短編 | ナノ

私が願うたった一つのこと

織姫様、彦星様。あの瞬く天の川に、私は願いを託します。どうか、私の切実な願い事を叶えてくれませんか? そんなことを思いながら、華那は大きな葉竹に吊るされた自分の短冊を見上げていた。

話は七夕より少し前の休日まで遡る必要がある。休日の駅前はいつも以上に賑やかで、平日とは違いお洒落した老若男女が様々な目的を持って行き来している。平日の駅前だとスーツ姿のサラリーマンや学生が多いこの場所も、日曜日となれば雰囲気からして楽しい場所へと変化していた。

そんな人達に混じって、華那と政宗が仲良く歩いている。太陽が燦燦と照らしているにも関わらず、仲良く手を繋ぎながら。政宗の容姿に世の女性が振り返るにも関わらず、噂の的である政宗は素知らぬ態度を崩さなかった。

彼が何かを言ったわけでも、したわけでもない。しかし世の女性達はそんな彼を見ると、横にいる彼女以外目に入らないのねと自然と諦めていくのだ。戦う前に戦意喪失、勝ち目がない戦いなどしないことにこしたことはない。

一方華那は、そんな女性達の視線を痛いほど感じていた。政宗は涼しい顔をしているが、華那は内心気が気ではない。政宗の隣を歩けばいつもこうだからだ。道行く人々は政宗の容姿に目を奪われる。政宗自身が派手好きなせいか、彼の行動はいつもなにかしら人目を惹くのだ。

自分より綺麗な人が振り向けば、それだけで華那の心はざわめきを覚える。醜い劣等感や嫉妬が心の中でのた打ち回り始めるのだ。政宗を信じていないわけではない。ただ自分に自信がないからこんなにも不安に陥るだけだ。きっとこんなことを言ったら、呆れるだろうけど……。一体いつになったらこの不安から解消されるのか。

もしかしたら一生解消しないのかもしれない。私が政宗を好きな限り、この悩みは消えなさそうね。だったら本当に一生じゃない。だって政宗と別れるなんて、私からは一生ありえないもの。けどこれってなんて贅沢な悩みなんだろう。

「どうした華那? 急に黙り込みやがって……」
「なんでもないよ!」

訝しげに目を細める政宗の気を逸らそうと、華那は辺りを見回し何か話のネタはないかと探りを入れる。すると華那の目に大きな葉竹が飛び込んできた。これはいい、上手く話が逸らせそうだ。

「ねえ政宗、あれ知ってる?」

政宗は華那が言う「あれ」に目をやる。大きな葉竹に、色鮮やかな飾りや短冊が吊るされていた。

「そういやもうすぐ七夕か……」

政宗は早いもんだぜと呟きながら、なんでこんな駅前にあるんだと華那に訊ねる。華那は少し鼻を高くして自慢げに言ってのけた。普段教えてもらうことが多い華那だけに、誰かに教えるという行為が嬉しいのである。

「あれね、毎年恒例なんだ。誰でも短冊が吊るすことができるんだよ。最近じゃ笹がないから短冊が吊るせないって言うんで、ああやって短冊を吊るす場所を用意してるの」

七夕まであと少しなのか、大きな葉竹には既に沢山の短冊が吊るされていた。葉竹に近づいてどんな願い事が書かれているか拝見する。悪趣味だが人の願いごとはちょっと気になってしまうのだ。いかにも子供が書いたというような字のほかに、学生らしき丸っこい字や達筆な字など様々だった。華那が言ったとおり、色々な人がこの葉竹に短冊を吊るしているようだ。

テストで百点とれますように。誕生日に欲しいおもちゃを買ってくれますように。おばあちゃんの病気が治りますように。中でも多いのが、恋人が吊るしたと思われる「ずっと一緒にいられますように」というものだった。その願い事を見た途端、政宗はおもいっきり眉を顰める。

「何がずっと一緒にいられますように、だ。そんなことを願う時点でoutだろうが」
「な、なんでアウトなの? そう思うのは当たり前じゃん。私がそう願っても駄目なの?」

