未来編 | ナノ

子供の意地と大人の戯言

「できるもん!」
「うっそだァ、蒼華には絶対に無理だよ」
「できるったらできるもん!」
「……なにあれ?」

子供の甲高くも頑なな声と、大人の小馬鹿にしたような声が部屋中に響く。声の発信源に目をやると、蒼華が怒ったような表情で成実を睨みつけながら、「できるもん!」と同じ言葉を繰り返していた。成実は薄っすらと笑いながら、蒼華同様「絶対に無理だよ」と同じ言葉を繰り返している。そんな二人を横目で見つつ、華那はなんとも冷ややかな声で静かに呟いたのであった。

***

「おかえり」
「ただいま政宗。でさ、二人は何を言い争っているの?」

蒼華と成実は華那の存在に気がつかないのか、未だに同じ言葉を繰り返していた。先ほどまで買い物にでかけていた華那にはこれがどういう状況なのかさっぱり理解できず、同じくこの状況をキッチンカウンターで眺めていた政宗に説明を求める。政宗は冷ややかながらもどこか呆れたような目で華那と同じ方向を、頬杖をつきながら傍観していた。

「蒼華が大晦日のcountdownをできるかできないかっつー話だ」
「大晦日のカウントダウン……?」
「もっと平たく言えば蒼華が、日付が変わる時間まで起きていられるかっつー話になるな」
「ああ、なるほどねぇ……」

政宗にそこまで言われてわからない華那ではない。話の合点がついた華那は、睨み合っている蒼華と成実を見て、なんとも微笑ましい気持ちになった。

***

話の発端は些細なことだった。蒼華と成実が遊んでいたとき政宗が見ていたテレビから、大晦日のカウントダウンについての特集が流れ出したのだ。それは街頭インタビューで、道行く人々にどんな年越しを過ごすかレポートしているものである。

「あと十時間もすれば今年も終わりかー……早いよな」
「歳とると一年が早くなるって言うが、ありゃ本当だな」
「政宗ってさ、昔っから年相応に見られたことないもんなー。いっつも実年齢より年上に見られてたもん」
「何が言いてェんだァ、なるみちゃんよォ?」

政宗は鋭い睨みを成実に向けながら、意味深に指をボキボキと鳴らす。成実は若干腰を引きつつも、これ以上彼を刺激しないように愛想笑いを浮かべた。

「そういや政宗達は今年どうするんだ? やっぱりいつもどおり蕎麦食って年越すのか?」
「ま、そうなるだろうな」
「んじゃ俺のぶんの蕎麦もよろしく!」

成実がそう言うと政宗は眉を顰めた。自分の蕎麦も用意しろということは、成実はここで年を越すつもりなのである。そんなこと冗談じゃないというのが、政宗が瞬時に思ったことだった。何が悲しくて一年の始まりを成実と過ごさなくてはいけないのだ。政宗のあからさまに嫌そうな反応を見るなり、成実は不満げに口を尖らせる。

「別にいいじゃんか。蒼華もどうせ寝ているんだし、俺も混ぜてくれたってさー」
「なんでそうなるんだ? 蒼華も起きてるぞ」

今まで二人の話を聞いているだけだった蒼華が口を挟む。少しつまらなそうに頬を膨らませながら、蒼華は成実をじっと見つめていた。どうやら寝ていると勝手に決められたことを根に持っている様子である。しかし蒼華のような小さな子供が、日付が変わるまで起きているというのは至難の業だ。親である政宗ですら、蒼華が起きていられるとは思えない。口には出さないが政宗も成実と同意見である。

「できるかなー? 俺らみたいに夜通し起きていて、初日の出を拝めるとは思えないんだけどな」
「Hey なんか話がgrade upしてねえか?」

来年を迎える時間まで起きているつもりではあったが、初日の出を見るつもりまではなかった政宗である。しかし成実の口ぶりからして、彼は徹夜して初日の出を見るつもりでいるようだ。そしておそらくそれに自分も付き合わされる。

