短編 | ナノ

おいでませプールの底

さてさてみなさん、もう夏ですよ。まだ夏本番というにはちょっと早いかもしれませんが、暑さと身体に纏わりつく湿気は一人前なのです。学校にいると常にこの二つに悩まされますが、唯一体育の時間だけこの二つから解放されます。だって体育の時間はプールの時間ですからね。自分の体型が気になるところですが、「ここは海じゃない学校のプールだぞ。着ている水着は可愛らしいものじゃなくスク水だぞ」と、暗示をかけてなんとか乗り切っています。それにしてもスク水を着ていると、みんな同じような体型に見えてくるから不思議ですね。恥ずかしさも半減します。

でもこの平和なプールの時間が、ちょっとした問題で危うくなってきている今日この頃です。実はですね、ここ最近何人かの生徒が水中で「何かに足を引っ張られた」と言うのですよ。最初のうちはみんなイタズラだと思っていましたさ。でも他クラス、他学年の生徒からも同じ証言が得られたことで、この話は急に現実味を帯びました。

「足を引っ張られたけど、水中には誰もいなかったんだって」
「もしかして幽霊の仕業!?」
「昔このプールで溺れて死んだ生徒がいるんだって……」

と、こういった話が出てくるのは当然のことだといえるでしょう。怖がってプールの授業を休む生徒が続出し、事態を重くみた先生達はようやく腰を上げ、プールを調査することに決めたのが一昨日のこと。そして―――。

「音城至、また遅刻かっ!」
「すみません。出かけに母が急に倒れて……!」
「お前の母親は海外じゃなかったか?」
「そうでしたっけ? 今日はいつもよりながーく眠れたから、頭がまだ寝ぼけているんですかねぇ」
「お前、明日の放課後に行われるプール調査に強制参加な」

こんな具合に、そのプール調査に無理やり参加させられることになったのが、昨日の朝のこと。寝坊した罰がプール調査なんて酷すぎます。先生に話を聞くと、私の他にもあと数人調査に参加する生徒がいるらしいです。みんな私のように何かしらやらかした人達なんでしょうか。面倒ですがとんずらすると更に後が面倒です。例えば夏休みの宿題を増やされたり、このクソ暑い中校庭を走らされたりエトセトラ。本当に面倒ですが明日は水着を忘れないようにしなくちゃいけませんね。
そして今日。運命の放課後を迎えます―――。

「あのー……なんていうか、普段とあんまり変わらないメンバーなんですが?」

プールサイドに集まった生徒達を見て、私は些かげんなりしてしまった。知らない人がいたらどうしようと心配していただけに、この顔なじみレベルMAX感が私の体力を奪っていく。面倒だけど隣から順番に理由を訊いてみるか……。

「まず政宗。アンタはなんでここにいるの?」

まずは隣にいた政宗に訊いてみた。政宗も遅刻やサボリをよくするので、私みたいな理由で参加させられていてもおかしくない。少しの間のあと彼はすっごく面倒臭そうな、ダルそうな声で答えてくれた。

「Ah? 生徒会長っつーことは生徒の代表だ。全校生徒共通の悩みであるプールの調査をするのは使命である。……っつーわけのわからねえ理由で無理やり参加させられた」

ちなみにこんなふざけたことを言ったのは、うちの担任でほぼ間違いないだろう。まだ遅刻やサボリが理由だったらマシだっただろうに。そう思えてしまうのは何故だろう。

「次は元親先輩ですね」
「俺か? 俺はこの前他校の生徒とケンカしたのがバレてよ……」
「普通だ! 普通すぎて普通としか言えない!」

他校とケンカしたのがバレてお説教を食らい、罰掃除よろしくプールの調査をやらされているわけだ。元親先輩は至って普通の理由だろう。政宗の後に聞いただけに少しだけつまらなく思えてしまったくらいだ。

「で、一番わからない遥奈さんは?」

私みたいに遅刻したわけでもない。政宗みたいに生徒会に入っているわけでもない。元親先輩みたいに他校の生徒と問題を起こしたわけでもない。真面目すぎる(先生の前では猫を被っているからね)遥奈が、どうしてここにいるんだろう。

「私? 私はどっかの遅刻魔がプール調査に参加するから、女の子一人じゃ心細いだろうし一緒に参加してあげてくれない? って言われて仕方がなく参加してやっているのよ……!」
「ご、ごめんなさいぃ……!」

私が原因だった。別に心細くないのに(むしろ不安だ)、先生が無駄に気を遣ってくれたばっかりに。ごめん遥奈……優等生の仮面が邪魔して、先生の頼みを断れなかったんだね。あとで何か奢るわ。

「……しっかし色気ねえな、華那」

私の全身をじっくりと見たあと、政宗は鼻で笑いながらこう言った。そういえば政宗と私が水着を着てプールサイドに立つなんて初めてだ。男子と女子は授業が違うからね。女子がプールのとき男子は校庭で授業している。男子がプールのときは女子が校庭で授業する、とこういった感じにローテーションしているのだ。だから政宗が私のスク水姿を見たことがないように、私も政宗の水着姿を見たことがないのだが……。

「…………ぐっ!」

人の体型を馬鹿にした腹いせに政宗の体型をからかってやろうと思ったのに、政宗の体格はからかうポイントを一つも押さえていなかったのだ。腹筋もちゃんと割れているし、腰も細い。でもちゃんと筋肉はついているので、それなりに色気が感じられる。じっと見ていると妙な気分になってきた。あれ? なんていうか、ムラムラする?

