中編 | ナノ

愛は値段じゃないと先人は言いました

「Hey! いきなり何しやがるんだ小十郎!?」
「……あ、帰ってきた」

私と成実は、揃ってこう呟いた。客間でズズズ……とお茶を飲んでいたら、玄関のほうで悲痛な声が聞こえてきた。その声は随分と聞き慣れたもののように思える。と、しばらくしないうちにその声の主の足音が響き渡る。段々と音が大きくなってきていることから、声の主はこちらに近づいているのだろう。

いつもと違って随分と乱暴な足音だ。しかしその足音は途中でピタリと止んだ。いや、止んだわけではない。逆に遠ざかっているのである。足音が遠ざかるということは、声の主がこの部屋から離れているということ。

「小十郎に捕まりかけたところを避けて逃げ出したけど……捕まったのね」
「んでもって、ズルズルと引っ張られてんだろうな……」

静かに呟くと、再びズズズ……とお茶を啜った。庭にある鹿威しが気持ちの良い音を鳴らす。一歩外に踏み出せばピリピリと殺伐とした空気が漂っているというのに、この部屋だけはやけに和やかだ。政宗を待っている間にと出されたお茶とお茶請けの和菓子が実に美味で、私と成実はその美味しさに舌を唸らせている真っ最中だったのだ。

「なーんか、もうどうでもよくなるよね……何しにきたんだろ私」
「何しにきたってそりゃ、俺にチョコを渡すためでしょうが。つかいい加減くれ」

あ、そうだチョコだ。さっきまで愛の宅配便屋さんだったんだよね、私ってば。忘れ去られたように隅っこに追いやられていた紙袋を手探りで引き寄せ、ゴソゴソと中を引っ掻きまわす。

「お、あった」
「なになにー。華那はどんなチョコをくれるのー?」

紙袋の中からちょっと大きめの箱を取り出し、それを成実の前に差し出す。バレンタインにちなんだハート柄の包装紙で包まれているため、成実からは中身がどんなものか窺うことはできない。期待の眼差しを向ける成実に「開けてみて」と言うと、彼は喜んで早速開けにかかった。子供のようにビリビリと包装紙を破り、中から現れた白い箱の蓋を開ける。すると面白いことに、彼の目が点になった。

「………………華那、これ何?」
「チョコだよ」

成実は「いやまぁ確かにチョコだけどさー……」と、すっごく小さな声で呟いた。どうしたらいいかわからない彼は、とりあえず無言で箱を閉じた。私はさらに言葉を続ける。

「一人一個。だから成実も一個だけだよ」
「一人一個って俺これ!? これだけェ!?」

納得がいかない。成実の悲痛な叫び声は、そんなふうに聞こえた。

「―――Hey 華那! テメェ、よくもこの俺を小十郎に売りやがったな!」
「売ったではありませんぞ政宗様! 常日頃申し上げているように、政宗様には落ち着きというものが足りないッ!」

スパーンと勢いよく襖が開いたと思ったら、いきなりこんな怒号サラウンドが聞こえてきたじゃありませんか。ああもう煩い、あんた達が一番煩いよ。どうやら小十郎のお説教を途中で逃げ出した政宗と、そんな彼を後ろから追いかけてきた小十郎の二人が、幸か不幸かこの部屋に辿り着いてしまったらしい。

なんでこのタイミグでくるの……。誰が悪いかって訊かれれば、そりゃ校内でケンカした挙句ガラスを割った政宗が悪い。政宗は自分からケンカを売るような馬鹿な真似は決してしない。が、売られたケンカは利子をつけて(しかも十一)返す主義なのだ。ケンカで学校の備品を壊しても彼曰く、「これくらいで済んだんだ、ラッキーと思え」と仰る。で、毎回のように職員室に呼び出されてお説教。こんなやつがよくもまぁ生徒会長なんかしてるよなー……。

「Ah? Hey 成実。その手に持ってるヤツは……華那のchocoか!?」

目敏いことに成実が手に持っていた箱を見つけた政宗は、強引に引っ手繰るようにして彼から箱を奪った。放心状態だった成実は抵抗する素振りも見せず、政宗のなすがまま。抵抗しない成実を怪訝に思いつつも、政宗は箱を開け……やっぱり成実と同じように目が点になった。お、これってもしかしなくてもレアショットじゃね!? 目が点だった政宗だったが、数秒後、彼の口からは大きな笑い声が飛び出した。

「な、なんだよこれ……!」

笑いながら「華那、niceだぜ……!」と、政宗は私にグッジョブサインを出した。これって喜ぶべきところなのか?

