未来編 | ナノ

ようこそ我らが学び舎へ

食堂で一番忙しい時間は、当然お昼休みのときだ。お昼休みの食堂はそれこそ戦場で、人気メニューを巡っての争いは非常に醜くも毎日繰り広げられていた。それもこれも全て食堂のおばちゃん……ではなく、食堂のおねえさんの作る料理がどれもこれも絶品だからだ。そのおねえさんの名前はまつ。体育教師の前田利家の妻でもあり、二人で慶次の面倒を見ている。

お昼休みまではまだ時間があるが、今の時間はそのお昼休みに備えて準備中だ。普段賑わう食堂も生徒が授業中だととても静かで、実はあえてその時間を狙って来る者もいたりする。まつの夫、利家その人だ。

「まつ〜……腹が減ったぞ」
「犬千代様! そろそろ来る頃だと思いまして、既に用意ができておりますれば」

利家の面白いところは、腹が減った途端動けなくなることだった。そのため誰よりも食堂を訪れては、こうしてまつに食事を作ってもらっている。まつもまつで利家が来る頃がわかっているのか、いつも利家が来ると同時に温かいご飯を彼に提供していた。美味しそうな料理を前に利家の腹の虫が泣きだし、恥ずかしそうに頭を掻いた彼の姿にまつはクスッと笑みを零す。

「よし! ではいただきます!」
「はい、どうぞ」

利家の豪快ながらも気持ちの良い食べっぷりは見ているこっちを幸せにさせる。利家の口元についていたご飯粒を、まつが優しく取ってやったそのときだった。授業中であるはずの今、開くはずがない食堂の扉が開いたのである。まつと利家は不思議そうに入り口に目をやった。

「ひっく……ひっく……」
「まあ、子供ではありませぬか! どうしてこんなところに!?」
「そんなに泣いてどうしたんだ!? と、とにかくこっちに来い!」

高校にいるはずがない小さな女の子が突然現れただけでも驚きを隠せないのに、その子が目を真っ赤にさせ泣きじゃくっているのだから、もう何が何だかわからない。とりあえず事情を聞くためにも、一旦この子を落ちつかせなくては。利家は自分の横に女の子を座らし、まつは食堂の外にある自販機からジュースを購入し、女の子の前に差し出した。

女の子は嗚咽を漏らしながらも先ほどよりも随分マシになり、ゆっくりであるが落ちつきを取り戻しつつある。二人は女の子が泣き止むまで辛抱強く待った。数分後、ようやく泣き止んだところで利家が遠慮がちに口を開いた。

「一体どうしてこんなところにいるんだ? 誰かに会いに来たのか?」

迷子……とは思えない。校門は閉まっているので簡単に入ることはできなくなっている。考えられる可能性としては、この学校の教師か生徒の身内か何かで、何か用があって会いに来たと考えるのが妥当だろう。女の子はまつが用意したジュースに口を付けている。よほど喉が渇いていたのか一気コールだ。

「………お父さんとお母さんに内緒で、二人がいる学校を見に来たの。でも思ってた以上に広くて、道に迷って疲れちゃったから適当な教室に入って休んでいたら……うう……」

何か思い出したくないことでも思い出したのか、女の子はまた瞳に涙を浮かべてしまった。利家は何かいけないことでも訊いてしまったのかとオロオロするばかりだ。こういうとき頼りになるのはやはりまつである。

「大丈夫、落ちついてくださいまし」

まつの優しい声に女の子は小さく頷いた。ぽつり、ぽつりと何があったのか説明し始める。

「……真っ白なお化けが追いかけてきて……どこに逃げたらいいかわかんなくなった」
「……真っ白なお化け?」

まつの目が点になった。お化けなんているはずがない。だが利家はそう思わなかったらしい。

「何だと!? この学校には真っ白なお化けが存在していたのか!?」
「犬千代様、そんなものは存在しません! 何かその真っ白なお化けの特徴などはわかりませんか?」
「……真っ白な長い髪と、白衣。メスを持って追いかけてきた」

利家とまつは顔を見合わせた。その特徴に当てはまる人間は、この学校では一人だけだ。

「………なんだ、何かと思えば明智先生か。明智先生は生徒を怖がらせることが趣味みたいなものだからなあ……。ええと、気にするな! あれは一応人間で、この学校の先生だ。お化けじゃないぞー!」
「犬千代様、それはフォローになっておりませぬ」

