病院内は静かに。そんなあたりまえのことが、この日だけは破られた。例えるなら病院のあちこちで小さな爆発が起きている、そんな状況である。一つ一つは小さな爆発でもそれが集まれば大爆発になるように、小さな騒音があちこちで起こりやがて大きな喧騒となっていったのだ。 病室で成実と話していた華那の耳にもこの騒音は届いていた。しかし自分には関係ないと無視を決め込んでいる。それは成実も同様だ。二人の経験上、もし関わり合いになってしまったら十中八九巻き込まれるとわかっている。要らぬ火の粉は被りたくない。 「ねえなるみちゃん。心なしか騒音が近づいてきているような気がするんだけど」 「気のせいだって。ここでちょっとでも気にしたら嫌な予感が現実になっちゃうよ。あとなるみちゃん言うな」 「いやいやー、それはわかっているんだけどね。でもやっぱ近づいてきてるって。間違いなく。ねえなるみちゃん」 「あーあーあー! 俺は何にも聞こえねえ。なるみちゃん言うなバカ」 「………あ、静かになった? 誰がバカだバカ」 あれほど五月蠅かったのに今は嘘のように静かになった。 「……ドアの前に誰かいるよ華那」 「いるね。確実にいるね。しかもそいつがこの騒音の主だよ」 華那がこう言ったのにはわけがある。ドアに人影が映っているし、ドアに人影が現れた途端あれほど騒々しかったのが嘘のように静かになったのだ。この病室の前にいるということは、人影は華那に用があるということになる。病院の関係者があの騒音を起こすとは思えない。となると外から来た誰かだ。 「華那ーーー!!」 ドアが壊れるんじゃないかと思う力で開けられたと思ったら、涙で顔をぐちゃぐちゃにした中年男性が病室に飛び込んできた。華那と成実が呆然としていると、中年男性は華那に抱きついた。 「あー……華那。この人ってさ」 「ええ、父よ。ちょっといい加減離れてよ。涙と鼻水でパジャマが汚れちゃう」 抱きついて離れない父親を引っぺがそうと試みるが、強い力で抱きついているため離れない。今の父に言葉で言っても無理と華那は判断した。言葉で言っても通じないなら行動で示すのみだ。 「痛っ!?」 「ああ!? ごめんよ華那!」 華那が顔をしかめて痛いと言った途端父親はすぐさま彼女から飛びのいた。少し痛かったのは本当だが痛いと叫ぶほどではない。多少大げさに言ってみただけなのだが気がつかなかったようだ。 「というかなんでここにいるの? 仕事だって慌ただしく出て行ったのはどこの誰よ?」 「……娘が怪我で入院したって聞いたらどこへいたって飛んで帰ってくるのが親というものよ」 「おお!? 今度は華那のお母さん登場だよ」 少し遅れて華那の母親が病室へと現れた。両親の帰国に華那も驚きを隠せない。そもそも入院していることを両親に伝えた覚えがなかったのだ。 「ところでパパ。受付で病室番号を聞かず病院中を駆け回るのはやめて。恥ずかしい」 「ご、ごめんよ。いてもたってもいられなくて……」 どうやら先ほどの騒音の原因はやはり華那の父親だった。受付で華那の病室を聞かず病院中を走り回って探していたらしい。母親はちゃんと受付で病室の場所を聞いていたので、のんびりと歩いてきたのである。 「なんで私が入院してるって知っているの?」 「政宗君が知らせてくれたのよ。事情はあらかた聞いたわ。大変だったわね」 「………すまない、華那。彼と引き合わせたのはこの僕だ」 華那と小次郎が出会ったきっかけは父親だ。小次郎が仕組んだこととはいえ、父親が小次郎に利用され華那と小次郎の接点を作ってしまった。彼はそのことを酷く後悔していた。大好きな娘の背中に刀傷まで残してしまったのだから無理もない。 「別にお父さんが悪いわけじゃないでしょうが……。かといって政宗のせいでもない。誰のせいでもないんだよ、きっと」 華那は誰も恨んでなどいなかった。この背中の傷だってあのとき小次郎に背中を見せた自分の油断が原因だ。