筆頭割り 夏ですよ、夏ですよみなさーん! 夏といえば学生は夏休み。夏休みといえば海。これくらい夏の常識だ。テストにでないけど当たり前の答えなんだよ。 「政宗、海に行こう!」 「なにいきなりcrazyなこと言い出すんだ? 今がどういう状況かわかって言ってんのか?」 「政宗の部屋で宿題してる」 「正確には宿題をやってるのはオレだけだ。華那はオレの答えを写してるだけだろうが」 ……蝉の鳴き声がやけに煩く聞こえた。政宗がジロリと睨んでくるが、私は首を竦めながらノートに視線を落とす。政宗の言うとおり、ノートの横には政宗のノートがある。それには答えが全て記されていて、私からすれば宝の地図のようなものだ。最初は自力でやれって言っていた政宗も、私にやる気がないとわかると、諦めたようにノートを差し出してくれた。さっすが政宗、わかってるぅ。 「で、海に行こう政宗」 「まだ言うか……」 真剣な目で政宗に海へ行こうと誘ってみる。今なら目がキラリと輝いているかもしれない。それほど真剣だったんだよ、私は。でも政宗はノートに走らせていたシャーペンを置いて、長い溜息をついただけだった。ちょっと、そんな人を馬鹿にするような目でこっちを見ないでよ。クーラーがガンガンに効いた部屋が余計に寒く感じたじゃない。 「……そんなに行きてえのか?」 「行きたい。すっごく行きたい」 政宗が含みを帯た眼差しで私を見る。これは心が揺らいでいる証拠だろう。ということは迷っているに違いない。私と海に行くか行かないか。もうちょっとで政宗が堕ちそうなら、いまこそ最後の切り札を出すときか? 「それに……政宗と海、行ったことないもん」 上目遣いで政宗の表情を窺いながら、精一杯可愛く言ってみた。自分で言うのもあれだけど、政宗は私に甘いと思う。政宗はうっと言葉を詰まらせて、少しだけ頬を赤らめていた。滅多におねだりや甘えるという行為をしない分、たまにすると効果は抜群である。気分的には政宗の心臓に弓を射る感じに近い。 「………っわーったよ! 連れてってやるから、自力で問題を解きやがれ!」 半ばやけくそのようだったが、私と海に行くことを了承してくれた。ブツブツと文句を言いながら問題を解いていく政宗とは正反対に、私はウキウキしながら彼の言うとおり自力で問題を解くことにした。 というわけで、私は今夏の太陽が降り注ぐ海に来ております。勿論海に一人で来るわけがない。一人で海に来たってどうするのよ。失恋しちゃったのなら別だけど、幸い今のところは失恋していない。やっぱ来るなら、彼氏とでしょう! 「………なのに、な〜んでみんないるのかなぁ!? 特に成実ェェエエエ!」 私と政宗の後ろには、伊達組の人達がゾロゾロと控えていた。気が早い人達ばかりなのか、まだ砂浜に辿り着いていないというのに、水着姿だったり浮き輪を抱えていたりする人ばかりである。最近の子供でもここまでしないよ。外見は一昔前のヤンキーだけに、この異様な光景がちょっと怖かった。考えてみよう、リーゼントやスキンヘッドの野郎方が、浮き輪持ってはしゃいでいるのだよ? 普通に引くでしょ。 「だって海に行くっつーから。俺達も行きたかったし、なぁ?」 すると伊達組の人達が一斉に頷いた。何かを叫んでいる人達もいたが、何を言っているか聞き取れず、ただの怒号にしか聞こえない。恨みがましく政宗に目をやるが、彼は我関せずの一点張りだ。ここに来る前から散々言ってきて、もう疲れきっていたのかもしれない。くっそ〜……今日は政宗と初めての海だったのに……。 折角の夏、彼氏と海かプールに行かなくてどうするの。このために水着も買ったんだよ。我ながらちょっと露出度が高いかなって思うやつ。だって政宗にはよく「ガキ」だの「子供」だの「お子ちゃま」だの言われてるから、ここぞというとこで子供じゃないってことをアピールしたいじゃない。 こう思う時点でお子ちゃまなのかもしれないけど。……でも、私にだって色気くらいあるんだから。いつも政宗の色気にやられてるけど、今回は私の色気で政宗を倒してやる。今日は政宗にお子ちゃまなんて言わせないぞー! でも、ここで一つの疑問が浮かんだ。 