中編 | ナノ

何故政宗が捕まったのか

人間はありえない事態に遭遇すると、騒ぎ立てるでもなく怖がるのでもなくただ言葉を失くすらしい。そしてそれは事実だったと、政宗は身をもって知ることになった。

「お疲れ様でした、部長!」
「Ha! テメェらも気をつけて帰れよ」
「へいっ!」

夏休みが近くなると、授業がなくなる代わりに部活が忙しくなる。文科系のクラブならプライベートを尊重するのであまり活動的ではないが、体育会系だと話は別だ。体育会系は夏に控えた大会などの練習で、大体どこも長時間部活動に専念するからである。

政宗が所属する剣道部も例外ではなく、本日も夜遅くまで部活動を行っていた。部長という立場上部室の鍵を閉める義務があるため、最後まで残らなくてはならない。最後の一人が部室を後にしたのを確認すると、政宗も部室を後にし、鍵を閉める。そのまま職員室へ鍵を返しに、月明かりだけが照らす廊下に向かった。昼間の喧騒を感じさせない不気味なまでの静けさ。華那ならば、さぞや面白い反応を見せてくれるだろう。暗闇に耐え切れず、無意識のうちに抱きついてくるかもしれない。きゃー怖いと本当に怖いのかわからない悲鳴を上げつつ、横にいる者に抱きつくというもので、お化け屋敷などでよくある現象だ。

しかし華那はお化けに関しては平気なので少しつまらなかった。お化けを見たら好奇心から、自ら進んでお化けに近づくのである。それはそれで、ある意味面白い反応なのだが。今度のdateは遊園地に決まりだな。政宗が密かにそう決めたときだった。

「のわぁぁあああ!?」
「What!?」

どこからともなく聞こえてきた悲鳴に、政宗は大きく肩を震わせた。忙しなく辺りをキョロキョロと見回すが誰もいない。人の気配には敏感だが、人の気配は微塵も感じない。普段は比較的動じない政宗ですら、この突然の悲鳴で心臓がバクバクと大きく鼓動してしまっていた。

静かな校舎内にあの悲鳴はよく響く。政宗の額から冷たい汗が流れ出すが、気のせいだと自分自身に暗示をかけさっきよりも少しだけ足早に職員室に向かう。だが頭の中は突如聞こえた悲鳴で一杯だった。今しがた聞こえた悲鳴のような声は何なのか。声は少なくとも一人の悲鳴ではなく複数だった。校内に政宗以外の誰かがいるのかもしれない。真っ暗な校舎、どこぞの馬鹿が肝試しを試みていても不思議ではないだろう。

しかし先ほどの悲鳴が政宗の頭から離れない。どうして引っかかっているのか、政宗自身もわからずにいた。だからこそ余計に引っかかる。苛々する。なんとなく、あくまでもなんとなくだが……なんか聞き覚えがあるような声だったんだよなァ。政宗は首を傾げつつもこれ以上考えるのが面倒になり、職員室に向かうことだけに意識を集中させた。さっさと鍵を返して、今あったことを忘れよう。それが一番だ。

「それがそうもいかないんだよねェ」
「うおっ!?」

背後から聞こえた飄々とした掴みどころのない声に、政宗は再び肩を大きく震わせる。振り向くとそこには腕を組みながら、微妙な表情を浮かべている佐助が突っ立っていた。全く気配を感じなかったことに若干驚きつつも、政宗はなんとか平静を取り繕う。

佐助は「困ったなー……」と呟きながら、うんうんと頷いていた。しかし困ったなと言うわりには、あまり困っているようには窺えない。困ったと言いつつもどこか楽しげで、そしてどこか面倒臭そうに見える。相変わらず読めねえ野郎だぜ。

「つーかなんでここにいるんだよ?」

政宗は至極当たり前の疑問をぶつけた。この時間に残っている生徒はまずいない。政宗のように大会を控えているのなら話は別だが、佐助は確か帰宅部だったはずである。まさか華那のように忘れ物を取りに来ているのか。佐助に至っては忘れ物などしないように思っていた政宗だけに、少しばかり意外だった。たとえ忘れ物をしてしまったとしても、こんな夜遅くに取りに来ないだろう。彼なら華那とは違い諦めるはずである。

