中編 | ナノ

目の錯覚だと思い込むべし

瞳に移るはいつもと違う彼女。オレの知っている彼女じゃなかった

***

とにかく、誰にも邪魔されたくなかった。誰にもとはオレと華那以外の奴全て。このときばかりは小十郎にさえ邪魔されたくなかったのだ。華那には知られたくなかったが、彼女以上にオレは華那と過ごすクリスマスを楽しみにしていた。恥ずかしいが頭の中で何度もシミュレーションしたり、どの店がいいのかと調べたりしていたくらいだ。

こんなこと口が裂けても言えやしねぇ。なのにどうだ、オレの計画は実行する前に潰れてしまった。本音は組の仕事なんか放っておいて、華那とクリスマスを過ごしたかった。というより仕事を放り出してしまおうと画策していたのだ。

しかしオレの行動を予想していたらしい小十郎に捕まり、オレは会いたくもない連中と会い、話したくない連中とつまらねぇ会議をやる羽目になってしまった。堂々巡りという言葉が相応しいくらいに会議は一向に進展せず、たった一つの議題で三日もかかっちまったしよ……。

最終的には面倒臭くなったオレの一喝によって会議は幕を閉じた。これには小十郎も呆れ果てたように、長い溜息をついていたな。何人もいた大の大人が、オレのようなガキにビビッてたんだぜ? オレは面白かったけどな。

とにかく今日はクリスマス。今から帰ればなんとか華那に会える。一日中は無理だったが夜くらいなら一緒に過ごせるだろう。オレは期待で胸を躍らせながら、小十郎が運転する車の中で焦れていた。信号で止まるたびに舌打ちし、目の前を走る車にさえ速く走れとイライラする。

華那とクリスマスを過ごす準備は既に整っていた。予め店に電話しておいたし、その後の予定もバッチリだ。華那の驚く顔が目に浮かぶ。あいつのマヌケ面を想像しただけで、オレの口元は自然と上がっていたらしい。ミラー越しに俺の表情が見えたらしい小十郎が声をかけてきた。

「どうかされましたか?」
「Ah?」
「先ほどから百面相並みに表情が変わっていらしたので」

いくらなんでも百面相はないだろう。小十郎の言葉に苦笑いで返すと、オレは窓の外に視線を移す。時刻的に考えればまだ夕方だというのに、外はすっかり真っ暗だ。街道はイルミネーションで輝き、そこだけがまるで光の海のように思える。道を歩く人はみんな満面の笑みを浮かべていて、その中の一組のカップルに目が留まった。本来ならオレも今頃、華那とあのように過ごしているはずだったのだ。悔しいがあのカップルが少し羨ましい。

次に目に入ったのは、手を繋いで歩く親子の姿だった。自分が与えられなかったものを与えられて、子供だけでなく親もまた幸せそうに微笑んでいる。自分には一生縁のない光景だと思うと、ないはずの右目の奥が鈍く疼いた。今日は眼帯をしていないので、サングラスを外し手で隠すように右目を押さえつける。吹っ切ったはずだろ? なのに何故いまさら出て来るんだよ!?

「……今日は折角のクリスマスだっていうのによ」
「そういえば………政宗様?」
「なんだ?」
「冬休みに入られてから、華那と一度も連絡を取っていないようでしたが……大丈夫ですか?」

そこでオレは自分の盲点に気づいた。いくら仕事とはいえ、華那と一度も連絡を取れていないのだ。オレが仕事で遠出していることすら知らない彼女は、いま何を思い過ごしているのか。最悪、メチャクチャ怒っている可能性が高い。

今日もオレの知らないところで、オレの知らないやつと過ごしていることだってあるのだ。オレの知らないところでオレの知らない表情を浮かべて、オレの知らない声で話す華那を想像しただけで、言いようのない焦燥感にも似た醜い感情が蛇のようにのた打ち回る。嫉妬は人を惑わし殺すとはよく言ったものだ。

「………ん?」
「どうした、小十郎?」
「あれは……華那ではありませんか?」
「華那だと?」

小十郎に車を止めさせると、身を乗り出し前方を確認する。すると友達らしい女と別れている華那の姿が目に入った。見たことのない女だ、高校の女友達じゃねぇとすると中学校か小学校か。とにかく真田や猿じゃなかったことに密かに安堵した。長曾我部に関しちゃアイツも今頃、遥奈とクリスマスを過ごしていると思うのでノーマークだ。しかしふと浮かんだ光景は荷物持ちをさせられて街を歩く姿である。……いつもと変わらねぇじゃねぇか。

「小十郎、ゆっくり後をつけろ。華那に気づかれねぇようにな」
「……それでは誘拐となんら変わらないように思えますが」

オレがこれから何をしようとしているかわかった小十郎は眉を顰める。ゆっくりと車を前進させ、華那との距離をゆっくりと縮めていく。すると華那は足を止め、こちらを振り向いた。今が絶好のチャンスだろう。