「できるもん!」
「うっそだァ、蒼華には絶対に無理だよ」
「できるったらできるもん!」
「……なにあれ?」

そして丁度このとき華那が帰宅して冒頭に至るのであった。

***

「さっすが華那、政宗と違って気が利くな」
「なんだとコラ。第一華那も華那だ、なんでコイツのぶんの蕎麦も用意してんだよ!」

成実は満足げに、政宗は不機嫌な顔でそれぞれ蕎麦をズルズルと食べていた。あと数分で今年が終わるというのに、随分と険悪な雰囲気になってしまったと華那は心の中で苦笑せざるえない。

昼間の買い物はお蕎麦を買いに行ったのだが、まさかそのとき嫌な予感がして成実のぶんまで買ったとは言えない。華那の嫌な予感とやらは的中して、成実はここで年を越すつもりだった。別に成実と年を越すのが嫌なのではなく、それが原因で政宗の機嫌が悪い状態で年を越すことが嫌だっただけなのだが。

「ま、まぁまぁ。あと三分で今年も終わるんだから、穏やかな気持ちで新年を迎えましょうよ!」
「俺は穏やかだよ、政宗が勝手に怒っているだけ」
「ンだと!?」
「どうせ新年早々華那とイチャつこうと計画していたんだろうけど。残念でしたーそんなことさせませんー」

政宗は箸をぐっと握り締め、込み上げる怒りを抑えるのに必死だった。図星だっただけに反論できないし、なによりそれができなくなったことでストレスも溜まりつつあったのである。


「蒼華も寝ちゃったしな。昼間あれだけ起きているって喚いてたのに、午後九時就寝って……」
「仕方がないわよ、子供なんだから。あ、あと十秒で今年が終わるよ」

三人の会話が途切れ、時計に集中し始めた。皆が声に出して時間をカウントしていく。ゼロに近づくにつれ、自然と声が大きくなっていく。

「三……二……一……あけましておめでとう!」

三人のテンションが最高潮になったとき、テレビからも年が変わったことを告げる派手なアクションが起きる。三人はビールを片手に、それぞれ乾杯し始めた。このようなことは蒼華がいる前ではできないが、今日だけは特別である。

「華那、あけましておめでと……あれェ!?」

成実はビール缶を掲げながら、横にいるはずの華那に目をやった。しかし華那の姿はそこになく、彼はマヌケな声をあげてしまう。よく見れば華那は政宗に引き寄せられたらしく、彼の腕の中にすっぽりと収まっていたのだ。

呆然としている成実を政宗は横目で窺うと、そのまま口元を厭らしくつりあげる。そして何を思ったのか、何が起きたのか理解できていない華那の唇に己のそれをあてたのだ。突然の口付けに華那は目を見開き、成実も目を丸くさせる。

「……今年もよろしくな、奥さん」

お互いの吐息がかかるほどの至近距離で囁かれ、華那は顔を真っ赤にさせたまま硬直してしまっていた。そんな二人を見ながら、成実は「新年早々お熱いことで」と、呆れながらもどこか微笑ましそうに眺めていたのであった。

いつもは真夜中になると近所の明かりも消えて、皆が静かに眠るときでも今日だけは違う。大晦日から元旦にかけては遅くまで明かりが消えることなく、気のせいか賑やかな声までも聞こえてくるような気がするのだ。そしてそれはここでも、また同じ―――。

「で、いつ帰るのなるみちゃん?」
「酷っ、新年早々その扱い!? こういうときは、今日はもう遅いから泊まっていきなよって言うものでしょ」
「いや、成実くれェならその扱いで十分だろ」

