似たもの夫婦 「あーーー!!」 とある午後の伊達家に、長閑なひと時をぶち壊す華那の悲鳴が響き渡った。 「ど、どうしよ……これ…政宗が大切にしてるやつなのに」 リビングの棚に飾ってある外国製の陶器の置物は、政宗のお気に入りの一つで大切にしている物だ。それを見ながらコーヒーを飲む時間が最近の密かな楽しみだということも知っている。 それほど大切にしている代物を、掃除をしている最中手を滑らせて落としてしまった。一見大丈夫そうに見えたのだが、よく見ると一部が欠けてしまっている。嫌な汗が全身から噴き出した。どうする、どうすればいい。落とした挙句欠けてしまったことが政宗にバレたら。 「まずい……私、殺される」 素直に謝ったところでどんなお仕置きが待っているかわかったものじゃない。ここぞとばかりに無理難題言ってくるに決まっている。まずい、それだけは避けなければ。今、華那がすべきことはどうやって誤魔化すか、だ。この欠けた置物をどうやって元に戻すか……。華那の口から「フッフッフ……」と不気味な笑い声が漏れる。 「一体何年主婦をやっているというの華那。私は優秀な主婦よ、主婦の中の主婦なのよ」 華那は引き出しから瞬間接着剤を取り出すと、それを欠けた部分に鼻歌を交えて塗っていく。 「で、これをくっつける……と。ほら、これで完璧ィ!」 すっかり元通りになった置物を見て、華那は満足げにうなずいた。そんな華那の姿を背後からじっと見つめる影が一つ。 「げっ……蒼華」 扉の隙間から体の半分だけを覗かせて、じっとこちらを見つめている蒼華に気づいた華那はびくっと肩を震わせた。蒼華は何も言わない。ただまっすぐこちらを見ているだけ。わざとらしいほど何も言おうとしないだけに、逆に気味が悪い。 「蒼華……見た?」 「なにをだ?」 「ここでお母さんがしていたことよ」 ここで口調を荒げてはいけない。あくまで優しく、笑顔で、相手を刺激しないよう細心の注意を払う必要がある。へたに怒れば何かあったのかと逆に不振がられるだけだ。 「なにもみてないぞ?」 「そう、ならいいのよ」 ホッと心の中で安堵の息を吐いた。よかった、バレていない。蒼華にバレたら後々面倒が起りそうな気がするのだ。なんたってあの政宗の血を引いているのだ。弱みを見せたら付け込まれる。 「おかーさんがおとーさんのたいせつにしているものをこわしたとこなんてみてないぞ!」 「ばっちり見てるやなかい!!」 つまり蒼華は最初から見ていたということだ。それなのに何故こうも自信満々に見てないと言えるのだろう。自分が何を言っているのか理解していないのだろうか? 「蒼華……お父さんには内緒にしてくれる?」 猫なで声ですり寄ってくる母親に蒼華は恐怖を覚えた。こういった声を出すときは決まって逆らわないほうがよいと、普段の経験から蒼華は確信している。華那も華那で必死だった。今ここで蒼華の口を封じなければ、政宗に話してしまう可能性が高い。そうなったら接着剤で誤魔化した意味がなくなってしまう。 「わ、わかった」 「ありがとう。助かるわー」 物わかりのいい娘で助かった。これで何もかも元通りだと思った華那はキッチンへ向かおうと立ち上がる。ま、内緒にするって言ってくれたんだから、今日の晩御飯は蒼華の好きなものを作ってやるか。家にある材料で無理だったらスーパーに買いに行ってでも……。 「蒼華。今日の夜何食べた……」 リクエストを訊ねようとした華那の言葉が不自然に途切れる。どこから取り出したのか、蒼華は一枚のチラシを華那に見せつけるように持っていたのだ。チラシで蒼華の顔が隠れているので表情が窺えない。チラシは普段よく行くスーパーのチラシで、目玉商品である安売りの品が数多く掲載されている。じっとそのチラシを見ていた華那はハッとした。よく見るとそのチラシには蒼華が大好きなお菓子が掲載されていたのである。おまけに普段食べているものより大きいサイズで、その分値段も少々高い。 「これかってくれたら蒼華のくちはさらにかたくなる」 「この娘……僅か五歳で母親をゆするつもりだな」 これだから弱みは見せたくなかった。こういうところは流石政宗の血、とでもいうべきか。末恐ろしい子である。しかし背に腹は代えられない。お菓子一つで内緒にしてくれるというなら安いものだと思うべきだろう。 「わかった……買ってあげるわよ。でもその代わりお父さんには絶対に内緒よ、いいわね!?」 がっくりと項垂れる華那に蒼華は「わかった!」と元気よく答えた。 *** 「Shit!」 華那が買い物に行っている間のキッチンの戸棚の前で、政宗が顔をしかめながらひとりごちた。