華那は車が通過すると思っていたらしいが(当たり前か)、オレは車のドアを開けると華那の腕を掴み、強引にこちらに引き寄せる。わけのわからないことや奇声を発しながら暴れる華那の腰を抱き寄せると、ふわりといい匂いがした。やっぱりこいつの傍は落ち着くな……。オレは無意識に頭に唇を寄せ、そっと口付ける。………しかしこいつ、煩ェからいい加減黙らすか(誰が誘拐犯だ)。

屋敷に着くと既に車の手配はできていた。こういうところはさすがとしか言いようがねぇ。向こうで免許はとってあるので、こっちでも運転くらいならでくるはずだ。制限がある免許といっても免許には変わりないからな。なのに華那のヤツ、オレの運転技術を信用していないのか、オレの運転する車には乗りたくねぇと言いやがる。それどころか小十郎に運転してもらおうと言い出す始末。なんでそこで小十郎なんだよ。

冷静に考えれば当たり前だが、そのときはそこまで頭が回らなかった。小十郎に運転なんかさせたらオレの計画が台無しだ。あーだこーだぬかす華那を無理やり車に押し込ませ、即座にオレも中に身を滑り込ませる。華那の口から文句が飛び出す前に、オレは有無を言わさず車を急発進させた―――。

***

予め連絡しておいた店に着くなり、華那は丸い目をさらに丸くさせた。何をそんなに驚くのか理解できない。店員に華那を預けている間、オレは店内をゆっくり見て回ることにした。貸切にしたおかげで店内は静かだった。余計な雑音もなく、ゆったりとしたBGMが流れるだけ。お、このジャケットいいな。

「かっかかかっ……貸し切りィ!?」

ジャケットを手に取り触り心地を確かめていたオレの手がピタリと止まる。店中に華那のマヌケな大声が響き渡り、オレの横にいた店員は苦笑していた。どういうわけかオレも恥ずかしくなり、「なんつー声だしてんだ、馬鹿」と言ってやろうと華那のほうを振り向き……言葉を失った。正確には言葉は途中で消えてしまっただけだが。

開いた口が塞がらない。というのはきっとこういうときにこそ使う言葉なのだろう。華那の姿を見ただけなのに、二の句が続かない。その姿に目を奪われたからだ。普段のじゃじゃ馬の姿はどこへやら。今の華那は誰の目から見てもおしとやかな女そのものだった。物腰も柔らかく、どこぞの令嬢のよう。今回ばかりは可愛いではなく、綺麗としか表現しようがない。

こういう服を着慣れていないせいか、いつもの元気が感じられず今にも消えてしまいそうなほど儚い。あの華奢な腕のどこにあれほどまでの怪力があるのか、柄にもねぇが一瞬疑っちまったほどだ。見ているだけで自分の顔が熱くなっていくのがわかる。ついには見ることすらできなくなり、オレは口元を手で覆いながら顔を逸らした。本心とは別に口は皮肉な発言が飛び出すと思いきや、どうやら言葉すら出てこないらしい。

店員も俺の好みと華那のスタイルをこの短時間で見事合わせ、選んだドレスやアクセサリー全てが既に華那の一部となっている。これなら文句ねぇ、全て買って華那にプレゼントしよう。値段なんか最初っから気にしちゃいねぇしな。だが自分の知っている華那じゃないような気がして、どういうわけか激しい動揺を覚えた。

オレの知らない華那は華那じゃないと、そんな子供じみた独占欲に似た何かが、オレの全身を駆け巡っていく。これはなんだ? 独占欲か、焦りか、嫉妬か? それともまた別のものか?

「どういうこと政宗? 貸し切りにしたって……お金持ちって妙なところで無駄金使うよね! その心理、全然理解できないんですけど」

慣れていないであろうハイヒールで、おぼつかない足取りでオレの下へと歩み寄る華那。足でも捻るんじゃねぇかってほど危なっかしい足取りで、見ているオレの心臓にも悪い。どんなに着飾っても、華やかになっても、やっぱり華那は華那だ。そうだ、見せ掛けだけのヤツなら、オレは腐るほど見てきたはずだ。外見だけを派手に着飾って人を欺き、相手の肩書きに惹かれ近づくやつをオレは腐るほど見てきたはずじゃねぇか。華那は違う。どんなに着飾っても、美しくなっても中身はこれっぽっちも変わっちゃいねぇ。何を動揺していたのか。

「どうしたの、政宗?」
「なんでもねぇよ。ただ……」
「ただ?」
「馬子にも衣装だと思っただけだ」

どうやら、いつもの調子を取り戻したらしい。

続