「華那達と肝試しの最中。んで逸れた」
「肝試しだと? んでもって逸れただァ!?」
「そうそう。旦那も知ってるでしょ、守銭奴の幽霊が出るって噂。その真相を確かめようとしてたんだけどさー……」
「してたんだけど……なんだよ?」

幽霊などという非科学的なものは信じない。別に科学で証明できないから信じないのではない。政宗は自分の目で見たものしか信用しない、それだけだった。幽霊がいるとしても自分の目で見ない限り、彼はどんなことを聞かされても信じない。

「なんか本当にいるっぽくてさ、みんな一斉に逃げちゃった。ただの噂だと思ってたんだけどね」
「じゃあさっきの悲鳴はそれでか?」
「ああ、あれね。あれは違うよ。聞こえてきた方角からして、華那と毛利先輩だと思うよ」
「華那に何かあったのか!? つかなんでオクラと一緒にいやがるんだよ!」

政宗の顔色が一瞬にして変わった。しかしそれは華那の身を案じてか、それとも華那が元就と二人っきりだからなのかは定かではない。多分両方だろうが、どちらかというと後者のほうが大きいだろうなと佐助は思った。頭の片隅でそんなことを思いつつも、彼は何があったのか政宗に話しだす。肝試しをしていたら第三者らしき人物の声が聞こえたこと、誰もが一目散に逃げ出したこと。佐助の話を聞き終えた政宗が最初に思ったことは、だ。

「……なんでテメーは冷静なんだよ」

そういう状態に陥ってパニックにならない佐助が信じられずにいた。あの悲鳴を聞いて、誰のものか判断できるほど落ち着いているのである。ご丁寧に全員が逃げた方向までも把握していた。まるで逃げる四人を遠く離れたところから傍観していたようである。こいつならありえるな……。

「というわけで、旦那も四人を捜すの手伝ってくんない?」
「Ah? ふざけるな、なんでオレが」

あからさまに面倒臭いという表情を浮かべる政宗に、佐助は薄く笑いながら「いいの?」と口を開いた。

「いま華那は毛利と二人っきりなんだぜ? こんな暗闇の中、恐怖に怯える二人が抱き合ってたりしてー……」
「オレは特別棟を捜すぜ!」

政宗の背中を見送りながら、佐助はなんだかんだで政宗も単純だなと納得していた。そんなに華那が心配なんだと、見た目に反して純粋な彼をどこか羨ましいと感じながら。そんな佐助の考えていることなど露知らず、半ば強制的に政宗も肝試しに参加する羽目になったのである。

それからはもうコメントのしようがなかった。音楽室付近の廊下では、なんとも滑稽な「メリーさんの羊」が聞こえ出したのである。リズムも音もどこか若干外れていて、ところどころミスを連発していた。おまけに楽器がピアノではなく木琴だったこともあり、恐怖を感じるよりもどういう反応をするべきか迷ったほどだ。

木琴特有の甲高く、途切れがちな音で奏でられるメリーさんの羊。演奏者の姿を見ていないのに、拙いながらも一生懸命弾こうとする姿勢が窺える。もしこれが幽霊だったら、なんとかして成仏させてやりたいものだ。正体を確かめようといざ音楽室に入ったら、急に頭上に何かが降ってきた。それが何か確認する前に布のような何かで顔をスッポリ覆われ、外そうと暴れていると何者かが首を絞めて押さえつけようとする。絶対にこれは幽霊ではないと確信すると、政宗に怒り以外の感情はなくなっていた。姿を暴き、利子をたっぷりとつけて返してやろうと決意していたときだった。

「毛利先輩、懐中電灯でこれを照らしちゃってください!」
「よ、よいだろう」

すぐ近くで聞こえてきた声に、政宗は一瞬苦しさを忘れた。自分をこんな目に遭わせている者の正体がわかると、頭が急激に冷やされていく感覚に陥っていく。

「Shit! いい加減にしやがれ!」
「へ……!?」

とりあえず、捜し人は見つかった。あまり嬉しくない再会の形で、だが。

続