短編 | ナノ

狼、野に放たれる

おかしいおかしい、ぜーったいにおかしい! 政宗の様子がヘン!

「………おかしい、ねぇ」

机にバンッと両手をついて、椅子を蹴る勢いで立ち上がる。そんな私に白けた眼差しを向けてくるのは遥奈だ。彼女はズズーと音を出しながら、紙パックに入ったジュースを啜っていた。冷めた表情をしている遥奈と対照的に、私の表情は真剣そのもの。

「そーなのよっ! ここ最近、政宗の様子がおかしいの!」

政宗の様子がおかしい。そんなことを思い出したのは、今日より一週間ほど前のことだ。前からところ構わず引っ付きたがるとはわかっちゃいたけど、(人の目、というのは感心するほど気にならないらしい)、それがいつにも増して悪化した。

授業中もやたらとちょっかいをかけてくる。たとえば私の後ろの席という特権を活かしてか、暇つぶしでもするかのように髪を弄ってくる。毛先をくるくると弄ぶだけならまだしも、わき腹をつついたり首筋に触れたり……。授業中だから声を上げるわけにもいかず、奇声を発しないよう堪えるのに必死。

あと時々だけど、よく襲われるようになった(なんか誤解を招きそうな言い回しだなぁ)。なんか急に(本当になんの前触れもなく)迫られたり、酷いときは押し倒されたり。当然、なんでいきなりそんなことをするかわからない私は、ただただ呆然とした表情で政宗を見ることしかできない。

が、それも一瞬だ。ギャーギャー喚いて抵抗すると、政宗はすぐさまハッとした表情になって私から目を逸らす。ばつが悪そうに視線を泳がすものだから、私もどうしたらいいものかわかんなくて困っちゃう。いつものノリで噛み付いたら政宗自身も困惑した表情なんかするものですから、イマイチ怒るに怒れないんです。そういえばそんなとき、政宗はいつも同じ眼をしていた。そうだな、例えるなら……飢えた獣みたいな?

「………別にいつものことじゃない」
「そんなことないよ。いつものことだけどいつもと微妙に違うんだって!」

さらに冷めた表情で遥奈はぴしゃりと言い捨てる。いつものことと言われると耳が痛いが、微妙に違うんだってば。具体的に説明できないけど、なんか違うんだよ〜! どう説明しようか困っていた私に、遥奈は何か思い当たる節でもあるのか思わせぶりな発言をした。

「………華那、伊達君と付き合って何ヶ月?」
「え? ええと……二ヶ月くらいかな? もうすぐ三ヶ月になるけど」

嬉し恥ずかしですが、政宗と付き合いだしてもうすぐ三ヶ月になる。といっても私はやたらと記念日を作りたがる性分ではないので、きっといつもどおりにその日は過ぎ去っていくんだろうな。クリスマスとかバレンタインとか誕生日っていう特別なイベントなら世間のカップルみたいに騒ぐが、記念日とかってあんまり興味ないんだよね……。どうして遥奈がそんなことをわざわざ訊いてきたのかわからない私は、身を乗り出して彼女に詰め寄る。ここ最近の政宗のおかしい行動とこの質問、どこに接点があるのだろうか。

「二ヶ月、三ヶ月となれば……そろそろか?」
「そろそろって何が?」

きょとんとする私を無視して、遥奈は一人で納得したようにうんうんと何度も頷く。

「華那、あんたも気をつけなさいよ。この時期をどう乗り切るか、今後の関係にも大きく関わるわよ」

遥奈は答えが出たようだが、結局私には教えてくれなかった。口を開けば「これは華那が自分で気づかなきゃ駄目なのよ〜」と言って話を有耶無耶にしようとする。教えてくれないとなれば、自分で推理するしかない。察するに、付き合いだした期間と政宗の様子がヘンなことには関連性があるようだけど……。