新しい年が始まって早くも一時間程度が過ぎた頃、政宗の家では早くも冷たい空気が流れ始めていた。政宗と華那の冷ややかな視線が、成実の全身に突き刺さる。

「第一二人して俺を追い出そうとするのはなんでだよ!」

成実が噛みつかんという勢いで二人に食って掛かる。彼からすれば当然の疑問に、華那と政宗は揃って顔を見合わせた。しばらく見詰め合ったまま数秒が経過する。やがて二人は同時に成実へと視線を戻し、揃って口を開いた。

「だって煩いもん。へたすりゃ蒼華が目を覚ましちゃう」
「成実さえいなくなれば華那と新年早々ヤれるだろうが!」

しかしここで二人はまたもや顔を見合わせる。てっきり二人は同じことを考えていたと思っていただけに、いざ意見が食い違ったことに疑問符を抱いてしまったのだ。最初はきょとんとした表情だった二人だが、時間が経つにつれてお互い何を口走ったのか理解してきたのだろう。二人の眉が段々と吊り上り始めたのだ。二人が放つオーラが尋常ではないことを悟った成実の口から、「あはは……」という渇いた笑いが漏れる。

「ちょっと政宗、今のどういう意味?」
「華那こそどういうつもりだよ?」
「私は母親として至極当たり前のことを言ったまでよ」
「オレだって男として至極当たり前のことを言ったまでだぜ」
「男として当たり前のこと? 新年早々発情しているんじゃないわよ」
「お前こそ新年早々つまらねェことぬかしてんじゃねーよ。子供が寝静まった今がchanceだろうが!」
「何がチャンスよ。どうやら政宗にこそ除夜の鐘が必要だったみたいね! 煩悩が消えていないようだから!」
「Ha! あんな鐘でオレの華那への愛が消えるわけねーだろ」
「うわっ、ウザ……」
「んだと!?」

段々とヒートアップする二人の言い争いに、成実はただ苦笑しながら見守るしかできずにいた。いつもなら近所迷惑だからという理由で止めるのだが、残念なことに今日は正月だ。多少のどんちゃん騒ぎなら目を瞑ってくれよう日に、近所迷惑だからやめろとは言いがたい。何故ならきっと他所の家でも盛り上がっているはずなのだ。まさか大晦日だというのに日付が変わる前に就寝したという若者はいないと思う。

それにあの状況下に加われっていうのも、酷な話だよなぁ……。自分が原因かもしれないことで、成実は少なからず罪悪感を覚えていた。しかし昔からああなった二人に関わってろくなことはないと自負している。へたに加わればいらぬとばっちりを食うことは必須。冷たいかもしれないが、関わらないが吉である。誰でもいいからなんとかしてくれよォ……。

「蒼華も妹か弟を欲しがっていたじゃねーか、丁度いいだろ」
「あれはなんとか有耶無耶にしようと……」
「……うるさーい!」

突如聞こえてきた舌足らずな声に、三人は揃って目を丸くさせる。声がしたほうに目をやるとリビングのドア付近に、大きなぬいぐるみを抱えたまま目を擦っている小さな姿があった。寝ぼけているせいか、若干目が据わっているように見える。

「蒼華……」
「よるにさわいじゃだめ! きんじょめーわくでしょ!」
「は……はい」
「よろしい」

そう言うと蒼華は何事もなかったように自部の部屋に戻っていった。三人は呆然としたまま、しばらくの間動くことができずにいる。やがて一番に我に返った成実が、ゆっくりと口を開いた。

「なにあれ……つか近所迷惑だからって何?」
「ああ、あれは普段私が蒼華に言っていることだわ……。よく政宗と蒼華が夜に騒いでいるときに、ああいうふうに言っているのよ」
「つかあれよ、華那の口調に似てなかったか?」

蒼華の一言で頭が冷えてきたのか、言い争っていた自分達が馬鹿らしく思えてきた。華那と政宗、そして成実は互いに顔を見合わせ、なんとも複雑な表情を浮かべる。

「ま……もう一杯飲む?」

華那の提案に、政宗と成実は無言で頷いた。こうして大人達の夜は更けていくのであった。

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完