親に、遥奈はこっそりと感謝していた。二人のこの提案には明らかに遥奈への気遣いが見てとれたからだ。遥奈の祭りを楽しみたいという心情を察して、かといってお祭りを覗きたいとは言い出しにくいと思い、自分達のほうから声をかけたのである。気晴らしにと誘われたことは遥奈自身も気が付いていた。だからこそ二人のさりげない優しさが身に沁みる。

それからというもの、遥奈は久しぶりに心の底から笑っていた。久しぶりに楽しい時間に触れたこともあり、このときばかりは今の自分が置かれている非日常を忘れられたのだ。出店や大道芸はどこにでもあるありふれたものなのに不思議である。これほどまでに楽しいと感じたお祭りはなかった。

「ふうー……もう笑い疲れそうです」
「しかしよくもまあこんな芸で笑えるな、アンタ」
「政宗さんは楽しくなかったですか?」
「そういうわけじゃねえが……ただアンタほどじゃねえってだけだ」
「そろそろ休憩時間も終わるころだし帰らねえとあいつらが煩ェぞ?」
「そうですね……じゃあお店のみなさんにお土産を買ってきていいですか? さっきの出店で美味しそうなホットドックを見つけたんです」
「ああ、いいんじゃねえのか?」

無邪気に祭りを楽しむ遥奈の後ろ姿が、政宗に一人の女性を思い出させた。たしか記憶の中の彼女もこんなふうに無邪気に笑っていたはずだ。もう二度とあの時間に戻ることはできない。昨夜の一件で政宗はそう確信していた。だからこそ記憶の中の彼女の笑顔が頭から離れない。

たしかあのへんに……と、ホットドックの出店を探していると、遥奈達の前に一人のピエロの格好をした男が現れた。両手に大きな風船をいくつも持っている。別にピエロは珍しくない。この広場だけで既に何人ものピエロを見ていたからだ。

そのピエロは持っていた風船の一つを遥奈へ差し出した。受け取れと言っているのだろうか。風船を貰っていたのは子供だけだったはず……と遥奈は思い、この風船を受け取るべきか非常に迷った。自分も子供のように見えたのかもしれない。それはそれでちょっと、いや実はかなりヘコむ。迷った挙句遥奈は結局風船を貰うことにした。少し躊躇いがちに風船へと手を伸ばす。

「待て遥奈! それを受け取るんじゃねえ!」

怒鳴っているのか悲鳴なのかわからない政宗の荒い声色に、遥奈の風船に伸ばしかけていた手は咄嗟に止まった。横から飛びかかってきた元親に頭を抱えられと思った刹那、ドォン! という昼間の広場に似つかない爆発音が遥奈の耳に飛び込んできたのだ。爆発の衝撃で元親は遥奈を抱えたまま吹っ飛ばされる。頭上にパラパラと何かが降ってくる乾いた音が響いていた。

「だ、大丈夫か遥奈……!?」
「……あ、はい……。い、今何が起きて……って元親さん! 血が!?」

元親の腕の中から這い出た遥奈は、彼の顔を見て愕然とした。元親は頭から血を流していたのだ。流れる血が彼の頬を伝う。広場にいた人間には何が起きたのか未だ理解できず誰もが口を開けて呆けていた。しかしその場の一人が金切り声のような悲鳴をあげた途端、他の人間も我に返ったのか次々と声を上げて一目散に逃げ出し始めた。一度混乱を招いてしまうともう収集できない。大勢の人達で賑わっていた広場が一瞬にして悪夢の舞台へと変化した。人々の逃げだす足音が地面を通して振動という形で伝わってくる。

「Shit! こんなところにまでHaven's Gateかよ!」

先ほど風船を渡そうとしていたピエロは既に息絶え肉片と化していた。政宗は忌々しそうに恨み事を呟くと横たわるピエロの横腹を蹴った。政宗はこのピエロが自分の体に爆弾を付けていたことにいち早く気づき、慌てて遥奈の動きを止めたのである。大方遥奈が風船を持った瞬間、自分もろとも遥奈を殺そうとしたのだろう。だがヘヴンズゲートは遥奈を生かしたまま連れ去ろうとしていたはずだ。どうやらあちらも余裕がなくなってきたらしい。最悪ペンダントだけでも回収しようということだろうか。