***

「あれー? どした、政宗。勉強してんじゃなかったっけ?」
「………ンだよ成実か。Get out」

大儀そうな動作でシッシと、まるで犬を追い払うように成実を追い払っていた。それにカチンときた成実は声を荒げる。だが政宗からすれば鬱陶しいことこの上なし。冷蔵庫を開けながら成実には目もくれず、ただ簡潔に「邪魔だ」とだけ言い捨てた。

学生にこの時期待ち受けるものといえば、春休みがかかった期末テストである。相変わらずテストの成績がよろしくない華那は、政宗に勉強を教わるために彼の自宅を訪れていた。華那は政宗の部屋にて、彼が用意したテスト対策問題を解いている最中だった。そんな彼女のために政宗は飲み物とお菓子でも用意してやろうと、台所を訪れ何かないかと探していたというわけだ。そこに偶然現れたのが、誰であろう成実である。

「すっかりテスト前のお馴染みの光景って感じだよな。テスト前になると華那のやつ、政宗に勉強教わりにくるじゃん」
「なに他人事みてぇに言ってんだ。オメェもだろ、成実」

成実も華那同様、テスト前になると政宗に勉強を教わる一人だった。成績も華那といい勝負で、毎回どんぐりの背比べ的な低レベルな争いを繰り広げているのが現状である。

「大体、なんで勉強なんかする必要があんだよ……」
「それについちゃ、政宗がおかしいんだよ。勉強しねぇで満点なんておかしいだろうが! 詐欺だ詐欺、なんかこう……裏技的なものを使ってんだろ!?」
「Shout up!! 華那と全く同じことをぬかしてんじゃねぇぞ!」

バンっと乱暴に冷蔵庫の扉を閉めると、政宗は軽く舌打ちをする。やっぱりこいつらは同レベルだと思わざるえない。それに対して少しだけ(本当に少しだけ)嫉妬したのは内緒だ。言えば馬鹿にされる、それも二人に。

「……でもよ、今はマズイんじゃね?」
「………What?」

急に真面目な声になった成実に、自然と政宗の口調も固くなる。成実の顔を見ると、声だけでなく表情も真剣なものに変化していた。

「華那から政宗がおかしいって話聞いてさ」

それだけで成実が何を言わんとしているかわかった政宗は、これでもかというほど深いしわを眉間に作った。なんでこいつに話すんだと、ここにいない華那に文句の一つでも言ってやりたい気分だ。

「……お前も大変だよな。華那ってさ、見るからに鈍そうだもん。聞いたぜ〜、自分でも無意識のうちに華那を襲おうとしてんだってな? その時点で気がつけばいいものを、華那のやつ気がつかないみただし」

真剣な表情はどこへやら。今の成実の表情はニヤニヤと、面白いものでも見つけたように笑っていた。

「付き合ってもうすぐでえーと……三ヶ月? そりゃ我慢の限界だわな、政宗なら尚更」

付き合いだすと色々と順序というものがある。これをしたら次は……みたいに、政宗も華那と次のステップに踏み出したいと願っていた。手も繋いだ、デートもしたキスもした。となると次に待ち受けるのは……つまりそういうことだった。何が我慢の限界かというとだ。それは男の性なのか、それとも付き合いだした男女なら当然の性なのか……。ぶっちゃけると、政宗の中にいる獣が今にも暴れだしそうにしていたのだ。

「で、実際のところどこまでいってんの、あんたら?」
「………なんでテメェに言わねぇといけねぇんだァ、なるみちゃんよォ?」

こめかみがヒクヒクと動くのが自分でもわかる。今にも殴りかかりそうになるのを抑えているのだ、自分で自分のことを褒めてやりたいと思った。理性を抑えるということに関しては、残念ながら政宗はあまり得意ではない。元々喧嘩っ早いだけに、とにかく我慢するということが苦手なのだ。華那を本気で襲おうと思えばいつだって襲える。が、それは大事なものを自分の手で壊すということ。大切だからこそ壊れないようにするのが難しい。

