激突!サラリーマンVS伊達組筆頭 | ナノ


さてさて、運命の扉が開かれます。

「た、ただいまー……」

小さく小さく。それこそ相手に聞こえるか聞こえないかわからないという微妙な声。よそ様のお宅に泥棒が忍び込む前にやる「誰かいますかー?」的な……ってここ自分の家なんだけど、なんで自分の家でこんなことをしなくちゃいけないんだろう。

玄関のドアからひょっこりと中の様子を覗き窺う。目だけを動かし、誰もいないことを確認すると一旦顔を引っ込ませた。そして私の後ろで控えていた二人に視線を移す。どうでもいいけど二人とも、なんでそんな目で私を見ているんですか。何、その白い目は。

「なーにそのへっぴり腰は。傍から見てるとこれから泥棒する人みたいよ」

白い目だけでなく容赦ない言葉まで食らった。遥奈、本当に容赦ないね……。

「ほらさっさと行く。お邪魔しまーす!」
「………邪魔するぜ」

家の中は恐ろしいまでに静まり返っていた。お昼だというのに締め切っているのか廊下は薄暗い。もしかして……留守とか?

「なわけないじゃない。リビングにいるみたいよ。テレビの音がするもの」

淡い期待を一瞬で切り捨てられた。キッと恨みがましい目で遥奈を睨みつけるが、彼女は涼しい顔でリビングのほうを見ていて、私の視線にこれっぽっちも気づいちゃいなかった。遥奈の言ったとおり、リビングから微かにテレビの音が聞こえてくる。ああ、リビングでテレビを見ていたんだね……。

この場にきて未だ逃げようとしていた自分を叱咤して、私はリビングのドアを開けた。しかし次の瞬間ただならぬ殺気を感じて、私は反射的に姿勢を低くする。その身のこなしは目を見張るものだ。

「ゴフッ!?」

私の後ろにいた元親先輩の口から、蛙が潰れたような声が漏れる。横では「元親!?」と珍しく遥奈の焦った声。少し遅れてからゴトリと硬くて重い物が転がる音がした。恐る恐る目を開けると、私の足元にはガラスの灰皿が転がっていた……。

ま、まさかァ!? まさかこれを投げたんですか我が父は。実の娘に、大事な一人娘にこんな二時間枠の殺人事件モノドラマで、怒りに任せた衝動的殺人事件でよく凶器として使われるようなものを投げやがったのですか!? し、信じられない……家庭崩壊だよこんなの。

でもこれが転がっていて、私の後ろから蛙の潰れたような声がしたってことは……。ガクッガクッと壊れたギミック人形のように首を動かし後ろを見ると、案の定そこには床に転がる大柄な男が一人。

「ちょ、元親!?」

遥奈が元親先輩の体を揺さぶる。意識はあるようだが起き上がる気力がないようだ。多分、突然のことすぎて呆然としているんだろう。ああ、すみません。なんかすみません。こんな父で申し訳ありません。

「っていい加減にしなよね、お父さん!」

ソファに座りテレビを見て「アハハ」と笑っている父の背中におもいっきり怒鳴りつける。なんかムカツク。その笑い方が不自然すぎるほど明るいからムカツク!

「おや、おかえり華那」

なに、その「ああ、帰ってたの」的な態度。爽やか過ぎる笑顔を私に向けながら、父はくるりと振り返った。キラキラと輝いて見えるのはなんでだ……。

「ただいま! じゃなくて、なに物騒な物を娘に投げつけてんの!?」
「おや、それはすまないね。手が滑ったらしい」
「手が滑ったって言う割には、やけに狙いが正確でしたけど! あと滑ったっていう程度じゃあんな重たい物は投げれません!」

ああもう、絶対にわざとだ。私を狙って投げたに違いないよ。朝逃げたからってこんな仕打ちはなくないか。口じゃ駄目だからって実力行使か!? そして危険を察知して避けることができた私も私だ。なんだよ殺気って……あれを殺気っていうのかしら。

「そういえば……華那の後ろで寝ている馬鹿そうな男は誰だい?」

爽やかな笑顔で「馬鹿」と言う人ほどろくな人はいない。これは私が身を持って知った数少ない事実である。遥奈しかり我が父しかり。

「………っつー。いきなり何しやがんだァ、テメェ!?」

お、起き上がったぁ! 鬼が牙をむき始めたよォォオオオ! すっかりお父さんを敵とみなした元親先輩は、指をボキボキと鳴らしている。やる気だよこの人……。

「お邪魔してます、おじさま。私のこと覚えてますか?」

このままじゃ険悪なムードは避けられないとビクビクしていた私に、遥奈の助け舟がかかった。彼女はボキボキと指を鳴らす元親先輩を後ろに追いやり、お父さんの注意を無理やり逸らす。ここで巧いこと話をすり替えてくれれば!

