短編 | ナノ

血と汗と涙味の白いモノ

美味しいお餅が食べたい。そんな衝動に駆られた、冬のある日のこと。正月に帰国していた両親も先日イギリスへ戻り、華那は相変わらず一人暮らしを満喫していた。やはり一人だと家の中は広く感じる。話す相手もおらず、テレビから話し声が聞こえるだけだ。こたつに入り王道だと思いながらもみかんを口にする。一つ、また一つと食べながら、お昼の主婦向け番組を眺めていた。番組では正月に残ったお餅のアレンジ料理を紹介している。それが非常に美味しそうで、華那はテレビ画面を食い入るように見ていた。

「今日の晩御飯……チャレンジしてみようかな」

華那はおもむろに立ちあがると台所に向かい、お餅の残りがないか探し始める。毎年半分くらい余るのでどこかにあると期待していたのだ。が、しばらく探してみたがみつからない。普段お餅がある場所にないのは勿論のこと、それ以外の場所にもなかったのである。毎年余るのに、今年に限って何故……!? 

華那はがっくりと項垂れた。一度これだと思ったら、それをしないことには妙に落ち着かない。具体例をあげるのなら先日ラーメンを食べようと思ったのになんだかんだで食べ損ね、以後ラーメンを食べるまでソワソワしていたあの感覚に近かった。華那の脳は既にお餅を食べることに固執しているのだ。今の彼女にとってお餅以外は興味がない。かといってそれだけのためにスーパーに行ってお餅を買うのも馬鹿馬鹿しい。あのテレビ番組で紹介されたお餅の料理は、あくまで正月に余ったお餅の食べ方、である。

「……そうだ、お餅ならあるじゃない。それもとびっきりのやつが!」

上手くいけばお餅が手に入るかもしれない。華那は急いで身支度を整えると、寒空も気にしないというような揚々とした足取りで家を飛び出したのだった。

武田道場。近所でも有名な道場で、門弟も沢山いることで知られている。何より有名なのは武田道場の師範である武田信玄の熱血っぷりにある。口で語るよりも拳で語れと言わんばかりの熱血漢で、その拳は岩さえも軽く砕くと言われていた。

婆娑羅学園一の熱血漢と呼ばれている真田幸村と、彼とよく一緒に行動を共にしている猿飛佐助も信玄の門弟にあたる。真田幸村のあの暑苦しさは確実に信玄の影響によるものだろう。

そんな武田道場で今日、毎年恒例の餅つきが行われていた。ぺったんぺったんと弾力のある音が中から聞こえてくる。華那は自分の予想が的中したことで顔をニヤつかせた。以前幸村からこの日道場で餅つきをすると聞いていたかいがあった。

「ゆきむるぁぁあああ!」
「おやかたさぶぁぁあああ!」

餅つきの音だけでなく、この道場の名物とも言える師弟の暑苦しい掛け声までも聞こえてくる。冬空の下でもこの師弟の暑苦しさは依然健在だった。華那は道場の中へと足を踏み入れ、声のする中庭のほうへ向かう。

「ouch!」

武田道場では珍しい英語に華那はおもわず足を止め、訝しげに首を傾げる。

「ごめんねー、竜の旦那。タイミングがちょっとずれちゃった」
「テメェ……今のぜってーわざとだろ!?」
「何やってんの、二人とも……?」

中庭にいたのは信玄と幸村ではなく、政宗と佐助だったのだ。二人は何故か仲よく餅つきをしている……ように見える。心なしか佐助と政宗の右手の甲が赤くなっているのだが、杵を持つ佐助と政宗の間に火花が散っているように見えたのは錯覚だと思いたい。それだけでなく、二人の目から涙のようなものが薄らと滲み出ている。

武田道場にどうして政宗がいるのか、そして普段なら絶対にやらなさそうな餅つきを、どういう経緯で日頃から嫌っている佐助とやっているのか。わからないことが多すぎて華那は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

「あっれー、華那じゃん。こんなとこで何してんのー? あ、俺様に会いに来てくれたとか?」
「まっさかー。私はお餅に会いに来ただけだよ」
「相変わらずそういうところは正直なこって……」

佐助の冗談を冗談で返したところで、華那は政宗がいる理由を訊ねた。

「真田の野郎に無理やり連れてこられたんだよ。一緒に餅つきをしようってな。このオレが餅つきだぜ? 似合わねえにもほどがある」
「ほんっと似合わないよね。旦那のファンが見たら幻滅しそうなくらい」
「猿に言われると腹が立つのはなんでだろうな……!?」
「できればその怒りは俺じゃなくて餅にぶつけてくれない? 旦那の力なら程良い弾力になりそうな気がするし」

佐助の更なる一言で政宗の怒りのボルテージは上昇しまくりだ。いつ臨界点を突破してもおかしくない。特にアテもなく街をブラブラしていたら、偶然幸村と出会った政宗は、彼に一緒に餅つきをしようと誘われた。当然間髪いれず断ったが幸村も一歩も引かず、結局こうやって参加させられている。誘った本人は信玄との餅つきに夢中になってしまっていて、政宗の存在など忘れてしまっていた。お互いの名前を呼びながらの、実に熱い餅つきの光景である。

