短編 | ナノ

愛ニ溺レタ竜

佐助はさっきから一心不乱に窓の外を眺めている華那の背中を見ていた。何度か声をかけたのだが返事はない。佐助の言葉が耳に入らないくらいに華那は真剣だったのだ。こうなったら華那の気が済むまで待つしかない。そう考え待つこと数分。華那は一向にこちらに気づいてくれない。

「なあ華那ってば―――」
「ああもう! なんでそうきちゃうのよ!」

痺れを切らした佐助が若干荒げ気味に口を開いたときである。佐助の言葉を遮るように突如華那が声をあげ、窓ガラスを拳でゴンッと力いっぱい殴ったのだ。佐助はビクッと肩を震わせる。

「ど、どうしちゃったのさ華那。さっきから何を見ているわけ?」
「ん? ああ、佐助か……。いやね、特別棟の三階の廊下を見ていたの」

この学校の校舎はコの字型の造りになっており、廊下側の窓からは特別棟が見える。距離もさほど離れていないので廊下までばっちり丸見えだ。佐助は華那の横に並ぶと言われたとおり三階の廊下に目をやる。

「ん? あそこで数人の女子生徒に囲まれているのって……竜の旦那じゃん」

どうやらさっきから華那が見ていたのは特別棟にいる政宗だったらしい。だが恋人の姿が見えたというには華那の表情は穏やかではなかった。心なしか華那が放つ空気も刺々しい。

「はっはーん。さては竜の旦那が女の子達に囲まれているのが面白くないんでしょー?」

華那は少し頬を赤らめムスッとしている。どうやら図星だったらしい。感情がコロコロと表れる華那は見ていて飽きない。人一倍感情の変化に敏感な佐助だが、今の華那の心情は誰の目から見ても明らかだろう。誰だって自分の恋人が異性に囲まれていたらやきもきする。例えそれが他愛のない話でも内心不安で堪らないものだ。人はそれを嫉妬と呼ぶ。

「政宗ばっかりズルい。なんで私ばっかりヤキモキさせられなきゃいけないのよ」
「………ヤキモキしているのは竜の旦那も一緒だと思うんだけどなー」

華那が気づいていないだけで、実は政宗も相当ヤキモキしていると佐助は思っている。さらに言えば華那はどこかしら天然なので、ときどき恐ろしいくらいに男心を煽っているのだ。だが天然なので本人にその自覚はない。やはり天然娘ほど恐ろしいものはないと佐助は心の中で呟いた。

「………決めた! 私も政宗にヤキモキさせてやる!」
「まーたろくでもないことを思いついちゃったよこの子は……」

華那の突拍子のない発言に佐助はげんなりとした。華那が何かしら思いついたとき、大抵それは上手く転ばないのが常である。第三者ができることといえば、できるだけ余計な火の粉を浴びないように気をつけることだけだ。

「佐助! 今から私と仲良くして!」
「そうきちゃった? 嫌にきまってるでしょ」

華那がやろうとしていることは、自分が政宗以外の男と仲良くして、その場面を政宗に見せつけてやろうというものである。仲良くしている男の子役に佐助を指名したわけだが、佐助は満面の笑顔でぴしゃりと嫌だと言い張った。佐助の反応が予想外だったのか、華那は大袈裟に驚いてみせる。背中に「ガーン」という文字を背負っているようだ。

「だってその役をやると後が怖いし。誰も竜の尾は踏みたくないだろ?」

その役をやる者にはもれなく政宗の鉄拳制裁も付いてくる。そう思うといくら華那の頼みでも引き受けたくない。誰だって我が身が一番大事だ。

「じゃあいいもん。幸村に頼むから! おーい幸村ァ!」

と、たまたま通りかかった不運な幸村に声をかけた。幸村は二人の姿を確認するなり、尻尾をぶんぶんと振る犬のように駆け寄ってくる。佐助は右手で顔を覆うと「あちゃー……」と天井を仰いだ。幸村なら華那の頼みを快諾すると踏んだからである。最も、華那もそれをわかっていて幸村に頼んだのだが。

