さよならメランコリア 「はじめまして、遥奈って言うの。よろしくね」 照れくさそうにそう言って、その女の子ははにかんだ笑顔を浮かべた。なんだかこっちも照れくさくなって、頭を掻きながら何気なく視線を逸らす。お互いどこかむず痒い、そんな感じだった。どちらも照れくさいからか、視線が微妙に噛み合っていない。 「俺は元親っつーんだ。よ、よろしくな!」 思えばこれが、全ての始まり。 *** *** 懐かしい夢を見た。内容ははっきりと覚えていない。しかし懐かしいという感情だけはしっかりと根付いている。不思議な感覚に陥りながら、長曾我部元親は頭上を仰ぎ見た。屋上に大の字で寝転び、何をするでなくボーっとしていたら、いつの間にか寝てしまったらしい。空は雲ひとつない青空。見ていて清々しい―――はずだった……今までは。 「……こんなところで何をやっているのかしら、長曾我部先輩?」 青い空を隠すように、元親の視界に遥奈が映る。寝転んでいた元親を覗き込む形となっているため、正確には上下逆さまに遥奈が映っていた。制服を着崩している元親とは対照的に、遥奈はボタンを全て留め、指定のネクタイまでしている。いかにも優等生と窺える外見である。元親からすれば見ていて暑苦しいくらいだった。……本当のお前は優等生っていう柄じゃねえのにな。 「………そう言うテメェこそ何やってんだよ、遥奈」 「私は長曾我部先輩を捜しに来ただけです」 「その先輩ってやめろ。あと猫なで声もだ。寒気がしてきたぜ」 「あら、折角の卒業式よ? 一応先輩なんだし、今日くらいは下級生らしい挨拶をしようと思っただけよ。ま、言ってて私自身耐えられないほど気持ち悪かったし、もうやめるわ」 涼しい顔をしながら肩を竦める遥奈に、元親は何も言い返すことができずにいた。心の中で「じゃあ言うなよ」と指摘する。 「でもよかったわー、元親が無事合格して。受験に失敗して、高校にさえ行けなかったらどうしようかと心配してたの」 「ンな心配はいらねーよ!」 明らかに見下した遥奈の発言に、元親は怒鳴りながら起き上がった。悔しいことに元親のほうが学年は上だが、成績は遥奈のほうが圧倒的に上だったのだ。元親が必死に勉強してギリギリ合格できた高校も、遥奈の成績なら余裕で合格できる範囲である。 あろうことか元親の受験勉強を見ていたのも、実は遥奈だったりするわけだ。彼女はこの学校で一番といわれるほどの才女である。二年だが三年の勉強にも余裕でついていける。そんな彼女が幼馴染である元親の勉強を見ることは、必然といえば必然だろう。 遥奈との付き合いは長い。幼馴染である毛利元就に比べると短いが、あまり大差はないといえる。二人の出逢いは小学校のとき。遥奈が元親と元就が住むマンションに越してきたのがキッカケだった。元々面倒見の良い性格をしていた元親だけに、同じマンションに越してきた転入生にちょっかいをかけるのは安易に想像できることだろう。 昔は今のような性格はしていなかったはずだ。どこで何を間違えて今の遥奈が出来上がってしまったのか、世界七不思議に是非とも推薦したい事柄である。女とはつくづく恐ろしい。 「しっかし元親も卒業かァ。ホントに卒業できるとは思ってもいなかった……」 「お前には先輩を敬う気持ちっつーのがねぇのかよ?」 「そりゃあ尊敬できる人は敬うけど、元親じゃあ……」 「なんだよその目は! 言いたいことがあるならハッキリ言いやがれ!」 「馬鹿を敬えっていうのは酷な話じゃない?」 「煩ェ!」 いつものこと。学生時代にはよくあるこんな馬鹿な言い合いも今日で最後。高校は小学校、中学校とは違う。ここからは自分で道を決めるのだ。自分で行きたいところを、何がしたいかを決める。だから最後。きっとこの先、二人の道が交わることはないのだから。 成績優秀な遥奈は、間違いなく超難関高を目指すことだろう。元親からすれば一生縁がない高校だ。何気なく一緒だった道も、今日で最後。目の前にあるのは二つに別れたそれぞれの道である。今日で最後、そう思うとどこか淋しい。当たり前がなくなると、心にぽっかりと穴が開いた気分だ。こんなくだらない言い合いも、どういうわけか終わらせたくないとさえ願う。 「元親が卒業したら今度は私が受験かー。あーやだやだ、受験戦争の波に呑まれていくのね。先生が煩いったらありゃしないもの」 両手を頭の後ろで組みながら、遥奈は空を仰ぎ見る。 「そりゃ先公達はお前に期待してるからなァ」 「期待すると強要するとじゃ意味が違うわ。期待されることは仕方ないとしても、強要される覚えはないもの。先生達は明らかに強要してるじゃない。この高校を受験しろ、お前ならもっと上を目指せるとか言っちゃってさ。結局学校のためにここを受験しろ、あそこを受験しろって言ってるのよ? 一番大事なのは私がどこに行きたいか、よ。私は自分の気持ちを捻じ曲げてあげるほどお利口さんじゃないわ」 元親はふと引っかかった。遥奈の言い分はわかるが、それではまるで……。 「てことはなんだ。遥奈、先公どもに反対されてンのか?」 「まァね。私はここしか行きたくないって言ってるのに、先生達が煩くて」 遥奈が受けるのは超難関高だと思っていただけに、彼女の話は意外だった。