中編 | ナノ

フルーツの誘惑と憎たらしいアイツ

「……いまなんつった?」
「だーかーらー。花火を見に行かないって訊いてるの!」
「………冗談だろ?」
「冗談じゃないよ、本気だよ。私はいつも本気だよ」
「だっていまは………冬だぞ!?」

仄かに甘い香が漂うココアを口に含みながら華那は、自分と向かい合って座っている政宗に口を尖らせた。

***

秋が日に日に終わりをみせ冬の寒さが一段と厳しくなったある日の午後、繁華街にある一軒のカフェに、放課後デートの最中である華那と政宗の姿があった。店内は外と違って暖房が効いているので、コートにマフラーという完全防備体勢の華那には少々暑い。が、冬はホットココアだと断言する彼女は、ここでもホットココアを注文した。政宗はホットコーヒーを注文し、店内の奥―――一番人気がない席に腰掛ける。

「そだ、私政宗と一緒に行きたいところがあるの」

可愛い彼女にこう言われては、男ならどこであろうと一緒に行くものだ。華那の行動パターンからして、新しい洋菓子店だと勝手に結論づけた政宗は、華那がそれはどこなのか言う前に、「Okay どこへだって連れて行ってやるぜ」と、安請け合いしてしまう。

華那はパァッと表情を明るくさせ、「本当? 嬉しい!」と喜んだ。その笑顔を見れただけでも、政宗からすれば十分収穫はあった。そこにデートのお誘いまであるとなれば、この上ないくらいの喜びに満ち溢れる。なんせ華那からデートに誘うなど滅多にない。普段は政宗から誘うのが常で、そこに華那がどこに行きたいか彼に要望を伝えるのだ。

それがパターン化しつつある今、こうして華那からデートの誘いである。別に内気という性格ではないのに(むしろ逆だ)、恋愛に関しては意外なほど奥手で純情なのだ。デートに誘う、たったそれだけのことでも、華那からすれば相当な勇気を必要とする行為なのだろう。それがわかっているのに、無碍になどできるものか。たとえ海外でも、自家用機で連れて行ってやるぜ!

「あのね、花火を見に行きたいの」

政宗は聞き間違いかと思い、我が耳を疑った。それもそのはずで、いまは冬。花火は季節的にも夏のものだ。それをやろうではなく見に行こうと言うのだから、誰だって聞き間違いだと思うはずである。そして冒頭の……。

「……いまなんつった?」
「だーかーらー。花火を見に行かないって訊いてるの!」
「………冗談だろ?」
「冗談じゃないよ、本気だよ。私はいつも本気だよ」
「だっていまは………冬だぞ!?」

―――に、至る。政宗は信じられないといわんばかりに声を荒げた。華那はしれっとした表情を崩さない。何も言っていないのに、「いまが冬って当たり前じゃん。なに言ってんのコイツ」と顔が物語っていた。暖房が効いているはずなのに、外に負けないくらいの寒風が政宗を襲う。

「数年前に行われて、いまじゃ恒例行事化しつつあるんだけどね。冬に花火って乙じゃない?」
「クソ寒ィ中、ただ立って花火を見るなんてやってられっか」

明後日の方向を向きながら、政宗は冷めつつあるコーヒーを流し込む。華那はつまらなそうに頬を膨らまし、「さっきはどこへだって行くって言ってたのに……」と、再び口を尖らせた。そのまま席を立とうとするので、政宗は慌てて声をかける。てっきり機嫌を損ねて帰るのかと思ったからだ。

「ココア飲んでたら甘いお菓子が食べたくなっちゃった。ちょっとカウンターでケーキ見てくるね」
「………よく甘いモンに甘いモンを合わせられるよな」

感心しているのか呆れているのかよくわからない言葉に、華那はムッと眉を吊り上げてみせる。甘党という自覚はあるが、他人に言われると複雑な気分だ。カウンターのショーケースには、色鮮やかなケーキやクッキーが並べられている。カウンター前にいる人々の隙間から、どれにしようか真剣な表情で考え始めた。

その中でも華那の目を一際惹いたのは、残り一個となっていた季節のフルーツを使ったタルトである。じーっとそれだけを見つめていたら、横からニコニコと笑顔を浮かべた店員さんが声をかけてきた。

「いちじく、巨峰といった、秋の美味しいフルーツをふんだんに使用した季節限定のタルトです。梨を薄くスライスして、秋の木の葉をイメージしました。秋のフルーツのみずみずしさを堪能していただくため、あっさりとしたフロマージュブランのタルトと合わせてあるんですよ」
「うう……美味しそう……!」

華那がますます苦悩に満ちた表情を浮かべると、その店員さんは可笑しそうに笑みを深くする。こういうお店で働いているので、華那のようなどれにしようか迷う客を見慣れているのだろう。やっぱりあのタルトにしようかな。ラスト一個だし!

