中編 | ナノ

貴方には見えて私には見えないモノ

理科準備室は黒魔術の儀式でもしているのかと思うほど、それは毒々しくて禍々しいものだった。怪しげな模様が書かれた紙が机の上に散らばっており、蛍光灯ではなく蝋燭の灯りが部屋を照らしている。棚には様々なホルマリンと装丁の本。どれも難しそうで、見ているだけで頭が痛くなる。そんな怪しげな部屋に、これまた怪しい白衣姿の男が一人。愛おしそうに骸骨の頭を抱きながら、突然の訪問者をまじまじと見つめていた。誰であろう、変態生物教師こと明智光秀である。

「一体何事ですか? お楽しみの最中なので、用件があれば手短に済ませていただきたいのですが……」

一方見つめられている側は、目を合わせないように目を泳がせている。政宗はそ知らぬ態度で光秀を見ているが、残り二人はあからさまに光秀を避けている。元就は一見光秀と目が合っているようで微妙に合っていない。華那はふよふよと目を泳がせていた。

「お楽しみって何してたんだと思う、政宗?」

光秀に聞こえないように、華那は声を潜ませて政宗に耳打ちする。しかしその問いに政宗が答えられるはずがなかった。彼は同じく声を潜めて、短く舌打ちする。

「オレがわかるはずがねえだろ。あいつが楽しいと思うことなんて碌なことじゃねえ」
「……だよね。絶対にロクなことじゃないよね、うん」
「そんなことないですよ。よければみなさんもご一緒にどうですか?」

二人のひそひそ話も虚しく、彼らの会話は光秀に駄々漏れだった。おもわず華那の身体が硬直する。彼女を庇うように政宗は一歩身を乗り出した。

「アンタに訊きたいことがある。さっきこいつらが理科室に来たとき、なんかしたか?」
「何か、とは?」

光秀の口が怪しく歪む。まるでこの状況を楽しんでいるかのようだ。

「そこの人体模型を動かしたの、アンタか?」
「ええ、私ですよ。ここ最近夜になると、数人の生徒がここに現れるようになりましてね。お灸を据える意味を兼ねまして、少々脅かしているのですよ」

ここ最近夜になると生徒が現れるのは華那と同じように、守銭奴の幽霊の真相を探ろうとしているためだろう。怪談の定番となれば理科室。という単純明快な思考で多くの生徒が夜な夜な忍び込んでいたのだ。それを煩わしく思った光秀は、ならば少々脅かしてやろうと思い立ったらしい。そうすれば生徒が来ないと思ったのだ。が、「しかし……」と光秀は困った顔をする。

「しかし全く止むことなく……。むしろ悪化してしまったのです」
「そりゃ本当に出たと思わされたなら、人が増えるに決まってんだろ」

政宗が呆れたというふうに落胆する。華那もうんうんと何度も首を縦に振った。

「じゃあ私と毛利先輩が見たあれは、へんた……じゃない。明智先生の仕業だったってことでいいの?」
「そういうことになるだろうな」

お化けじゃないとわかった途端、元就の顔色はよくなっていた。しかし華那は可哀想と思い、あえてそこには触れないよう心がける。

「でもいくらなんでも酷いですよ。守銭奴の幽霊の真似まですることないじゃないですか!」
「………なんのことですか?」

不思議そうに首を傾げる光秀に、華那は噛み付く勢いで、昇降口で起きたことを説明した。光秀は守銭奴の幽霊の声真似だけでなく、自分の後ろに立ってみんなを驚かせたのだ。あれがきっかけで全員が離れ離れになり、肝試しには無関係だった政宗も巻き込まれたのである。

至近距離で目が合った華那は、あの中で誰よりも恐怖を感じたに違いない。文句の一つや二つ言いたくなる。しかし光秀は始終不思議そうに首を傾げていた。華那の話を食い入るように聞いている。まるで今初めて聞いたというふうな態度だ。あくまでもしらを切ろうとする光秀に、華那はいい加減頭にきていた。

「だっかっらー! 惚けるのもいい加減にしてください。生徒を驚かすなんて最低ですよ!」
「……先ほどから貴方が仰っている話は初耳なんですがねえ。それは私じゃないですよ」
「……………は?」

光秀以外の三人の眉が訝しげに顰められる。華那に至っては口からマヌケな声が漏れたほどだ。光秀は本当に知らないようで、彼の表情が真実なのだと物語っている。表情を読むことが得意な政宗でさえ、光秀の言っていることが真実なのだと見抜いた。となるともう信じるしかない。