「………ねぇ、政宗。なんで私達以外の人がいないの?」 遠くに見える青い海を見ながら、海沿いの道路の真ん中で私は目を丸くさせていた。遠くに見えるのは綺麗なほど静かな青い海と白い砂。やっとのことで着いた海、てっきり人で溢れかえっていると思っていた。テレビのニュースを見ていても、夏の海は人で溢れかえっている。海や砂浜が人に隠れてしまうほどだ。が、そんな光景を予想していた私の目に飛び込んできたのは、人の姿が見当たらない静かな海だった。砂浜には人の足跡すらない。必ずあるはずの海の家すらない。あまりに信じられない光景に、私はガードレールから身を乗り出し固まってしまった。 「いなくて当然だぜ。ここにオレ達以外の奴がいたらそれこそ問題だ」 「問題って? 海なのに人がいないほうが問題じゃん。例えばここが曰くつきの海で、水難事故が多発しているとかさー……」 そうすると海なのに人がいないのも納得ができる。誰だっていわくつきの海なんかで泳ぎたいものか。いくら空いているとはいえ、私だったら力の限り遠慮する。 「ンなわけあるか。ここは伊達の敷地なんだよ。オレ達以外の人間が入れば不法侵入で捕まるだけだぜ」 「伊達の敷地!?」 それってつまりプライベートビーチってやつじゃなかろうか。政宗に海に行こうと誘ったのは私だ。だけどどこの海がいいかは政宗に考えてもらったから、当日までどこに行くのか教えてくれなかった。教えてくれなかったのはこういうわけだったのね。プライベートビーチがあるからそこに行こうなんて言われても、私だったら恐れ多くて腰が引けていた。誘っておいてなんだけど、やっぱやめようと言っていたかもしれない。 「ここら一体が伊達の敷地でな。ほら、あそこに山が見えるだろ? あのあたりに伊達の宿場があって、温泉なんかもあるんだぜ」 「…………信じられない」 政宗の言うとおり、後方には大きな山が見える。あの辺りに伊達の宿場、つまり別荘みたいなものがあるらしい。温泉もあるとなると、結構大きな別荘なんじゃないだろうか。 「いつまで呆けてんだ。野郎共もさっさと行くぞ」 「え、ちょっと待ってよ!」 気がつけば政宗は少し離れた場所にいて、私は彼の背に追いつこうと慌てて駆け出した。 「じゃーん、どうだ!?」 「……………」 買ったばかりの水着を着て、政宗に見せるようにポーズをとる。淡い青色を主としていて、見る角度によっては青よりも白に見えなくもない。下はデニムズボンを穿いているのであまり恥ずかしくなかった。一足早く着替え終わっていた政宗達は砂浜でビーチバレーをしたり、早くも泳ぎ回ったりしている。 「似合うじゃん、華那!」 「綺麗ッス姐さん!」 「政宗もなんか言えよ」 政宗は砂浜に腰掛けていて、一言も発せず私を見上げているだけだった。口なんか半開きである。反応が返ってこないことに不安になった私は、少し屈んで政宗の顔の前で手をヒラヒラと動かす。すると呆けていた政宗の肩がビクッと大きく震えた。 「ど、どうしたの……!?」 「い、いや別に……」 政宗は早口にそう言うと口元を覆い、あからさまに目を逸らした。頬が若干赤い。この赤いのは太陽のせいだけじゃないと思うのは私だけ? 政宗の反応が面白くて、私はニヤリと意地の悪い笑みをうっすらと浮かべた。 「もしかしてさー……見惚れた?」 「ばっ、ンなわけあるか!」 「政宗、顔真っ赤だぞ?」 「煩ェ成実!」 「あだ!?」 成実の顔面に政宗のストレートパンチがヒットした。衝撃で成実は後ろへと倒れ、政宗は何故か肩で息をしている。政宗の鋭い殺気に周りにいた人達も、数歩後ずさりしていた。和やかな空気が一瞬にして冷たいものに変わった瞬間である。現に私も身体が硬直しちゃってるし。 「どうした、華那こそオレに見惚れたか?」 「へ?」 そう呟いた政宗の格好は、成実達と同じ水着姿だったが、引き締まった上半身にパーカーを着ていた。眩しいのかサングラスまで装備している。改めて政宗の上半身を見てしまうと、急に身体が火照りだした。だって細いのに筋肉はちゃんとあって、いつもあの身体に抱き締められているのだと思うと、なんだかね……。