「で、お館様に言われて俺が竜の旦那と餅つきをすることになったというわけ」
「じゃあ二人の右手の甲が赤いのはどうして?」

華那の素朴な疑問に、政宗と佐助はぴくりと眉を吊りあがらせる。

「Ha! 猿が鈍いのが悪いんだろうが」
「なーに言ってんの。俺様が、じゃなくて旦那が、だろ?」

最初に杵を持ったのは政宗だった。政宗が杵で餅を搗き、佐助が捏ねる。初めてにしては二人とも結構いい感じだと思えたのは最初だけ。どこでリズムが狂ったのか、政宗がうっかり杵で佐助の手を搗いてしまったのである。当然、政宗に悪気はなかったのですぐに謝った。だが搗いてしまった相手は常日頃嫌っている佐助。ごめんなさいの次に飛び出した言葉は、労りではなく嫌みの一言だった。

これにカチンときた佐助は政宗から強引に杵を奪い、役割交代だと言わんばかりに杵で餅を搗き始めた。有無を言わせない佐助の強引さに内心腹を立てながらも政宗は餅を捏ねていく。が、次の瞬間、政宗の右手に激痛が走った。佐助が仕返しと言わんばかりに杵で政宗の手を搗いたのである。両者の間に激しい火花が散った。その後、華那が来るまでずっとこの調子だったのである。

「ばっかみたい……折角の餅を血の味にする気か!?」
「大丈夫だ、まだ血は出てねえ」
「そういう問題じゃないし! 私のためにもさっさとくだらないケンカは止める!」

華那がここに来た目的は美味しいお餅を頂戴するためにある。決して血の味がする餅を頂戴するために来たのではない。

「ほら、さっさとお餅を搗く! 早くしないと美味しくなくなっちゃうかもしれないでしょ」
「だからなんで俺様が……」
「文句を言わずきびきび働く!」
「Shit!」

政宗と佐助は互いに顔を見合わせ、渋々といった様子で静かに餅つきを再開した。何か掛け声の一つでもすればいいのに、お互い一言も発しないどころか目を合わせようとさえしない。それでも息は合っているので不思議と言えば不思議な光景だった。

「おお、華那も来ておったか!」
「信玄先生、お邪魔してます!」

華那は奥から現れた信玄に頭を下げる。信玄の後ろには真冬だというのに汗をかいている幸村の姿もある。餅にこの師弟の汗が滲み込んでいないことを願うばかりだ。華那はこの道場の門弟ではないが、幸村や佐助を通じて信玄とは面識があった。無論、それは政宗も同様だ。

「信玄先生! 今年もお餅をください!」
「うむ、好きなだけ持って行くがいいぞ!」
「ありがとうございます。さすが信玄先生、太っ腹!」

ガハハと豪快に笑う信玄につられ、華那も豪快に笑い始める。傍から見ると仲の良いおじいちゃんと孫のようだ。

「そういやなんで華那はわざわざ餅を貰いに来たんだよ?」
「テレビ番組の特集でね、正月に余ったお餅を使ったアレンジ料理っていうやつをやってたの。それを見てたら作ってみたくなったんだけど、肝心のお餅がなかったからここに貰いに来たの」
「そこまではっきりと集りに来たって言われると逆に清々しい気分だよ、俺様」
「なによー、去年お餅のお裾分けですってうちに来たのはどこの誰よ」

去年の今ぐらいに幸村と佐助が大量のお餅を持って華那のうちへやってきた。道場で餅つきをしたのでどうぞとのことである。そのお餅が非常に美味で、一年経った今でもあの味が忘れられない華那だった。

「華那殿がわざわざ餅を貰いに来るほどの料理……それほど旨そうなのか?」
「うん、少なくとも今日の晩御飯にしちゃおうと思うくらいには」
「へー、そんなに旨そうなら俺様もちょっと食べてみたいかも。なんならここで作ってよ」

佐助の一言に幸村は瞳を輝かせる。どうやら彼もどんな料理か気になっていたらしい。期待の眼差しを向けられた華那は、小さく呻きながらどうしたものかと考え始めた。タダでお餅を貰うのはやはり少し気が引ける。ここで料理を作ればそれをチャラにできるかもしれないと思ったのだ。

「お館様もいいですよね? 華那の料理なら食べられないことはないですし」
「それはどういう意味よ佐助……」

料理の腕がプロ級の政宗と佐助には負けるが、それでも人並み以上に料理ができると自負しているだけに、佐助のこの物言いにはカチンとくる。

「うむ、わしは一向に構わんぞ。華那、台所を好きに使うと良い。そうと決まればまだまだ餅を搗くぞ! 幸村、佐助、準備にかかれ!」
「わかりました、おやかたさぶぁぁあああ!」
「あー、はいはい。ちょっと旦那、燃え滾るなら餅を搗くときにしなさいってば」
「じゃあ私は買い出しに行かなきゃ。政宗、付き合って」
「ったく、しゃあねえな……」

お金は政宗にも少し出してもらおう。華那がそんな打算的なことを考えていることなど知らず、政宗は華那と二人で買い出しに出かけた。彼らからすれば、これはいつもと変わらない極々当たり前の日常。これは、そんなある日の出来事。

完