短編 | ナノ

護って案山子ちゃん

近頃小十郎の機嫌が異常に悪い。これはそんな話が伊達組の屋敷で実しやかに囁かれていた、ある日の出来事である。勿論伊達組当主の政宗も、部下達が話しているこの話題を知らないわけがなかった。むしろ当主という立場上、様々な人物からこの話を切り出されるものである。そして誰もが決まって最後に「筆頭、また何かしちまったんですかい……?」と言いだすのだ。

そのたびに政宗は露骨に眉を顰めていた。何かしたのかと訊かれただけでなく、「また」という単語までくっ付いていたからだ。失礼な奴らだと、そのたびに政宗は内心で悪態をつく。何故小十郎の機嫌が悪いとなると、原因は自分にあると思うのか。それも一人ではなく、屋敷にいるほとんどの人間が、だ。

お前ら、オレを誰だと思っていやがるんだ? 政宗がこう思ってしまうのは当然のことといえよう。

「そりゃ政宗の日頃の行いが悪いからに決まってんじゃん」

伊達組広しといえど、政宗にこのような暴言を吐く人物は一人しかいない。政宗は部下達に見せたものよりも数倍鋭い睨みで反撃するも、その人物はそんな政宗を笑い飛ばしてしまった。そう、その人物には政宗の睨みは慣れたものであり、受け流すことは容易だったのである。政宗が何も言わず、ただ鋭い睨みを利かせるだけで、大抵の人間は恐怖で震え上がり、背中を向けてそそくさと逃げだすというのに、政宗の睨みを受けてなおヘラヘラと笑っている―――成実にだけはいまいち通用しないのだ。

「あのな、小十郎の機嫌が悪ィときは大抵お前も関与していることが多いだろうが。自分を棚に上げてよくオレのことを言えたもんだぜ」
「だって今回に関しちゃオレは何もしてねえって断言できるもん。だったら残る原因は政宗しかないだろ? で、今回は何をやっちゃったんだ? ホレ、吐いちまえよ」
「……だから何もしてねえっつってんだろうが!」

何度同じことを言われたのかわからない。いい加減聞き飽きていたし、うんざりしていたせいもあってか、ついに政宗の理性の糸が切れてしまった。己の内から湧き上がる衝動に身を任せ、成実の右頬に見事なストレートパンチをお見舞いする。殴られた衝撃で成実は後方へ吹っ飛び、激しい音と共に壁にぶつかってしまった。それこそ真田幸村と武田信玄がよくやるあの殴り合いの粋である。

が、政宗同様日頃から鍛えている成実は、激しいパンチを受けても難なく起き上がった。それでも頬に受けた痛みだけは我慢できなかったのか、労わるような手つきで自らの右頬を擦っている。

「ったァー……なにも殴ることはないだろ!?」
「知るか。テメェらが何度も同じことを言うのが悪いんだろうが」
「俺は一回しか言ってないし! つかこれってただの八つ当たりじゃねーの!?」

さすがにこれは酷いだろと抗議の声をあげる成実に、政宗はフンと鼻で笑いつける。だが今の政宗の行動で、どうやら今回の件には本当に関与していないことが窺えた。もし関与していたら、普段の彼ならばここまでしない。となると今回は本当に覚えがないらしい。

しかしそれは成実にもいえることで、となれば小十郎の機嫌が悪い原因は自分達ではないということだ。じゃあ何が原因で小十郎の機嫌が悪くなっているのだろう。政宗と成実は互いに顔を見合わせ、ここ最近の行動を振り返ってみることにした。しかし原因があるといえばあって、ないといえばないというのが現状だった。掃除をサボった回数数知れず、物を壊した回数数知れず。それこそ思い返せばキリはない。

だがこれくらいのことは小十郎にとってもいつものことで、今更こんなことでそこまで機嫌を損ねるとは思えないのである。考えれば考えるほどわからなくなってくるから不思議で仕方がない。

