短編 | ナノ

ツンデレ二人

バレンタインを翌日に控えた二月十三日の夜、華那は自室の机に座りよくわからない呻き声をあげていた。綺麗に整頓されている机の上には、お洒落なラッピングが施された一つの箱が置かれている。大きくもない、されど小さくもない。可愛らしいと称されるサイズの箱を、華那はさっきからずっと見つめていた。見つめていたという表現は少々温いかもしれない。眉間にしわを寄せ、仇と対峙したかのように恨めしそうに睨みつけている、といったほうが正しい表現だろう。

………どうすりゃいいのよ、コレ。なんでこんなものを買っちゃったかなァ。

明日は世の男女が浮き足出すバレンタインデーである。華那の周囲も例外に漏れずこの波に乗っかっていた。バレンタイン前日が日曜日ということもあり、この日華那は遥奈と一緒にバレンタインチョコを買いに駅前のデパートへ足を運んだ。バレンタインチョコをあげる相手がいない華那は、バレンタイン後に控えている値引きシールが貼られたチョコを買うための下見をする、という名目で付き合っているだけである。チョコが好きな彼女は毎年バレンタインの季節を楽しみにしていた。

買う買わないは別として、日頃あまり見ることができない一風変わったチョコは見ているだけで楽しい。売り場全体に甘い香りが漂う、あの独特の空間も気に入っている。なにより、上手くいけばチョコの試食もできるかもしれない。

想像するだけで顔がニヤけてきた。慌ててニヤけた表情を引っ込める。独りでニヤニヤしている姿は非常に滑稽で、それ以上に恥ずかしい。試食目当ての女子高生ってどうよ?

「でもこれだけの種類のチョコがあると迷うわね。ねえ華那、華那は何がいいと思う?」
「………それって義理? 本命?」

義理か本命であげるチョコのランクも変わってくる。学生ということを考慮すると、義理なら千円以下が妥当なところだろう。本命なら少し奮発して千円以上二千円未満といったところか。いやそれよりも。

「手作りっていう選択肢はなかったの?」

学生なら手作りが一般的だと思うのは華那だけの常識ではないはずだ。華那も中学の頃バレンタイン前にはよく友達と一緒にチョコレート菓子を作った経験がある。貰えるなら買ったチョコも勿論嬉しいだろうが、手作りのほうがその何倍も嬉しいと思うのだ。
初な思春期の男の子なら尚更である。男は胃袋で掴めの理論は学生にも有効なはずだ。
華那からすれば深い意味もなく、ただ思ったことを口にしただけだった。しかし遥奈は目を吊り上げ華那を睨みつけてきた。背後からゴゴゴゴゴ……という効果音が似合う不気味なオーラを放っている。あまりのドス黒さに華那は顔を引き攣らせた。え、何? 私なんか遥奈の逆鱗に触れることを言ったの!? ……あ。

「私が料理できないって知っていてそれを言っているのかしら?」

そうだった。遥奈は料理の才能が皆無だったんだ……。

慌てて口を押さえるがもう遅い。そのことを思い出した華那はサッと視線を反らし、明後日の方向を見つめ始めた。成績優秀容姿端麗運動オンチの遥奈が自身の汚点としていること、それが料理の才能の無さである(運動オンチは欠点と思っていない。完璧な女じゃ男が寄りつかないでしょ? ……らしい)。遥奈の料理の腕は救いようのないほどの酷さで、かつて調理実習で死人を出しかけたほどだ。以来、遥奈が台所に立つことはない。

「そりゃあ華那ちゃんは料理得意だもんねぇ? 手作りなんかしちゃうわよねぇ……?」
「ご、ごめん。私が悪かった。だからそんな恨みがましい目でこっちを見ないで……!」

情けないほど後ずさりする華那に、遥奈はずいっと顔を近づける。普段から涼しげな表情をしている遥奈だからこそ、凄まれると政宗と違った恐ろしさがあった。なんでだろう、精神的に殺されそうな気がしてきた。

