未来編 | ナノ

それは一欠けらのケーキから

ケーキを食べているとふと思い出す、甘い記憶。それは何度目のデートだったか、今となっては定かではない。少なくともデートという言葉に浮かれ、ガチガチに緊張していた頃ではないと思う。政宗の前だといつも緊張しているけど、それとはまた別の緊張だ。デートという響き自体には慣れたけど、政宗の前じゃ未だに緊張しっぱなしなのである。この複雑な気持ち、きっと男はわかってくれないのでしょう。

好きな人とのデートの前日は、一人こっそりと鏡の前でファッションショー。あれがいいか、こっちのほうがいいか。クローゼットを引っ掻き回して、持っている服を何回も着てみせる。何度やってもこれだ! っていうものがなくて。何度着ても納得できるものがなくて途方に暮れる。どうせなら爪先までバッチリに決めたいと思うのが、女心ってものじゃない? 

やっとのことで服装が決まっても、次はアクセやメイクで頭を悩ませるのだ。この服装に合うまで、何度も何度もチャレンジする。そしてようやく納得のいく格好になっても、今度はこれを彼が喜んでくれるかとても不安になるのだった。全ては好きな人に喜んでもらいたい、その一心である。この苦労も彼の「似合っている」という一言で報われるのだから、とても不思議な気分だった。

***

彼は私が大の甘党ということを知っている。彼だって甘いものが苦手、というわけじゃない。まぁ人よりは食べないけど、見ただけで胸焼けするというわけでもない。要するに普通、ということである。女の子は大抵甘いものが好きだ。これは世界の常識である。ただ私の場合は、それが人よりも強い。どれくらいかと訊かれれば、彼が見ているだけで気持ち悪いというくらいだ。

「………それ何個目だ?」
「……七個目。元は十分に取っていると思うけど?」

目の前に座る政宗は、とてもうんざりとした表情を浮かべている。彼はさっきからコーヒー(勿論ブラックだ)を飲んでいるだけだ。私のように食べてもいないし、食べようともしない。ここは所謂ケーキバイキングのお店だ。私のように甘党には素晴らしいシステムである。でも普通の人には少々キツイようで、政宗は二個食べただけでギブアップ宣言をしてしまった。

ちなみに私は今食べているケーキで丁度七個目である。バイキング料金が千円で、ケーキ一個あたり平均二百円以上。もう元は取れている。でも私の手はまだまだ止まる気配を見せないし、健康な胃は胸焼けを訴える気配を見せない。となればまだまだ食べられる、ということになる。まだまだ美味しそうなケーキが沢山あるのだ。こんなところでギブアップ宣言なんてしたくない。

「目指せ全制覇! 今日は晩御飯いりませんってくらい食べてやるわよ」
「正気か華那?」

政宗の呆れたような視線が突き刺さりながら、私は最後の一口を頬張った。うんざりとした表情を浮かべているけれど、文句を言わない政宗の優しさに感謝する。だってお店中にケーキの甘い匂いが漂っているのだ。今の政宗は視覚、嗅覚で甘さを体感しているのである。もう甘いものは嫌だと思っている人間には、この仕打ちは拷問以外の何物でもない。

本当に嫌なら政宗も言ってくれると思うのだが、でも今はこうして何も言わず私に付き合ってくれている。そんな些細な優しさが、これ以上ないくらい嬉しかった。

「さて、次はこれね……」

予め取り置きしておいた皿に手を伸ばす。このケーキは見た目に反して甘さが控えめで美味しいと評判なのだ。甘いものばかり食べている口には、丁度よい口直しになるかもしれない。フォークで小さく一口サイズに切ると、そのままゆっくりと口にいれる。すぐに飲み込まず何度か噛み、味を堪能した。味は評判どおりで、見た目に反してそんなに甘くない。甘くないのにすごく美味しい。

「あ、これすごく美味しい」

自然と口が開いてしまった。政宗を見ると、彼はじっとこちらを凝視している。頬に「そんなに美味いのか?」って書いているようだけど。

「うん。見た目に反してそんなに甘くないの。これなら政宗もいけるんじゃない? なんなら食べてみたら?」

バイキングなんだし、値段を気にかける心配がない。取ってきたら? と促してみるが、政宗は動く気配を見せない。いくら甘くないと言っても、さすがに一切れじゃ多すぎるのかな。なら、と私はお皿を少し掲げて見せた。

「なんなら一口食べてみる?」

しかしこれも反応ナシ。むしろ悪化したと言える。だって私を見つめる視線が、なんかすごく鋭くなっているんだもん。なんで? なんでそんなにつまらなそうっていうか、拗ねているような表情を浮かべているの? お願いだから無言で訴えないでください。

「どうせなら―――食べさせてくれよ」
「………ああ、そういうことね」

政宗は意地の悪い笑みを浮かべている。きっと私を困らせて楽しんでいるに違いない。政宗のリクエストは恋人同士ならある意味普通の、「ハイ、アーン」という語尾にはハートマークがつく甘い行為なのだ。確かにさっきそういうことをしているカップルを見たけど、見たけどさ! でもそれを私に求めちゃいますか。恥ずかしさから未だに人前で手を繋ぐことすら必死の私に! 一気に顔が赤くなったであろう私を見つめながら、政宗はニヤニヤと笑っているだけ。意思を翻すつもりはないらしく、むしろ早くしろと言いたげだ。私は言葉にならない悲鳴をあげつつ、サッと辺りを見回す。他のお客さんは自分達に夢中で、こちらを気にしている様子はない。私は今だ! と言わんばかりに、フォークでケーキを一口サイズに切り、そのまま政宗の前に差し出した。

「………はい」
「ん」

恥ずかしさから政宗の顔が見ていられない。でも政宗が笑っていると、なんとなくだけどわかった。嬉しそうに笑っていてくれたら、あたりまえのように私も嬉しい。でもさすがにこれ以上ケーキを食べることはできなかった。だってなんだか急にお腹が一杯になっちゃったのだ。くそ、これも全部政宗のせいだ! いつかもう一度ここで鱈腹ケーキを食べてやると、このとき私は固く誓った。

***

それから十年近くが経ったある日のこと。私達は再び、あのお店を訪れていた。でも今度は二人っきりじゃない。もう一人、小さな家族と一緒にだ。

「蒼華、今日はお腹一杯になるまで食べていいわよ。お母さんも値段のことなんて気にしないで食べるから、蒼華もしばらくケーキはいらないって思うくらい食べなさい」
「やったー!」
「ガキになんつーこと教えていやがる……」

あのときと同じ。政宗の前にはコーヒー、私の前には沢山のお皿とケーキ。政宗の呆れた視線まで一緒だった。二人の間の小さな家族の前にも、私と同じようにお皿が並べられている。こういうところは私の血を引いたのか、蒼華も私に負けないくらいの甘党だ。

「お、これうまい!」
「うまい、じゃなくて美味しいでしょ? 全く、ますます口が悪くなる一方だわ」
「なんでオレのほうを見るんだよ、華那……?」

だってどう考えても、原因は政宗側にあるとしか思えないんだもん。

「おとーさんにもやる。はい!」

蒼華は満面の笑みで政宗にケーキを差し出した。政宗は意表を突かれたのか、目を丸くさせている。そんな彼が可笑しくて、私も今食べているケーキを一口サイズに切ると、笑顔で政宗の前に差し出してみせる。あの頃と同じ、でもあの頃とは違う光景。二つのケーキを差し出された政宗は、珍しく照れているのかガシガシと頭を掻く。

「Thank you」

でもその表情は、とても幸せそうだった。

完