短編 | ナノ

血塗れハロウィンにマシュマロひとつ

「日本人って不思議よね。ハロウィンパーティーなんてあんまりやらないのに、ハロウィングッズだけは溢れているんですもの」

キャンディーが入ったカボチャの入れ物を手に取ってまじまじと見ながら、遥奈は感心しているのか呆れているのかわからない声で呟いた。彼女の隣で同じようにドラキュラの缶ケースを見ていた華那は、突然何を言い出すんだと思い不思議そうに目を細める。

「ハロウィンイベントは誰もやらないくせに、こんなハロウィングッズだけは買うのよ。何かおかしくない?」

ハロウィンまでもう少しのある日の休日、華那は遥奈とショッピングを楽しんでいた。特にこれが欲しいというわけでもなく、あてもなくブラブラとお店を渡り歩いていたときである。もう何軒目かわからなくなっていた頃、遥奈が突然このようなことを言い出したのだ。

確かに今思い返してみると、今日行ったお店全てでハロウィン関係の商品が売られていたか、または展示されていたはずだ。今日一日を色で表せと訊かれると、オレンジ色だと断言できるほどに。

「確かにハロウィングッズは可愛いからカボチャの置物とか買ったりするけれど、言われてみればそれだけだね。ハロウィンイベントってやったことないや」

華那もこの時季になるとカボチャの入れ物に入れられたお菓子をよく買っている。この場合中身のお菓子よりも入れ物目当てだ。なんとなく可愛く見えるので、多少値が張ってもついつい買ってしまうのである。なんとなくテンションが上がっている、といえば嘘になる。ハロウィンという一種のお祭り騒ぎに当てられたのだろう。しかし実際ハロウィンイベントをやったことはない。仮装もしないし、トリックオアトリートと言ってお菓子を貰ったこともない。

「そう。誰もやらないのよ。でも見て。この街中に溢れたハロウィングッズの数々を。クリスマスもそうだけど、本当に日本人って調子だけは良いわよねぇ」
「そう言われると買いづらくなるんだけど……。あ、じゃあ政宗はどうだろう?」
「伊達君? ああ、彼はアメリカで本場のハロウィンを経験してそうね」

十年近くもアメリカで生活していたのなら、ハロウィンイベントだって経験しているはずだ。少なくとも華那の周囲では一番詳しいだろう。本場のハロウィンがどんなものか知りたかったら彼に聞くのが手っ取り早い。

「政宗も仮装してトリックオアトリートって言ったのかな?」
「言ったと思うけれど………彼の場合、お菓子を貰えたかはわからないわね」
「どうして? トリックオアトリートって言えば無条件でお菓子をくれるものじゃないの?」
「ま、普通はね。華那、トリックオアトリートがどういう意味か知っているわよね?」

それは英語が苦手な華那でも知っている。トリックオアトリートとは、お菓子をくれなきゃイタズラするぞという意味だ。なんとも可愛らしい言葉だろうか。

「そう。お菓子をくれなきゃイタズラするぞっていう意味」
「私だってそれくらいわかるよ。まさかそこまで馬鹿にしているんじゃないわよね!?」
「違うわよ。じゃあ華那ならお菓子をあげられる? トリックオアトリートって言う伊達君に?」
「あげられるもん。ま、お菓子がないっていうのなら別だけど」
「本当に? 仮装した伊達君に、あの声で迫られるのよ? お菓子をくれなきゃイタズラするぞって。私ならまずお菓子はあげないわ。イタズラしてほしいもの」

遥奈の爆弾発言に華那は持っていたドラキュラの入れ物を落としそうになった。ドラキュラの置物を売り場に戻しながら、華那は目を丸くさせ遥奈を凝視する。

「イタズラしてほしいの!? なんで!?」
「だってェ、伊達君のイタズラってなんかヤラシそうじゃない。私なら喜んでイタズラしてもらうけどな」

華那からすればそのイタズラだけはご勘弁だ。しかし珍しいこともあるもので、遥奈は政宗にイタズラをしてほしいと言う。だが華那は気づいていない。どちらかというと自分こそが珍しい側にいるということに。世の女性の意見はおそらく遥奈に同意を示すだろう。