「ま、これくらいで許してあげる」
「ア、アリガトウゴザイマス……」

私がいつ悪いことをしたんだろう。悪いことをした覚えはないが、ここは逆らわないほうが身のためだと悟った。遥奈の言うことにとりあえず逆らわない方向でいこう、うん。

「さて、話を戻すけど。華那は何がいいと思う?」
「何がいいって訊かれてもなあ……元親先輩の好みなんて知らないもん、私」

遥奈の彼氏であり、華那の幼馴染である政宗と何かと気が合うことが多い男。名を、長曾我部元親という。一学年上でありながら、遥奈を通して華那ともそれなりに交流があった。元親自身面倒見が良い性格であるため、何かとよくしてもらっている。しかし元親の好みを知っているほどではないため、今回は遥奈の役に立ちそうにもない。

「元親先輩ってチョコ好きなの?」
「さあ。嫌いではないと思うけど、好きかどうかもわからないわ。でもこんなに可愛い彼女からのチョコなら受け取るでしょ」
「その自信は一体どこから湧いてくるの……?」

自分で自分のことを可愛いと言ってのけるとはさすが遥奈である。普通なら反感の一つでも買うところだが、その言葉を納得させるほどの美貌を持っていることもまた事実。悔しいが否定できないのだ。可愛いと言われたらついそうですねと言ってしまう。どうして自分の周りは自信に充ち溢れた人間が多いのだろう。政宗を筆頭に元親先輩や毛利先輩、幸村や佐助……みんな自分に絶対の自信を持っている。正直、それがちょっと羨ましい。

「元親先輩の好きなもの……知らないわけじゃないよね?」

仮にも彼女なら彼氏の好きな食べ物の一つや二つは知っていて当たり前だ。

「元親の好きなものと言えば……魚とお酒?」
「おっさんくさっ! じゃなくて……魚はさすがに無理だから、狙うならお酒かな」

お刺身をチョコでコーティングするという無謀な考えが華那の脳裏に一瞬過ったが、これでは嫌がらせ以外の何物でもない。高校生のくせにどうしてお酒が好物なのかはこの際つっこまないことにする。高校で学んだことの一つは、なんでもかんでもつっこまない、である。些細なことでつっこんでいたら身が持たない。近い将来酸欠で死んでしまう。

「ウイスキーボンボンあたりが丁度いいんじゃない? お酒入っているし、あんまり甘くないやつが多いし」
「そうね……値段的にもお手頃だしこれにしようかしら」

値札を見ると千円で少しおつりがくる程度だった。高校生のお財布にも優しい範疇である。

「華那は買わないの?」
「買わないよ。私は遥奈と違ってあげる人いないもん」
「……伊達君にはあげないの?」

思いもよらぬ人物の名前が遥奈の口から飛び出してきた。華那は不思議そうに目を丸くさせる。

「なんで政宗にあげる必要が? 政宗なら別に私があげなくてもきっと沢山のチョコをもらうにきまってるよ」

学校で一、二を争うモテ男だ。バレンタインデーでチョコをもらえるかどうかの心配なんて無縁に違いない。女の子から一つもチョコがもらえないというのなら、同情ということで義理チョコくらいならやってもいいかもしれないが、政宗ならきっと嫌というほど本命チョコがもらえるはずである。

「そうかしら? 伊達君のことだから華那のチョコ楽しみにしていると思うけど」

何か含みがある言葉に華那はムッと目を細める。政宗が私からのチョコを楽しみにしているぅ? そんな馬鹿な話があるわけない。元々甘いもの自体あまり得意ではないのだ。苦手としているものを大量にくれても処分に困るだけだろう。大方、子分達に配って自分は食べない、なんてことをしているのかもしれない。

「ま、伊達君にあげるあげないは別として、折角来たんだし一つくらい買って行ったら? 最悪、自分で食べればいいじゃない」

あんたチョコ好きでしょ? そう言われてしまえば華那も黙るしかない。周りの熱気に当てられたのか一つくらいなら買ってもいいかも、なんて思う自分も確かに存在している。そうよ、自分で食べる用になら一つくらい……! せ、折角来たんだし、ね!

そういう経緯があり、その夜、買ったチョコをどうするか延々と悩み続けている。遥奈に唆されとはいえ(?)どうして買ってしまったのだろう。自分で食べればいいと言い聞かせて買ったものの、選んだチョコは甘さ控えめのビター味。どちらかといえばミルクチョコのほうが好きなのに、どうして自ら甘くないビター味のチョコを買ってしまったのだろう。これではまるで自分が食べるためでなく……。

―――伊達君にはあげないの? 