現に彼は華那の予想通り快諾した。ただし政宗をヤキモキさせたいとは言っていない。初な幸村に色恋沙汰を挟むと計画は失敗すると考えた華那は、「今日一緒にお弁当を食べよう」と言ったのだ。前後を知らない幸村からすれば、それはただのお昼を一緒に食べましょうというお誘いである。そりゃあ快諾もするだろう。

「Hey 華那! Lunch timeと洒落込もうぜ!」
「あ、ごめんムリ。今日は幸村と一緒に食べるんだ」
「An?」

お弁当を持って席を立ち上がった華那の肩を政宗が掴む。政宗の顔にはどういうことか説明しろと書いてあるようだった。華那は内心で「占めた!」とほくそ笑む。華那の攻撃は少なからず政宗に効果があったようである。一度成功の味を占めると、華那の心はさらに上を要求し始めた。政宗の奴をもう少しからかってやろう。

華那は緩みかける頬を引き締めると、鬱陶しいと言わんばかりに眉を顰める。政宗に掴まれた手を振り払うと、表情を失くして立ち尽くす政宗を無視して幸村が待つB組へと向かったのだった。

「―――で、どうだった。竜の旦那の反応は?」
「あの驚いた顔が見られただけで満足……と言いたいけれど、なんか思っていたやつと違うんだよね」

政宗の表情を思い出してみるが、政宗にあんな表情をさせたかったわけではない。華那が味わったあのヤキモキした気持ちと、どこかが違うような気がする。どこが、と訊かれれば華那にも答えられない。だが最後に見た政宗の表情は、まるで。

「捨てられた動物みたいな……」
「何言っちゃってるのさ華那? 何が捨てられたって?」
「ううん……なんでも……」

何かが違っているような気がする。華那は今更ながらに自分がやったことが、実はとんでもなく拙かったのではないかと後悔し始めていた。ちょっとからかってやるつもりだった。華那の心の隙に生まれた、小さなイタズラ心。自分ばっかりヤキモキして悔しい。だから政宗にもこの気持ちを味合わせてやる。ただ、それだけのつもりだった。だが今は後悔の気持ちのほうが大きくなっていた。それもこれも、政宗のあんな表情を見てしまったからである。

「む? 政宗殿!」

三人から少し離れた位置の壁に凭れて何をするでなく、真っ直ぐ華那を見つめたまま動かない政宗の姿を見つけた幸村が声を発した。華那は咄嗟に肩を竦める。幸村の言うとおり政宗は腕を組んだままそこから動こうとしない。それどころか、華那から目を離そうとしないのだ。まるで睨みつけられているようで、華那は居心地が悪そうに視線を逸らす。

すると政宗は律動的な足取りで華那達に向かってきた。幸村と佐助は政宗の迫力に気圧されて指一本動かせずにいる。華那の隣で足を止めると、政宗は有無を言わさず彼女の腕を引っ張った。抵抗しようにも政宗の力は強く、華那は政宗にされるがままだ。政宗は華那の腕を掴んだまま教室を後にした。その様子をB組の生徒達は呆然と見送ることしかできなかったのである。

政宗は無言で歩き続ける。華那が声をあげても振り向きもせず、抵抗すればそれ以上の力で捻じ伏せる。そんなやりとりを続けていた華那は無駄だと判断し、余計な体力を使うくらいならと大人しく政宗に従うことにした。政宗に連れてこられたのは誰もいない生徒会室だった。政宗は華那の背中を強く押し、彼女がたたら踏んでいる間に生徒会室の鍵を閉めた。鍵が閉まる音に華那は身体を強張らせる。