政宗はサングラスをちょっとだけずらして、挑発的に口角を歪めながら私の表情を窺う。 なんでいちいち無駄に色気を放つかなこの人は。……大丈夫かな、私の心臓。政宗の態度を見ていたら、少しだけ不安になった。 それからというもの、海はやっぱり楽しかった。泳ぐのは勿論のこと、ビーチバレーをしたり貝殻を拾ったり、砂のお城を作ったりもしたよ。でも夏の海といえば、やっぱりあれをやらなくちゃ終われない。 *** 近くで男女のはしゃぐ声が聞こえる。何を言っているのか、薄らぼんやりとしか聞き取れない。それは自分の意識が覚醒しきっていないからだろうと、どこか他人事のように考えた。ゆっくりと意識が浮上してくる。同時に靄がかかっていた声も、僅かだがはっきりと聞こえるようになってきた。 右! 違う、いきすぎ! ああ、今度は左! 一体なんのことを言っているのか、目を閉じている政宗にはわからなかった。このままもう一度意識を沈めようかと迷っていたときだった。頭上から凄まじい殺気を感じ取り、政宗は隻眼を閃かせながら殺気を避けつつ身体を起こす。目を開けると目の前には細長くて茶色い物体が迫っていた。それをギリギリのところで避ける。瞬間、先ほどまで政宗の頭があった位置に、鈍い衝撃音が広がった。棒が砂浜に叩きつけるように振り下ろされたと理解するまで、少し時間を有す。 それは何者かが自分を狙ったかのようだった。しかしここは伊達の敷地。ここにいるのは皆政宗が信頼している者ばかりだ。ふと、目の前に人がいることに政宗は気がついた。目線を上げて影を辿ると、そこには見覚えのある男が、棒を振り下ろした姿勢のまま突っ立っていた。 「………Hey 成実」 「んあ? その声は政宗か?」 成実の目に政宗の姿は映っていなかった。それもそのはずで、彼の目は白い鉢巻のような布で覆い隠されているのだ。目隠しした男の手には棒。このスタイルには見覚えがある。政宗はまさかと思いつつ、近くを見回す。すると彼の真横に真ん丸いスイカがコロンと転がっていた。スイカを恨めしそうに睨みつけながら、政宗はゆっくりと口を開く。 「まさかと思うが……何してやがる?」 「決まってんじゃん。スイカ割り」 ならば何故そのスイカが自分の真横にあるのだとか、どうして寝ていた人のところでやるのだとか、言いたいことは沢山あった。まるであわよくばスイカと間違えて政宗の頭を割ってしまいました、という展開を望んでいるように窺える。成実にも政宗の言いたいことがわかったのだろう、彼が口を開く前にどうしてこういう状況になったのか説明を始めた。 「言いだしっぺは華那だからな」 「………華那!」 「あ、政宗起きちゃったじゃない。もう、成実がすぐに割らないからー」 悔しそうに口を尖らせる華那に、政宗は何かがプチッとキレる音を聞いた。が、華那と成実には聞こえなかったようで、それぞれ思い思いのことを呟いていた。 「つーかなんで寝てる政宗の横にスイカを置いたのさ?」 「そのほうがなんか面白そうだったから。だって起こしても起きないんだもん。なら横にスイカを置いて、スイカ割りでもやろうかなって思ったの」 「華那って意外と命知らずだよなー……」 成実が感心しているのか馬鹿にしているのかわからない声で呟いた、まさにそのときである。 「そんなにスイカが割りてえンなら、テメェの顔面で割りやがれ!」 「ぶほぉぉおおお!?」 大きなスイカを片手で鷲掴みすると、そのまま成実の顔面目掛けて放り投げた。まさかスイカを投げるとは予想できなかったため、成実はスイカを顔面で受け止めてしまう。濁音混じりの悲鳴を上げながら、大きく後ろへと吹っ飛んだ。この現実にさすがの華那も目を丸くさせる。スイカは成実の顔面でぱっくりと割れ、中から瑞々しい赤色が姿を現した。仰向けに倒れた成実の顔は、割れたスイカでグチョグチョである。 「ほらよ、鱈腹食え」 「いや、ムリだし」 この一部始終を静かに見守っていた外野は、感嘆の声を上げたり拍手したりと、皆が政宗に喝采を送っていた。だがその誰もが、割れたスイカにだけ手を出そうとはしなかった。その帰り道、華那は夏の海と政宗にだけは気をつけようと心掛けたそうな。 完 ← |