「真田や猿以下のchocoか。Ha! やっぱオメェは最高の女だぜ、華那」
「幸村や佐助以下って……あんた知ってたの?」

二人に板チョコをあげたことは政宗には秘密にしておいたのに、さては二人とも政宗にチクったな。嫉妬深い政宗に、義理とはいえチョコをあげたことがバレると後々厄介だと思ったから、ここはあえて秘密にしようとしていたのに。特にあげる相手が相手なだけに、絶対なにか一悶着起こるような気がしたんだ。

「なにが最高なんだよ! しかも話を聞いてる分じゃ俺の扱いは「以下」!? 何に対しての以下なわけ!?」
「七十八円の板chocoと比べてだ」
「七十八円!?」

佐助……板チョコという事実だけじゃなく、その値段も暴露していたか。さて、ここらあたりで状況の説明でも致しましょうか。私が成実にあげたチョコ、それはスーパーとかでよく売ってる、小さな四角いチョコの詰め合わせだったのです。バレンタイン専用なのか、ご丁寧に箱に入って包装紙に包まれていたところを、私が買ったわけですね。いつもなら袋に入っているチョコも、箱と包装紙でえらく立派に化けました。

一人一個というのは、これは成実だけにあげるつもりじゃないから。伊達組の人達にあげるつもりで買ったから、成実には悪いけど一人一個って言った。沢山入って三百円するかしないかだから、政宗の言うとおり七十八円のチョコ以下の価値に値する。大量生産の時代に相応しいチョコでしょう。

「最悪、俺の価値は一桁に値するのか……?」
「恨むなら、去年こんなチョコがいいって注文しなかった自分を恨んでください」

部屋の隅っこで三角座りしながら「の」の字を書き出した成実は無視して、私はようやく笑いが収まった政宗に向き直る。彼は「やっと俺の番か」みたいな顔をしながら、私の次の行動を待ってくれていた。正直、やっぱり緊張する。そりゃ今までの義理とはわけが違うもの。政宗は特別だから、その分チョコに込めた想いも特別なんだ。特別だからこそ緊張する。特別だからこそ拒絶されるのが、怖い。落ち着け速まるな私の心臓。

「……えーとですね、政宗サン」

今までどおりチョコを渡せばいいだけじゃない。はいどーぞって渡せばいいだけなのに。なんで肝心なときに、そんな単純なことができなくなるんだろう。心なしか表情が硬いであろう私を、面白そうな顔(ムカツク)で見下ろす政宗。でもその面白そうな表情の中に真面目さを感じるのは何故だろう。

そんな中、小十郎と成実は私達の様子を、ただ黙って見守っている。つかなんでこんなにギャラリーがいる中で渡さなくちゃいけないんだろう。ちょっとは気を使えよお前ら。特に成実。ニヤニヤした笑みを引っ込めてはくれないだろうか。さっきみたいに部屋の隅っこで丸まっとけ。

「………私からのチョコ、受け取ってくれますか?」

丁寧にラッピングしたチョコをぎこちない動作で差し出した。くっそ、恥ずかしいじゃない。

「……Thank you」

優しい穏やかな顔で受け取ってくれた政宗が直視できなくなって、私はサッと俯いた。その顔は反則じゃないだろうかと、心の中で文句を言ってみたり。

「そんでこれは小十郎に」

丁寧にラッピングされたもう一つのチョコを小十郎に差し出す。まさか自分の分があるとは考えてもいなかったんだろう。小十郎はちょっとびっくりしつつも「ああ、ありがとう」と言って受け取ってくれた。こっちも優しい笑みを浮かべちゃったもんだから、私はなんだか恥ずかしくなって、「ハハハ……」とぎこちなく笑うことしかできない。

部屋全体が和やかな空気に包まれかけていたときだった。政宗が「What!?」と、素っ頓狂な声を上げたもんだから、私達は何事かと彼のほうに目をやった。彼の足元にはチョコを包んでいた包装紙が無造作に落ちている。それだけで何が起きたのか察した私は、怪訝そうに政宗を見ている二人の横をソロリとすり抜け、忍び足で襖に歩み寄った。ヤバイヤバイ、このままここにいると命がなくなっちゃうかもしれないよー?