口を尖らせる華那を、政宗は不思議そうな表情で見つめる。

「当たり前のことを願ってどうすんだよ。確実に叶う願い事なんざ願い事って言わねえだろうが」

きっぱりと断言する政宗に、華那の心臓は大きく高鳴った。夏の暑さとは違う別の暑さが華那を襲う。恥ずかしくて嬉しくて、顔を上げていられない。

「…………やばい」
「What?」

俯いているため華那の表情は窺えない。政宗には何がやばいのかわからず、華那の表情を下から覗こうと少し屈んでみせる。が、華那は政宗の腕を強引に掴むと、いきなり足早に歩き出した。華那に引っ張られるままの政宗は、目をパチパチと瞬かせる。さっきから華那に何が起きているかさっぱりわからない。

「Hey 華那。さっきから変だぞ!?」
「全部政宗が悪い!」
「ハァ!?」

―――ますます好きになっちゃったかも、なんて言えっこない!
ごく自然に言ったから、余計に嬉しかった。当たり前のように言ってくれたから嬉しかった。だってそれって政宗も私と一緒だってことでしょ? 私が政宗を放さないように、政宗も私ことをを放そうとしないのだから。お互い放す気がないなら、ずっと一緒にいるに決まっている。偶然なんかじゃない、必然という言葉で繋がっているんだ。

「そだ! 私達も短冊に願い事書こうよ」
「なんで高校生にもなってンなガキ臭ェことしなくちゃいけねえんだよ?」
「高校生なんてまだまだガキですよーだ」

平日はともかく今日は日曜日だ。祝日だと駅前では道行く人に短冊を配っている町内会の人達がいるので、その人達から短冊を貰えばいいだけの話である。ノリ気ではない政宗を引っ張りながら、華那は町内会の人達がいないか目を凝らして捜し始めた。

***

「ほら政宗、いい加減願い事書こうよ」

あれからしばらくした後、華那は運良く町内会の人達を見つけることができた。華那の言ったとおり町内会の人達は道行く人達に短冊を配っていて、短冊を受け取りながらはしゃぐ華那に対し、政宗は面倒臭そうに溜息をついていたのであった。それから近くのバーガーショップに立ち入り、これから願い事を書こうとしている最中である。しかし政宗は未だに願い事を書く気がないらしく、さっきからカップに入ったジュースを飲むばかりだ。華那はどうしたものかと苦笑する。

「生憎だがこのオレに願い事なんかねえんだよ。願う前に自分で叶えちまうからな!」
「願う暇があるなら自分で動け……ってこと?」
「Yes」

なんとも政宗らしい答えに、華那はちょっぴり羨望の眼差しを向けた。度がすぎるとアレだが、こうやって自信に満ちている姿には羨ましい何かがある。同時に、かっこいいとも思っていたりするわけなのだが、これは言ってやらないと華那は硬く誓う。

「そういう華那はあるのかよ、願い事」
「そりゃあるよ。すっごく切実な願い事が」
「それは自力で叶えることはできないものか?」
「うん。自力で叶えることは確実に無理な願い事。だから神頼みしかないのよ!」

華那は短冊をぎゅっと、大事そうに抱きしめる。彼女の短冊には既に願い事が書かれているが、政宗は彼女が何を書いたのか知らずにいた。華那が力強く自力で叶えられないと断言するほどの願い事。気にならないわけがない。が、華那は誰にも見せたくないと言って断固拒否の姿勢を崩さなかった。結局この日、政宗は短冊に願い事を書くことはなく、華那は何を書いたのか教えないまま解散となった。

七夕当日の夜。華那は駅前広場に一人で佇んでいた。七夕当日の夜ということもあり、広場は大勢の家族連れやカップルで賑わいをみせている。幸いにも今日は天気に恵まれ、夜空には星が瞬いていた。ロマンチックなことだと、今頃織姫様と彦星様は天の川でちゃんと逢えたかなと思うところである。カップルが言えばロマンチックに聞こえ、子供が言えばなんとも微笑ましく聞こえる。だがこれが華那のように一人で短冊を見上げている輩が言えば、周りからは冷たい目で見られるから不思議だ。華那は大きな葉竹を見上げながら、短冊に込めた願い事が叶うように祈っていた。