しかし抑えるということも同じくらいに難しく、自分でも無意識のうちに華那に襲い掛かることがしばしばあった。華那の声で我に返ると、すぐさま激しい自責の念が政宗を襲う。彼女からすればそれが「政宗の様子がおかしい」と思う原因だろう。

「………この前も」

政宗が小さく口を開く。あまりに小さな声だったので、成実も息を潜め彼の声を聞き取ろうと聴覚に意識を集中させた。

「……勉強していたはずが、いつの間にかグッスリと寝てやがるしよ。普通、男の部屋で無防備に寝るか!? 寝顔見てたらなんかこう……グッときたっつーか。とにかくヤベェと思って、急いで逃げたんだよな……」

思い出しただけで恥ずかしいのか、政宗の頬は薄っすらと赤い。一方成実は、そんな政宗を呆然と眺めていた。華那の鈍感さがここまでだったという事実に驚き、そしてそんな華那のことを思い出しただけで頬を染める政宗……考えただけで顔がにやける。

「…………ブ、アッハッハッハッハ!」

お腹を押さえて成実は大声で笑う。何か喋ろうとするが、笑いが収まらず喋ることができない。その代わりヒィヒィと引き攣った声が漏れる。

「だ、だって……ま、政宗。そんな顔、して、あ、案外、じゅ、純情……!」

―――ブチ。政宗の中で、何かが切れた。

***

「………どーやら笑いは収まったらしいな」
「ハイ………もうすっかり」

場所を移してここは居間。仁王立ちする政宗と、そんな彼の前には全身ボロボロになった成実が正座をしていた。彼の顔は誰かわからないほど腫れて膨れ上がっていた。目元の青痣がよく目立つ。

「………え、なに? なにが起きたの!?」

廊下からひょっこり顔を出しながら部屋の様子を覗いていた華那は、成実の悲惨の状態を見て声を上げる。なかなか戻ってこない政宗を怪訝に思い、様子を見にきたらますますわからなくなり混乱する羽目になった。

「No problem 心配ねぇよ」
「いやいや、そうも思えないんですけど!? どうしちゃったの成実?」

慌てて成実の傍に駆け寄る華那。すると成実は「実はさ、政宗の様子がおかしいって言ってたじゃん? そのことなんだけど……」と、あろうことか華那に全てを説明しようとしたのだ。勿論言わせるつもりはない政宗は、すぐさま強烈な一撃をお見舞いする。思いのほか強かったのか、成実は壁際まで吹っ飛んだ。いきなり吹っ飛んだ成実を見て、目を丸くさせる華那。政宗のほうを見ると、凄まじいほど涼しい顔をしていた。そんな彼を見て、華那はますます目を丸くさせる。と同時に、背中に冷たい汗が流れた。

「あ、あのぉ政宗さん? 何やってんですか?」

政宗は「ヒュ〜」と口笛を吹きながら、指をボキボキと鳴らしている。その表情はいつものオレサマになっていた。

「こりゃいいな。我慢は体によくねぇって言うし、成実にはしばらくsandbag代わりになってもらうとするか」
「えあ!?」

どうやら華那への欲求を、成実を殴ることで紛らわそうという魂胆らしい。そんなことをされたら成実の身が持たない。冗談だと思いたいが、政宗は有言実行。やると言ったことは必ずやり遂げるのだ。これまでの経緯をこれっぽっちも知らない華那は、ただ首を傾げることしかできない。

「華那、頼む!」
「え、なに?」

成実が政宗のサンドバックにならなくていい方法は一つだけ。

「華那、政宗にその身を捧げてくれ!」
「身を捧げるって……ハィ!?」
「簡単だよ。華那の初めてを政宗に……ゲフゥ!?」

言い終わる前に、華那の拳が成実の顔面を直撃した。

完