敵は誰だ!? それは、一人の男が見たある光景から始まった―――。 「なぁ政宗、華那ってカレシいるの?」 「ぶっ!?」 伊達の屋敷の一室では、こんなやりとりが行われていた。政宗に質問をぶつけたのは成実、彼の従兄弟である。一方突然こんな質問をぶつけられた政宗は、成実の脈絡のなさと質問の内容のせいで飲んでいたお茶を吹き出しそうになってしまった。それをジト目で見る成実。何も言わなくても顔が物語っていた……そこまで驚くか、と。 「な、なんだいきなり!?」 よほど焦っているのか、政宗の口調は若干早口だ。焦る政宗とは実に珍しい。いつもならもう少しからかってやろうかと思う成実だが、今回は事情が事情なだけに疼く悪戯心を封印する。 「いやー、実は今日学校の帰り偶然見ちゃったんだよね。華那がデートしてるところ」 「Dateだァ!?」 政宗の表情が明らかに変わった。だが焦っているわけではない。明らかに「嘘」だという顔である。つまり信じていないということだ。政宗は信じられないというふうに声を上げて笑った。 「いきなり何を言い出すと思えば……。嘘をつくならもう少しマシな嘘をつけよな」 「嘘じゃねーって! マジで見たんだから」 「あんなちんちくりんに彼氏なんているわけねぇだろうが」 二人の話の中心実物である華那とは、政宗と成実の幼馴染にあたる少女である。幼馴染といっても十年もの間離れていたため、実際に幼馴染をやっていた期間は僅か五年だが、それでも身内以外では一番の理解者である。その性格は楽天的で、ときに予測不可能な行動を起こすという、実に危なっかしいものだ。そして成実と競うほどのお馬鹿さんでもあった。最近十年ぶりに再会したのだが、その性格は全く変わっていなかった。口では馬鹿にしつつも、変わっていないことが嬉しかったなどとは口が裂けても言わないが。 「いいのー? のんびりしてたら華那、盗られちゃうよ?」 「Ah?」 「だって華那は政宗の初恋の相手で、おまけに現在進行形でしょ?」 ごくごく自然の顔で言ってのけた成実に、政宗は一瞬だけ思考が停止した。今こいつはなんて言った? 初恋相手で現在進行形だと? そりゃどういう意味だ? そんな政宗の戸惑いなど気づくはずもなく、成実はさらに話を続ける。 「駅前近くのオープンカフェでさ。政宗と同じ制服着てる男が華那と、そりゃもう仲良さそうに喋ってたんだよなー。ありゃ誰の目から見てもカップルだな!」 「…………」 女同士でならよくある話だが、それが男となると話は変わる。男と楽しくお喋り、それも小洒落たカフェテリアでとなると、成実の言うとおり誰の目から見てもデートだろう。よく言う制服デートというやつである。 「いいのー? 気にならない、政宗?」 「…………知るか」 吐き捨てるようにこう呟いた政宗だったが、内心では自分でもよくわからない何かが渦巻いていた―――。そんな彼を成実は楽しそうに見ていたなどと、今の政宗が気づくはずもなかった。 *** 「おはよー政宗……って何その顔?」 翌朝。学校に着くなり華那はおもいっきり眉を顰めた。何故なら自分の横に座っている男の顔が、凄まじいほど不機嫌だったからだ。目の下には薄っすらだがクマさえ浮かんでいる。いかにも徹夜してボロボロです的な表情で不機嫌オーラを放っていたら、誰だって怪訝そうに眉を顰める。それが政宗だったら尚更だ。 「おーい、政宗クーン? おーいってば」 何度呼びかけても政宗は反応しない。華那は政宗の前に立ち、ヒラヒラと手を振ったり彼の視界を遮ったりしてみるが、それでも政宗は華那と目を合わせようとしない。頬杖をついたまま、ただボーっとしていた。 「あ、嵐の前の静けさか……!?」 華那はビクッと一歩後ずさり、無意識に戦闘体勢をとる。華那は口をへの字にしながらも、普段なら言ったら最後、何をされるかわからないであろう言葉を口にすることにした。 「バカ宗ぇ、エロ宗ぇ、サド宗ぇ〜」 「んだとコラ?」 「すみませんでした」 ギロリと睨まれ、華那は凄まじい速さで謝った。場所が場所なら土下座だってする勢いである。さすがに教室じゃその他大勢の人が多すぎて土下座はできない。気のせいか、政宗の目が光ったようにすら見えたよおい……。 「どうしちゃったの? さっきから呼んでるのにちっとも反応しないんだもん」 「あ? ああ、悪い……」 「てかそのクマ、なんで?」 