「で、それがどうして政宗はお菓子を貰えなかったっていう結論に至るわけ?」
「考えても御覧なさい。ノックの音で子供の母親がお菓子を持ってドアを開けたら、そこには仮装した伊達君がいて、あの声でお菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞって言うのよ? いきなりであの刺激は強すぎるわ。百戦錬磨の女性でもノックアウトね」

ドアを開けたら仮装した政宗がいて、お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞと囁く。政宗のことだからきっとノリノリだろう。きっと仮装した役になりきっているはずだ。あの挑発気味な笑みを口元に浮かべて、トリックオアトリート……。日頃よく聞く政宗の声を思い出し、そこにハロウィンの仮装をさせた政宗の姿を思い浮かべ、華那は器用にも脳内再生を試みた。

「………華那ちゃん。鼻の下から赤い液体が垂れているわよ」
「え、うそ!?」

慌てて鼻の下を手で覆い隠し、こっそりと鼻の下に触れてみる。赤い液体、つまり鼻血が本当に出ているか確かめるためだ。だが慌てている華那を余所に、遥奈は涼しい顔で「うそよ」と突っぱねる。華那はジト目で遥奈を睨みつけるが、それでも遥奈は涼しい表情を崩さない。

「ということは、華那も想像しちゃったんだ。伊達君のトリックオアトリート。どう? 私の言いたいことわかったぁ?」

妙に間延びした語尾が少し腹立たしいが、遥奈の言いたいはなんとなく理解できた。確かにお菓子をあげたくなくなる。子供そっちのけで政宗に夢中になる。むしろイタズラしてくださいとこっちからお願いしたいくらいだ。

「あのフェロモンに当てられるとなれば……逃げ場はないわ」
「逃げる気はないんじゃないかしら。喜んでホイホイついていくと思うけど」
「でもさー……それじゃあ旦那さんの立場は?」
「あらあら。私ですら考えたくないことを訊いちゃうのねこの子は」

いきなり現れた見知らぬ若造に愛する妻が熱を上げているのだ。旦那としては面白くないし、腸が煮えくり返る思いかもしれない。それこそ口論になり、最後は力と力のぶつかり合いにまで発展するかもしれないのだ。

「すごいわね。まさに血塗れハロウィンじゃない。よかったわね、血のメイクはしなくてすみそう」
「よくないよ! 政宗の腕っ節の強さは遥奈だって知っているでしょ。旦那さんがかわいそう」

奥さんは政宗に熱を上げ、旦那はそんな政宗に喧嘩を売り、返り討ちに遭う。旦那が悲惨な目に遭っても、奥さんは政宗に夢中だろう。

「ま、あくまでもこれは私達の想像だけどね。なんなら伊達君に直接訊いてみる?」
「うーん……」

ここまで煽られたら華那とて気にはなる。遥奈の言葉に従うのは少々癪だが、今度政宗に訊いてみようと華那は心に誓った。

「Halloweenだァ?」

後日伊達の屋敷に遊びに訪れた華那は、おもいきって政宗にハロウィンのことを訊ねてみた。すると政宗はハロウィンという言葉を聞いただけで露骨に嫌な顔をしたのである。これは何かあるなと華那の直感が音を立てて反応した。

「本場のハロウィンを経験したんでしょ? どんなものなのか是非話が聞きたいな」
「………思い出したくねえ。Halloweenにはろくな思い出がねえからな」
「どうして? 仮装してトリックオアトリートって言うだけじゃない。政宗の容姿なら別に仮装が似合わないっていうわけでもないでしょ?」

