短編 | ナノ

鈍感な彼女

事の発端は木曜日。場所は婆娑羅学園の校舎内、もっと詳しくいうと二年B組の教室。真田幸村に教科書を借りていた伊達政宗は、お昼休みに借りていた教科書を返しにやってきた。扉を開けた途端、B組の女子生徒達から黄色い声が飛ぶ。そんな女子生徒達には目もくれず、政宗はズカズカと教室に入ると真っ直ぐに幸村の机に向かう。しかしそこに幸村の姿はなく、怪訝に思いながらも教室を見回すが、結果的に彼の姿を見つけることはできなかった。

昼休みになったら返しに行くっつっといたのに、どこほっつき歩いてんだあの野郎。

内心で悪態をつきながら短い舌打ちをする。このまま机の上に放置して帰ろうか、そんな考えが政宗の中に過ぎった。机の上に置いておけば帰ってきた幸村も気がつくだろうし、政宗が返しに来たということもわかる。幸村の机の上には携帯とお弁当箱が無造作に置かれていた。察するに、お弁当だけでは足りなくなって食堂にでも行ったのだろう。相変わらず元気を絵に描いたような男である。

机の上に教科書を置き、教室に帰ろうとしたときである。彼の携帯から愉快な音楽が流れ出したのだ。音が鳴ればそれを見てしまうのは人間の心理。その心理に逆らえず、政宗は幸村の携帯に目を落とし……ぎょっと左目を大きく見張った。着信相手の名前は音城至華那。どうして自分の恋人がと、しばらくその場に立ち尽くす。

どんな理由があるにしろ、惚れた女が自分以外の男と話すということはやっぱり面白くない。そもそもどうして幸村に用があるのか、そこが腑に落ちない点である。考えすぎかもしれないが、どうして自分が華那の傍にいないときに、幸村に電話をかけるのか。まるで政宗がいないタイミングを狙ったのかのようにさえ思えてくる。つまり、政宗に聞かれてはまずい事柄だからこそ、彼がいない間に、と……。

別に疚しいことがないのであれば、何も電話など使わなくてもいいのだ。隣のクラスなので自由に行き来でき、下校中とかにでも話せばいい。直接顔を突き合わせて話せばいいものを、どうして電話なんか使って……。音が鳴り止むと同時に、政宗は幸村の携帯を手に取り履歴をチェックしだす。いけないことだとわかってもいても、もしかしてという不安に耐え切れなかったのだ。

そして―――後悔した。幸村の着信履歴は佐助や師匠の武田信玄、そして音城至華那の名で統一されていたのだ。無意識に携帯を握る手に力を込める。体中から言葉で言い表せない何かが込み上げてくるようだ。恋人でもない男とこれほど頻繁に連絡をとるのは何故か。もしかすると政宗にかけるより多いかもしれない。そんなことも気づかされ、政宗は悔しそうに奥歯を噛む。

「―――何やってんの、竜の旦那?」

こんな飄々とした声が背後からした。反射的に振り向くと、そこには声だけでなく態度も飄々としている猿飛佐助の姿があった。職業柄、相手の気配に敏感な政宗だが、今回は全く気がつかなかった。それだけ動揺していたということになるが、自分の落ち度をペラペラと喋るほど政宗は馬鹿ではない。

「テメェこそ、人の背後をとるなんて悪趣味な真似すんじゃねーよ」
「いつもならとる前に気づくくせに?」

やんわりと隙だらけということを指摘され、政宗はばつが悪そうに眉を顰める。政宗と同じく、佐助も気配や空気の変化に敏感だったのだ。

「しかも手に持ってるそれ、旦那の携帯だよな? 中身を勝手に見るなんて竜の旦那らしくないじゃないの?」
「ガタガタ煩ェ。それより真田がどこに行ったか知らねぇか?」

借りていた教科書と携帯の件、理由は後者の方が大きいが幸村に会えば全てが解決する。場合によっては五体満足じゃなくなるかもしれないが、日々信玄と熱い殴り合いを繰り広げている彼なら問題はないだろう。あれのおかげで随分と打たれ強くなっているはずだからである。

「旦那なら食堂だよ。昼飯足りないって、弁当食べ終わるやいなや食堂に走って行ったし」

政宗の推理は当たったようだ。

「じゃあ次はこっちの番。なんで旦那の携帯を見てたわけ?」
「教科書返しにきたら真田の携帯が鳴り出したんだよ。表示見たら……華那の名前が」

そこまで言っただけで、佐助は全てを察したようだった。したり顔を浮かべて、面白そうに政宗の言葉に耳を傾ける。幸村と共に信玄の道場に下宿している身であるため、幸村が華那と何を話しているか知っているのかもしれない。しかしそれを佐助に訊くことはできない。政宗のプライドが邪魔をしているからだ。

「旦那、よく華那ちゃんと電話してるからねー。履歴見てびっくりした?」

むしろ佐助の口から、幸村と華那がよく電話していると聞かされたことに驚きを隠せない政宗。もしかしてという疑問が、皮肉なことに確定した瞬間である。

「気になる?」
「たとえ気になったとしても、テメェだけには訊かねーよ」

本当は訊きたくて仕方がないのだが、それを口にしてしまえば負けてしまうような気がして言い出せない。

「あらら、強がっちゃって」

真意を読んだような佐助の口調に、政宗は眉間のしわを深くさせる。その反応は佐助の言葉が当たっていると認めたようなものだった。これ以上ここにいても不愉快になるだけだと思った政宗は、扉に向かって歩き出す。さっさと教室に戻って、華那から事情を聞きだそうと考えたのである。その背中に声をかけたのは、他ならぬ佐助だった。

