短編 | ナノ

シーイズマイン

人間イタズラしようものならロクな目に遭わない。政宗と話すことは好きだ。別に彼の話が特別面白いからじゃない。私は彼の声が聞きたいだけ。彼の声が聞けるなら、話の内容なんてどうだっていい。

ただ政宗の声を聞いていると、私はとっても安心できる。例えるなら母親の胎内でゆらゆら揺れながら眠る赤子のよう。何者にも侵されない絶対不可侵ともいえる領域。そこにいるような、そんな安心感。

でも私は政宗の寝顔を見ているのも好き。彼は私と二人きりのときよく眠る。夜眠れないからとか、疲れが溜まっているなどという理由ではない、らしい。どうして私と二人きりのとき眠ってしまうのか。昔政宗にそう訊ねたことがあった。すると彼は自分でも不思議そうに、どこか他人事のように答えたのである。

「さあ……華那が傍にいるからじゃねえの?」

それって、私の傍にいると安心しちゃうからって受け取っていいのかな。私が感じている安心感を政宗も感じていると受け取っていいのかな。自惚れじゃないと思っていいのよね? なんだか嬉しかった。

安心して知らない間に眠ってしまうというのは、私の前でだけ気を許してくれているということだから。私も政宗と一緒にいると、つい眠ってしまうことがある。政宗の体温、匂い、声。それらに包まれていると心地よくて、いつの間にか眠くなってしまうから。私が感じている想いをあなたも感じていてくれているのなら、これほど嬉しいことはそうとない。

***

そして今日も華那はオレの隣で眠っている。折角屋敷に遊びに来たのに、オレの部屋でのんびりゴロゴロしているうちに、いつの間かに彼女は静かな寝息を立てていた。ちょっとむくれてみせるが、彼女の安心しきった子供のような寝顔を眺めていたら、そんなモヤモヤとした気持ちもどこかへ吹っ飛んでいた。彼女が起きないことをいいことに、オレは彼女の顔に何度もキスを落とす。ちょっと身じろいだが、それも可愛らしい声を発するだけで終わり起きることはなかった。

しばらく彼女の寝顔を見ていたオレだが、ふとした拍子にイタズラ心が芽生えてしまう。彼女の可愛い寝顔を堪能して緩みまくっていた頬が、今度は別の意味で緩みそうになった。キョロキョロと部屋を見回し、イタズラに使うアイテムを発見するなりオレはそれを手に取る。手に取ったのはどこにでもある普通のマジックだ。オレはそっと華那に近づくと、彼女の前髪をかき上げおでこを露にした。露になったおでこにマジックを走らせる。

「これでよし」

目を覚ました彼女がどんな反応をするか、想像しただけで顔がニヤけちまったオレは末期だろうか?

***

「ん………」

いつの間にか眠っていたらしい。窓から覗く空の色は澄んだ蒼ではなく、燃えるような赤だった。部屋を見回すとそこに主の姿はない。なんだか急に不安になった華那は部屋を飛び出し、政宗の姿を捜していた。

「お、華那じゃん。どしたのそんなに慌てて……」
「成実! 政宗見なかった?」
「政宗? さあ見てないけど……つか政宗の奴、今日中にやらなくちゃいけない仕事があったはずなんだけど、華那がここにいるってことはもう終わったのかな?」

首を傾げていた成実は、華那のおでこが黒くなっていることに気づいた。何かゴミが付着していたのかと思いまじまじと見つめてみると、どうやらそれはマジックのようなもので書かれた文字であるとわかる。

「どうしたの成実? そんなマジマジ見られると……ちょっと恥ずかしいんだけど?」

いやいや、だっておでこに書かれている文字を見ちゃうと、嫌でもまじまじと見つめちゃうって。そう思っていても上手く声がだせない。この文字は明らかに政宗が書いたものだとわかる。だから華那のおでこに書かれている文字の意味もわかるのだが、華那の反応を見る限り気づいていないな、これは。気づいていたら真っ先に洗面所に向かうはずだし、顔だってもっと真っ赤にさせているはずだ。