着ぐるみのような誰が誰なのかわからないようなものなら話は別だが、一般的にすぐ浮かぶような仮装なら似合わないはずがない。好奇心で瞳を輝かす華那を見て一歩も引く様子がないと判断した政宗は、華那から少し視線を外しておずおずと口を開いた。

「ガキの頃はそうでもなかったんだが……十三歳くらいから何故か毎年殴り合いのケンカになったんだよ。ケンカになったっつっても別にオレは何もしてねえからな! 向こうがケンカを売ってくるんだよ。それもいきなりな!」

ケンカと聞いて華那がまた口を尖らせると思ったのか政宗は先に、自分は何もしていないことを必死になってアピールした。

「ねえ、それってもしかしてだけど……」
「An?」
「ハロウィン自体はかなり楽しんでた? 仮装にも凝ってた?」
「Of course! やるからには徹底的にやるにきまってんだろ」
「ドアを開けたら主婦さんがいて、トリックオアトリートと言っても何故かお菓子をくれず、それどころか後から現れた旦那さんにいきなり殴りかかられ、仕方がなしに応戦して逆に旦那さんをこてんぱんにやっつけた……!?」
「……なんで知ってんだ? オレこの話は一度もしたことがないよな?」

遥奈が予想したとおりのことが実際に起こっていた。不思議そうにしている政宗を無視して、華那は「ははは……」と力のない乾いた笑い声をあげている。怖いくらいに当たっている遥奈に畏怖の念すら感じるほどだ。まるでどこかの草の陰から見ていたんですか? と言いたくなる。

「こっちはただ仮装してTrick or treatって言っているだけだぜ? 何も間違ったことはしてねえはずなのに、なんで菓子もくれず、殴りかかられなきゃいけねえんだよ。今もわからねえ」
「……その件に関しては政宗が悪いと思うわ、うん」

政宗自身自覚がないので可哀想にも思うが、しかし原因は他ならぬ政宗だ。仮装した政宗がいきなり現れ「お菓子をくれなきゃイタズラするぜ?」とでも言われたのなら、正直お菓子をあげたくなくなる。遥奈ほどはっきりではないが、内心イタズラされてもいいかもとさえ思えてしまう人も少なからずいるだろう。

「ま、私ならこんなやらしそうなイタズラは丁重にお断りするけれど」
「Trick or treat」
「ん……?」

気づくと目の前に政宗の顔があった。一体いつの間に、瞬間移動でもしたのか!? と思わされる速さである。あまりに超至近距離であったため、華那は咄嗟にササッと後ろへ逃げようとした。しかし政宗の動きのほうが速く、華那の腰をガシッと掴み逃げることをよしとしない。

「Trick or treat?」

お菓子をあげれば助かるのかもしれない。しかし今、そう都合よくお菓子を持っているはずがない。イタズラはされたくない。お菓子をあげて助かりたい。何故今私はお菓子を持っていないの!? これじゃあその主婦さん達と一緒じゃない!

「やっぱ華那も菓子をくれねえんだな……」
「違う! あげる意思はある! 手元にお菓子がないだけ……」
「仕方がねえ。なら御所望通りイタズラしてやるよ」
「いいい、いらないっ! 望んでないってば!」
「やーらしいなァ、華那は」
「ってどこ触ってんのよ! やらしいのはそっちじゃな……!」

政宗にトリックオアトリートと言われた瞬間ちょっとだけ、あくまでちょっとだけだが、その主婦さん達の気持ちがわかってしまった!いきなりこんなのに来られると抗うことができない。お菓子をあげたらどこかに行ってしまうというのなら、このままお菓子なんてあげずイタズラされたい。そんな主婦達の気持ちが理解できた自分が悔しかった。
お菓子をあげたくないという気持ちがちょっとだけ理解できた自分に後悔しつつ、明らかに本場のハロウィンとは違う独特なハロウィンを体験する羽目になったのであった。

完