短編 | ナノ

Specific remedy

窓から覗く景色がどこか淋しく感じられる。風ではらはらと揺れる木の枝に、今にも散ってしまいそうな木の葉。少し冷たくも強い風が吹くたび、木の葉が木の枝から離れ落ちる。風に煽られて同じところを行ったり来たりしながら、ふわふわと空中をさ迷った挙句スッと地面に落ちた。落ちた木の葉はまた風に吹かれ、少しずつだが木から離れていく。やがて木が見えない場所に行き、誰かの足に踏まれてしまうのだろうか。そう考えるとどこか切なくなった。

私は部屋の中から窓を通してその光景を見ているだけ。ベッドの中から動くこともできず、ただただ外の景色を見ているのみ。窓を開けて外の空気を感じることもできず、ベッドから出て外の世界に飛び出すこともできやしない。私にできることは羨望に満ちた眼差しでその景色に思いを馳せることだけだ。そして今にも全ての葉が散ってしまいそうな木を、不安な気持ちで見守っている。一日、一日、日がたつにつれて散っていく葉。まるで日に日に弱っていく私の身体を具現化したようだ。

「……あの葉が全部散ってしまうとき、私の命も尽きてしまうのね」
「―――ンなわけねえだろ」
「……あだっ!?」

冷たい声とともに頭にガツーンと激しい衝撃が走る。何かが横から飛んできたのだろう。首から上が横へ吹き飛ばされるようである。しかし飛んできたものが見えなかったあたり、かなりのスピードで飛んできたと思われた。一体何が当たったのかとこめかみあたりを擦りながら、ベッドの上に転がっていたソレに目をやる。ベッドの上で異質を放っているソレは、中華を食べる際によく見かける真っ白なれんげだった。プラスチック製とはいえ、頭に当たればそれなりに痛い。どうしてこんなものがいきなり飛んできたのか。

「今にも命の灯が消えかかっているか弱い病人になんて仕打ち!? 酷いよ政宗、極悪人だよ政宗。あんたには血も涙もないっていうの!?」
「うっせー。か弱い病人ならギャーギャー騒ぐな。Be quiet」

ドア付近にいる右手におぼんをのせている政宗を睨みつけるが、彼にこう言われてしまえば逆に私が黙るしかない。自分でか弱いと言った手前ああ言われると、騒いでいる自分はか弱くないって言っているようなものだからだ。

「つーかドアを蹴るな! 手で開けなさい、手で」
「しかたねぇだろ。手が塞がってんだからよ」
「いや塞がってないからね!? おもいっきり左手が空いてるからね!?」

彼は右手でおぼんを持っており、おぼんの上には小さな土鍋がある。中身が温かいのかほくほくと湯気が立ち上っていた。食欲を擽る美味しそうな香りが空腹のお腹には毒である。私が言いたいことは右手で持っているなら、左手は空いているじゃないかってことだ。左手でドアを開ければいいものを、こいつは面倒臭いからっていう理由でドアを蹴り開けたに違いない。あの踏ん反り返った偉そうな表情がそう物語っている。

「なんだよその目は。人が折角こうして粥を作ってやったっていうのに、素直に喜びやがれ」
「れんげを投げつけられたら折角の有難みも消えるってモンよ」

お粥。これを食べるときは決まって体調が悪いときだ。そう、今の私も例に漏れず体調が悪い。体調が悪いと自然と心も弱くなるもので。窓の外から見える木の葉がまるで自分の身体を表しているかのように見えた。あの木は私そのもの。あの葉が全部散ってしまう頃、私の命も尽きるのねと。

「あの木の葉が全部散ってしまう頃には華那は元気になっているし、なによりたかが風邪で死ぬわけねえだろ。この医療が進歩した時代で、風邪なんかで死ねるものなら死んでみやがれ」
「風邪を甘くみるなよ! 風邪だってちゃんとした病気なんだぞ」
「風邪を馬鹿にした覚えはねえよ。だがちゃんと食事に睡眠、薬も毎食後欠かさず飲んでいるような奴が死ねるわけねえだろうが。つか治す気満々じゃねえかよ」