華那は自分の目の下を人差し指で指しながら、政宗のクマの原因を訊ねた。しかし政宗はなにやら難しそうに表情を固くさせる。何か言いにくい事情なのかと、華那はゴクリと生唾を飲み込んだ。 「まさか……えっちぃことしてたの?」 「するわけねぇだろ! なんでそういう結論にいくんだ!?」 「だって政宗、いかにも手が早そうな顔してるじゃん」 「テメェ……!」 「てなことを昨日、成実と話してた」 よし、家に帰ったら成実を殺す。と、人知れず物騒な誓いを立てる政宗。 「じゃあそのクマの原因は?」 政宗は答えにつまった。何故ならこのクマの原因は、他ならぬ昨日の一件のせいだからだ。知るかと成実に言ったが、本当は気が気ではなかったのだ。華那が自分の知らない男と、自分の知らない笑顔をその男に向けている。自分が聞いたことないような声をその男は聞いているかもしれない。自分が知らない表情をその男は見ているのかもしれない。 そう思うだけでどうしようもないほどの怒りが込み上げてくる。誰かわからない相手に嫉妬するなんて自分でもみっともないことだと自覚している。だがそういう問題ではないのだ。理屈じゃこの問題は解決できない。大体理屈や云々で解決できるなら、とっくに偉人が解決してるよな。 「………なんでもねぇよ」 「なんでもないって言うわりにはそうは見えないんですけど……お?」 ブーブーとマナーモード特有の振動音が微かに聞こえる。華那はポケットから携帯を取り出し、それが電話であったために慌てて政宗の傍を離れた。彼女の様子をつまらなそうな顔で見ていた政宗は、電話の相手が誰なのか気になってしかたがない。女友達かと思いきや、断片的に聞こえる内容から電話の相手が男だとわかってしまったためだ。 何故なら「昨日あれから……」という言葉が聞こえてしまったのである。昨日、ということは成実が見たというあのカフェでの一件だろう。だとするとこの電話の相手こそが、昨日華那とデートしていた男になる。可能なら今すぐにも携帯を奪って、男に喧嘩を売りたい気分だ。だがその男のことを、華那が本当に好きならと思うと怖くなる。華那を奪ってやりたいと思う。自身に存在する加虐精神が、華那を傷つけて自分のものにすればいいと誘惑するほどに。 だが。そうすりゃ……今度こそオレは本当に華那に嫌われるな。 華那に嫌われるのだけは耐えられないと、自覚しているからこそ手が出せない。幼馴染という均衡のとれた関係を自分から崩して気まずくするくらいなら、今のままでいたほうがラクなのかもしれないとも思うからだ。 「Shit……昨日成実があんな話をするから……」 昨日? 政宗の中で何かが引っかかった。気のせいだと振り払うこともできるが、こういうときの自分の勘はよく当たる。思い出せ、昨日成実はなんつった? さっき華那はなんつった? 「いやー、実は今日学校の帰り偶然見ちゃったんだよね。華那がデートしてるところ」 「駅前近くのオープンカフェでさ。政宗と同じ制服着てる男が華那と、そりゃもう仲良さそうに喋ってたんだよなー。ありゃ誰の目から見てもカップルだな!」 「だって政宗、いかにも手が早そうな顔してるじゃん」 「てなことを昨日、成実と話してた」 ……昨日、成実と話した。政宗は無言のまま立ち上がる。ゆっくりとした足取りで華那の傍に歩み寄った。彼の気配に気づいた華那は、ごく自然と後ろを振り向き―――固まった。政宗は何も言わず、ただ華那の前に手を差し出す。彼女もそれだけでどうすればいいのかわかったようで、目を閉じながら耳に当てていた携帯を差し出した。 「でさー、そんときの政宗の表情がまァたおかしくて! オレ政宗のあんな表情見たの初めてかもしんねー!」 「……Hum どんな面をしてたのか、オレも知りてぇモンだなァ、なるみちゃんよォ……!?」 「……………………………………はひ?」 「どういうことかきっちり説明しやがれ成実ェ!」 「な、なな!? 政宗ぇ!?」 朝の教室に、政宗の怒鳴り声と成実の断末魔が響き渡った。 「……どういうことかきっちり説明しやがれ」 「……へぇ〜い」 満身創痍で酷くボロボロな成実が正座しながら縮こまっていた。そんな彼を見下ろしながらこめかみに青筋を何本も浮かべている政宗。夕日の逆光効果も合わさって、政宗の睨みはいつも以上に迫力があった。ちなみに成実が満身創痍なのは、今より少し前に政宗によって殴る蹴るの暴行を受けたためである。