短編 | ナノ

ごちそうさまでした

そんなに大掃除が嫌なら、普段からマメに掃除をしておけばよかったのよ。……そんなことを思いながら、私は台所でせっせと何個目かわからぬおにぎりを握っていた。最初は政宗の分だけと思っていたのだけれど、せっせと掃除に勤しむみんなを見てたら、急にみんなの分も作ってあげようと思っちゃったわけ。だから伊達組全員のおにぎりを拵えようと決意したのだ。

でもこれがかなりの重労働でね……。よくよく考えればこれほど大量のおにぎりを握ったことなどなく、一体何個作らなきゃいかんのだろうという不安感さえ覚えてくる。今まで一回で作ったおにぎりの数など両手で足りるほど。とてもじゃないが足りない、足りなさすぎる。一人二個と考えても、軽く百五十は越える数を握らなければならない今からすれば、過去に私が握ったおにぎりの数など「ケッ!」とその辺に捨ててしまいたい。嗚呼、これじゃあ掃除のほうがラクかもしれない……。

台所でおにぎりを握る私のBGM代わりとなっているのが、さっきから鳴り止まない小十郎の怒鳴り声だった。怒鳴り声だからと言って、別に怒っているというわけでもない。普段が普段なせいか、大きな声は自然と怒鳴り声に聞こえてくるだけだ。事実、彼が言っていることは傍から聞いているとお母さんのセリフみたいだし。ああほら、また聞こえてきたよ。

「オメェら! 畳の掃除はそうじゃねぇだろうが! 掃除機をかける場合は畳の目に沿ってだ。そうじゃねぇと中に入り込んだ埃を取り除くことができねぇし、イグサの表面を傷つけかえって汚れをしみ込ませちまう」

………あらら、すっかり小姑みたいになっちゃって。

「待て。その雑巾、事前に洗濯機で脱水しただろうな!? おい、畳を拭く場合は必ず目に沿って後ずさりするように、だ。雑巾は畳三分の一程度で片面を使う要領で、常に綺麗なものを綺麗な面を使うようにしやがれ!」

おにぎりを握りながら私は苦笑しっぱなしだった。さっきからこの調子なのだ。屋敷中のあちこちから、小十郎のこうした怒鳴り声が響いてくる。みんなきっとそんな小十郎をおっかないものを見るかのような目で見ながら、真剣に掃除をしていることだろう。今日の小十郎には誰も逆らえないだろう。普段から逆らえてないけど。

「………今頃政宗の奴も、うんざりした表情で廊下を往復してるんだろうなァ。廊下の水拭きって腰にくるんだよね」
「You can say that again」

私の独り言に同意するかのような流暢な英語に、私はびっくりしながら背後を振り返った。そこには柱に背中を預けて、疲労しきった表情を浮かべている政宗がいたのである。

「もう掃除終わったの?」

それにしてはやけに早いような気もするが。もしかしてまた逃げたのか? そんな私の考えは案の定だった。

「それとも……逃げてきたとか?」
「Yes that's right」

自信満々な態度で言うセリフじゃないと思うんだけど。ジトッと睨みつけるが、政宗は飄々とした態度でそれを無視して私に近づいてきた。あきれ返って何も言えないが、それでもおにぎりを握る手は休めない。しかしここではたと気づく。政宗がここにいるということは、一緒に水拭きをしているはずの成実はどうしているのだろう、と。

「あれー……じゃあ成実は?」
「ああ。今頃オレの分まで頑張って、廊下を行ったり来たりしてんだろうなァ……」
「つまりは押し付けてきたんかいッ!」

成実のことだからわけのわからないこと(主に政宗に対する愚痴と小十郎に対する命乞いだろう)を叫びながら廊下を走っているんだろうな。やっぱり成実は貧乏くじを引き続ける運命なのかしら。

「そんな悪い子に、このおにぎりはあげません!」

私は政宗のお母さんかと自分でツッコミつつも、おにぎりがのっているお皿を遠ざける。政宗のためにと思って作り始めたおにぎりだったけど、サボる奴にはあげる義理なんてこれっぽっちもない。だってこれは「お掃除ご苦労様」っていう気持ちを込めて作ってたんだもん。私だって掃除をサボる人よりも、頑張った人に食べて欲しい。

「Hum……」
「な……なに?」

おもむろに私の腕を掴んだ政宗に、私は少しだけ不安になった。私の指をじっと見つめる政宗の行動に首を傾げつつも、彼の視線が指を通して伝わってくるせいか、身体がじんわりと熱を持ち始めていた。ただ見ているだけ、それなのにどうしてこうも扇情的なのか。頭がクラクラする。そんな私を見て、政宗は「クク……」と喉の奥で笑った。

「どうした華那。物欲しそうな顔してるぜ……?」
「………っ!?」

政宗の声にさえ過敏に反応してしまい、私は距離を置こうと咄嗟に後ろに一歩飛びのいた。その反応さえおかしいのか、政宗は浮かべている笑みを深くする。

「いっ、いい加減放して!」
「んじゃその前に……」

それまでは握って眺めていただけの指を、政宗はゆっくりと自分の口元近くに寄せる。そして―――人差し指をパクリと口に含んだ。

「っ〜〜〜〜!?」

私は声にならない悲鳴を上げながら、脳髄に痺れるように伝う妙な感覚に身体を捻る。政宗のざらついた舌が指を舐めるたびに、私の身体は素直に反応してしまう。政宗の動きが逐一エロく見えて、私は視覚的に犯されている感覚を覚えた。

「……なっ、な、に!?」

なんでこんなことをするのかって言いたかったのに、私はまるで呼吸ができていなかった。そのせいで巧く言葉を発することができず、自分でも驚くほど声が掠れていた。名残惜しげに卑猥な音を立てながら指を離した政宗は、余裕たっぷりな笑みを浮かべてあっさりと言ってのける。

「何って、指についてたご飯粒を食べただけだぜ?」

そ、それなら普通に取って食べればいいじゃない。なんであんな厭らしいことするかな!? しかも人の羞恥心を煽るような挑発までして! 言いたいことは心の中で叫ぶだけに止まった。現実の私は金魚みたいに口をパクパクさせて、声にならない悲鳴を上げているだけである。冬だというのに、身体中が蒸せるように熱い。

「なんだ……あれだけで―――感じたのか?」
「そんなことない!」

力いっぱい否定するが、本当のところどうなのかわからなかったりする。何が感じるのか根本的にわかっていないからだ。

「もうあげない! 絶対におにぎりあげないんだから!」
「いいぜ? それよりも美味いモンもらったしな。んじゃオレは戻るわ、そろそろ戻らねぇと小十郎にバレちまう」
「いっそのことバレちゃえばいいのよ! いーっだ!」

目をぎゅっと瞑り、舌をだして膨れてみせる。子供みたいって自覚はあるが、今はこうでもしないとやってられない。政宗は背中を向けたまま手をヒラヒラとさせるだけ。か、完全にあしらわれている。そしてふと思い出したようにこちらを振り向き、ニヤリと笑ってこう言ったのだった。

「Thank you for the delicious meal」

完