「じゃ、じゃあ私と毛利先輩が見たアレって……?」

華那の表情が引き攣ったまま元に戻らない。これには流石の政宗でさえ背筋に冷たいものが走った。緊張にも似た張り詰めた空気が辺りを包み込む。沈黙に耐え切れず口を開こうとするが、何を喋ればいいかわからず結局噤むしかない。どうしたものかと誰もが思っていると、そんな彼らの声を聞き届けたかのように救世主が現れた。

「あー! いたいた、やっと見つけたぁ!」
「遥奈!? 先輩も……あ、佐助も!?」

理科室のドアが乱暴に開け放たれたと思うと、同時に賑やかな声も一緒に耳に入ってきた。最初に姿を現したのは、歓喜の声を上げている遥奈だった。彼女の後ろには元親と佐助も一緒である。遥奈の姿が目に飛び込んできたせいで安心したのか、華那も彼女に負けないくらいの笑みを浮かべた。

「って毛利先輩はともかく伊達君まで? なんで?」
「そこの猿に訊いてくれ」

いるはずのない政宗がいたことで、遥奈と元親は揃って眉を顰める。理由を説明するのが面倒臭いのか、政宗は最初から佐助に丸投げ状態だ。当の本人である佐助は苦笑している。遥奈の説明によると昇降口でバラバラになったあと、気が付けば元親と一緒だったという。二人とも華那同様無我夢中で走ったため、どこを走ってどこに向かっていたのかさっぱりだったらしい。とりあえず三人を捜そうということになったらしいが、これがなかなか見つからない。そんなとき佐助が遥奈達を発見し、そのまま理科室へ向かったとのことだった。

「佐助が私達を見つけてからというもの、全てがスムーズだったのよね。理科室へ行こうって言ったのも佐助だったし……。よく華那達がここにいるってわかったわよね」

遥奈が感心したような口ぶりで佐助に話しかける。すると佐助は涼しい顔を浮かべたまま「いや、この人が教えてくれたからさ」と言った。佐助が言う「この人」がわからず、この場にいた全員が首を傾げる。佐助はきょとんと目を丸くさせながら、「だから、この人」ともう一度同じ言葉を繰り返した。

しかし―――いない。佐助が言う「この人」の姿が、どこにも見当たらないのだ。辺りを見回してみても、佐助が示す場所をじっくり見てみても、人らしい姿はどこにも見当たらない。

「おい猿飛、どこにいやがるんだ?」
「だからそこだって何度も言ってんじゃん」

何度も同じことを訊かれ続けたせいか、佐助はうんざりとした表情を浮かべている。だが彼が示す場所は、真っ暗な空間しか広がっていない。しかし佐助以外にも見える人間が一人だけいた。

「おや、貴方は……」

そう、明智光秀である。彼は久しぶりに友人にあったかのような素振りをみせた。口元を綻ばせ、突然の再会に喜んでいるかのようである。何かブツブツ言っているのだが、あまりに小さい声でよく聞こえない。しかし誰も「どなたですか?」と訊く勇気がなかった。

「今日もまたお金を数えていたんですか……? いつも十円足りないなんて、おかしな話もあるものですね……」
「お、お金? じゅうえんたりない……って……」

姿は見えずとも、そこに何がいるのかは嫌というほど理解できてしまった。光秀が言った「お金」「十円足りない」という言葉だけで、そこに何がいるのかわかってしまったのだ。いる、いるのだ。得体の知れない何かが。口にするのも嫌なアレが。

華那、政宗、遥奈、元親、元就には見えず、佐助と光秀だけには見える特殊な人が、自分達の目の前に「今」確かにいるのだ。自分達が探していた守銭奴の幽霊が、目の前に、今、本当に存在しているのである。

「い、いやああぁぁあああ!」

犬の遠吠えを誘うような華那の悲鳴が、夜の校舎中に響き渡った。

「ゆ、ゆゆゆゆ幽霊が本当に存在してたなんて! いやだ、認めたくないっ!」
「理科準備室に死者を呼び出す魔方陣が描かれていたんだけど、もしかしてそれが原因? あの変態が呼び出した霊なのかしら?」
「なんでそんなものに詳しいの、遥奈チャン……」
「法律に引っかからないで悪事を働くには、黒魔術的なものが一番でしょ? だから必死に勉強してたのよ、一時期ね」
「やっぱり幽霊よりあんたのほうが怖いわ……」

完