幸せ三等分 買い物の帰り、ふらりと覗いた一軒のケーキ屋さんで売っていたケーキがとても美味しそうに見えて、特に何もない日だけど思い切って小さめのホールケーキを買ってみた。シンプルなショートケーキだけど何故かとても美味しそうに見えてしまったのよね。真っ白な生クリームと真っ赤な苺が綺麗に並べられていて、その隙間を小さなブルーベリーが控え目に存在を主張している。小さいといってもホールサイズだから結構なお値段なわけで、家計に響くとまではいかなくとも私にしてみては大胆な買い物をしたような気分だった。 「おかえりなさいっ!」 「ただいまー。ちゃんとお父さんの言うことを聞いてお留守番できたかなー?」 「できたよ!」 褒めて、褒めて。そう言わんばかりの蒼華の姿に、私はあるはずのない犬のような尻尾を見たような気がする。本当のことは政宗に聞かないことにはわからないが、これだけ自信満々に留守番ができたと言うのだから、きっと本当にできたのだろう。 にしてもつい最近までろくに喋れなかったのに、知らない間に色々なところから言葉を覚えるようになった。最近じゃあいつの間にこんなに喋れるようになったのと驚かされることのほうが多い。なんかもう知らないところで勝手に成長しているように思えて、お母さんちょっと寂しいです……。 「じゃあ良い子にしていた蒼華にご褒美をあげなきゃね」 ドアを開けるなり私の足元へと駆け寄ってきた小さな娘にケーキが入った箱を見せると、彼女は嬉しそうに瞳をキラキラと輝かせた。目一杯背伸びをしてケーキ箱へ小さな両手を必死になって伸ばしている。その姿がなんだかとても可愛く見えちゃって、私はクスクスと笑いながらケーキ箱を蒼華へと渡した。両手でケーキ箱を受け取るなりこの子ったら、まるで大切な物にでも触れるかのようにケーキ箱をじーっと眺め始めた。早く中身が見たくてしょうがない、そんな表情だ。いや、この場合今すぐ食べたい、かしら? 「しょうがない、今から食べよっか」 「やったー。みてみておとーさん!」 「ちょっ、走らない! 転んじゃうわよ」 言うが早いか蒼華は政宗がいるリビングに向かって駆け出していった。その危なっかしい姿に私は堪らず声をあげる。これで蒼華が転んだりしたら、その後宥めることが大変だ。ただでさえ転んだら痛いというのに、ケーキが潰れて食べられなくなってしまうこともありえる。 私の遺伝子をしっかり受け継いだこの子は、私に負けずとも劣らず甘い物が大好きだ。目の前のケーキが食べられなくなってしまったときの悲しさ、虚しさ……痛いほどわかる。わかるからこそ、親の立場からすれば宥めるのも一苦労というものだ。なによりあのケーキは私も食べたい。蒼華が引っくり返しでもしたら私だって泣きたくなっちゃうのよー! 「って両手塞がってるのにどうやってドアを開けるつもり蒼華ー!?」 あの子は両手でケーキ箱を持っているのだ。じゃあリビングへ続くドアを開けるにはどうすればいい? このままじゃ確実にドアを開けようとした拍子に手を滑らせてケーキ箱を落とす。これは母親の勘よ。賭けたっていい。毎日あの子を見ている私の勘は、こういうときに限って必ず当たる。ケーキのことで頭が一杯になっているあの子に止まれと言っても止まるはずがない。恐れていたことが現実になってしまう。 「おっ、何やってんだ蒼華?」 蒼華がドアにぶつかると思った矢先、反対側からガチャッという音と共にドアが開いた。部屋の外の騒ぎを聞きつけた政宗が何事かと様子を見にきたのだ。蒼華はケーキ箱を自分の頭の上の高さにまで持ち上げ、ぴょんぴょん跳ねている。ケーキ箱の中身が本気で心配になってきた。そんなに飛び跳ねて大丈夫かな。 「おかーさんがケーキをかってきてくれた!」 「へえ、そりゃあよかったな。落とすなよ」 「うん!」 元気よく返事をした蒼華は政宗を押しのけてリビングへ駆けていく。その後ろ姿を見送った後、政宗は私の方へと向き直り、傍に置いていた買い物袋を持ってくれた。ここまで持って帰ってくるまで結構重たかったんだけど、政宗は軽々と持ってしまった。こういうとき、やっぱり男の人なんだなーと当たり前のことをふと思ってしまう。 