どうしてこんな目にあったのかというと、原因は今日の朝にまでさかのぼる。華那とデートしていたという謎の男の正体、実はそれが成実だったというオチだったのだ。なんでも昨日、彼は偶然にも華那と会い、そのまま近くのカフェでくだらない話をしたとのこと。 ここまでは普通だ。だがお調子者の成実は、あろうことか「華那が知らない男とカフェでデートしてた」と嘘をついたのである。全ては政宗をからかうために。政宗の反応を見るためだけに嘘をついたのだった。それが今朝、成実が華那にかけた電話で明らかになった真実だ。お互い離れた場所にいたのだから、すぐさま殴りたい衝動に駆られていた政宗は無駄に怒りを溜め込む羽目になり、それがさらに政宗の機嫌を損ねさせた。 少なくとも政宗と同じクラスの人間達は、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えて全力疾走している気分に陥り、授業中いかなるときもヒヤヒヤしていたほどである。が、溜め込んでいくうちに政宗の心境にも変化が起き始めた。どうせ放課後まで鉄拳制裁を食らわすことができない、ならば溜めて溜めて溜めまくって、いざ本番のときに爆発させればよいのではないか、と。そのほうがいつもより殴る回数、力ともに倍以上にアップすること間違いなし。政宗の無駄なまでのサディスト精神に火が点いた結果だった。 政宗の考えは見事に的中し、その結果としてボロボロの成実ができあがってしまったのだった。さすがの成実も今回ばかりは抵抗する気が失せてしまう。抵抗すればするほど政宗を喜ばせるだけ。すなわち自分が酷い目に遭うだけだ。このままでは人間の原型すら保てなくなるかもしれない。そう直感した成実は抵抗せず、ただ大人しく殴られた。傍から見ればなんとも滑稽で、異常な光景だろう。 「……なにが「華那が知らない野郎とdateしてた」、だァ? あんなガキにそんな色気付いた芸当できるわけねぇんだよ」 「ガキって……俺達と同い年じゃん」 「十年経ったっつーのに全然変わってねぇんだぞ? ガキだろ、そんなもん」 実際、日本に帰国したその日に偶然にも華那と会った。華那は政宗に気づかなかったが、政宗は気がついた。外見もだが性格もまるで変わっていなかったからだ。彼に言わせれば「全然成長してねぇな」、とのこと。そう言うと華那は頬を膨らませて不貞腐れたために、まさか変わっていないことに政宗が喜んでいたとは知るはずもない。無論、政宗も言うつもりはない。恥ずかしくて言えるわけねぇだろうが! 「けど俺だって原因もなくあんな嘘言ったりしねぇぞ!? 実際に見たんだよ。少し前、華那が知らない男と仲良くケーキ食べてたとこ!」 「……………Ah?」 政宗の眉間が一層深くなる。成実も興奮しているのか、若干早口で捲くし立てた。 「確か一週間前かな。放課後、華那が政宗と同じ制服着た野郎とデートしてたんだって!」 一週間前。少し考えて、政宗は目を見開いた。一週間前、覚えがある。あの日はそうだ、放課後どっか行かねぇかって誘ったら、「用事があるから無理」っつってさっさと帰りやがったときがあった。あのときはこのオレが折角誘ってやったのにって思ってただけだが……。 「それは本当だろうな?」 「本当だって。この目で見たんだから」 成実は自分の右目を人差し指で指した。無言になった政宗を見て、彼は面白そうに顔をニヤつかせる。 「不安?」 「………まさか。ンなわけねぇだろ」 そう言いつつも政宗の声は硬い。成実はさらに顔をニヤつかせながら政宗を煽っていった。 「そうだよねぇ。華那がたとえ政宗の知らない男とデートして、手ェ繋いだりチューしたり、挙句の果てにはもっとすっごいことしても、政宗には関係ないもんねー? だって政宗は華那とそういう関係じゃないし? ましてや好きでもないもんねー?」 「………………………………あ、ああ」 「随分と長い間があったね、今。しかもどこ見てるのさ」 政宗は成実と目を合わせようとせず、どこかわからない方向をじっと見ていた。一方成実は、自身の目を綺麗なまでの逆三日月にさせていた。本当は気になっているくせに、素直に言えない政宗が可笑しすぎて我慢できずにいたのだ。 「……ほんっと、見てて面白いほど素直じゃないね」 あの色気より食い気、さらには手も出るのが早い女だぜ? そんな女、男が相手するわけねぇだろうが。