未来編 | ナノ

ようこそ我らが学び舎へ

変態教師、解剖先生、暗黒魔術師。色々なあだ名で生徒から呼ばれる人気者教師こと明智光秀先生は、午前の授業が行われている静かなひと時を優雅に過ごしていた。今日のこの時間、光秀は受け持つ授業がないため生物室で次の授業の準備をしている。

骨格標本に人体模型にホルマリン漬け。自分の好きな物が沢山詰まったこの空間を彼はなによりも愛していた。ちなみに骨格標本の名前はフランソワ、人体模型の名前はジェラールという。光秀は自分の好きな物に名前を付ける癖を持っていた。棚に並べて置いてあるホルマリン漬けの一つ一つにも名があっちゃったりする。

最近のブームはアルコールランプとビーカーを使って、インスタントラーメンを作って食すことである。今日のお昼は何のラーメンを作ろうか。そんなことを考えながら光秀は黙々と……とはいかず、たまに奇声や怪しい笑い声をあげながら作業を進めていた。

「ああ……今日の授業の気分は生物の解剖なのですが、次の授業のクラスは肉のついた生き物ではなく植物。全く以て面白くないことこの上なしですねぇ」

光秀が一番好きな授業は生物の解剖である。それ以外の授業はつまらないし、やる気もない。最近はどこのクラスも植物が中心なため光秀のテンションは下がる一方だ。二学期になれば植物が終わり、肉のついた生き物の授業ができるのに……。そんな理由で毎年一学期だけはどうしても好きになれない。

「解剖解剖解剖解剖解剖……! ああ……もう誰でもいい、私に生き物の解剖をさせてください!」

生き物を解剖したい欲求に抗い切れなかった光秀は、堪らず白衣の下に隠し持っているメスで宙を切り裂いた。おまけにどういうわけか二刀流だ。

「ああ、丁度良いところに。さっきからそこに隠れている貴方、ちょっと私を手伝ってくれませんか……?」

光秀の口元が怪しい弧を描く。光秀は一見何もない空間に向かって更に話し続ける。

「フフフ……私が気づいていないと思っていましたか? 先ほどからずっとそんな隅っこに隠れていましたよね? いい加減姿を現したらどうですか?」

光秀はわざとらしいくらいゆっくりな足取りで、あえて靴音を鳴らすように一歩、一歩と近づいていく。そこに隠れている何かに恐怖を与えるためだけに。じっくりゆっくり嬲るためだけに。だがその時間が楽しくてしょうがない。物陰に隠れて怯えている姿を想像するだけで興奮する。

「さあ……もう逃げられませんよ? 全く、この生物室をサボりの場所に選ぶとは……どうやらよほど私に解剖されたいようですね」
「ひっ……!」
「おや……?」

光秀は少しだけ目を見開いた。物陰に隠れているのはこの学校の生徒と思っていた。しかしこうして光秀の前にいるのは、小さな小さな女の子だったのだ。見たところ小学生か。それはそれで、どうしてここにいるのか不思議である。女の子は大きな瞳に今にも零れ落ちんとしている涙を浮かべ、ガクガクと小さな身体を震わせていた。

「私の空間に無断で侵入するなんて……いけない子だ」

光秀が腰をかがめて女の子に近づく。女の子はすっかり腰が抜けてしまって、その場でしゃがみ込んだまま動くことができない。それをいいことに、光秀は女の子の目の前でしゃがみ込むと、手にしていたメスを彼女の頬にあてた。メスの冷たさが頬から全身に伝わっていく。

「そういういけない子には……お仕置きが必要ですね」
「う……うわあああんっ!」

メスの冷たさで我に返った女の子は、逃げろと告げる本能に従った。何かに突き動かされるかのように立ち上がると、脱兎のごとく逃げ出していく。少女の泣き声と終業の終わりを告げるチャイムが不自然に重なった。

*** ***

この日の三年C組の空気は異常だった。祭り好きな元親や慶次を筆頭に、比較的賑やかなクラスなのだが、今日だけは誰もが口数が少なくどんよりと沈んでいる。教室のあちこちでは奇行としか思えぬ行動を取る生徒も続出していて、例えば教室の隅っこでは一心不乱に祈りを捧げる生徒達の姿が確認できる。

他には黙々とノートに何かを書き綴っている生徒達の姿もあった。てっきり勉強をしているのかと思いきや、肝心の内容はよく見ると遺書としか思えぬ文章だ。まるでクラス全体がこの世の終わりを体現しているように見えるため、「異常」としか言いようがなかったのである。

「……なあ元親、俺達今日生きて帰ってこれるかな?」

と、机に突っ伏して学校では絶対に言わないようなことを呟いているのは慶次だ。

「……さあな。こればっかりは俺にもわからねえ。だがもしものときは戦う覚悟だぜ」

と、同じく机に突っ伏して、これまた学校では絶対聞かないであろうことを呟いているのが元親である。二人とも机に突っ伏して、さっきからこんなことを話していた。

「この休み時間が終わればついに生物の授業だよなー……はあ……」

このクラス全体の空気が重いのは、四時限目に明智光秀による生物の授業があるからだ。光秀の授業は毎回ある意味命懸けで、彼の授業前の休み時間になると、毎回こういう状況に陥っている。祈りを捧げる者は今日も無事に生きて帰れますようにと神頼み。遺書を書いている者は今日の授業で当たるかもしれない生徒達。ちなみに生物の授業がある日は、何故か欠席率が異常に高い。

「この前の授業だって強引に生き物の解剖にもっていこうとしていやがったよな……。どうやったら草の喩えを肉でするつもりだってんだ」
「その前のときは答えられなかった生徒に罰として、「壊されかけた骨格標本の代わりをしろ」って言ってたっけ? それって肉を削げってことだろ。あいつ、それ以来学校来てねえんだぜ。良い奴だったのに……」

次の授業を始めるチャイム……もとい、死神降臨の合図を告げる鐘の音が鳴り響く。瞬間C組では断末魔のような悲鳴が次々とあがり、少ししてから扉が音を立てて開いた。ごくり、と生徒全員が息を呑む。しかしC組に現れたのは、光秀ではなく主に二年の化学を受け持っている教師だった。クラス中の生徒が目を丸くさせる。何だ、一体何が起こったのだ。

「えー……本当なら明智先生の授業なんだが、肝心の明智先生が意味不明なことを叫びながら生物室を出たきり行方不明のため、この時間は自習とする。よかったなーお前ら」

C組から怒号に近い歓喜の声があがり、近隣のクラス中から苦情がきたのは、また別のお話である。

続