暗殺者パロ | ナノ

ご忠告ありがとう

世界には表と裏がある。陽の当たる場所と当たらない場所。光と闇。普通の人間が当たり前のように日常を送る世界を表だとすれば、華那がいる世界は裏といえよう。ここは普通の人間が滅多なことがない限り立ち入る領域ではない、第一級危険地帯と認識されている裏世界の住人が集まる地域である。

夜も更けているというのに、この街の住人達からすればこれからが活動時間だ。夜の闇を消し去らんとするくらいのネオンの輝きに目が眩む。女達は派手に着飾り、通りを歩いている男に声をかけ、少し話した後、二人でどこかへふらっと消えていく。この街では当たり前の光景を横目で見ながら、華那はとある一軒の店に足を踏み入れた。店の入り口ではバーデンダーの服をきた男が立っている。男は店に入ろうとする客に声をかけ、客が身に付けている非合法な持ち物を回収するのが仕事だった。華那も例に漏れず、男に呼び止められた。

「お客様、当店は争い事を好みません。申し訳ありませんが腰元に身に付けていらっしゃる、その物騒な物は預からせていただきます」
「ちっ……わかったわよ。相変わらず手厳しいわね」

男は一瞬で火之迦具土神を武器だと見抜いたのだ。銃やナイフと違い、火之迦具土神は一見すると武器だとわからないはずである。それを見抜いた男の目はさすが、というべきか。

華那は大人しくベルトポーチごと男に渡すと、何食わぬ顔で店の中へと足を踏み入れた。しかし丸腰で行動するほど華那は馬鹿ではない。常に護身用にとブーツの中にナイフを忍ばせていた。なんらかの事情で今のように武器を手放すことがある。しかしいつ狙われてもおかしくない身故、常に何か武器を携帯しておかねばならないのだ。それも敵に見つからない場所に隠し持っておく必要がある。ブーツの中やベルトの裏側など、さまざまな隠し場所に小型の武器を携帯しているのだ。バーテンダー服の男もそこまで見抜けなかったようである。

店の中は極々ありふれたバーだった。ただ静かで落ち着ける雰囲気ではない。店の客のほとんどは屈強な肉体をした男達で溢れ、店中に男達の喧騒が響き渡っていた。酒の飲み比べをしているようで、店中の客が飲み比べに熱を上げている。華那は飲み比べに興味を示さず、真っ直ぐにカウンター席へと向かった。席に座るなりこの店のマスターらしき男に注文をする。

「お酒を頂戴。とにかく強いお酒よ。強かったらなんでもいいわ」
「いきなりなんだ……お前さんにしては珍しいな。何かよほどのことがあったのか?」
「まァねー……」

華那はこの店の常連で、マスターとも仲が良い。少なくとも注文時「いつもの」と言えば、華那がいつも飲んでいるお酒が出てくる程度には通い詰めている。しかし今日は違った。席に座るなり強い酒を所望したのである。どこか殺伐とした空気の華那に、マスターは訝しげに思いつつもウォッカを出した。華那は出されたウォッカを一気に煽る。一瞬にして空になったグラスをマスターに突きつけ、「おかわり!」と据わった目で睨みつけた。マスターもそんな華那の迫力に負けて、渋々ウォッカをグラスに注いだ。

「ああもうイライラする……なんなのよったく……!」

自分の任務は明上遥奈が持つペンダントを回収することだった。しかしそれと同時に明上遥奈を生かしたまま連れて帰れとも言われている。組織の末端まで伝わっていなかったのか、昼間の連中は明上遥奈を殺そうとした。そのため遠くから様子を監視していた華那が咄嗟に明上遥奈を助けたのである。当然組織の人間は華那の顔を知っている。いきなり現れた華那が遥奈を庇ったので動揺したのだろう。また、華那の行為を組織への裏切りと判断したのか、華那も始末しようとしたとんだ馬鹿達である。