自分の父親が落ち込む必要はどこにもない。 「ところで今回の件で政宗に八つ当たりはしないでよね。政宗に何か言ったりやったりしたらただじゃおかないから」 「……わかっているよ、華那」 何かブツブツ言われると思っていただけに、あっさりと納得した父親の様子に唖然としたのは言うまでもなかった。 「ところで政宗君はどこ? 会って直接お礼を言いたいんだけど」 「政宗? 政宗なら……」 *** 「峠は越えました。しかし……まだ意識は戻っていません」 一方時同じく、政宗は別の病院を訪れていた。この病院には小次郎が入院している。華那と違い小次郎の怪我は命に関わるほどの重傷だった。医師の言葉によると手術は成功し、峠は越えたと言う。だが手術から何日も経過しているのに、未だ意識は戻っていなかった。政宗の目の前には未だ昏々と眠り続けている小次郎がいる。体中に管を入れられ、生きているのか死んでいるのかさえわからない。 「………原因はわからねえのか?」 「ええ……おそらく精神的なものだと。覚悟しておいてください。最悪、一生このままという可能性もあります。何せいつ目覚めるかわからないのです」 植物状態。政宗の脳裏に重い言葉がのしかかる。医者の言うとおり精神的なものが原因なら、その精神的なものの原因は政宗だ。 「何か話しかけてあげてください。目を覚ますかもしれない」 政宗は小次郎の顔をじっと見つめる。今更こいつと何を話せと? 言いたいことは山ほどあったのかもしれないがもう遅い。今となっては何を言っていいのかわからないのだ。もともと最初から仲が悪かったわけじゃない。小さい頃の小次郎はつねに政宗の後ろをついて回るほど兄である政宗を慕っていた。政宗もそんな小次郎を可愛く思っていたし、小次郎もまた自分を可愛がってくれる政宗が好きだったのだ。 しかし政宗の病気を発端に二人の仲はどんどん険悪なものになっていく。もともと危うかった二人の関係は華那という存在を軸に完全に別ってしまった。。政宗も小次郎に対して何の感情も湧かなくなってしまっている。だが小次郎はどうだ。小次郎の政宗に対する執着心はまるで……。 結局眠る小次郎に話しかけることもなく、政宗は小次郎に背中を向け病室を後にした。帰宅する前に華那の様子を見ようと彼女が入院している病院を訪れると、病室の前に華那の父親が立っていた。政宗が彼女の両親に連絡していたので、娘を心配する父親が日本に帰ってきていてもおかしくない。だがどうして病室に入らず外にいるのだろうか。 「テメェを待ってたんだよ」 「Hey まだ何も言ってねえぞ?」 「顔に書いてある。なんでここにいるんだってな。一応、礼を言っておこうと思ったんだ。華那を守ってくれたんだろ?」 「Ha! あんな傷を負わせた奴に礼を言うのか?」 「誰のせいでもない。華那はそう言っていた。だからテメェが原因じゃない。……私のせいでもないと華那は言っていた」 悪いのはあのとき小次郎に背中を向けた自分だと華那は言っていた。そう言った華那だって本当は悪くない。悪いのは彼女を斬った小次郎だ。だが華那はその答えを認めようとしないだろう。例え偽りだったとしても華那は小次郎を完全な敵と思えない。小次郎が政宗の弟だからだ。政宗の身内を敵と認識したくないのだ。あのときだって心のどこかで甘い部分があったはずだ。いくら小次郎が敵だと自分に言い聞かせたところで、小次郎の顔つきはどこか政宗に似ている部分がある。 「オレといるとこの先こんなことがしょっちゅう起こるかもしれないぜ? アンタは耐えられるのか?」 「……耐えられるものか。だが華那の覚悟を無駄にはできない。だから、だ」 ―――華那を頼んだぞ。そう言って彼は政宗の前から立ち去っていく。政宗の口端がゆっくりと弧を描いた。 「Ok 任せとけ」 その呟きは、誰の耳にも届かなかった。 続 ← |