「………どうやらこんなところにまでHaven's Gateの手が回っていたらしいぜ」

政宗はサッと周囲を見渡した。するとほとんどの人々が逃げ出したのにも関わらず、まだ広場に残っている人間が何人もいたのだ。それはピエロだったり出店の人間だったり、先ほどまで祭りを楽しんでいた人達であったりと様々である。

彼らは逃げるどころか政宗達に激しい殺気を放っていた。彼は三人を取り囲むようにじわじわと距離を詰めてくる。政宗と元親は遥奈を真ん中に背中を向け周囲を見やった。これほどの数、一体いつの間に一般人の中に紛れ込んだのだろうか。

「祭りすら楽しめねえなんてずいぶんと野暮なことをしやがる」
「そうね、でも私達には祭りを楽しむ暇なんてないのよ」
「…………華那か」

政宗達を囲む男達の間から華那が姿を現した。彼女の手には既に火之迦具土神が握られている。対して政宗と元親は丸腰だ。正直華那以外の連中なら素手でも十分戦える自信がある。だが華那は政宗達と同じ能力者だ。武器があるとないではその差は大きい。今は圧倒的に華那の優位と言える。

「ずいぶんとえげつねえことしやがったな。さっきの奴、死んだぜ?」
「大丈夫よ、既に精神が崩壊していたからまともな思考はできなかったはず。痛みどころか、自分が死んだことすら気づいてないかもね」
「………さっきの奴は実験に失敗した奴の一人ってことかよ。まだあんなくだらねえ実験をやっていやがったのか」

政宗達が受けたという人体実験。その実験に成功する者は少なく、ほとんどの者が狂い死にしたと元親は言っていた。どうやら彼もその一人のようで、どうせ死ぬなら少しでも有効利用しようとヘヴンズゲートが差し向けた刺客だった。人を人と思わないヘヴンズートのやりかたに遥奈は吐き気を覚えた。

「そして裏切り者が生きていけるほど優しいところじゃないことも、政宗なら嫌というほど知っているはずよね?」

華那が指を鳴らすとそれを合図にヘヴンズゲートの連中が一斉に政宗達に襲いかかってきた。わけのわからない奇声を発しながら、連中の一人が政宗に殴りかかる。政宗はそれを余裕で避けると、男の腹部に強烈なひざ蹴りを食らわせた。腹部に政宗のひざ蹴りを直接食らった男はその場で倒れ、腹部を抑えながらのたうち回る。

ゴホゴホと咳き込む男に、政宗はどこか違和感を覚えた。だがその違和感の謎を解明する前に今度は別の男が襲いかかってきた。政宗は殴りかかってきた男の腕を逆に掴むと、そのまま乱暴な動作で男を投げ飛ばす。まただ、さっきと同じ違和感が政宗を襲う。

「なんだァこいつら!? 弱いにもほどがあるぜ!」

同じく戦っていた元親も政宗と同じ違和感を覚えていたらしい。政宗の瞳に閃光が走る。己の違和感の原因に納得ができたからだ。が、納得したと同時に信じられないという目で華那を睨みつける。政宗と元親が覚えた違和感は敵があまりに弱すぎるということだった。攻撃の軌道があまりに真っすぐすぎ簡単に読めてしまう。そのくせ相手はこちらの攻撃を避けることすらできず、たった一撃当たっただけで倒れこむほどのダメージを追っている。戦闘訓練を受けているはずのヘヴンズゲートにしてはあまりにおかしい。

「気をつけろ元親ッ! こいつら全員Haven's Gateの連中じゃねえ、ただの素人だ!」
「んだと!?」

これには元親も驚きを隠せなかった。だが人を殺す訓練を受けていない素人ならば納得がいく。

「どういうことだ華那!? なんでこんな奴らをオレ達に差し向けやがった。こいつらじゃ相手にならねえのは百も承知だろうが!」
「彼らは全員実験の失敗作なの。スラムの人間達でね、高額なお金が貰えると聞いて快く実験に参加してくれた優しい人達よ。でも駄目全滅。一人も成功しなかったわ」
「華那……テメェ……!」