しかし何故明上遥奈を生かしたまま連れて帰るのか、華那もその理由は知らずにいる。あのペンダントに組織が開発した、CADウイルスのデータの入ったマイクロチップが埋め込まれていることは知っていた。ならばそのペンダントだけ奪えばいいのではないか。親のこともデータのことも知らない少女を、わざわざ連れて帰る必要はないのではないか。そう考えた華那はとりあえずペンダントだけでも回収しようと、遥奈にあんな無茶な提案を持ちかけた。結果として遥奈はその提案を蹴ったわけだが、不思議と清々しい気分である。

殺すと脅しても遥奈はペンダントを渡そうとはしなかった。意志の強い子は好きだ。何があっても敵に立ち向かおうとする、強い心の持ち主は華那の好きなタイプである。だが、今は何も考えられない。考えられそうにもなかった。

政宗……。

DFPに政宗がいるかもしれない。それを聞いたのはいつだっただろう。風の噂でDFPに尋常ならぬ強さを持つ人間がいると聞いたことがあった。組織に入ったばかりだというのに、その強さはDFPでも一、ニを争う実力らしい。その姿が政宗によく似ていたと聞いたとき、心が激しくざわついた。あのときの気持ちはおそらく一生鮮明に覚えているだろう。

三年前、政宗は元親とともに、華那に何も言わず組織を裏切った。生きている限りずっと一緒にいると約束したばかりなのに、政宗は組織を、そして華那をも裏切ったのだ。政宗という存在だけが、この血で血を洗うような世界で唯一の拠り所だった華那にとって、彼の裏切りは本人が思っていた以上に華那の心に傷をつけた。こんなに醜い世界でも、政宗がいれば耐えられた。人を殺め、大罪という名の十字架を背負っていても、政宗と一緒ならなんだって平気だったのに。こんな世界に置いてきぼりにされたことが、なによりも哀しくて淋しくて、そして酷く憎くて堪らない。

華那の中で生まれた黒い炎。それはゆっくりと、だが確実に燃え上がっていった。いつしか愛は憎しみへと変化し、その炎はこの手で政宗を殺さない限り消えることはない。……そう思っていたのだ。


でも私は最後まで迷っていた。政宗と刃を交えたとき、本気で戦うことができなかった!

いざ本人を目の当たりにすると本気で戦うことができなかった。攻撃しようにも必ず躊躇していることに、華那は戦っている最中に気づいてしまったのである。戦闘中のリズムがいつもの自分とは違っていた。政宗を殺そうと思えば思うほど、華那は自分の中で何かが狂っていくのを感じていたのだ。それは何故か。

政宗のことを殺したいほど憎んでいるのは本当だ。しかし同時に、愛してもいるのだ。忘れようとしても忘れることができなかった最愛の男を、未だに愛し続けている。政宗を殺せば憎悪から介抱されるが、それは永遠に晴れることがない濃い霧の中をさ迷うことにもなる。彼女の中に政宗を愛するという気持ちがあるからだ。最愛の男が死んでしまったら誰だって悲しい。しかしその男を殺したのが自分だったら? 華那の中で政宗を憎む気持ちと愛す気持ちがせめぎあい、どうすればいいのかわからないほどの困惑を招いていた。

「私はどうすれば………」
「……珍しいですね。あなたともあろう方がそんな乱暴な飲み方をするなんて」

突如華那の背後から聞こえた不気味な声。聞く者全てに恐怖を与えるような声にも関わらず、華那は後ろを振り返ることなく淡々とした表情でウォッカを口に含んだ。

「私の背後に立たないでもらえるかしら、光秀?」
「失礼。なら私に突きつけているその物騒な物を下ろしていただけませんか?」
「チッ……!」

華那の背後に立つ光秀という男の腹部には、鈍い光を放つ黒塗りの銃口が突きつけられていた。指はトリガーにかけられており、いつでも発砲できる状態にしてある。華那が護身用として隠し持っている武器の一つだ。護身用なので、せいぜい銃身長が数センチ程度のものだった。通称スナブ・ノーズと呼ばれる短銃身リボルバーである。勿論この店は武器の持ち込みを禁止しているため、華那は店員から見えないように銃を突きつけていた。目の前のマスターも気づいていない。華那は静かに銃を仕舞うと、ようやく後ろを振り返った。