すると政宗は華那の腕を掴み、近くにあった長テーブルの上に彼女を組み敷いた。華那の両腕を頭上でクロスさせ、己の右手一つで押さえつける。背中に強い痛みが走り華那は顔を顰めた。政宗の横暴に耐えかねた華那が声をあげようとした刹那、政宗はそれよりも早く彼女の唇を己の唇で塞いだ。己の欲望を満たすためだけの乱暴なキスに、華那は必死になって抵抗する。

いつもと同じようで全く違うキス。政宗は空いていた左腕で華那のスカートの中に手を忍ばせた。刹那、華那はこれ以上ないくらい身体を硬直させる。酸素が不足して苦しいのか、それとも別の意味で苦しいのかわからないが、華那の瞳は大きく開かれ、大粒の涙が今にも零れ落ちそうになっていた。

「……やるもんか」

唇が離れ、吐息が肌で感じられるほどの至近距離で、政宗は呻くように言葉を紡いでいく。

「……華那が泣こうが喚こうが、どんなに嫌がられても一生放してやるもんか。自由になりたいっつっても一生閉じ込めて、オレ以外の野郎を映さねえようにしてやる! 華那の気持ちなんてしったことじゃねえ!」

それはなんと真っ直ぐで、しかし酷く歪んだ愛の告白だろう。相手の気持ちなど知ったことではない。大事なのは己の気持ちだけ。己の気持ちが満たされるためだけに存在しろというのだ。他の男を好きになったのなら、相手の男を殺してでもその瞳に自分以外の男を映すことを許さない。なんと純真で、不純な欲望だろう。

華那の心は後悔で押し潰されそうだった。こんな政宗が見たかったわけじゃない。政宗にこんなことをさせたかったわけじゃなかったのに。ただちょっと政宗を困らせてやろうと、軽い気持ちだったのに。自分はとんでもない間違いを犯したのだと、今更ながらに気づかされた。

華那がしたことは、単なる「拒絶」に過ぎなかったのだ。おそらく政宗は拒絶されることを、心のどこかで恐れている。あまりに奥過ぎて本人は気づいていないかもしれない。だがこれだけはわかる。華那はやってはいけない、越えてはいけないラインを超えてしまったのだ。早く謝って誤解を解かなくては。政宗の迫力に気圧されていた華那は、我に返るなりおずおずと口を開いた。

「あ、あの……ごめんなさい。政宗にこんなことを言わせたかったわけじゃないの。ただ、私ばっかり政宗のことが好きすぎて、なんだかズルイと思っただけだったの。だから政宗にもヤキモキしてほしいなって思っただけだったの!」
「な………?」
「だから別に政宗が嫌いになったとか、他に好きな人ができたっていうわけじゃなくて……!」
「なんなんだよそれ………」

政宗の口から長い長い溜息が飛び出した。酷く疲れたような溜息に華那はあたふたとするばかりである。政宗は華那の首筋に顔を埋めたまま動こうとしない。政宗の表情は窺えないが、ちらりと見えているその顔は赤くなっていた。

「もしかして政宗……今すっごく恥ずかしい?」
「……うるせー。ったく、なんだったんだよ。恥晒しもいいとこじゃねえか」

政宗の拗ねたような声色に華那はクスクスと笑顔を溢す。否定しなかったということは、図星だったということだからだ。華那が笑っているのが気に入らないのか、政宗はますます口を尖らせた。

「……何が私ばっかり好きでずるいだよ。そりゃこっちのセリフだっつーの。いつもオレがどんな気持ちでいると思っていやがるんだこいつは」
「……それって、政宗もヤキモキしていると受け取っていいの?」
「何がいいの? だ。自覚がねえって恐ろしいよな……このEnchantressが」
「また英語で言う! ところでそろそろどいてよ。恥ずかしいから!」
「No」

政宗はわざと体重をかけると、華那は苦しそうに両足をバタバタと動かす。政宗は華那の首筋に顔を埋めたまま、もう少しこのままでいようと思った。とてもじゃないが顔をあげられない。今自分はどんな顔をしているのだろう。少なくともこんな情けない顔は華那には見せたくなかった。こんな、緩みきった顔など。

完