政宗は今まで向けたことがない鋭い眼光で華那を睨みつけた。黒い、黒い。憎悪の目。華那は今まで見たことがない政宗の表情に、ぞくりと寒気が走った。華那はふるふると頭を振った。違う。見たことはあるのだ。しかしそれは敵に向けられる目であり、決して華那に向けられることはなかった。

政宗にとって自分は敵以外の何者でもない―――。その瞬間政宗は確かに見た。悲しそうな瞳で、今にも泣きそうな華那を。彼女が一瞬見せた表情は政宗が知っている昔の華那のものである。今彼らを操っている冷酷な華那ではない。政宗に僅かな動揺が走った。

「華那………?」
「政宗、私は………」

まるで政宗に何かを訴えかけるような瞳で華那はじっと彼を見つめている。だが政宗には華那が何を言いたいのかわからない。

「きゃあ!?」

遥奈の悲鳴が聞こえたことで政宗と華那の注意は逸れた。三人から離れた位置で遥奈は男達に捕えられていたのである。彼女のこめかみには銃が突き付けられており、政宗と元親は動きたくても動けずにいた。一歩でも動けば引き金が引かれると警戒しているためだ。だが政宗が驚いたのはそれだけではない。政宗と元親だけでなく、ヘヴンズゲートに所属している華那もまた、彼らと同様に驚いているからだ。

「何をやっているの! 今すぐその子を放しなさい!」

遥奈を拘束している男に華那が鋭い声で命令を下す。が、男は華那の命令には耳を貸さず遥奈を拘束する手を緩めない。自分の命令を聞き入れない男に華那は苛立たしげに眉を顰めた。

「どうしたの、私の命令が聞けないとでも言うの!?」
「―――そうですよ。彼らは貴方の命令では動きません。何故なら彼らは貴方ではなく私の命令で動いているからです」
「………光秀!?」

音もなくこの場に現れたのは、明智光秀その人だった。陰気そうな顔に薄らと笑みを浮かべている。政宗と元親も彼を知っていた。二人がヘヴンズゲートに所属していた頃から光秀もヘヴンズゲートに所属している。だが面識はあまりなく、同時に二人は光秀のことをあまりよく思っていない。

「明智……光秀か……!?」

華那一人なら兎も角、明智光秀まで現れたとなると事態は悪化したといえる。華那と違って光秀は人を殺めることに罪悪感を持ち合わせていない。それどころか人殺しに快感を得る性癖の持ち主だ。任務に関係のない人間まで大量に殺すため組織でも厄介者として扱われている。へたをすれば仲間まで殺しかねない男なのだ。

「これはどういうつもりなの光秀! 明上遥奈の件については私が一任されているはず、手出しは無用よ!」
「ええ、明上遥奈の件は私にはどうでもよいことです。貴方が自分の任務を全うするように、私も自分の任務を全うしているだけですよ」

光秀も別件で動いていると昨夜たしかに言っていた。だがその別件がどんな内容なのか華那は聞いていない。いくら同じ組織に所属しているからといっても、自分に与えられた任務の内容まで話す馬鹿はまずいない。よほどの信頼を置いている人物なら話は別だが、光秀のように人を食ったような男に話せばそのツケがいつか自分に返ってくるだろう。

「私の任務は裏切り者への制裁です。だからここに来たのですよ」

裏切り者へは死を。ヘヴンズゲートを裏切った政宗と元親のことを指しているのだろう。政宗と元親、二人して短い舌打ちをした。よりにもよってこんなときに……と思っていたのだ。ただでさえ華那だけで手いっぱいの状況で光秀の相手をするのは分が悪すぎる。何より光秀も三人と同じ……能力者なのだ。

「……裏切り者の件なら勝手にやればいい。私は私の任務を全うするまでよ」
「そうですか―――では遠慮なく、私は私の任務に専念させてもらいます」

刹那、肉を斬り裂く鈍い音が広場に響き渡った。

「え……!?」

華那の口から呆けた声が漏れる。次の瞬間、華那は膝をつき、その場に倒れこんだ。華那の背中が真っ赤な血で溢れ、染まっていく。

「裏切り者へは死の制裁を。美味しく頂きましたよ、音城至華那―――」

だが光秀のそんな呟きは、華那の耳に届くことはなかった。


続