当たり前だ。風邪なんかで死にたくないし、悪化させて面倒なことにはなりたくない。

「じゃあ話を変えるわ。なんでれんげを投げつけたのよ。風邪でダウンしている彼女に普通投げつけるか!? れんげを、それも力加減もせず全力投球するか!?」
「何故か無性にムカついたからだ、許せ」
「許してって言ってるわりには上から目線だからね。そんなんで誰が許せるか」
「ったくいい加減に黙れ。んでもってさっさと飯食え」

ベッドの上におぼんが少し乱暴な手つきで置かれた。中身が跳ね落ちるのではないかと若干焦る。おぼんの上には土鍋の他に、私のお茶碗とコップがあった。それと一緒にれんげが置かれていたと思われる形跡もあった。やっぱりさっきのれんげはこのお粥を食べるためのれんげだったのだ。お粥を食べる前にまさかあんなふうに使われるとは、私だけじゃなくこのれんげも想像しなかっただろう。というよりご飯を食べるという目的以外で使われるとは誰も思わない。

「ごめんね、れんげさん……」

政宗なんかに使われたばっかりに、本懐を遂げられなくてごめんなさい。れんげをぎゅっと抱き締めながら心の底から詫びた。

「……頭大丈夫か? なんならもう一度病院に行くか?」
「失礼ね、つか熱を測るな!」

私の言動がよほどおかしかったのか、政宗はとても真面目な顔つきで私の顔を覗き込む。風邪を引いてダウンしたここ数日間で一、二を争うくらい真面目臭っていた。挙句の果てには熱があると思ったのか、私の額に掌をあてて熱まで測りだす始末。政宗のひんやりとした掌の体温が、今の私にはとても心地よいことは内緒にしておこう。

「しかし華那が風邪でdownするとは思わなかったぜ。こうやってこのオレが見舞いに来てやったこと、精々感謝しやがれ」

そうなのだ。冬と春、丁度季節の変わり目の今、私は見事に風邪を引いてしまったのである。季節の変わり目は体調を崩しやすいと大昔から言われている。テレビでやっている番組でも注意してくださいってみんな言っている。つまりそれほど大勢の人達が体調を崩しやすいってことだ。そして私もその他大勢の一人になってしまった。別に家族がいる普段なら大したことないのだが、現在進行形で一人暮らしを余儀なくされた今は話が別である。

まずベッドから出ることもしんどいので、何も食べることができなかった。薬を飲もうにも何も食べていないので、必然的に薬も飲めなくなってしまう。それではまずいとなんとかベッドから這い出て台所へ向かうが、お粥を作る元気すら今の私にはなかった。適当に何でもいいやと思っても、身体がそれらを受けつけないだろう。食欲がないときにカップ麺はないよね、さすがに。どうしようかと途方に暮れていたとき、運よく政宗がお見舞いに来てくれて今に至るというわけだ。

「馬鹿は風邪引かないって日本の諺であるだろ?」
「馬鹿だからこそ風邪を引くのであってね。それと日本の諺にそんなものはないから」

すると政宗は「そうなのか!?」と本気で驚いた顔をした。なんだかんだで十年以上外国で暮らしていたからなのか、こういうことは知らないことが多い。あまりに有名な言葉だから諺だって思っていたのかも。実際には諺じゃないのだが。

「……ったくよ、粥を作る元気がねえくらいしんどいっていうから、わざわざオレが粥を作ってやったっていうのに、意外と元気そうじゃねえか」
「………煩いなァ、あのときはホントにしんどかったのよ」

政宗がお見舞いに来てくれる前はしんどかったのに、今じゃさっきのしんどさが嘘のように軽い。薬もまだ飲んでいないのにも関わらずだ。そりゃあ政宗だって不思議に思うだろう。でも私はその原因に思い当たる節があるので、そんなに不思議には思っていない。

きっとね、人恋しくなっていたのだと思う。体調が悪いときに広い部屋で独りぼっち。さすがの私でも心細いし、気弱になってしまったのだろう。だけど政宗が来てくれたおかげで気弱になっていた私はどこかへ引っ込んでしまった。さっきのような「木の葉が全部散ったら私の命も尽きるのね」って冗談を言えるくらいに。

「……あれ? でもまだお昼だよね。そうだ政宗、あんた学校は!? 今日は平日だし、つかさっきはそこまで気を使う余裕はなかったし、今もエプロンしているから忘れていたけれど、あんた制服着てるじゃんか。なんでここにいるの!?」

身体が元気になると心にも余裕が現れ、今まで気にもしていなかったことにまで気が回る。そこで私はようやく今が平日で、学生ならば学校にいる時間帯なのだということを思い出したのだ。本来なら政宗がうちにいるはずがない。私服ならそれはそれで問題だが、政宗のエプロンの下はとっても見覚えのある青色のカッターシャツだった。

なんで見覚えがあるのかっていうと、これが私達の通う高校の制服だからである。ブレザーはお粥を作る際邪魔だったのか、リビングか台所かで脱いだのだろう。明らかに学校にいた形跡があるのに、どうして今うちにいるの?

