未来編 | ナノ

ようこそ我らが学び舎へ

「元親くーん。四時限目の授業は明智先生の授業だったんでしょ? ふふふ、どうだった……ってあら?」

通常この時間は元親の柄にもなく怯えた姿が拝めるので、遥奈はそれを楽しみに三年C組を訪れている。いつもなら安堵と恐怖がなんともいえぬ具合で混ざり合い、混沌と化した空気が教室中に充満しているはずなのに、今日は至って平和だった。生徒達は各々食事の時間を楽しんでいる。これはいつも賑やかなC組の空気そのものだ。予想していたものと違ったことで、遥奈は内心で舌打ちをする。これではわざわざ来た意味がない。

「おう遥奈! 丁度いい、食堂行こうぜ……ってなんだよそのつまらなそうな面はよォ」
「つまらないからつまらない顔をしているの。四時限目は明智先生の授業だったはずなのに、教室の空気がいつもと変わらず賑やかなんだもの。私はあのどろどろっとした……例えて言うなら少し漬かりすぎたお漬物のような空気を期待していたのに。これじゃあ時間を割いてまで来てあげた意味がないわ。その代わりとして元親、ちょっと今ここで軽く木端微塵になって頂戴」
「ふざけんな! 大体軽くにしては随分とハードル高いだろうがっ!?」

それは暗に「死ね」と言われていると受け取っていいのだろうか。冗談じゃない。遥奈のストレス発散のためだけに命を賭けてなるものか。第一、軽く木端微塵になれと言われても困る。どんな方法をとっても最終的には命を賭ける必要があるからだ。命というチップを賭けた時点で決して軽くはない。

「根性ないわね。仕方がないから食堂でお昼ご飯を奢るってことで手を打ってあげるわ」
「なあ、俺なにも悪いことはしてねえよな? なんで俺がお前に許されてんだよ」

まあ別にお昼くらいならいいけどよ……と考えている時点で、自分はきっと既に遥奈の尻に敷かれているのだろう。少しだけ切ない気持になった元親はほろりと涙を流したくなった。

「なんでも明智の野郎、意味不明なことを叫んで生物室を出てったきり行方不明なんだと。それで自習になった」
「……意味不明なことってあたりに違和感を覚えない自分が怖いわ。人間慣れたらなんでも平気になるものなのね」

食堂に向かいながら、元親は四時限目が自習になったことを遥奈に教えた。自習になったおかげで生徒達は明智の恐怖の授業を受けずに済んだため、教室の空気がいつもどおり……いつも以上にハッスルしたものになったのだ。気分はまさに地獄から天国。自習と聞いた瞬間本気で昇天するかと思ったと、C組の生徒達は口を揃えて言っていた。

「一体何があったのかしら明智先生。この私でも明智先生の思考だけはわからないのよね」
「………じゃあ他の奴ならわかるって言うのかオメーは」
「ええ。元親だけじゃなく、元就や華那、伊達君の思考だって読めるわよ。みんな向いている方向はバラバラでも思考回路は似たり寄ったりだから」

それは一言でいえば「単純」ということだろう。

「なに俺は違うって顔をしているのよ。残念だけど元親も相当単純……あら、ごめんなさい」

ちゃんと前を向いて歩いていなかったせいで腰辺りが誰かとぶつかった。遥奈は瞬時に優雅な笑顔を張り付け、ぶつかってしまった誰かに頭を下げる。でもなんで腰辺り? そんなことを思っていても決して顔には出さない。その横では元親が「相変わらず外面だけはいいよなー」と、皮肉を込めた視線をname4#に送っていた。外面だけは無駄に良いので男女年齢問わずコロリと騙されてしまう。

「………ってあら、子供?」

普通誰かとぶつかってしまった場合、大体みんな身長は同じくらいなので肩や手が当たるといった程度だ。だがぶつかった者同士の身長差がありすぎた場合、普段絶対にぶつからない箇所と箇所がぶつかる場合がある。

「どうしてこんなところに子供がいるのよ。貴方の隠し子?」
「ンなわけあるか! 色々な可能性がある中、よりにもよってえらいところチョイスしやがって!」
「そうよね。浮気する度胸があるとも思えないし、なによりこの私以上に良い女なんてなかなかいないもの」

度胸がないと言われたことに腹を立てるべきか、それとも自信過剰なこの女の言動を咎めるほうが先なのか。元親の技量が問われた瞬間だった。結果としては遥奈が元親よりも先に口を開いたため、元親は何一つ言い返すことができずに終わってしまった。

「冗談はさておき……貴方はどうしてこんなところにいるのかしら? 可哀想だけど、今の貴方は不審者以外の何者でもないのよ?」
「子供に不審者宣告はねえだろ」
「……元親おじちゃんと遥奈おねえちゃん?」

女の子は二人の顔をまじまじと見つめた後、不安げな、どこか頼りない声で二人の名前を言い当てた。おじちゃんと言われたことに元親は少なからずダメージを受けた。一方遥奈は張り付けていた笑顔の奥に、一瞬だけ鋭い、刺すような眼差しをその子に向ける。この子の前でお互い名前で呼び合った覚えがないのにも関わらず、自分達の名前を言い当てたからだ。どうしてこの子は私達の名前を知っているのか。ただの迷子かと思っていたのだが、もしかしたら違うのかもしれない。遥奈の直感がこの子に只ならぬ警戒心を抱かせた。#name43はこの子に対する認識を改める。

「おいガキ。なんで俺はおじちゃんで遥奈はおねえちゃんなんだ!?」

自分達の名前を言い当てたことに気づいていない元親は、自分だけおじちゃんと呼ばれたことに納得がいかず女の子に詰め寄っていた。元親と遥奈は一歳違い。なのに自分だけおじちゃんと呼ばれるなんておかしい。元親の質問に答える気配を見せない女の子に痺れを切らし、はもう一度、さっきよりドスが効いた声で更に詰め寄った。

「な、ん、で。俺だけおじちゃんなんだ、アァ!?」
「………だっておねえちゃんって呼ばないと怒ると思ったから」

女の子は一瞬だけ遥奈を見ると、少しおどおどした様子でこう答えた。女の子の答えに遥奈は意外そうに目を丸くさせる。

「あら、この子意外と見る目はあるのかも。……というより、女心を理解しているって言ったほうが正しいのかもね」

どうやらこの子はこの年で女性に対して「おばさん」と言ったらどうなるか理解しているようである。

「いや、単純に遥奈が怖かったからじゃねえか?」
「何か言ったかしら?」

にっこりと笑いながら、遥奈は元親の足をぐりぐりと踏みつける。元親は目に涙を浮かべながら「……ナンデモナイデス」と小さな声で呟いた。

「ま、私のことをおねえさんって言ってくれたことは素直に嬉しいのだけれど、ここで貴方を見過ごすわけにはいかないのよね。悪いけど一緒に職員室に来てもらいましょうか?」

職員室という単語に反応したのか、女の子はビクッと怯えだしたかと思いきや、くるりと背中を向けて一目散に駆け出して行った。

「あ、逃げられた! なんで逃げるのよ?」
「そりゃ遥奈のせいだろ……。相変わらずガキの扱い苦手なのな」

一体あの子は何だったんだろう。元親と遥奈は互いに顔を見合わせ、首を傾げたのであった。

続