明智光秀の奇行ぶりは学校でもかなり有名で、あまり彼と接点がない利家も知っているくらいだ。特に自分のテリトリーに無断で侵入した者には容赦ないお仕置きが待っていることでも有名で、いつだったかこの学校の問題児達が肝試しをした際、トラウマ級のお仕置きをされて痛い目に遭ったと愚痴っていた。

「そういえば今追いかけられたと言っていたな。ということは、もしかして今も追いかけられていたりするのか?」

粘着質の光秀のことだ、授業を放り出してでも追いかけ回しているに違いない。さすがにそれはまずいと思い(これ以上小さな女の子にトラウマを植え付けさせたくない)、利家とまつが対策を考えようと顔を見合わせたのだが、

「フフフ………見つけましたよ」

外側から食堂の窓にぴったりと張り付いて、中の様子を窺っている明智光秀がそこにいた。おまけに彼の態勢は人間には不可能ではないかと思うほど捻じれている。気持ち悪いにもほどがあった。さながらホラー映画の一コマのようで、食堂にいた三人は咄嗟に声が出すことができない。

「さあ……もう逃がしませんよ?」
「うう………怖いよぉぉおおお! おとうさん、おかあさーん!」

女の子は勢いよく椅子から立ち上がると、反対方向にある扉から外へ逃げ出した。その拍子にテーブルの上にあったジュースが引っくり返り、中身が零れ落ちてしまう。

「あ、待ってくださいまし!」

まつの制止も虚しく、女の子の姿は既に見えなくなってしまった。光秀の姿もない。一体どうすればいいのかわからず、まつはその場に呆然と立ち尽くしていたのであった。

*** ***

「……実は授業中にね、誰かに呼ばれたような気がしたの」
「奇遇だな。オレもだ」

空腹に耐えながら四時限目の授業を受けていたときだ。華那はふと、誰かに名前を呼ばれたような錯覚を覚えた。しかし今は授業中。先生の目を盗みながら辺りをさっと見回してみるが、自分を呼んだ気配はどこにもない。そのときは少々訝しげに思いながらも気のせいと納得してみせたのだが、まさか政宗も同じような体験をしていたとは。二人してそんなことがあるのだろうか? だがいくら考えても答えなんか出るはずがない。結局二人は気のせいということで話を落ち着かせることにした。

「それよりも、おっひる、おっひる。今日のお昼は何にしよー?」
「にしても今日の食堂はいつにも増して混んでるな」

待ちに待ったお昼休み、政宗と華那は食堂に足を運んでいた。二人とも今日は食堂でお昼を食べるつもりだったので弁当は持ってきていない。婆娑羅学園の食堂の味の良さはとても有名で、それもこれもまつという素晴らしい食堂のおねえさんのおかげである。

「でもよかったのか? 遥奈と一緒じゃなくて」
「いいの、いいの。遥奈は今頃元親先輩のクラスにいるはずだから。邪魔しちゃ悪いもん」
「長曾我部のとこねえ……どうせろくでもねえ用事だろ?」
「よくわかったね。元親先輩のクラス、四時限目が明智先生の授業で、授業が終わった後は毎回クラスの空気がおかしくなるとかで、見ていて面白いらしいよ。それをからかうのがそれ以上に面白いんだって。……にしても今日はほんとに混んでるねえ」

お昼休みは常に混んでいる食堂だが、今日の食堂の混み方はいつもと少し違うような気がした。今日は別に特別メニューはなかったはずなので(ここでは月に一度だけ、豪華な食材を使ったランチが提供されるときがある)、ここまで混むなんてありえないはずなのだが……。華那はたまたま傍にいたクラスメイトに声をかけた。何か事情を知っているかもしれないと考えたためだ。

「なんでも時間が足りなくて準備が上手くできなかったんだって。いつもはそんなことないのに、珍しいこともあるよね」
「準備の時間が足りなかった? たしかに珍しいかも……」

よほどのことがない限りそんな事態は起こらない。少なくともこのようなことは初めての経験だ。たしかに準備が上手くできていないのなら、料理を作る時間はいつも以上にかかってしまうためその分行列ができてしまう。混んでいる理由はわかったが、今度は何故準備の時間が足りなかったのか、という疑問がつきまとっていた。

続