「遥奈ちゃんじゃないか! いやー久しぶりだね、元気だったかい?」
「覚えてくださったんですね、嬉しい!」

………なぁに、この変貌っぷり。猫撫で声で男ならコロリといってしまいそうな笑顔を貼り付けながら、遥奈は無邪気に喜んでいる。そうか、男ってこんなにも単純な生き物だったのか。女の武器は笑顔、これは別の意味で武器だと思う。

「今日はどうしたんだい?」
「華那に勉強を教えてほしいって頼まれて。突然お邪魔してすみません」
「いやいや、いつもありがとう。華那は誰に似たのか、勉強があまり得意ではなくてね。どうしてこんな簡単な問題もわからないのかと不思議に思うくらいなんだよー」
「本当ですよねー。勉強なんて入り方さえわかれば、あとは全て応用。なんでわからないんですかねー、この馬鹿は」
「本当だよね、この馬鹿は」

アハハ、ウフフと笑い合う遥奈と父を見ていた私は、心の奥から熱い何かが湧き上がっていくのを感じていた。そんな私の肩にポンと元親先輩の手が触れる。同情の眼差しを向けられていると、後ろを振り向かずともなんとなくわかった。

「…………大変だな、オメーも」
「本人目の前にして馬鹿馬鹿言うか……しかも笑いながら」

グレますよ。本当にグレちゃいますよ? グレて政宗の組に入っちゃうよ!? いいのかーい、娘が父以上に本格的な不良になろうとしてますよー!?

「元親先輩。構いやしませんから殴ってください、二人とも」
「女を殴るっつーのはなぁ……つーか仮にも自分の親だろうが」
「あんな人、親でもなんでもありませんよ」

ぴしゃりと断言すると、元親先輩は困ったように頭を掻いた。実の娘をその友達と笑いながら馬鹿と罵る親なんて親じゃねー!

「大丈夫です。うちの父親も元ヤンだけど、元親先輩も十分んそれっぽいし。もしかしたら互角に渡り合えるかも……!」
「おい、政宗でも敵わねーかもしれねぇって言ってたのは華那だろうが」
「……当たって砕けろ的な」
「砕けたらそれで終わりじゃねーか!?」

声を荒げてツッコミをいれた元親先輩の顔が急に強張る。なんだろうと不思議に思った瞬間、元親先輩が大きく後ろに吹っ飛んだ。リビングのドアを飛び越え、廊下にまで吹っ飛んだものだから私も目を見張る。大の字になって廊下に横たわる元親先輩に駆け寄ろうとしたが、そこでふと足を止めた。

後ろに吹っ飛んだってことは、元親先輩からすると前、私からすると後ろから何か飛んできたってことになる。私は元親先輩と話していたから、あの二人(主に一人だけど)に背を向けていた。元親先輩の横には、ゴロリとさっきの灰皿が転がって……。

「ってまたかァァアアア! こんの馬鹿親父―!」
「なんのことかわっかりませ〜ん」

プイッと明後日の方向にそっぽ向き、白々しくぴゅ〜っと口笛を吹き始めた父を見て、私はげんなりと大きな溜息をついた。子供だ、昔っからこの人は妙なところで子供なんだ。

「今度は私じゃなくて元親先輩を狙ったでしょ、なんで?」
「こいつが華那に向かって怒鳴ったからだ!」
「それだけで灰皿を投げるか!?」

開き直った感バリバリな父が、えっへんと無駄にえばる。私の後ろではいつの間に復活していたのか、元親先輩が起きながら怒鳴り声を上げた。言い合いを続ける二人と他所に、遥奈はお茶を飲みながら一息ついている。ってそれうちのお茶じゃん、どっから出した。勝手知ったる他人の家か?

「………ま、一応私達が来た目的は果たしたってことでいいのよね?」
「ソウデスネ……」

なんか腑に落ちないけど、これでいいのだろうか本当に……。

続