遥奈の何気ない一言が頭を過る。政宗にあげるつもりなんてない。だって私が渡さなくても、きっとチョコ沢山もらえるだろうし。でももしあげたら、受け取ってくれるくらいのことはしてくれ、る? 悩むくらいなら自分で食べてしまおうと思うのだが、そんな気分にもなれなくて……。

結局、十四日の朝を迎えても結論はでなかった。それどころかこのチョコをどうするか悩んだせいで寝不足になる始末。朝から踏んだり蹴ったりの思いだ。迷った挙句、一応チョコは学校に持ってきている。鞄の中に押し込む形で、だが。別に甘いものが好きな幸村や、バレンタインだからと佐助や慶次に無理やり押し付けてもいいはずなのに、何故かそんな気も起きなかった。なんとか今日中にあげるか食べるかの結論は出さなくてはいけないのだが……。

憂鬱な面持ちで自分のクラスへ向かう途中の廊下で、華那はいつもと空気が違うことに気がついた。学校全体がそわそわしているというか、一年のクラスが集まる廊下がやけに騒がしい。何かあったのかと怪訝に思ったのだが、A組の教室の前に辿り着いたらその原因も理解できた。

普段見慣れない大勢の女子生徒達がA組を訪れている。それも手には可愛らしくラッピングされた包みを持って。こりゃあ政宗にチョコを渡そうと女子が群がっている……? さすが学校一のモテ男、と内心で皮肉をこめて呟いてみる。前の扉からでは教室に入れないと判断した華那は、後ろの扉から女子生徒達の間を掻い潜ってなんとか中に入ることに成功した。大勢の女子生徒達が政宗の机を囲むように立っていて、肝心の政宗の姿が目視できないほどだった。

政宗の前の席である華那も、当然ながらしばらくの間座ることができないだろう。どうするかと固まっていたところに、背後から遥奈に声をかけられた。

「おはよう。朝から凄いことになっているわね」
「そうだね……」

目の前で繰り広げられている光景を見ていると、胸の奥がムカムカしてくる。なんとなく面白くない。ほら、やっぱり私があげる必要なんてないじゃない。みんな手作りみたいだし、私なんかのチョコより愛情が詰まっているはずだもん。うん、やっぱり食べてしまおう。

「始業チャイムが鳴るまであの調子かもよ。さっきからひっきりなしだし。伊達君まだ来てないっていうのにね」
「は? 政宗まだ来てないの!?」

じゃああの人だかりは何だというのだ。当の政宗がいないのに、彼女達は何をしにここにきているのだろう。

「決まっているじゃない。机の上にチョコを置いて帰るのよ。伊達君が素直にチョコを受け取ってくれないと判断して、じゃあ本人がいないうちに勝手に置いておこう……かしら?」

普段から女子からのプレゼントは「鬱陶しい」の一言で片づけてしまう政宗だ。いくらバレンタインだからとはいえ、素直に受け取ってくれるはずがない可能性が高い。ならば置いたもの勝ちだということで、政宗が登校する前に机に置いていっているらしい。これなら目の前で拒否されるより精神的ダメージも軽くて済む。

「相手を目の前にして渡さなきゃ意味がないんじゃないの、こういうのって?」
「机の上にこっそり置くというのも、慎み深くていいんじゃない? 男の妄想を掻き立てることもできるし」

誰が置いていったかわからないほうが時に良い場合がある。名前だけ書かれたカードを置く、ということで、どんな女の子だろうと男の想像を勝手に掻き立てるのだ。それまで全く眼中にない女の子でも、フィルターがかけられたかのように、急に可愛く見えてしまうことすらある。

自分に好意があると知った途端可愛く見えるのだから、人間という生き物はつくづく単純だ……とこれは遥奈の言葉である。丁度始業チャイムが鳴り、遥奈の言った通り女の子達はぞろぞろと自分達の教室へ戻っていく。チャイムが鳴っても担任が来るまでにはもう少し時間があるため、華那と遥奈はこのまま話を続けた。