まぁいざとなったらオレが嫁にでも貰ってやるから別にいいけどよ。仕方ないだろ、仕方なくっつってんだよって誰に言ってんだオレ!? *** 「…………ど、どしたの政宗? 今日ヘンだよ?」 「Ah?」 ふと目の前に華那の顔。というより華那しか視界に入らない。それほどまでに近かったのだ。政宗はギョッとして後ずさる。が。 「うぉ!?」 椅子に座っていたため、反動で後ろにこけそうになるのを必死に堪える。政宗にしては珍しく慌てた様子に、華那は口を大きく開けてしまった。 「明日は空から槍が降るでしょう……?」 「降らねぇよ!」 体勢を立て直した政宗が鋭いツッコミをいれる。現実的にありえないことを言い出すくらい珍しかったのだろう。未だ目をパチパチとさせている華那を横目で見つつ、政宗は隠れて溜息をついた。こんなことを言う女だぜ? こんな女とdateなんざ、野郎のほうはよっぽどの物好きだな。やはり成実の見間違いだろう。そう納得しかけたところに、ソレはやってきた。 「華那!」 「幸村! あ、佐助も!」 少し離れたところから華那の名を呼ぶ男の声。声がしたほうを振り向き、無邪気な笑顔を向ける華那。そして小走りで廊下に向かい、仲良さそうに話す姿。廊下には二人の男。好青年を絵に描いたような男と、少し軽そうな、下心丸出しの笑顔を向けている男だ。その一部始終を、政宗はただ黙って見送るしかできなかった。 「この前話していたお店のケーキでござる!」 「うわぁ、ありがとう! いいの、全部食べちゃって?」 「いいもなにも、某は華那のために買ってきたござるよ」 「じゃあお金だけでも……」 「それもいらないでござるよ」 「でも……」 「いいのいいの。旦那ってば華那には甘いんだからさー」 親しげに話す三人の姿に、政宗は無意識にギリッと奥歯を噛み締める。ただ話しているだけだというのに、見ているだけでイライラした。しばらく待ってみても話は終わる気配を見せない。乱暴に椅子から立ち上がり、そのまま廊下に向かって歩き出す。距離が近づくほど会話の内容も聞き取れるようになってきた。聞こえてきた内容に、政宗はハッと足を止める。 「また一緒にケーキ食べに行こうね、幸村」 「なら今度の日曜日はどうでござるか?」 「旦那ばっかずるくね? たまには俺様も混ぜてよ」 「いいけど佐助、今度は最後までついてきてよねー?」 「けど俺だって原因もなくあんな嘘言ったりしねぇぞ!? 実際に見たんだよ。少し前、華那が知らない男と仲良くケーキ食べてたとこ!」 ふと、脳裏に成実の言葉が響いた。まさか、目の前にいるこいつが華那とdateした野郎なのか!? 政宗に動揺が走った。同時に、今までにないほどの苛立ちも。 「でねでね、この前美味しいパフェのお店を……およ?」 「!」 「Hey 華那。次移動教室だろ? サッサと行くぞ」 後ろから急に現れた政宗が強引に華那の腕を掴んだ。いきなり現れた政宗に、華那と幸村は目を丸くさせて驚く。佐助だけが涼しい表情でこの様子を窺っていた。 「え、ちょ、ちょちょ……!?」 「そういうことだ。悪ィな。それに……」 唖然としていた幸村に、政宗は押し殺したような声で耳打ちした。 「―――こいつは昔っからオレのなんだよ。横から出てくんじゃねぇ」 華那には気づかれないように、政宗は幸村と呼ばれていた男を鋭い隻眼で睨みつける。睨みつけただけ、それだけなのに幸村は背中に冷たい何かが走った。身体中が痺れる。目を逸らせないし、動くこともできない。 「佐助、今の男は一体……?」 「多分、噂の伊達男じゃないの? 少し前まで学校中が騒いでたっしょ? あの伊達組の当主が転入してきたって」 「そんなこともあったな……」 しかし、と幸村は首を傾げる。 「某、何かしただろうか? あれほど睨まれなくてはならなかったのか、理解できないのだが……。それにあれはどういう意味なのだ?」 「……旦那、華那のこと好き?」 「な!? 何を言うか佐助! は、はははは破廉恥だぞっ!」 顔を真っ赤にさせながら幸村は首を大きく横に振る。佐助は相変わらずだねぇと呟きながら、二人が見えなくなった廊下の奥に目をやった。華那ってば、とんでもない野郎に惚れられちゃってまぁ。 「でもまぁ、敵は強いほうが燃えるって言うしね」 佐助の目に、妖しい光が宿ったのだった。 完 ← |