「相変わらず辛気臭い面ねえ……何の用?」
「あなたがあの男と戦ったと聞いたものですから、お話をお伺いに参りました」
「全部筒抜けってわけね」

光秀も華那と同じく、ヘヴンズゲートに所属する暗殺者の一人である。ただ不気味な言動から組織でもかなり浮いている存在だ。そのくせ組織内でも一部の人間しか知らない情報を知っている。何を考えているのかわからないこともあってか、華那も彼を快く思っていない。今のように露骨に嫌な態度で接している。光秀は華那の隣に座ると、マスターに酒を注文した。華那が何を言おうともここにいるつもりだろう。華那はそんな光秀を無視して酒を飲み続ける。

「で、どうでしたか。彼と戦った感想は? 非常に気持ち良かったでしょう?」
「組織の敵が裏切り者だったというだけの話よ。ちょうどいいんじゃないかしら、同時に始末できて手間が省けるわ。あと、気持ちよくない」
「伊達政宗がDFPに所属しているという噂は本当だったようですね」
「いくら組織を裏切ったところで、一度この世界に身を投じた人間が普通の生き方をできるはずもなかったのよ。かといって組織のバックがなければこの世界ではやっていけない。どう転んでも抜け出すことなんて不可能よ」

普通の生き方を知らない人間が普通に生きられるはずがない。かといって組織のバックがなければ暗殺者としても生きることができない。超法規的措置が認められているDFPのような政府公認の組織でない限り、一生お尋ね者として陽の当たらない生活を強いられるだけだ。

「しかしあなたは彼を殺したがっていたでしょう? ですがその様子だと……殺せなかったようですが」
「誤解しないで。私のターゲットは明上遥奈よ。裏切り者の始末なんていつだってできるわ。わざわざ今殺さなくてはいけない理由なんかない」
「……殺す理由がないのではなく、殺せなかったの間違いではないですか? 「光焔の翠玉」とあろう者が」

光秀が全てを見透かすような暗い瞳で華那を睨みつける。華那は咄嗟に言い返すことができず、悔しそうに唇を噛み締めた。光焔の翠玉とは華那のコードネームのようなもので、いつの頃からは忘れたが、火之迦具土神を操る華那の姿を見た誰かがそんなふうに呼ぶようになった。名前の響きが綺麗という理由で華那自身それなりに気に入っている。

「……私のことなんてどうでもいい。それよりあんたがここにいる本当の理由は何なの? 話を聞きにわざわざ来るような奴じゃないってことぐらい知っているのよ」
「フフ……私は私の仕事をこなそうとしているだけですよ。私も別件の任務を受けていまして、今はその最中です」
「任務の最中に私のところへ現れるなんてよほど暇なのね」

華那はグラスに残っていた酒を一気に飲み干すと、カウンターにお金を置いて立ち上がる。まだ飲んでいる光秀を横目に見ながら、華那は店を後にしようとした。そんな彼女の背中に光秀が声をかけた。華那は渋々といったふうに振り返る。

「近いうちに何か楽しいことが起きるはずです。明上遥奈から目を離さないようにしてくださいね……。裏切り者には死の制裁が待っていることをお忘れなきよう……」
「ご忠告ありがとう」

華那はそれだけ言うと店を後にした。しかし店を出るなり足を止め、扉の向こうにいる光秀が言った言葉の意味を考えていた。光秀が言う楽しいこととは何のことだろう。彼が言う楽しいなんて絶対にロクなことではない。明上遥奈から目を離すな。彼はたしかにこう言った。

明上遥奈の身に何か起きるかもしれない―――? 

そして光秀が最後に言った「裏切り者には死の制裁が待っている」というのは、誰に対して言った言葉なのだろうか。

もしかして光秀の奴、気づいている……!? 

光秀は油断ならない相手だ。同じ組織に所属しているからといって、決して隙を見せてはならない。華那は平静を装いながら夜の街へと消えていった。


続