「じゃあ政宗も男としては単純だから簡単に引っかかっちゃう……!?」
「誰が単純だァ、コラ」

二人の後ろでは登校してきたばかりだというのに、既に疲弊しきった様子の政宗が立っていた。冬場だというのに薄らと汗をかいていて、頬も少し上気している。まさか遅刻しそうだったから走って登校してきたとか? しかし政宗はいくら遅刻しかけても急ぐことをしない。見ているこっちがいくら急かしても決して急ごうとしない男だ。

「朝から女の子達のバレンタイン攻撃に捕まったのね。羨ましい」
「ったく何なんだよこりゃ。学校に着くなり女共が群がってきたと思えばchocoの山が……」
「ああ、伊達君はこっちに帰ってきてから初めてのバレンタインですものね。まだ経験がなかったか」

バレンタインの日にチョコをあげる行為は日本限定のイベントだ。ずっとアメリカに住んでいた政宗は、二月十四日の学校が戦場と化すことを知らずに過ごしてきた。ましてや学校一のモテ男という肩書きを持つ者のバレンタインの凄さなど、一般人には到底理解できない世界である。事前に幸村や佐助あたりに対策を聞いておくべきだっただろう(昔からモテてそうだ)。でも幸村は甘いものが好きだから喜ぶだろうし、佐助も俺様ってモテモテとか言っちゃって、チョコを受け取ってそうだしなあ。あんまりアテにはならなさそうだ。

「Ah だから朝から成実の奴がニヤニヤ笑ってあんなことを言ってたんだな……」

学校に行く前成実は言った。今日は疲れるだろうけど気を付けて、と。あれはこういう意味だったのか。もっとはっきりわかりやすく言えと思いながらも、全くそのとおりだと納得するしかない。まだ学校に着いたばかりだというのに、体力の消耗がとにかく激しい。放課後までもつだろうか。

「で、誰が単純だって、華那?」

男としては単純。この言葉にどれだけの意味が込められているのだろう。鈍感な彼女のことだから深い意味はないかもしれない。だが察しの良い政宗や遥奈は、華那の言葉をつい勘ぐってしまう。男とは一体何を指しているのだろう、と。

「男としては単純……ね」
「なんだその目は?」
「否定はしないんだと思っただけよ?」

遥奈の挑発的な笑みに政宗は苦虫を噛み潰した。

「ねえ政宗。政宗はさ、チョコ受け取った、の?」
「Ah? 受け取るわけねえだろうが。知らない奴から物を貰っちゃいけませんってよく言うだろ」

チョコと好意を伝える日にそれはないだろと思う華那である。全く知らない赤の他人なら話は別だが、同じ学校の制服を着ている女の子なら許容範囲だと言えるのではないか。

「でも華那からのchocoなら貰ってやってもいいぜ?」

政宗の言葉に、華那は無意識に鞄を強く握りしめる。チョコならある。この鞄の中に、あるにはあるのだ。政宗は素直じゃないから、貰ってやってもいいなんて上から目線で言っているけれど、本心は違うはずだ。今の言葉を訳すとチョコをくれと言っているようなものである。今なら素直に渡せるかもしれない。政宗のために買ったんじゃない。買ったんじゃないけれど……自分で食べるのもアレだし。

アレが何か華那にもわからない。しかし何故か言い訳が止まらない。別に誰かに話しているわけではないのに、仕方がないのよと諦める理由を無意識で探してしまっている。ええい、もうどうにでもなれ!

「そんなに欲しいならあげるわよ!」

い、言っておくけど政宗のために買ったんじゃないからね!? 叩きつけるように政宗の机に上にチョコを置くと、華那は政宗を見ずにすたすたと自分の席へ移動する。少々乱暴だったので箱が潰れていないか少し心配になったが、まあ大丈夫だろう。まさか本当にチョコを用意していると思っていなかった政宗は、机の上に置かれたチョコをしばらくの間呆然としていた。前の席に座る華那を見ると、耳まで真っ赤になっている。相変わらず素直じゃない幼馴染が急に愛おしく思えて、政宗の頬は自然と緩んでしまった。

「華那」
「なによぅ……」

振り返った華那の頭を掴み、グイッと引き寄せる。そのままおでこにチュッとキスをした。おでこに手を当てるとそこだけやけに熱い。

「Thank you 華那」
「な……何すんのよばかぁ!」

バカ、というわりには全く力が入っておらず、バカと言ったその表情すら可愛く思えてしまう自分は相当末期に違いない。

完