「華那のいない学校になんかいても意味ねぇだろ? センコーに訊けば風邪で休みだっていうし、心配だからこうして様子を見に来たんだよ。そしたら案の定だったしな。オレがいてよかっただろ?」

「な?」と自信満々な表情と声で言われてしまえば、私はうんと首を縦に振ることもできず、ただ顔を真っ赤に染め上げることしかできない。私の顔を覗き込む政宗がやけに頼もしく見える。どうしてか私の心臓が激しく鳴った。これは風邪のせいよ。政宗がカッコよく見えるのは、私が風邪で弱っているせいだわ。

「それより早くこれ食べろ。そんでもって薬飲んで寝るこった」
「……わかったわよ。早く食べるからお茶碗を頂戴」
「Ah? なんでだよ」
「なんでって……お茶碗ないと政宗が作ってくれたお粥が食べられないじゃない」
「だからって華那がお茶碗を取る必要はねえだろ。オレが食べさせてやるんだし」
「…………はい?」

食べさせてやるんだし? ってことはなんだあれか。甘ったるい声で「ハイ、アーン」と言うあれか。付き合い始めの男女が喫茶店でよくやるかもしれない的なあれか。今回の場合お粥なので、「フーフー」と熱冷ましのオプション付きだ。まぁカップルならありえない展開でもない。

「……っていやだぁぁああ! そんな恥を晒すくらいなら風邪を拗らせて入院したほうがましだぁ」
「風邪を拗らせて入院するほうが嫌だろ、どう考えても」
「酷いよ政宗ぇ。風邪で倒れている愛しい彼女にこの仕打ちぃ。鬼だ悪魔だ魔王だよぉ」

泣こうが喚こうが通用しないことは薄々わかっている。現に政宗は私が喚いている間にも、お粥をお茶碗によそい冷ましているではないか。やべーよこいつ実行する気だ。過去、政宗が実行しようと思ったことは必ず実行している。それがどんなに難しいことでも、経済力と権力を酷使して実行してしまうのだ。

「いいから黙って食べろ」
「んぐっ!?」

色気の欠片もなく強引にれんげを口に突っ込まれた。こうなったらもう食べるしかない。私は無言でもごもごと口を動かし、無理やり食べさせられたお粥を味わう。

「美味いだろ?」
「………………むぅ」

悔しいけど政宗の言ったとおりすごく美味しい。でもそれを素直に表現するのも腹立たしい。私は俯きながら黙々と口を動かす。仏頂面で食べているものだから、さぞかし可笑しな光景に見えることだろう。くそ、少し動いたせいか顔が熱い。もしかしてまた熱が上がっちゃった? か、風邪のせい風邪せい。断じて照れているわけじゃないからね! ……って私はツンデレか!?

「なーにcuteな顔してやがるんだよ」
「……うっさい、キュートって言うな恥ずかしい」

でもどうやら私の気持ちは、政宗にはお見通しのようだ。下から見上げるように睨みつけるが彼はそれ以上何も言わず、ただただ優しい瞳で笑っているだけだった。私の熱は更に熱くなる。ああもう、風邪の熱か政宗の熱かわからなくなっちゃったじゃない。

「……それより食べさせてくれるのなら早く食べさせてよね! 私すごーくお腹が減っているの」
「へいへい……我侭な姫サンだぜ、ったく」

やっぱり恥ずかしいけれど、一度やられてしまえば腹は括る。少しでも恥ずかしさを和らげるために、目を瞑りながら私は大きく口を開けた。でもきっと頬が真っ赤だから、政宗には私の気恥ずかしさなんてバレバレだろう。だって政宗が笑っていると、目を瞑っていてもわかるんだもん。とりあえず今は、私のために作ってくれたお粥を味わおうじゃないか。

完