「なんだよ? じっとこっち見て」 「ううん、なんでもない」 じっと見ていた私を怪訝に思ったのだろう。私は慌てて顔を繕った。政宗も多少変に思いつつもそれ以上追及することなく、それにしてもと話を続けた。 「華那がcakeなんて珍しいな。今日何かあったか?」 「特に何もないわよ。なぁに、何もない日にケーキを買っちゃいけないの?」 「そうは言ってないだろ」 「ただ美味しそうだった、それだけよ。美味しそうに見えたから買ったの」 それでもホールサイズのケーキだから、奮発したほうだけど。もしかしたらホールケーキを買ったから政宗も意外に思ったのかもしれない。蒼華は気づいていないようだけど、ケーキ箱のサイズで政宗は中身が何なのかわかったのだろう。 「おかーさんはやく、はやくっ!」 「はいはい、ちょっと待って」 「はいはいっかい!」 「はーい……」 いつまで経ってもやってこない私達に焦れた#nama3#が、早く早くとリビングから顔を覗かせている。返事をしたらはいは一回、なんて言う始末だし。普段私が蒼華に言っているセリフがそっくりそのまま返ってきてしまった。そう言われてしまうと私は返す言葉を持ち合わせていない。これ以上あの子の機嫌を損ねないうちにと、私達は足早に蒼華の下へと向かった。 テーブルの上でケーキ箱を開け中身を取り出すと、蒼華は意味不明な悲鳴をあげた。喜んでいるということはわかるけど、あんまりその場でじたばたしないでほしい。だって私の右手にはケーキを切り分けるための包丁が握られているのだ。幸い蒼華は政宗が見てくれているからいいけど、テーブルを揺らしたら私だってどうなるかわからない。 では気を取り直して、このケーキを三等分に切り分けますか。と、意気込んだのはいいんだけど……。 「……何やってんだよ華那。さっさと切っちまえ」 「おかーさん、はやくきって!」 「うん、そうなんだけどね……?」 私だってスパッと切ってしまいたい。でもね、きれいに三等分って意外と難しい。特にこういうケーキは苺の数とか考えて切らなくちゃいけないから余計に難しい。ここから切るべきか? いやでもこっちから切って、こう……。政宗と蒼華がじっとこっちを見てくる。視線が痛い。 「Hey いつまでcakeと睨み合いをするつもりだ?」 「だってどこから切ったらきれいに三等分できるかなって考え出したら止まらなくて。そうだ、そんなに言うなら政宗が切ってよ。寸分の狂いなくきれいに三等分、ね」 「………わざとpressureかけてるだろ?」 そう言って政宗は私から包丁を受け取ろうとしなかった。どうやらきれいに三等分に切り分ける自信がないようだ。ほら、言わんこっちゃない。そんなことを思いながら政宗を睨みつけると、彼は悪かったというように肩を竦めた。 「ちょっと前まではいっつも二等分にするだけだったから楽だったんだけどなー」 何も考えず真ん中でスパッと切ってしまえば終わりだったからとっても楽だった。でも今となっては真ん中で切るわけにもいかない。私と政宗はじっとケーキを見ている蒼華に目をやった。蒼華はどうして見られているのかわかっていないようで首を傾げている。 「家族が増えたから二等分にするわけにはいかなくなったのよねー」 政宗と二人のときはなんでも半分こにするだけでよかった。蒼華が生まれてからは三等分。どんなものでも奇数の三等分にするのは結構難しい。スーパーで売っている食材だって大体が偶数個だから、魚を買うときなんかそりゃもう悲惨だ。魚の種類にもよるけれど、一パックじゃ足りなくて、二パックじゃ多い。ま、でも。こんなに幸せな悩みなら大歓迎だ。 「どした、おかーさん? おとーさん?」 「蒼華がいてくれてよかったねーって話をしているのよね、政宗?」 「そうだな」 わけがわからないという表情をうかべている蒼華の頭を、政宗がくしゃくしゃと撫でていく。父親に触れられて嬉しいのか、蒼華は気持ち良さそうに目を細めていた。 「ならもしかすると、この先三等分じゃなくて四等分にするときがきたりしてな」 「へ? まっさかー」 政宗が何かを思いついたのか、このようなことを言った。この言葉が現実になるのは、まだもうちょっと先のお話である。 完 ← |