中編 | ナノ

毛利先輩の秘密の巻

校門を難なく飛び越えると、真っ暗な校舎が不気味に佇んでいた。校舎から少し離れた剣道場だけは灯りが点いており、そこから掛け声が聞こえてくる。もう夜も遅いというのに、まだ部活をやっているようだ。

政宗もいるかもしれない―――。そんなことを考えながら華那は人目に付かないよう忍び歩きで校舎に向かっていた。それを遥奈が少し離れたところから冷たい目で眺めている。遥奈だけでない。華那の後ろを歩く全員が、彼女の歩く姿を冷ややかに見つめていた。

華那の動きは泥棒のそれそのもので、音を立てないように細心の注意を払っている。逆に遥奈達はそこまでする必要性はないだろうと思っているわけだ。夜の学校といえどほとんど教師の姿はなく、見回りをしている教師にさえ見つからなければいいだけだからである。

「で、ここからどうするんだ? 昇降口の鍵は閉まってるぜ」

佐助の発言に、全員が足を止める。この時間だ。校舎に繋がる扉という扉は全て閉められており、おそらく外部からの侵入は不可能だろう。しかし校舎内に侵入しないことには何も始まらないので、なんとしてでも入る必要があるわけだが、事を荒立てる真似だけは避けたいもので。

「窓ガラスを割る!」
「壁をぶち破る!」
「な!? そんなこと我が許さぬぞ!」

やはり元生徒会長だけに、華那と元親の発言は許せなかったのだろう。声を荒げる元就に、華那と元親はブーブーと口を尖らせる。物騒なことを言い出す華那と元親の単細胞コンビを無視し、遥奈は溜息をつきながら一枚の窓ガラスに手をかけた。すると不思議なことに閉まっているはずの窓が、音も立てずに開いたのである。目を丸くさせる華那に対し、遥奈は涼しい表情を浮かべていた。

「予めこの窓だけ開けておいたのよ。私みたいな常識人がいてよかったわね」
「誰が常識人だ」

鍵を閉めていなかったら、見回りの教師が嫌でも気づく。教師が気づかなかったということは、鍵をかけたと見せかけていたということだ。鍵がかかりそうでかからないという、絶妙なポイントで固定する。遥奈の性格をよく表しているようだった。いくら常識をもっていても、こっちのほうが性質が悪い。

「あら。何か言った、元親?」

穏やかな微笑をたたえている遥奈の恐ろしさをよく知っている元親は、彼女から発せられている黒いオーラに腰が引けた。額に冷たい汗が流れ出る。

「すっかり尻に敷かれてるねー、鬼さんは」

そんな二人を見ながら、佐助は同情の声を呟いた。横では華那が不思議そうに首を傾げている。

「昔っからああなのかな、あの二人。そのへんはどうなんですか、毛利先輩」
「何故我に訊く?」
「だってあの二人を昔から知ってるのって、毛利先輩しかいないじゃないですか」

華那と佐助は高校からの付き合いであるため、二人の中学生時代を全く知らない。知っているのは二人とは小学校からの付き合いだという元就しかいないのだ。

「ムリムリ、毛利に訊いてもまともな答えが返ってくるわけないじゃん」

と、佐助は苦笑しながら右手をヒラヒラと動かした。どう見ても非友好的な毛利があの二人と仲が良いとは思えず、腐れ縁という言葉がしっくりとくる。一緒に行動したくなくても行き先が一緒だから仕方がなしに、といった具合だ。要は学校が同じで家が近いからなんとなく知っている、という感じである。

「ほらほら、さっさと行くよお二人さん」

窓枠に手をひょいと乗せて軽く跳躍し、柵でも飛び越えるような感じに佐助は校舎内へと侵入した。残りの四人もそれに続く。誰もがひょいひょいと中に侵入する中、遥奈だけが着地するのに失敗し派手に尻餅をついたことは、ここにいる全員は墓場まで持っていく必要があるだろう。しかし土足では不味いので、まずは下足室に向かい靴を履き替えることになった。

「で、どこに向かうのよ?」

靴を履き終え、予め持ってきていた懐中電灯のスイッチをオンにしながら、遥奈はこの肝試しのリーダーとも呼べる華那に訊ねた。すると何故か彼女は目を泳がせ、遥奈と目を合わせようとはしない。遥奈が目を細めながら疑いの眼差しを向けると、華那はますます身を小さくした。

「もしかして、知らないの!?」
「げ、声がでけぇぞ遥奈!」

廊下に反響してしまうほどの大声を上げた遥奈の口を慌てて塞ぎ、小さいながらも鋭い声で元親は彼女を咎める。遥奈の口を押さえるのに必死な元親の代わりに、佐助は言いにくそうにおずおずと口を開いた。

「そういや教室ってだけで、誰もどこの教室か知らねえんだよなー……。こうなりゃ闇雲に歩いてみるか?」
「闇雲だと!? これほど真っ暗な場所で闇雲に歩いたらどうなるかわかっておろうな!?」

佐助の提案に真っ先に食いついたのは意外にも元就だった。少し焦っているのか、若干早口になっている。慌てた元就など見たことがない華那と佐助は、意外なものを見るような目で彼を眺めている。

「どうしたんですか毛利先輩。真っ暗って言っても懐中電灯くらいありますし、それに真っ暗でも校舎だから何もないに決まってるじゃないですか」
「そ、そういうことではない! ただ真っ暗だと足元が危ういかもしれないだろう!」