わざわざこうして一人で訪れたのにはわけがある。華那も政宗を誘って来たかったのだが、そうなると自分がどんな願い事を書いたのか政宗に知られてしまう恐れがあった。政宗にだけはこの願い事を知られるわけにはいかなかったので、華那は淋しいと思いつつも一人でやってきた次第である。一人で来ると周りのカップルがやけに視界に入るのは不可抗力といえた。

織姫様、彦星様。あの瞬く天の川に、私は願いを託します。どうか、私の切実な願い事を叶えてくれませんか?

叶う願うごとなんか願うなと政宗は言った。でもこの願い事ばっかりは願わずにはいられない。叶えられる見込みがないと、華那も薄っすらとだがわかっているためだ。この願い事を自力で叶えるのは確実に不可能。だから願わずにいられない。無理なことだって自分でもわかっていた。だが願い事とはそういうもので、叶うはずがないと半ば諦めているからこそこうして願うのである。初詣の際も願っとけばよかったと、華那はちょっぴり後悔の念に駆られた。

いつまでこうしていただろう。華那はそろそろ帰ろうと、葉竹に背を向けた。だがその足が一歩踏み出されることなく、華那は不自然な体勢で固まってしまった。いる、いるのだ。少し離れた場所に、政宗と成実らしき人物が―――。

まさか政宗達がここに来るとは想像していなかった。短冊に願い事を書いてと言ったとき、政宗はノリ気ではなかったからだ。七夕なんて幼稚だと言われたようなもので、ここに来るはずがないと華那は確信していた。だがどういうわけか、政宗は成実と一緒にいる。しかし同時にこの人の多さに紛れることもできるはず。幸いなことに二人は華那に気づいていない様子で、華那は今のうちにとこっそりとこの場を後にする道を選択した……のだが。

「―――華那じゃんか!」

成実が目敏く華那の姿を見つけ、ブンブンと手を振りながら彼女の名前を呼んだ。選択が僅かばかり遅かったようである。華那は膝から崩れそうになるのを必死に踏ん張った。おまけに政宗ともばっちり目が合ってしまい、逃げるという道は完全に塞がれる。

成実にさえ見つからなかったら政宗にも見つからなかったかもしれないのにと思えば思うほど、ふつふつと怒りが込み上げてくる。暢気にヘラヘラと笑っている成実の顔面に、華那は何も言わずに拳をぶつけた。抉りこむような右ストレートである。成実の口からは短い奇声が発せられ、政宗は突然のことにぽかんとしていた。華那は顔面に入った拳をグリグリと更にねじ込ませている。無言という迫力が、華那の怖さをより深く引き立てた。

「なんでここにいるのかなァ、お二人さん?」

華那はニコニコ笑っているが、不思議と目だけが笑っていない。口調もゆっくりで声も穏やかなのだが、その状態で成実の顔面に拳をねじ込んでいるので異質だった。ぶっちゃけ怖すぎる。

「とりあえずそのへんでやめといてやれ。貧相な面が更に貧相になっちまう」
「そうだね。これ以上貧相な顔にしちゃったら可哀想だよね」
「二人揃って貧相、貧相って言わなくてもいいだろ!?」

成実は口を尖らせるが、二人は彼を無視して勝手に話を進めていく。どうしてここにいるのかと華那が訊ねると、政宗は成実に無理やり誘われたと説明した。今日は少しだけだが露店が出ていて、それを目当てに訪れる人間も少なくないのだ。成実もそのクチらしく、ただ露店を見に来ただけらしい。