「ヒントあげるよ。土曜日、二時に駅前広場」

佐助の言うヒントの真価はまるでわからない。しかしそれが約束の時間と場所ということだけはわかる。これは華那と幸村の待ち合わせの日時を示しているのだ。この日、二人は会う約束をしている。が、政宗はこの事実を全く知らされていない。華那は自分に内緒で幸村と会おうとしている。これが世間ではデートというのだと、華那は気がついているのか。醜い嫉妬心が政宗の全身を駆け巡った。

「華那、土曜日空いてるか?」

教室に戻るなり、政宗の華那の傍に歩み寄りこう訊ねた。華那はというと、机でのんびりとジュースを飲んでいる最中である。が、何故かその表情には怯えというか、複雑なものが混じっていた。それもそのはずで、政宗自身は気がついていないが、彼の顔は恋人と話すそれではなかったのだ。

「やくざ、それやくざのときの顔だよ。やくざとメンチきりあうときの顔だよね?」
「んなことはどうでもいいんだよ。それより、土曜日空いてるのか空いてねぇのか!?」

おまけに語尾も荒い。政宗の心情など知るはずもない華那は、どうして機嫌が悪いのか聞き出そうとするが、それは今の政宗を苛立たせるだけだった。彼が聞きたいのは答えのみ。土曜日空いているか空いていないのか、なかなか答えない華那に焦れったくなって無意識に口調が荒くなる。

「………あ〜、土曜日は、ちょっと、無理、かな?」

ばつが悪そうに目を泳がせる。言葉も歯切れが悪い。そんな彼女の挙動不審な様子を見て、政宗の機嫌はさらに悪化した。真田の野郎と約束があるからか!? だから用事があるっつってんのか!?

「……真田の野郎と出かける……のか?」
「えっな、なんでェ!?」

華那の挙動不審がピークを迎えた。まさか政宗が知っているとはこれっぽっちも考えていなかったんだろう。あたふたと意味のない動作を繰り返す。

「なんで真田の野郎なんだよ。俺じゃ駄目だっていうのか?」
「ど、どしたの政宗? 様子ヘン……それになんか怖いし」
「テメェの女が他の野郎とdateするって聞いて喜ぶヤツがいると思うか?」

うっと言葉を詰まらせる。これが逆だったらと考えたらまさにそのとおりだったからである。もし政宗が他の女の子と遊びに行くって知ったら……例えお互いその気はないとしてもやっぱり嫌だ。

「……だって政宗に言っても付き合ってくれないかな〜と。それにこれはいつのもこと」
「いつものこと、だァ……!?」

政宗のこめかみに青筋が浮かぶ。頬も引き攣っていて、華那は心の中で恐怖の叫びを上げた。

「前にも言ったじゃん。幸村とお菓子屋さん巡りしてるって! それの約束なんだよ〜」

お菓子屋さん巡り。それは甘党の幸村と華那のちょっとした楽しみだった。暇なときを見つけては街中のお菓子屋を食べ歩くというものである。ちなみに佐助も何度か参加したことがあったが、二人の甘党っぷりについていけず脱落したという過去をもつ。甘いものは普通に食べられるが数はこなせない政宗を誘うのは酷というものだろう。そのため華那なりに遠慮をしたつもりだったのだが、政宗からすれば余計なお世話だった。苦手でも華那のためなら我慢する。華那の笑顔が見れるならなんだってやってみせるのに。

「じゃあ土曜日、政宗も一緒に行こう?」

政宗も、という華那の発言に若干引っかかりつつも政宗は軽く頷いてみせる。本当は幸村との約束を断ってほしかったが、華那は約束を破るということは絶対にしない。たとえそれがどんなに重要な用事であったとしても、先約があればそちらを優先させる子だった。

「けどこれからは真田を誘うんじゃなくてオレを誘えよ? 華那の頼みなら、いくらでも付き合ってやるからよ」

***

……あのとき確かに自分はそう言った。華那のためなら全然嫌じゃないというのも本心だ。だがこれはあまりにも……。

「……テメェら、まだ食うのか?」
「まだまだ、これくらいでは食べたうちに入らないでござる」
「そうそう。まだまだイケるよね〜」
「………これくらいでギブアップなんて言ってたら付き合えないよ、竜の旦那」

先ほどからパクパクと、清々しいほどに山盛りのドーナツを平らげていく二人を見ながら、政宗と佐助は本日何度目かわからぬ胃の奥から込み上げてくるものを押さえ込んでいた。口元を手で押さえ、「うっ」と小さな呻き声を漏らす。華那と幸村は、見ているほうが胸焼けするというほどのお菓子を食べていた。しかも底なしの胃袋なのかペースは衰えず、繰り返し「おかわり」と叫んでいるほどだ。わんこそばを食べるように、甘い甘いお菓子を食べる二人を眺めていた政宗と佐助の表情はげっそりと痩せこけている。二人の食べっぷりを初めて見た政宗のほうが幾分酷い。

「華那の言ったとおりだぜ……。こりゃオレを誘おうとしねーわけだ……うっ!?」
「華那ちゃんなりの優しさだよね。旦那も気づいてくれりゃいーのに、なんでオレサマを誘うかなー……」

それから数日間、政宗は甘いものを見ただけで吐き気が込み上げた……らしい。

完