慌てながらもそれを表に出すまいと必死に表情を繕っている毛利を見ていた佐助は、はっはーんと意味深な表情を浮かべる。一方元親は込み上げる笑いを必死に押さえ、遥奈はどうして元就を呼んだのか、その理由がようやくわかり呆れていた。

「いいこと教えてやるよ。このオクラはな……華那と違って怖いものがからっきし駄目なんだぜ!」
「ええ!?」

ついに我慢できなくなった元親が、お腹を抱えて笑いながら元就の秘密を暴露してしまった。信じられないと驚く華那に対し、佐助は「やっぱりね」とどこか納得した表情を浮かべている。

「長曾我部、貴様……!」

秘密をばらされた元就は、暗闇でもわかるくらい顔を真っ赤にさせ怒りを露にしていた。どんなものであれ自分の弱点は他人に知られたくない。ましてやそれが人一倍プライドの高い元就なら尚更だった。秘密をばらした元親は笑いが止まらないらしく、ヒィヒィ言いながらも何か言おうとするのだが、結局言えずまたヒィヒィ言ってそのうち酸欠になるのではという勢いだ。

「でもさぁ。いちえ〜ん、にえ〜んって数えるのはいいけど、なんでお金なの?」

素朴な疑問を華那は口にした。その疑問に佐助がどうでもいいような口調で答える。

「購買で十円足りないっつー経験でもしたんじゃねーの?」

確かにそれは悔しいなぁと、華那は佐助の意見に同意した。たかが十円、されど十円。あるときは然程気にも留めない金額だが、その分足りないときの悔しさは半端ないものである。

「てことは未練を残した悔しそうな声……こんな感じかな?」

よほどこのフレーズが気に入ったのか華那はオホンと咳払いすると、幽霊の声真似をして見せた。

いちえ〜ん………にえ〜ん………。

それがあまりにも上手すぎたために、佐助だけでなく残りの三人も目を丸くさせた。元就に至ってはビクッと肩が大きく震えていた。震えるほど怖いのに、それを悟られまいと虚勢を張っている元就を見て、元親のようやく収まりかけた笑いがまた込み上げてくる。

「へぇ。上手いじゃねーの、華那」
「今の私じゃないよ?」

どうせ私が言ったんじゃないと言って、自分を怖がらせようとしているのだろうと踏んでいた元親は余裕の笑みを浮かべていた。華那がこんなことを言い出すのはいつものことなのだ。イタズラを仕掛けるのが大好きな、彼女らしいお遊びである。だが横にいた遥奈の思いもよらぬ発言で、場の空気は一気に冷却された。

「今のは華那じゃないでしょ。口動いてなかったし」
「……………………ハィ?」

ピシリと音を立てて彼の笑みは凍りつく。

「だから私じゃないって言ってるのに」
「じゃあ今の声は誰…………?」

誰もが互いの顔を見合わせるが、誰もが首を横に振るばかり。元親は誰でもいいから縦に振れと涙目で訴えるが、悲しいことにそれでも首を縦に振る者はいなかった。そんな静かな恐怖に包まれる中、追い討ちを掛けるかのようにトドメを刺された。

ごえ〜ん………ろくえ〜ん……。

「お、おい。これも華那だよな!? 華那だよな!?」
「口動いてなかったの見てたでしょ!? 私じゃないですよ!」

元親の目は例え華那でなくてもいいから自分だと言ってくれと懇願しているように見える。だが余裕がないのは元親だけでなく、華那も一緒だった。故に華那は全力で否定することしかできず、それが結果的に更に元親の余裕を奪っていった。妙な沈黙が不気味な静けさに拍車をかける。何か喋ろうと思うのだが、何を喋ればいいのかわからず、それがまたこの沈黙を重くしていた。静かだと先ほどから聞こえてくる不気味な声もよりクリアに聞こえる。

ななえ〜ん……はちえ〜ん……きゅうえ〜ん……。

「……きゅ、九円まで言っちゃったよ?」

噂では上限は十円で、次がその十円である。噂どおりなら恐ろしいことがもうすぐ起こってしまう。華那はゴクリと息を呑んだ。

じゅうえんたりな〜い……。

「だぁああああ! ……って、あれ?」

瞬間、華那が凄まじい叫び声を上げた。目をギュッと瞑り、南無南無と拝み倒す。しかししばらくしても特に何も感じない。華那は恐る恐る目を開けた。キョロキョロと左右を見回すが何もいないし、変わったところもない。確かに声には驚いたが、何も起きていないとわかると華那はホッと安堵した。やっぱり誰かのイタズラだったのか。遥奈あたりならやりそうだな。

「……もう、声が聞こえたからビックリしたけど、よかったァ。ところでどしたの、みんな?」

何故か華那を複雑そうな目で見ている遥奈、元親、佐助、元就。元親はわなわなと身体を震わせているし、元就は暗闇でもはっきりとわかるほど顔が真っ青だ。佐助もどうしたらいいのかわからず口を半開き、遥奈も開いた口が塞がらない。

「……あれ? なんか急に肩が重い……」

右肩を怪訝そうに擦りながら、華那は何気なく後ろを振り返った。すると大きく目を見開き、恨めしそうにこちらを見ている女性と目が合う。あまりの至近距離とその形相に、華那は足元から寒気が這い上がってくるのを感じた。ゆっくりと痺れてくる思考回路に、そうか、みんなはこの人を見て固まっていたのかと、どういうわけか冷静に分析する自分がいた。いや、それよりもまず重要なことがあるだろう。

―――トコロデアナタ誰デスカ?

「……で、出たァァアアア!」

続