「華那は何やってたんだ?」
「私? 私は七夕らしく過ごそうとしていただけだよ」

政宗達が来なければ完璧だったのにと思いつつも、華那はそれを顔には出さなかった。

「すっげぇ、短冊が沢山! みんなどんな願い事書いたのかなー?」

と言っている成実の手にも短冊が握られていた。華那は意外そうに目を見開き、彼が握っている短冊について訊ねる。

「政宗から貰ったんだよ。短冊なんて久しぶりだったし、面白そうだからこうして書いてみたんだ」

あのとき華那が渡した短冊が成実の手に渡ったらしい。結局政宗は願い事を書かなかったということか。

「成実ちゃんは何を書いたの?」
「そりゃあ俺が願うことといえば、これしかないよ」

―――彼女ができますように。

「……なんだよその哀れむようで、蔑む目は」

健全な十代彼女ナシの男の願い事とすりゃ当然だろと、何故か力強く断言する成実に華那は複雑な眼差しを送った。確かに妥当な願い事かもしれないが、こういったことをわざわざ願うなと言いたくなった。織姫様と彦星様に失礼ではないかと、ありもしないことなのだがつい思ってしまう。こんな願い事は叶えなくてもいいだろうというのが華那の思うところだった。

「じゃあ華那は何をお願いしたんだよ?」
「私は……別に、ごく普通の願い事だよ?」

本当は全然普通ではないのだが、ここはそう言っておくに限る。だが成実は華那の僅かな異変を見逃さなかった。

「本当に普通の願い事なの?」
「そりゃもう普通も普通。普通すぎてつまらないくらいだよ!」

じっと疑いの眼差しを向けてくる成実に居心地の悪さを感じ、華那は明後日方向へと視線を移す。

「そんなに普通なら教えてくれたっていいじゃん」
「だから普通すぎて面白味がないんだって……」
「―――そんなことないと思うぜ?」

華那の後ろから声をかけてきたのは、勿論政宗である。そういえば今まで何をしてたのかと華那は首を傾げたが、彼の手に握られているものを見て一気に表情が青ざめた。華那の口からは意味不明な言葉しかでてこない。政宗の顔は笑っている。だが天使のような笑顔ではなく、悪魔のような笑顔だった。悪者がよくするような、挑発的で攻撃的な笑みである。

「政宗は華那が何を書いたか知ってんの?」
「Yes ―――政宗のsadistな性格が治りますように。これが華那の願い事だ」

政宗が華那の短冊を読み上げた瞬間、彼女は某絵画のように絶望的な表情を浮かべた。口からは叫び声が飛び出そうだ。でもあれは絶望の声に耳を塞ぐ絵なので、今の華那とはちょっと意味が違う。成実はやっと事の重大さに気づき、自分がとんでもないことを訊いてしまったのだと後悔した。華那の表情を見ていればわかるし、願い事からだってわかる。

華那はこの願い事を、政宗には秘密にしておきたかったのだ。バレたらどんな目に遭うかわかったものではない。自分の保身を考えれば、言わないに限る。

「…………ごめん、華那」
「オレの愛情表現が気に入らねえとは随分と我侭なkittyだぜ。そんなkittyにはたっぷりお仕置きしてやらねえとなァ……? 朝までその身体にみっちりと刻み込んでやろうか?」

獣が舌なめずりしながら獲物に食らいつく。政宗を見ていた成実はふとそんなことを思った。右手で華那の顎をクイッと持ち上げ、左手で頬のラインを怪しい手つきでなぞる。放心状態の華那はされるがままだ。

「政宗のやつ、俺が華那と話している間に華那の短冊を探してたな」

どうりで姿が見えなかったはずである。華那も短冊に自分の名前を書くような真似はしていないはずだが。知っている相手だとその筆跡まで自然とわかってしまうものだ。おまけに政宗の、と書いてあるので似ている筆跡でも間違える心配はない。政宗の、ではなく恋人や彼氏と書いておけば、もしかしたらバレずに済んだかもしれないのに。

誰かが言ってたな。願い事は叶わないから願い事だというのだと。叶わないと思うから願うのだと。まさに華那がそのとおりだった。政宗のあの性格は天地が引っくり返っても治らないと成実は思っている。

とりあえず、と成実は頭上を仰ぐ。横で騒いでいるカップルは無視して、成実は今頃逢っているかもしれない織姫と彦星のことを考えた。空も地上も愛する者同士、この日ばかりは独り者は居心地が悪いと思いながら。

完