未来編 | ナノ

四月馬鹿は愛を囁く

「おとーさん、だいすき!」

大切な娘にこう言われると、どんな父親でも嬉しいものだ。タタタと自分に向かって走ってくる姿だけでも愛らしいというのに、少し舌足らずな口調で「大好き」ときた。頬が緩まないほうがおかしいだろう。当然政宗も例外に漏れなかった。

彼は両腕を広げ、幼き娘―――蒼華が胸に飛び込んでくるのを待つ。彼女が政宗のテリトリーに足を踏み入れた瞬間、政宗はふわりと彼女を抱きかかえた。普段とは違う目線の高さに蒼華はキャッキャッと顔を綻ばせる。

「いきなりどうしたんだ蒼華。何か欲しいモンでもあるのか?」

少し呆れが含まれる声色だが顔は笑っていた。可愛らしくて仕様がないと顔が物語っている。そんな政宗の心情を知ってか知らずか、蒼華は政宗の頬に自身の頬を摺り寄せた。娘が大好きなどと言うときは大抵裏があると思っていい。何か欲しいものがあり、それを買ってもらうためのおねだりというわけだ。

政宗も瞬時にそう思ったのだが、蒼華はふるふると首を横に振る。どうやらおねだりではないらしい。政宗は怪訝そうに眉を細めた。ならば何故いきなり「大好き」なのかわからない。まさか言いたかったから言っただけ、とかそんな嬉しい理由なのだろうか。しかし政宗は失念していた。今日が一年で一度だけの特別な日だということに。

「だってきょうはえいぷりるふーるだもん!」
「…………なんだと?」

今日は四月一日。一年で唯一「嘘」をついてよい日―――エイプリルフールだったのである。

***

エイプリルフール。日本語では四月馬鹿。漢語的表現では万愚節。ちなみにフランス語ではプワソン・ダヴリル。色々な言い方があるが、要は嘘をついてよい日ということだ。その起源は謎で色々な説があるといわれている。しかしいくら嘘をついてよいと言われても、常識的範囲内のことでだが。

今回の場合、蒼華はエイプリルフールだから、「お父さん大好き」と言ったということになる。つまりこれは嘘ということだ。となれば蒼華の本心は真逆―――「お父さん大嫌い」になる。蒼華の言葉を理解した瞬間、政宗は緩んだ顔のまま凍りついた。聞こえるはずのないピシッという音まで聞こえてきそうである。

そりゃ成長すれば父親なんていうものは娘に疎まれる……かもしれない。お父さんの洗濯物と一緒に洗わないでとか、お父さん臭いから近寄らないでとか。しかしそれは年頃の娘の場合であって蒼華にはまだ早すぎる。というか早すぎると思いたい。できればそんなことを一生言わない娘に育って欲しいというのが本音だ。言われたら最後、本気でヘコむ。現に今「お父さん大嫌い」と言われただけで、思考が停止してしまったのだから。

「エイプリルフールだからお父さん大好きってか!? 蒼華もやるなー……って大丈夫か政宗?」

そのことを成実に話したら、彼は文字通り腹を抱えて笑い転げた。しかし政宗の尋常ではない様子を見てか、成実はなんとか笑いを堪え気遣わしげな視線を政宗に向ける。いつもならここで鉄拳制裁とくるはずなのに、今日はそれがこなかったのだ。普通じゃない。色々な意味で恐ろしくなった成実である。

政宗はというと真っ白だった。決して燃え尽きたというわけではない。蒼華の無邪気すぎる一言が耳から離れないのだ。お父さん大嫌いお父さん大嫌い……どういう技術かエコーまでしている。まるで棘が深いところに刺さって取れないようだ。取ろうとするほど傷口は広がり、余計にダメージを負ってしまう。まさに悪循環だった。

「でも蒼華はいつも政宗に引っ付いていたじゃん。嫌いなら引っ付かないよ、子供は」

成実の必死のフォローも政宗の耳に届いていない。彼は挫けそうになりながらも必死で表情を取り繕う。心の中では既に悲鳴を上げているが、残念ながら周りに味方は一人もいなかった。

「そんなに落ち込むなよなー政宗。蒼華も虫の居所が悪かっただけかもしれねーじゃん」
「Prettyな笑顔でンなこと言うか!?」

満面の笑みで残酷なことを言うなんて、蒼華は悪女としての才能を開花させたとでもいうのか。だとしたら至上最短記録かもしれない。最悪だ。

「確かに普通に「嫌い」って言われるより、あえてエイプリルフールに「好き」って言うなんて、手が込んでいるっつーかよりダメージがでかいっつーか……」

成実も複雑な笑みを浮かべた。蒼華の将来はあらゆる意味で大物になりそうな予感さえする。

「でも政宗も悪いんだろ。蒼華にエイプリルフールなんていうイベント教えるから……」
「Stop オレは蒼華にApril Foolなんて教えてねーぞ」

成実は政宗の発言に目を丸くさせた。てっきり政宗が教えたものばかりだと思っていたのだ。こういったイタズラ的イベントの発信源は大抵政宗であることが多いからである。だが彼の言葉には嘘が感じられない。おそらく本当に教えていないのだろう。とすれば誰だ?

