中編 | ナノ

ときに甘酸っぱく、ときにほろ苦く

独りを知っている人は、一人になることを極端に恐れる。親しい人が離れていることに、異常なほど敏感になってしまうのだ。それは独占欲というもので、離れていこうとする人を痛々しいほどに縛り付ける。

***

突然の再会に喜んでいた。昔仲が良かった友達との再会。これを喜ばない人間がどこにいる。当然のように私も浮かれた。お互い外見がすっかり変わっていて、顔を見ても誰かわからないほどだった。向こうは私の顔わかったみたいだけど、なに、そんなに私変わってない? 政宗と再会したときにも同じこと言われたくらいだ。お互い「一目見てわかった」なんてさ。高校生にもなったのに、私は小学生の頃のまんまってこと?

「お前ほんっと変わってないよなー」
「まだ言うか!」

賑やかな喧騒が支配する繁華街。大勢の人達に紛れて、華那と遥奈の姿があった。突然の再会に喜んだ数日後、休日を利用して遊びに出かけている最中である。というのはあくまで遥奈の見解で、華那はただ頼まれて街の案内をしているにすぎない。道中の会話はきまって昔のことで、あんなことやこんなことをしたという、いま思えば恥ずかしい過去がさっきから浮き彫りになっていた。

「だって一目見ただけでわかったんだぜ。ちっとは成長しろよなー」
「これでも十分成長してるんですー。余計なお世話よ」

なにも知らない人が見れば、さながらカップルのように見えるのかもしれない。だが一つ奇妙なことがあった。それは二人の距離である。先ほどから華那が少しだけ遥奈と距離を置いていた。カップルでもないのに不用意に近づかなくてもいい、というのが彼女の心情である。あくまで旧友と遊びにきただけ、変に意識しなくてもいいと思っているのに、頭では別のことを考えてしまう。

「なぁ、昔から音城至のこと好きだったって言ったらどうする?」
「音城至、俺ら付き合わねーか?」

この言葉が華那の頭から離れず、ずっと繰り返し、それこそまるで呪詛のように響き続けていた。政宗以外の男性から「好き」という言葉を聞いたことがなかった。それゆえに激しく動揺した自分が情けない。ヒュッと息が詰まり、上手く呼吸ができない。心音も聞こえてしまうのではないかというくらい大きく高鳴る。

「あ……と……その、冗談、だよね?」

アハハとぎこちない笑顔を浮かべながら、華那は困ったように頭を掻いた。誰の目から見ても無理して笑っているのがバレバレで、さっきの告白をなかったことにしたいという気持ちが透けるように見える。

助けを求めて政宗の姿を目で捜すが、さっきまでここにいたはずの彼が見当たらない。政宗がいたら、彼と付き合っているとでも言って逃げようと思っていたのに……。そこで華那はハッと気づいた。いま、私なんて考えていた? 逃げようと思っていたのに。それは遥奈の告白を完全になかったことにしようとしているという意だ。いまならまだ聞き間違いだと、突然再会した喜びを好きという気持ちと錯覚しているだけと誤魔化せる。

でもそれは一番やってはいけないことだ。たとえ冗談だったとしても、これでは彼が納得できる応えになっていない。どんな応えだったとしても、自分の本心を伝えないことには意味が無い。

「あ、あのね、私ね」
「―――ま、返事は今すぐじゃなくてもいいよ。それよか今度の休みヒマだろ? この街案内してくんねーか?」

政宗と付き合っているから付き合えない、と言おうとしたところで遥奈に遮られた。まるで聞きたくないと言わんばかりに、華那は呆然とすることしかできない。

「……そ、それよか!? じゃなくてなんで私に頼むのよ! 街の案内なんてそこらへんにいる女子がやってくれるでしょ? 遥奈モテてるみたいだしさ」

遥奈の変わりように華那は若干着いていけなくなっていた。さっきの告白を流し、いつもの雰囲気に戻っている。そもそも自分の告白を、「それよか」で片付けたことに華那は驚きを隠せない。照れ隠しかと疑ったが、それにしてははっきりとした口調で淀みが無い。

「この街に引っ越してきたばっかで、右の左もわかんねーんだよ。案内くらいしてくれたっていいだろ?」
「だから別に私じゃなくてもさー……」

休日に二人で街を歩くなんて。案内という口実があっても、それはまるでデートのようじゃないか。そんな思いがあるため、華那はなんとか遥奈の申し出を断ろうと必死だった。しかし彼は華那の心を見透かしたように、「それに……」と含みを帯びた視線で彼女を見つめた。

「返事を聞いてなくても、デートくらいはしてくれたっていいだろ?」

という半ば押し切られる形で、華那は遥奈に街を案内することになったのだった。遥奈に街を案内している最中のことである。華那はあることを思い出し、クスッと小さく笑った。隣を歩いていた遥奈がそんな彼女の様子を見落とすはずがなく、当然のように「なに思い出し笑いをしてるんだ?」と訊いてきた。華那は苦笑しながらも、おずおずと話を切り出すことにした。

「一年くらい前かな。政宗がこの街に戻ってきたとき、同じように案内したの。そんときはエライ目に遭ってさ、もう大変だったのよ。案内している人の言うこと聞くものでしょ、普通? なのにいつの間にかどっちが案内しているかわかんなくなって……」

あのときは最後まで政宗に振り回されたが、いまとなってはそれもよい思い出の一つだ。政宗の気分一つで行き先もコロコロと変わり、帰宅する頃には身体がクタクタになったほどである。もしかしたら、あれが初めて二人っきりで遊びに行ったことになるのかな?

