ジーザスジーザスジーザス!!! | ナノ


「ただいまー……」

ドアを開けても誰もいない。慣れているはずなのに、ときどき寂しさが襲ってきた。夜なんかに帰ってくると部屋は真っ暗で、明かりが点いてない一軒家はちょっとばかり不気味だったりする。最初の頃はそんな生活に慣れなくて、夜遅くに帰宅すると分かれば、わざと電気を点けて家を出たくらいだ。いま思えば地球に優しくない生活を送ってたな私……。

ドアを潜るとキッチンからいい匂いが漂ってくる。懐かしいな、お母さんがキッチンでご飯を作ってて、「今日のご飯は何?」とよく訊いたものだ。夕暮れ時にそこらじゅうから夕食の匂いが漂うが、あれも一人暮らしの身からすれば結構なダメージなんだよね。羨ましいとか淋しいとか、色々な感情が噴出すから。

「今日のご飯は何? ……なんてね」

言ってて虚しくなってきた。ありもしないごっこ遊びなんて、とっくの昔に卒業したはずなんだけどな。

「……しっかしほんといい匂いね。窓、開けっ放しにしちゃったかな?」

リビングのドアを開けながら、でも確かに閉めて出たはずなんだけどなーと、この歳でボケが始まっていないことを切実に願っていた。忘れっぽいとボケじゃ、周囲の扱いが違うのよ。

「お隣、今日はハンバーグかァ……。くぅ、羨ましい!」
「よくわかったね。華那は本当にハンバーグが好きだなあ」
「そりゃ鼻に関しちゃ自信あるもん。一人暮らしをしているとね、匂いに敏感になるんだよ」
「へぇ、そうなのかい?」

………ちょっとここで、暫し再確認タイムに入りたいと思います。冒頭から「一人暮らし」を強調してきましたよね、私。一人暮らしということは、この家には私以外存在してはならないのです。私の独り言に合いの手をいれちゃあ駄目なんですッ!

「………まさか、泥棒か!?」

うちには野球好きな兄とか弟とかいないから、武器となりうる可能性を十二分に秘めたバットというものがない。力加減では相手を撲殺できるという、未知なる可能性を秘めたバットが恋しい。しかしお父さんが会社の接待とかなんかでゴルフセットを買ってたなと思い出し、こっそりとリビングを出て二階の書斎に向かおうとする。アレも十二分に武器になる可能性を秘めてるしね。細いけど威力のほどは確かなものがある。二時間もののサスペンスドラマでは、腐るほど凶器として出演してたし。回数だけならバットよりも多いんじゃないだろうか? それか互角ってとこだろう。

「なんて………本当に泥棒だったら、遠慮なくこの手を血で染め上げることも厭わないんだけど」

今回は相手が相手だ。姿は見えずとも、声でわかる。リビングに戻り、そこから更にキッチンへと歩を進めると……。

「―――何やってんの、父」

キッチンの前でせっせとハンバーグを作っている父の背中をおもいっきり蹴った。娘に背中を蹴られたというのに父は恍惚の笑みを浮かべている。なにこの生き物、気持ち悪い。

「っていうか何これ。すっごいデジャヴなんだけど! この展開前にもあったような気がするよ!」
「何!? こんな美味しい思いをした奴が他にもいるのか!?」
「実の父じゃなかったら殴り倒したいところねー、ほんと」

この筋金入りの変態が! ゴミを見るかのような視線を父に向けると、「冷たい目の華那も可愛いよ」と意味不明なことをぬかしやがった。駄目だ。蔑んでも罵倒してもこの変態には効果がない。じゃあどうすればいいんだろう。ああ、無視すればいいんだ。「これは父じゃない。父に似た何かなんだ」と自分に暗示をかける。

「ちょっ、華那。華那ってば! お願いだから無視しないでくれ……!」

あ、やっぱりこういったタイプには無視が一番堪えるらしい。このまま放置してもよかったんだけど、それじゃあ話が進まない。

「ああもうわかったわよ。じゃあ訊くけど、なんで日本にいるの? イギリスに帰ったんじゃなかったけ!?」

伊達組と松永組の抗争が終わると同時に、父は母によってイギリスに強制送還されたはずだ。海外出張から海外赴任になった今、両親が帰国するなんてそれこそ新年以外ない。ちなみに事前に帰国するという知らせも聞いていない。そもそも父が帰国するなら母も帰国しているはずだ。それなのに母の姿は見えないということは……。

「まさかまたお母さんに黙ってこっちにきたな!?」
「今回は前回の経験を活かしママにはちゃんと日本に行くと言ってある」

ちっ! 言ってなかったら今すぐ連絡して迎えに来てもらおうと思っていたのに。やはり父も学習しているのか母に日本に行くと言っているようだった。日本に行くと言ってあるのならよほどのことがない限り母は来ないし、前回のように事件でも起きない限り連れ帰るような真似はしないだろう。まあ仕事もあるはずだから、そんなに長居はしないと思うんだけどな……。

「……実は今回は華那に折り入ってお願いがあってだな」
「却下」
「まだ何も言っていないだろう!?」
「どうせろくでもない頼みごとだとわかっているもの。だから先手必勝。嫌ですノーサンキューです」
「そんなこと言わないでくれよ〜。お父さんの顔を立てると思ってさ!」

土下座をしそうな勢いで懇願してくる父に、さすがの私も引け目を感じた。やっぱり自分の父親が頭を下げている姿は見たくない。まあ話を聞くだけなら……いいかもしれない。

「実はだね、お父さんの会社の取引先の偉い人がね、一度華那と食事したいって言いだしてね」
「ちょっと待て。なんでその取引先の偉い人が私のことを知っているのよ?」
「いや〜……お父さん娘のことになるとつい熱く語っちゃう癖があるんだよな。だってほら、やっぱり可愛い娘は自慢したいじゃないか」

詳しく話を聞くと、取引先の人に自分の娘がどれだけ可愛いか語り、なんでか取引先の人は私に興味を持っちゃったらしい。そこで終わればよかったものの、どういうわけかなら今度私を交えて一緒に食事なんてどう? という話に落ち着いたらしい。ちょっと待て、なんでよりにもよってそこに落ち着いてしまうんだ。

「絶対に嫌! 何が哀しくてジジイと食事しなくちゃいけないのよ」
「ジジイじゃなくておじさんだよ。それにその食事会にはその人の甥御さんも来るらしい。年も華那と近いそうだから……頼むこの通り!」

ついに土下座をしてしまった父に一瞬心が揺らいでしまったが、ここで頼みを受けてしまうと他にも色々と頼みごとが増えそうな気がした。後からじゃあこれもと言われたら腹が立つ。

「とにかく嫌です。土下座されても嫌なものは嫌……」
「華那ちゃん。お父さんだってたまには鬼になるんだよ」

ドスッという鈍い音と、腹部に走った強烈な痛みに一瞬息ができなかった。視線を下にずらすと、丁度腹部に父に拳がヒットしているのが見えた。鳩尾にモロに食らった父の本気のパンチにおもいっきり顔を顰める。悔しくて父を睨みつけるが、それが今の私にできる唯一の反抗だった。視界がゆっくりと暗くなっていく。ああもう駄目、意識が朦朧としてきた……。

「ごめんよ華那。でもお父さんだって必死なんだ」

その言葉を最後に私は完全に意識を手放した。

続