「………って一人しかいねえよなァ」

静かにそう呟いた政宗の顔は不気味に笑っていた。

***

「蒼華、今日がApril Foolってことは知ってるよな?」
「うん!」
「じゃあ何をする日かも知っているはずだよな?」
「おとうさんにだいすきっていうひだ!」

元気よく間違った答えを言う蒼華に、政宗はほくそ笑み成実は口をへの字にさせた。成実は蒼華が「嘘をついてよい日」と答えるものばかりだと思っていたからである。だが実際は全く想像していなかった答えだっただけに、彼はきょとんと目を丸くさせてしまう。ちらりと政宗の様子を窺えば、彼は蒼華がこう答えると予想していたように、余裕ある笑みを浮かべていたのだ。むしろ実際言ってしまっただけに自信に満ちている。

「………Thank you オレも蒼華のことが大好きだぜ」

そう言って娘の頭を撫でると、蒼華は嬉しそうに笑顔を浮かべた。この様子を見る限り蒼華が政宗のことを嫌いだとは思えない。やはり蒼華は純粋に大好きと言っただけのようだ。

「エイプリルフールはお父さんに大好きって言う日、か。だから蒼華は政宗に大好きって言ったわけだ。となれば蒼華に嘘を教えた奴こそが元凶ってことになるけど……あ、俺じゃねーぞ!?」

自分に疑いの目がかからないようにするためか、まだ政宗は何も言っていないというのに、成実は慌てて先手を打った。だが政宗はわかっていると言わんばかりの落ち着きようだ。彼は気だるげそうに口を開く。

「わーってるよ、犯人は華那だ」
「華那!? あーでも納得……」
「―――私が何?」

成実が気の抜けた声で呟くやいなや、どこから現れたのか政宗と成実の背後に華那の姿があった。背後から突然聞こえた声に成実は肩を大きく震わせる。政宗はこれといって動じず、ゆっくりとした動作で華那へと向き直る。一見いつもと変わらぬ様子の彼だが、横にいた成実だけは気づいてしまった。政宗から静かにだが怒りのオーラが滲み出ている。成実はとばっちりがこないようにと、ひょいと蒼華を抱きかかえると二人の傍をこっそりと後にした。

「華那、テメェだろ。蒼華にくだらねえこと教えたのは」
「くだらないとは失礼ね。嬉しかったでしょ?」

華那はニヤニヤと不気味な笑みを浮かべていた。政宗は蒼華に何を教えたのか具体的には訊いていない。だが華那には彼が言わんとしていることが理解できたようで、「嬉しかったでしょ?」と逆に訊き返してくる始末である。

彼女の言動で政宗は確信した。蒼華に嘘のエイプリルフールを教えた―――全ての元凶は華那だ。

「何が嬉しかったでしょ、だ。蒼華に嫌われたのかと焦ったじゃねえか!」
「焦ったんだ!? 予想外の収穫ね」

何が可笑しかったのか華那は声を上げて笑う。きっと娘に嫌われたと思い焦った政宗の図を想像しているのだろう。直接何かされたというわけではないが居心地が悪いし腹も立つ。政宗は拳をぎゅっと握り締めた。

「でも何も悪いことはしていないわよ。だって今日はエイプリルフール。嘘をついてもいい日」
「だから蒼華に嘘のエイプリルフールを教えたってわけか……!」
「まァね。嘘には違わないでしょう。私が言ってもエイプリルフールだって見破っちゃうだろうし、だったら何も知らない蒼華を利用してやろうと……」
「自分の娘を利用するって言うなよ!」

本当なら華那が自分自身で「政宗大好き」と言おうと思っていた。しかし彼女は気づいた。勘の良い政宗のこと、言ってもすぐに今日がエイプリルフールだと気づいてしまう。多少ショックは受けてくれるかもしれないが、どんなに頑張っても多少なのだ。どうせなら一撃必殺、致命傷くらいは与えてみたいじゃないか。

そこで華那は考えた。ならエイプリルフールというものを知らない者を使おう、と。それならば蒼華が打ってつけである。何故なら彼女は子供であるし、政宗も華那と同じく蒼華を溺愛している。大好きな者に大好きと言われれば嬉しいが、エイプリルフールだと全てを逆に受け取ってしまう傾向があるのだ。

それは勘が良い、またの名を用心深いや疑り深いといった人間に多い。そして政宗は伊達組筆頭という立場上、これに当てはまる。そこで華那は蒼華に今日は父親に大好きだと伝える日なのだと嘘をついたというわけだ。そしてこの作戦は良い意味で華那の期待を裏切り、大成功を収めたのである。

「華那、今回ばかりは本気でお仕置きする必要がありそうだなァ……?」
「―――政宗、愛しているわ」
「なっ!?」

こめかみを引き攣らせながら凄む政宗に対し、華那は若干上目遣いで彼を見上げながら愛の言葉を囁いた。勿論これも華那の作戦である。今日はエイプリルフールだ、これは華那がオレをからかっているだけだ。そうわかっていても政宗は怯んでしまう。普段彼女の口から「愛している」なんていう言葉は出てこない。普段言われないからこそこの一言は重い意味を含むのだ。

華那はオレをからかっているだけだ……! と、暗示をかけるかのように心の中で何度も呟いてみるが……。

「あはは、政宗の顔ちょっと赤くなった」
「うるせェ! いい加減に……!」
「愛しているわ……」
「うっ!」

愛していると言われれば、それがからかっているだけであっても、例え嘘であってもどうしようもないくらい嬉しい。まるで魔法の言葉のように政宗の自由を奪っていく。

「……なにをやっているんだ?」
「ああ、あれね。ただじゃれあっているだけだよ。だから蒼華は心配しなくて大丈夫。蒼華のお父さんとお母さんは仲がいいっていう証拠だからさ」
「なかよしか! それはいいことだっておかあさんがいってた!」

そんな二人を物陰から蒼華と覗いていた成実は、いつまでたっても仲の良い二人を穏やかな眼差しで見守っていた。

完