「……Wait」

この待てっていうのは、きっと私に向けて言った言葉だろう。政宗の地を這うような声に、私の身体は自分が思っていた以上に素直に反応してしまった。襖に手をかけた状態で、私の身体は硬直したかのように動かない。動いてくれないのだ。

「……こりゃ一体なんのjokeだ?」

政宗の顔が怖くて、後ろを振り向くことすらできない。だって空気が違うんだもん。ピリピリとした見えない何かが、でも確かに私の目にははっきりと見えているんだよォォオオオ。

「………何って、チョコじゃん?」
「ほう……。確かにこりゃchocoだな。でもオレの目には真田や猿にやった、あの、七十八円の板chocoに見えるんだけどなァ……?」

なんか、七十八円と板チョコって部分をやたらと強調したように聞こえたぞ。それとなんでわざわざはっきりと区切って言ったんだ。私への嫌がらせか?

「まさかこれがオレへのvalentine's chocoって言うんじゃねぇだろうな……?」
「え、え〜と……」

ヤバイ。目が完全に泳いでいる。手足がガタガタと震えだした。

「……よくわかったぜ。華那のオレへの気持ちは七十八円ってことか」
「そ、それはァ……」

あ、脂汗が浮かんできた。

「今まで散々愛してやったつもりだったが、そうか……。あんなもんじゃまだまだ満足してねぇってことか」
「いやいや、あれは十分すぎるモノでしたよ?」

あれ以上やられたら、私ヤバイんじゃない? ただでさえ今も何かされるたびに心臓が口から飛び出そうになるんだし。否、今はそんなことを考えている場合ではない。今は私の本能が告げるどおりに行動すべきなんじゃないだろうか。身体全体が発する警鐘に、素直に従うべきなのでは!? 

なら簡単だ。何をすればいいか、至極簡単なことじゃないか。うん、「せーの」で行動しよう。…………せーのッ!

「なんかよくわかんないけどごめんなさァァアアアい!」
「待ちやがれ!」

スパーンッと襖を開け放つと同時に、私は全力疾走した。長い廊下を全速力で駆け出す。が、私の行動を予想していた政宗は、すぐさま私の後ろを追いかけてきた。まじで怖いんですけど!

「………政宗のやつも手作りチョコじゃなかったんだね」
「………みたいだな。しかも七十八円のチョコ……」
「政宗のやつ、華那からもらうチョコは絶対に手作りだって確信してたから、ありゃ相当ショックだったに違いねぇぞ」

二人の姿が見えなくなった廊下を見ながら、小十郎と成実は揃って溜息をついた。小十郎は自分のチョコも政宗と同じなんだろうと思いながら、呆れた顔をしながら包装紙を破いていく。しかし、ここで小十郎の予想は大きく外れた。中から現れたものを見て、少しばかり目を丸くさせる。その様子に気づいた成実は小十郎が見ているソレに視線を移し、そして彼と同じように目を丸くさせた。

「………これってさ、どう見ても普通のバレンタインチョコじゃね?」
「………あ、ああ」

小十郎と成実が見ているソレは、政宗や成実がもらったような百円以下のチョコではなく、バレンタインチョコ売り場に売っていそうな、普通に箱詰めされたチョコだったのだ。小さな箱とはいえども、これくらいなら千円はくだらないだろう。

「………政宗には内緒にしてたほうがよくね、これ?」
「………そうだな。政宗様が華那を捕獲する前に食っちまうか」

―――証拠隠滅。

「だからゴメンって謝ってるじゃん! 小十郎のチョコ買ったらお金なくなったんだよォォオオオ!」
「Shit! なんでそこで小十郎なんだ!? 華那、お前小十郎にどんなchocoをやったんだ、アァ!?」

―――残念ながら、バレちゃったり。

続