「ところで仕事って何? 政宗、今日何か大事な用があったの?」
「あ、ああ。大事な用っていうか、何日か前から溜めている仕事でさ、今日が締め切りなんだ。けど上手いこと逃げ回って終わってないんだよねこれが。痺れを切らした小十郎が政宗を捜し回っている最中なんだよ」
「ふうん、じゃあ私も政宗を捜すの手伝うわ!」

そう宣言するなり華那は成実に背中を向け長い廊下を駆けて行った。成実は華那のおでこに書かれている文字を思い出し、引きとめようとしたのが時既に遅し。既に豆粒サイズになっていた華那の背中は、あっという間に成実の視界から消え去っていた。

「……おでこに「オレのもの」って書かれているって言い損なった。あーあ、俺知ーらねっと」

政宗を捜して屋敷中を走り回っているが、華那には不思議に思うことが一つだけあった。華那の顔を見るなり誰もが目をぎょっと丸くさせている、ということだ。自分の顔に何か付いているのかと訊くが、誰もが首を横に振り何もないの一点張り。華那の顔を見て爆笑する者、ニヤニヤとほくそ笑む者、微笑ましいものでも見たかのようにニコニコしている者、反応は様々だった。やっぱり自分の顔に何かある。そう確信した華那は鏡を見るため洗面所に向かっていた。

「華那じゃねえか。政宗様を見なかったか……ん?」

廊下で小十郎とすれ違った。声は穏やかだが、纏うオーラは鋭く恐ろしい。そのギャップが華那には不気味に感じられた。きっと行方を晦ませている政宗に対して怒りゲージを溜め込んでいるのだろう。

「おい華那、なんだそれは。なにおでこに恥ずかしいことを書いていやがるんだ?」
「おでこ!? 私のおでこに何が書かれているの? 恥ずかしいことって何ィ!?」
「オレのものって……マジックみたいなもので書かれているぞ? 気づいていなかったのか?」
「うん。なんか私、いつの間にか眠っちゃってたらしくて、目を覚ましたら政宗の姿がなかったからこうやって捜しているんだけど。きっと私が眠っている最中に誰かがイタズラをしたのね……!」

まさか寝ている最中にマジックでらくがきされるとは思ってもいなかった。華那はぎゅっと拳を握り締め、瞳をギラギラと燃やし始めている。しかしこれで合点がいった。華那の姿を見た者が全員怪訝そうにするのは、おでこに書かれたらくがきが原因だったのである。ならばらくがきをした張本人を見つけ出し仕返しをするだけだ。

「というか、オレのものって書くような奴は政宗様しかいねえだろ」
「………オレのもの!? 私のおでこにそんなことが書かれているのぉ?」

オレのもの。大雑把に訳せば華那はオレのものという意味だ。もっと具体的に訳せば華那は政宗のものということになる。華那はオレのもの……頭の中で呟いてみる。駄目だ、恥ずかしすぎる! 華那は真っ赤になった顔をふるふると横に振った。まるで何かを振り払うかのような振り方に、小十郎は苦笑してみせる。が、すぐさま眉間に深いしわが刻まれた。小十郎を包むオーラが変化したことを察知した華那は、本能的に一歩後ずさる。

「……こりゃ何がなんでも政宗様を見つけ出してお叱りしなくちゃいけねえようだな」
「こ、小十郎? なんか急に周囲の空気がピリピリし始めたんだけど……。な、なんでかなぁ?」
「責務を滞らせて何をやっていらっしゃるのか……!」
「だ、駄目! 駄目だよ小十郎。前髪だけ……せめてオールバックのままでいてぇ!」

しかし華那の願いも虚しく、はらりと小十郎の前髪が垂れた。瞬間、華那の顔が凍りついた。伊達組の人間全て―――勿論筆頭の政宗ですら恐れる、小十郎のキレた姿。誰が言い出したのか―――極殺と呼ばれるオールバックではない小十郎の姿に、華那は渇いた笑い声をあげていた。華那も一度だけ見たことがあるその姿に、情けないがへなへなと腰をぬかしてしまった。

「政宗様ァァアアアア!」
「……ま、政宗。逃げてェェエエエ!」

その後華那の渾身の叫びも虚しく小十郎に捕まった政宗は、夜がどっぷりと更けるまでお説教コースの運命を辿ったのであった。

完