となると教師達はよほど難しい学校を受験させようとしているということだろうか? 「つーか遥奈、お前はどこ受ける気なんだ?」 「んー……秘密、と言いたいとこだけど。幼馴染の好で特別に教えてあげるわ。私ね、好きな人がいるの。その人がいる高校に行きたいのよ」 「…………………………は?」 開いた口が塞がらなかった。今この女はなんつった? 好きな野郎がいる。そいつがいる高校に行きたい。だから先公に反対されている。こいつ、が? どこの純情乙女だよそりゃ。じゃなくて好きな野郎ってなんだそれ? そんな野郎がいたのかよいつの間に。なんだよそれ、つーかなんで俺こんなにイライラしてんだ? さっきまで普通だったろーが! イライラする原因なんかありゃしねーぞ!? 「気になる?」 「気になるわけねェだろうがッ!」 いや、実は結構気になってたりするんだけどよ。でもそう言っちまうと情けなくないか? そもそもなんで気になるかわからねぇしよ。 「正直、高校なんてどこでもいいのよ。だから自分が何をしたいか考えてみたの。そしたらその人がいる高校に行って、もう一度逢いたいなーって思ったわけ。で、もう一度逢ったとき、告白しようと思ってるの。逢ったらまず「貴方にもう一度逢いたくてここに来ました」って言うつもりよ」 「お前……そんなに純情乙女だったか?」 「……色々言うことはあると思うのに、よりによってそれを言う?」 微妙な空気が二人を包み込む。遥奈の考えていることは相変わらず読めない。いつだって突拍子のないことを言っては、周りを凍りつかしたり驚かしたりする。今回は過去最大級の突拍子のない一言だった。 「じゃあね元親。一応、卒業おめでとう」 これが、二人の道が違った瞬間である。 それからまた季節は巡り、一年前と同じ春が来た。一年前の卒業式と同じように屋上で空を仰ぎ見ていた元親。彼の口元には煙草が銜えられており、白い煙が空高く昇っていく。情けないことに、卒業してからあのときのイライラの原因がわかった。わかったからと言っても何もしていない。学校が変われば生活も変わる。一年前は毎日顔を突き合わせていたのに、今は嘘のように会っていない。家もすぐ近所なのに、理由がないから会おうにも会えない。 チクショー。なんでよりによって卒業してから気づくんだよ! いつからなんてわからない。だが確かに自分は遥奈のことが好きだったんだと思う。だから一年前、遥奈に好きな男がいると知ったときショックだったんだ。 近くにいたために気づくのが遅れた。そして遅れた結果がこれである。考えただけでも腹が立つ。煙草をギッと噛み締め、舌打ちしそうになったときだった。口元にあった煙草の感触がなくなったのだ。よく見ると煙草が宙に浮いている。というか誰かに煙草を奪われた。 「―――停学処分になりたいわけ、元親?」 「なっ……!?」 元親は信じられないというふうに大きく目を見開いた。何故なら上下逆さまに映っている人物が、彼もよく見知っている人物だったからである。この光景は以前も見たことがある。そうだ、一年前の卒業式だ。 「遥奈!? おまっ、なんでここに!? つーかなんでうちの制服着てんだァ!?」 勢いよくガバッと起き上がり、開口一番遥奈に詰め寄った。遥奈は「落ち着け」と言わんばかりにどーどーと元親の肩を叩く。 「なんでってそりゃ、私が今日からここの生徒だからに決まっているでしょう? ちなみに一年A組、よろしくね」 そう言って遥奈は高校の合格通知書を元親の目の前につきつけた。彼女が手にしているそれはたしかにこの高校の合格通知書だ。一年前、元親も同じ物を見た記憶がある。経った一年離れただけで、目の前にいる彼女は随分と大人びていた。着ている制服が中学のものではなく高校のものになった、という理由だけではない。よく見れば薄らと化粧もしている。少し見なかったうちに随分と子供っぽさが抜けたものだ。おもわず―――見惚れてしまった。 「つーか遥奈がここにいるってこたァ、遥奈の惚れた野郎もここにいるのか!?」 「ええ、いるわよ」 自分の中にふっと生まれた特別な感情を隠すように、元親はわざと大きな声をあげた。遥奈が周囲の反対を押し切ってまで会いたかった男がこの学校にいる。どんな野郎か是非とも拝んでみてぇじゃねぇか。もしかしたら殴っちまうかもしれねぇけど、仕方ねぇよな。 「ああ、そうそう。私、元親に言うことがあったの」 「なんだよ?」 しかし遥奈が惚れた男って想像つかねぇな。そもそもこいつが男に惚れること自体信じられねぇ。一体どんな野郎だ? 「元親」 「な、なんだよ……?」 遥奈の瞳が真っすぐに元親を射抜く。元親は魅せられたかのように目を逸らせない。 「私は―――貴方にもう一度逢いたくてここに来ました」 「…………へ?」 正直、高校なんてどこでもいいのよ。だから自分が何をしたいか考えてみたの。そしたらその人がいる高校に行って、もう一度逢いたいなーって思ったわけ。で、もう一度逢ったとき、告白しようと思ってるの。逢ったらまず「貴方にもう一度逢いたくてここに来ました」って言うつもりよ。そしてこの日を境に、二人の新しい日々が始まった。 完 ← |