「オレの身体に見惚れたのか? やらしいなァ華那チャンは……」
「ち、ちっがーう! 誰が政宗の身体に見惚れるか!」
「Ouch!?」

照れ隠しのつもりでつい、政宗の身体を力いっぱい叩いてしまった。ちょっと強すぎたのか、政宗はその場で踏鞴を踏む。バランスを崩してしまった政宗はゆっくりと後ろへ倒れた。すぐ後ろは水がたくさんあるプールである。まずい、落ちる―――そう思った瞬間ザバーンと、水が跳ねるような大きな音が辺りに響いた。

「………伊達君が落ちたわ」
「ブッ! ダッセー、今の超ダセーわ。華那、よくやった!」
「あわわわわ……」

政宗が、あの政宗がプールに落ちた。遥奈は信じられないような目で見ているし、元親先輩は腹を抱えて笑っている。私は呆然と立ち尽くすこともできないし、笑うこともできやしない。怖い。怖いッスよ。あとに待っているかもしれない政宗の報復が怖いんですよ。……とりあえず、大丈夫かな?

「ま、政宗。だいじょぶ?」
「大丈夫なわけねえだ……ろ!?」
「ど、どうしたの?」
「い、いや……今なんか何かに足が引っ張られたような感覚が」

政宗はどこか納得のいかないような顔で水中にある自分の足に視線を落とした。が、ここには私達以外に誰もいないし、水以外何もないプールで何に引っ張られるというのだ。第一、プールの中にいるのは政宗だけである。

「Ouch!? まただ。今度は間違いなく何かに引っ張られたぞ!?」

さすがに政宗も気持ち悪いのか、不快感でその端正な顔が歪んだ。

「伊達君、引っ張られたときどんな感じだった?」

と、あたふたしていた私を他所に、遥奈だけは至って冷静だった。プールサイドから身を乗り出し、水中で怪訝そうに眉を顰めている政宗に声をかける。

「なんか……滑ってしたモンに掴まれた感じだったな」
「まるで人の手に掴まれたみたいだったでしょー?」
「そうだが……なんで知ってんだ?」

そういえば今の遥奈の訊き方は、まるでソレの正体を知っているかのような口ぶりだった。人の手ってどういうことですか? この水の中には一体何が存在しているんですか遥奈さん!? じーっと遥奈を見つめていたら、視界の隅っこにあるプールの入り口のドアが開くのが見えた。誰だろう。

「あれ……あそこにいるのは……市先輩だ」

制服姿の市先輩がゆっくりと歩いているではないか。靴下を履いていないせいか、市先輩の雪のように白くて細い脚がはっきりと見えた。う、羨ましい。私もあんなふうな脚になりたいよ……ではなくて。どうしてこんな場所に市先輩が? 私達と同じプール調査なら水着を着ているはずだ。しかし市先輩の格好は制服。プール調査が目的ではないようだ。市先輩も私達の姿に気づいたようで、ゆっくりとした足取りでこっちに来た。

「……あ。今日は人が沢山いる……」
「今日はプール調査の日で……市先輩こそどうして?」
「私……? 私はよくここに来ているわ……お友達に会いに」
「お友達……ってどこですか?」

いや、訊くんじゃなかったと、言ってすぐ後悔した。だって市先輩、友達に会いにここに来ているって言ったじゃない。よく考えてみよう。この広いプールのどこに人がいる!? 今は私達がいるけれど、普段はいないだろどう考えても。普通こんな場所で友達と待ち合わせなんかしない。そもそも友達に会いにってことは、その友達はここから動けないってことにならないか。ここにいつもいるから市先輩のほうから尋ねてきているってことだよね。プールにいつもいる友達って……誰だ!?

「今もここにいるのか?」

元親先輩がこう訊くと、市先輩はすっと政宗を指差した。まさか自分だと思っていなかったのか、彼は訝しげに目を細める。確かに友達って言えるほど仲が良いってわけじゃないだろう。

「ほら……今も伊達君の後ろにいるわ……フフ。一緒に遊びたがっているもの……」
「政宗ー! 今すぐそこから逃げてェェエエエ!」
「そうだぜ今すぐ上がってこいィィイイイ!」

私と元親先輩が同時に、悲鳴に近い声を上げた。政宗もこちらに向かって全力に泳ぎ始める。つか何。何が政宗の後ろにいるんですか市先輩ッ! 私には何も見えませんよォォオオオ!

「あーあ。やっぱり伊達君の近くにいたか」
「いたって何がいるんですか遥奈さん!?」

この中で市先輩以外に涼しい顔をしている女がいやがった。

「このプールに住み着いている住人みたいな人よ」
「人!? 人なの!? 人だったら私にも見えるはずだけど!?」
「Why!? なんだ……急に身体が重く……」

全力で泳いでいた政宗の動きが急に鈍くなった。まるで重い何かを背負っているかのように、政宗の身体が不自然に沈んでいる。

「伊達君ともっと一緒にいたいんですって……帰したくないって言ってるわ」
「通訳はいいですからなんとかしてください市先輩! いやいやむしろ政宗を帰せってその人に言ってくださいよ!」
「でも彼女、とっても楽しそうよ……?」
「彼女だと!? 女なのか!?」
「凄いわね。伊達君って幽霊にまでモテるのね」
「ゆ、幽霊って断言しちゃったよこの子ーーー!」

これはあとで聞いた話なんだけど、数年前本当にこのプールで一人の女子生徒が溺れて亡くなったらしい。ってことは市先輩の友達って……その溺れて亡くなった女子生徒?

それからしばらくしてプールをお祓いしてもらうと、それ以降足を引っ張られたという証言は聞かなくなった。市先輩は友達がいなくなったと残念そうにしていたが、一件落着と思っていいのかなァ?

完