政宗の手には華那のお気に入りのマグカップが握られている。ただし取っ手とカップの部分が見事に真っ二つに割れていた。 「つい力余っちまったぜ……やべえな。よりにもよって華那が気に入っているやつだぞ」 元々握力が強い政宗は、日常生活を送る上でも注意しなくてはいけないことがある。通常なら壊れないだろうというものでも、政宗の手にかかればいとも簡単に壊れてしまう場合があるのだ。 このマグカップだってそうだ。最近華那がよくこのマグカップで飲み物を飲んでいることは知っていた。コーヒーを飲もうと思い戸棚を開けたら、丁度そのマグカップが視界に入ったのである。たしか柄が気に入っていると華那は言っていたが、どんな柄なのかちゃんと見ていなかったためわからない。丁度良い機会なのでマグカップを見てやろうと取り出そうとしたのだが、少しばかり奥にあるため他の食器が邪魔して上手く取り出せない。苛々してしまった政宗はつい力いっぱい引っ張って取り出してしまったのである。するとどうだ。どういうわけか取っ手とカップの部分が真っ二つに割れてしまっていたのだ。 「ま、接着剤でくっつければバレねえよな……」 引き出しから瞬間接着剤を取り出し、取っ手とコップの部分にそれを塗って、ぐっとひっつける。 「よし、これで大丈夫だろ」 後は何事もなかったように戸棚へ仕舞うだけだ。マグカップを戸棚へ仕舞い、政宗はわざとらしい口笛を吹きながらキッチンを後にする……はずだったのだが。 「Wow!?」 扉の隙間から体の半分だけを覗かせて、じっとこちらを見つめている蒼華に気づいた政宗はびくっと肩を震わせた。蒼華は何も言わない。ただまっすぐこちらを見ているだけ。わざとらしいほど何も言おうとしないだけに、逆に気味が悪い。柄にもなく政宗の心臓はバクバクと大きな音を鳴らしていた。 「Hey 蒼華。そんなとこで何してんだ? ……まさか見たのか?」 「なにを?」 「……いや、ならいいんだ。Sorry 忘れてくれ」 政宗が蒼華の横を通り過ぎ、数歩進んだところで蒼華が口を開いた。 「おとーさんがおかーさんのまぐかっぷをこわしたところなんてみてないぞ」 「ばっちり見てんじゃねえか!」 振り返りざま政宗はナイスタイミングと称賛される絶妙な間合いでツッコミをいれた。蒼華はしれっとした様子で政宗をじっと見上げている。何を考えているのか読めないこの顔が憎らしい。政宗はぐっと一歩後ずさる。しかし今すべきことは一刻も早く蒼華の口をふさぐことだ。政宗はその場にしゃがみ込み、蒼華の両肩に手を置いた。 「蒼華、このことはmamaには秘密だぜ?」 「ひみつー?」 「Yes papaと蒼華、二人だけの秘密だ。You see?」 「あいしー!」 「Good 良い子だ」 政宗は父親に褒められ無邪気に喜ぶ娘の頭をぐしゃぐしゃ撫でながらホッと安堵の息を吐いた。なんだかんだ言っても所詮は子供だ。助かった。すると蒼華はポケットから何回も折られ小さくなった紙を取り出し、政宗に差し出した。何だと思いながらも政宗はその紙を受け取り、折られた部分を広げていく。 「………ってこれおもちゃのチラシじゃねーか。どういうつもりだ蒼華?」 「このおにんぎょさんがほしい」 つまりこれはマグカップを壊したことは黙ってやるから、その代わりこの人形のおもちゃを買えと言っているのか? 「オメー……僅か五歳で父親であり伊達組筆頭であるこのオレゆするとは……いい度胸してんじゃねえか」 一体誰に似たんだか……政宗は開いた口が塞がらない。ま、この程度のおもちゃで黙るって言うなら安いもんか。 「わかった、買ってやる。ただし、mamaには絶対に言うなよ?」 「わかった!」 本当にわかってんだろうなこいつ……。政宗は疑いの眼差しを向けながらも、蒼華が欲しいと言う人形を買うため慌てて財布の中を確認し始めたのだった。 「あれ、蒼華。あんたそんなおもちゃ持ってたっけ?」 「お、そのでっかいお菓子はどうしたんだ蒼華?」 夕方、華那が買ってきたお菓子を傍に置き、政宗が買ってきたお人形で遊ぶ蒼華の姿を見て、華那と政宗は揃って首を傾げていた。お互い見覚えがないものだけに一体それをどこで、いつ手に入れたかわからないのだ。 しかしこの二つは華那と政宗が知らない間にあげた口封じのアイテムだ。この二つのアイテムのことを口にすれば、蒼華がうっかり口を滑らすかもしれない。折角買収したのにそれでは意味がない。変だと思ってもこの話題だけは口にしては駄目だ。 政宗と華那は互いに顔を合わせると、「アハハー……」とぎこちない笑顔を浮かべたる。こうして夫婦の秘密はなんとか守られたのであった。 完 ← |