「……政宗って音城至の後ろの席の野郎か?」
「うん、そう。うちの学校じゃ超有名人」
「……仲、いいのか?」
「まぁね。なんたって幼馴染だし」

ここで彼氏と言えなかったあたり、自分も弱い人間だと思い知らされた。いまここで言ってしまうのは、なんだか気が引けてしまう。今日はあくまでも友達と遊ぶという感覚できているのだ、あの話はできれば忘れたい。ただ純粋に、あの頃のように接していたいと願ってしまうのは我侭なのだろうか。

「幼馴染……。でも俺、あんなやつ知らねーぞ?」
「そりゃそうだよ。ずっとアメリカ暮らししてたから。帰ってきたのは一年前だし。そういえば政宗と再会したのも今日みたいな休日だったんだよね。あのとき遥奈が言った言葉、あれね、政宗にも言われたんだよ」
「俺なんか言ったか?」
「言ったじゃん。全然変わってないって。一目でわかったって」
「そういやそうだな……」

そう呟いた遥奈の表情には暗い影は見え隠れしていた。しかし屈託のない笑顔で話をしている華那は気づかない。華那が話せば話すほど、遥奈の表情の影が濃くなっているのに、話に夢中になっている彼女は気づくことができなかった。

―――俺が感じたことと全く同じことを、その政宗って野郎も感じてたのか?

遥奈が華那のことを一目でわかったのには理由があった。彼が言ったとおり、一目見てすぐに華那だとわかった。しかしそれは長年彼女を忘れなかったせいである。華那のようになんとも思っていない人間の顔などすぐに忘れる。しかし本当に気になっている、または忘れたくないと思う人の顔は忘れないものだ。

この学校に転入して、二年A組になって。そこにずっと忘れずにいた女の子がいた。こんな偶然そうそうあるものではない。何度も転校を繰り返しているうちに、次第にあまりクラスに馴染まないようにしている自分がいた。仲良くなっても、どうせいつもみたいにまた転校する。そうなると二度と会えない率のほうが高い。

昔は今のように、誰もがケータイを持っているわけではなかったから尚更だ。誰とでもそれなりに付き合うが、所詮はそれなりだ。上辺だけの付き合いで、誰とでもソツなく付き合える子。転校してしまえば自然と忘れられる存在。それが遥奈という男であった。

が、この学校に転入してからというもの、その考えは消え失せた。もう一度彼女に会えた、その喜びが彼を大きくさせていたのだ。あのカフェで再会したときは、もしかしたらという疑念の段階だった。ちゃんと顔を見たわけではないから、あやふやだったのだ。だが翌日の学校で確信に変わる。もう二度と会えないと思っていたのに、また会えた。この偶然をなんと呼ぼう。だけど音城至は俺を見ていない。

こうして隣にいる今も、彼女は「政宗」の話ばかりしている。おそらく華那自体は気づいていない。「政宗」の話をしているときの華那は本当に活き活きとしていた。屈託のない無邪気な笑顔。遥奈が一番印象に残っていたあの笑顔だ。何年経っても忘れられなかった笑顔。でもその笑顔の先にいるのは―――きっと俺じゃない。

「どうしたの遥奈? さっきから黙っちゃって」
「いや、なんでも………」

視線をフラフラとさ迷わせていると、人混みの中で見知った顔が見えた。向こうは自分達に気づいておらず、こちらとは逆方向を向いている。チラリと横目で華那を窺うと、彼女も遥奈の先にあるものに気づいていない様子だった。仮に気づいているとすれば、何かしら顔に出る。これくらいなら―――許される、よな?

「華那、行こうぜ。俺行きたいとこあるんだ」
「うん、いいよ。どこどこ?」

少し大きめの声で華那の名を呼び、人混みを避けるようにそっと彼女の肩を抱き寄せた。たまたま通行人とぶつかりそうになっていたこともあって、華那は彼の行動を咎めるでなくむしろ感謝した。

小学生からの付き合いという油断もあったのだろう。子供の頃から見知っているが故に、あまり不快感を感じなかったのだ。華那はニッコリと笑って、遥奈にありがとうと呟く。遥奈は気づいた。しかし華那は気づかなかった。

二人の様子を、一部始終を。少し離れた場所で、政宗が愕然とした表情で見ていたことに。

気づいたアナタ。気づかないワタシ。ゆっくりと広まっていく、ワタシとアナタの距離。

続