「すみません、この……」
「―――この季節のタルトを一つください」
「かしこまりました」
「えぇ!?」

やっと決めた矢先、華那の前に並んでいた男性客があのタルトを注文してしまった。愕然とした表情を浮かべる華那に対し、店員は淡々と作業を進めていく。ショーケースからタルトを取り出し、シンプルなデザインの箱に詰めていった。

「―――もたもたしてるからそうやって後悔するんだぜ」
「…………はぃ?」

後ろ髪を引かれる思いで華那が箱を見ていたときだ。くるりと男性客が後ろを振り向き、いやみったらしい表情で彼女にこう言ってのけた。最初、華那は誰に言っているのか、また何を言っているのか理解できていなかったが、男がこちらを見ていることから、これは自分に対して言ったことなのだと遅かれながら理解する。理解した途端、華那の頭にゆっくりと血が上っていった。

「な、なァんですって〜?」
「そうだろ? 日本人は決断力に欠けると言われる理由がわかるぜ」
「あんたも日本人でしょうが! 私がそのタルトにしようか迷っているって知ってたのなら、レディーファーストとして私に譲るっていうのが当然でしょう! つかなんで知ってんのよ、私がそのタルトにしようか迷っていたこと!」
「ショーケースに映ってんだよ。あんたのそのマヌケな面が」

見ず知らずの赤の他人、それも男に言われれば華那とて腹が立つ。男は華那を馬鹿にしているのか、小さく肩を竦めてみせた。この男の動作一つ一つが華那を腹立たせる。

「あ、あの。お客様……?」

二人の様子を見守っていた店員が、おそるおそる声をかけた。きっとこのまま箱に詰めて売ってよいものか迷っているのだろう。店員は不安そうに目を泳がせていた。

「いいです結構です。このタルトは彼に売ってさしあげてくださいな!」

華那は男に背を向け、政宗が待っているテーブルに戻ることにした。チラリと男を窺うと、彼はフンと鼻で笑ってみせる。口を開きたかったが、ここで口を開けば負けだ。何故かそう思った華那は、無視することでこの場をやり過ごした。

「―――政宗、帰ろう。これ以上ここにいたくない!」
「What!? オレまだ飲んでるぜ」
「いいから!」

一方、何があったか知らない政宗は、華那に言われるがままに店を後にする羽目になった。

***

翌朝になっても、華那の機嫌は損なわれたままだった。朝から不機嫌な顔で「おはよう」と言われた政宗はたまったもんじゃない。政宗からすればどうして華那の機嫌が悪いのかわからないのだ。昨日あれから何があったのか訊いてみたが、思い出すのも嫌なのか華那は一切口を割ろうとしない。そのくせ、

「なによあの嫌味な言い方、そして顔……!」
「目の前でなくなったっていうのが一番腹立たしい」

などと、意味不明な恨み節をつらつらと言っているのである。内容からして花火のことではないとわかるが、今度はあの短時間で何があったのか疑問に思う。

「ほらお前ら、早く席につけー。今日は凄いことが起きるからなー」

チャイムが鳴ってからしばらくして担任が現れた。凄いこととはなんだと生徒達がざわめき始める。どうせ抜き打ちテストかなんかだろうと、つまらないSHRの中、政宗は前に座る華那にちょっかいをかけつつ、退屈そうに明後日の方向を向いていた。

「今日はなんとうちのクラスに転入生がくるんだ! さぁ、入っておいで」
「転入生? 珍しいね」
「ああ」

政宗の手をやんわりとどけながら、華那は首だけを動かし後ろの政宗に話しかける。政宗はどうでもいいと言わんばかりのテンションだ。皆の期待に満ちた眼差しが扉に向けられる。口々にどんな人なのかや、男か女か囁きあいながら、誰もが息を潜めていた。やがてゆっくりと扉が開き、転入生の姿が明らかになっていく。男子はつまらなそうに口を尖らせ、女子は黄色い声をあげながら席の近い者達とガッツポーズ。

「やだ、かっこよくない?」
「うん。伊達君のときといい、うちのクラスは当たりが多いわー」
「ちぇっ、今回も男かよ〜……」

そんな中、華那だけが口をあんぐりと開いたまま固まっていた。動かなくなった華那を怪訝に思った政宗が声をかける。しかし彼女は政宗の声には反応せず、わなわなと身体を震わせていた。

「えー……彼の名は……」
「あー!? 昨日のタルト野郎!」

先生の言葉を遮り、華那は椅子から立ち上がり転入生を指差した。政宗だけでなく、クラス中の誰もが華那に注目する。転入生も華那に気づき、彼女をじっと見つめた。

「あ、昨日の優柔不断女」
「うっさいタルト野郎!」

転入生は華那に気づくなり、好戦的な笑みを浮かべた。誰もが呆然とする中、政宗だけが言い知れぬ不安を感じていたのであった。

忘れようと努力しているのに、突然現れるのは卑怯じゃないか。

続