中編 | ナノ

日常浸食

道場で稽古をしている政宗の姿は、なんだかんだ言いつつもやっぱりかっこよかった。一人で帰ってやろうとも思ったがそんな気分でもなくなったので、政宗の稽古が終わるのを大人しく待つことにした。決して佐助から七不思議を聞いて、一人で帰るのがちょっと怖くなったというわけではない。

邪魔にならないようにと道場の隅っこで縮こまりながら、少し離れた位置から政宗を見つめている。胴着を来た政宗の姿は、華那も学校ではあまり見たことがない。普段屋敷で稽古をしている姿はよく見かけるが、場所が変わるだけで少し新鮮な気分だった。見ているだけでも道場内に広がるピンと張りつめた空気が華那の肌に突き刺さるようだ。そんなはずもないのにビリビリと痛む。

しばらくすると稽古がひと段落したのか、道場内の空気が和らいでいくのがわかった。真剣な表情をしていた部員達の表情が綻んでいく。面を脱いだ政宗が華那を見つけ、華那は多少気まずい思いをしながらもヘラっと笑って見せた。悔しいが見惚れていたため少し頬が赤くなってしまっている。

政宗のことだからオレに見惚れていたのか? などとふざけたことを訊いてくるに違いない。華那が道場に顔出すといつもこうなのだ。そのたびに素直にかっこよかったと言うことができず、照れ隠しから思ってもいない憎まれ口を叩く羽目になる。しかし政宗は怒るどころか嬉しそうに笑っていた。

華那の性格など政宗にはお見通しで、それが彼女の本心ではないということを見抜いているからである。華那の本心は言葉の逆にあると理解しているからこそ、嬉しくて仕方がないのだ。一応華那とて頑張ろうとはしている。素直な気持ちを伝えれば、政宗はいつも以上に喜んでくれるに違いない。今日こそかっこよかったと言おう……そう決心するものの、上手くいった試しがない。憎まれ口を叩きながら、そのたびに内心ヘコんでいることは政宗には秘密である。脳内シミュレーションでは上手くいくのに、いざ本人を目の前にしたら思ってもいないことを勝手に言いだすこの口が憎い。

「華那、来てたのか?」
「ま、まあね。今日の部活はもう終わりなの?」
「ああ、ようやく終わったぜ。かったりィよな……さっさと帰ろうぜ」
「かったりィ……?」

華那は内心で首を傾げた。こう見えて政宗は部活動には力を入れている。授業がかったりィと言うのはいつものことだが、部活でかったりィと言ったことは華那が知る限りなかったはずだ。

聞き慣れない言葉に華那はすぐに言葉を返すことができない。そんな華那を放っておいて政宗はどんどん先に進んでいく。道場の入口付近でようやく振り返り、その場で動けずにいる華那に声をかけた。

「何やってんだよ、早く帰ろうぜ」
「あ、うん……?」

政宗も人の子だ。部活が面倒な日もあるだろう。このときは特に気にもせず、素直に政宗の言葉を受け入れる。だが何かが変だった。何が変なのかわからないまま、華那は慌てて政宗の後を追いかけた。

***

一番嫌な授業科目は何か。そう訊かれたら政宗は迷わず英語と即答する。長い間ずっとアメリカで暮らしていた政宗にとって、日本の英語の授業は子供のおままごとのようなレベルだった。ただただ英単語と文法を詰め込まれるだけの授業。日常で役立つかと問われれば役に立たないと即答してしまうほど。これなら英会話のほうが百倍役に立つ。

だから一時限目に英語の授業がある日はいつも以上に退屈だった。こういう日は前の席に座る華那をからかって遊ぶに限る。

それなのに、肝心の華那の姿がない。まだSHR前なので遅刻というわけではないが、彼女は大抵政宗よりも先に登校していることが多い。華那はああ見えて時間は守るタイプで、待ち合わせをすれば約束の十分前には到着している。逆に遥奈のほうが時間にルーズなのだが、まあそれは別にいいだろう。

政宗は始業チャイムギリギリに登校することが多いため、彼が教室に入ると自分の前の席には必ず華那がいた。が、華那の机には鞄すらない。まだ来ていない証拠だ。となると遅刻か病欠かそのどちらかだろう。遅刻なら笑い飛ばせるが、もし病欠だったら笑い飛ばすことはできない。彼女は一人暮らしなので非常に心配だ。帰りに華那の家に寄ってみるか……などと考えていたら、少し息を切らせた華那が教室に現れた。あの様子だと間違いなく寝坊して慌てて走ってきたに違いない。病欠ではないことに安堵しつつも、政宗は早速華那をからかうことにした。

「おはよう政宗!」
「Hello 珍しいな、寝坊でもしたのか?」
「ううん、寝坊はしてないよ。どうして?」

どうして、と訊かれると政宗も困る。いつも自分が教室に着くと必ず華那の姿がある、ただそれだけだ。なのに今日はいなかった。だからてっきり寝坊でもしたのかと思っただけなのだが……別に華那に何の非もない。

「いや、いつもオレより早く登校してるだろ? だからてっきり寝坊でもしたのかと思ってよ」
「私だってのんびり登校するときくらいあるよー」
「ま、そりゃそうだよな」

例えばニュース番組によくある朝の占いコーナーを見ていたとか。華那ならその可能性はありえそうだ。それともいつもより朝ごはんを食べるのが遅かったり、弁当を作る時間が長かったりなど、可能性はいくらでもある。それだけのことなのにどうしてこれほど強く拘ってしまうのだろう。

「それより政宗、今日学校の帰りにデートしよ?」

そう言って華那は街の情報誌を政宗の机の上に広げた。彼女が広げたページにはスイーツ特集と書かれてあり、今地元で評判のお店が何軒か紹介されている。その一つにマーカーでチェックが入っているものがあった。どうやら彼女はこのお店に行きたいらしい。

華那からデートの誘いなど滅多にないことなので非常に嬉しいのだが、生憎と今日も部活があるため行けそうにない。大会が近いためサボるわけにはいかないのだ。それでなくとも運動部は文科系の部活と違って簡単に休むということができない。

「悪いが今日も部活があるんだよ。今度の日曜じゃ駄目か?」
「ダメっ! 今日がいいの。今日政宗と一緒に行きたいの!」
「だから部活があるから無理だっつってんだろ」
「それなら部活なんて休めばいいじゃん!」
「……はぁ!?」

まさか華那の口からそのような言葉が飛び出すとは思いもせず、政宗はおもわず自分の耳を疑った。それでなくともデート一つでここまで粘る華那に戸惑いを隠せない。授業は嫌いだが部活は好きだ。華那もそんな政宗を理解しているのか、何も言わないで放課後部活が終わるのを待っていてくれる。

たまに道場に寄って、部活をこっそり見学しているときもある。そういうときは少しだけ見学して、何も言わずに道場を後にしていた。華那は政宗に内緒でこっそりと、と思っているようだが実はとっくに気がついている。きっと部活の邪魔にならないようにという彼女なりの配慮だろう。政宗がどれだけ真剣に部活に取り組んでいるか理解しているからこその行動に、政宗は素直に感謝していた。

が、目の前の華那は部活を休んででも今日デートをしたいと叫んでいる。もしかしたら彼女も色々我慢していたのかもしれない。当然といえば当然だ。政宗が逆の立場なら、仕方がないと思いつつもやはり寂しいものがある。しかし近々大事な大会が控えている今、部活を休むということだけはできない。仮にも自分は部長だ。部長がそんなことでは部員の士気にだって影響する。

「悪いが今は部活だ。大会が近いことは華那も知ってるだろ?」
「………知ってるけど」
「そうだな……早めに部活を切り上げてその店に行くっていうのじゃ駄目か?」

これが政宗にできる最大の譲歩だった。もしこれで駄目だと言われたら政宗にはどうすることもできない。口を尖らせ明らかに不満オーラを放つ華那の顔を、政宗は真っすぐに見つめた。

「………わかった。絶対だからね」
「Yes オレが華那との約束を破るわけねえだろうが」

まだ少し不満そうだが、先ほどよりは幾分かマシになったように見える。政宗が華那の頭に掌を乗せると、彼女は少し照れたのか頬を薄らと赤く染め上げた。話がひと段落したと思ったとき、丁度タイミングよく始業チャイムが学校中に鳴り響く。

もう少ししたら退屈な英語の授業が始まるだろう。今日は華那をからかって遊ぶのはやめよう。そんなことをして華那が不機嫌になり、放課後のデートの約束がなくなってしまうことは避けたかったからだ。

なんだかんだでオレも華那とのdateが楽しみなんだよな。

部活も好きだが、それと同じくらい華那とのデートも好きなのだ。政宗は退屈な授業は少しでも早く終わるようにと、机に突っ伏して夢の世界に旅立つことにした。

続