「……失礼致します。なにやら大きな物音がしたのですが。何かありましたか政宗様?」
「綱元か。No problem 何もねえよ」

政宗は肩を竦めながら、部屋を見回している綱元こう告げた。おそらく先ほど、政宗が成実を殴り飛ばした際の音を聞きつけて彼は現れたに違いない。綱元は成実の右頬を見、物音の原因がなんとなくわかったのだろう。それ以上の追求するような真似をせず、表情一つ変えずに政宗に向き直った。

「……如何されたのですか? なにやら顔色が優れないようですが」
「いや、ちょっと考え事をな。Ah そうだ、綱元。お前なら何か知ってねえか? 小十郎の機嫌が悪い理由をよ」

小十郎と仲が良い綱元なら何か知っているかもしれない。そう思った政宗は事の顛末を説明した。政宗の説明を、相槌を打ちながら静かに聞いていた綱元は、政宗が説明し終えるなり「それなら……」と口を開く。やはり何か知っているのか、という期待が政宗と成実の心に飛来した。

「ここ最近、小十郎の畑が何者かに荒らされているのが原因かと」
「畑が荒らされているだと?」

小十郎の趣味が畑で野菜を作ることというのは、伊達組の誰もが知っていることである。そして小十郎の許しがない限り、畑には決して近づいてはならないということもまた、周知の事実であった。こっそりと畑に踏み入れるだけならまだしも、そこで少しでも何かすれば小十郎の極殺が待っているのである。誰もが我が身惜しさに小十郎の畑にだけは近づこうとはしない。あの政宗でさえも、だ。小十郎の愛情をたっぷりと受けたネギでだけは斬られたくない。

「畑が荒らされているねえ……具体的には何をされているんだ?」
「なんでも、野菜を盗まれているそうです」
「うわ、一番やっちゃいけないことを……」

政宗と成実は揃って顔を引き攣らせた。小十郎の野菜を盗むなんて勇気があるなと少し感心もしたが、命知らずな無謀な輩だと同情してしまう。小十郎の野菜にかける情熱と愛情を知らないとはいえ、目に見えないその野菜泥棒は随分と運がないようだ。野菜が欲しいのなら他にも畑があっただろうに、よりにもよってここを選んでしまったのだから。

「ま、でも小十郎の野菜は今時では珍しい無農薬だし、なによりめちゃくちゃ美味しいからね。その野菜泥棒、目利きの才能はあるのかもしれないよ?」
「何を暢気なことを言っている。小十郎の畑が荒らされているということは、何者かがこの伊達組の敷地内に侵入しているということなんだぞ。それも何度も、だ」
「………Yes 綱元の言うとおりだ。天下の伊達組がどこの誰かも知らねえ奴に、テメェの懐に入られているんだぜ? このままにしておくわけにはいかねえだろ」

伊達組の誰かが小十郎の畑に侵入して野菜を盗んでいるという可能性を、この三人は最初から「ない」と確信していた。伊達組の人間なら小十郎の野菜の美味しさを知っているが、彼の性格も理解しているため、畑に近づこうという考えは皆無なのだ。動物の仕業かとも思えるが、綱元の話によると明らかに人の手による犯行だと言う。ならば伊達組の人間ではない外部の者が、小十郎の畑に侵入して盗みを働いているとしか考えられない。

「でもよ、どうするんだ? 小十郎に話して一緒に犯人を捕まえるのか?」
「No ここは小十郎には内密に、オレ達だけで事を進めて犯人を捕獲するぞ」

政宗の提案に成実は目を丸くさせた。誰かわからない犯人を捕まえるのなら人手は多いほうが良い。なのに政宗はこの三人だけで犯人を捕まえようと言い出す始末。一体何を考えているのか。政宗の考えが成実には読めない。

「オレ達で捕まえれば小十郎もさすがに感謝するだろうよ。そうすりゃこの前オレが壊しちまった壁のこともチャラになるかもしれねえ。成実、お前だってこの前掃除をサボって蔵で寝ていただろ?」
「げっ!? なんでそのこと知ってるんだよ!?」

誰にもバレていないと思っていただけに、成実は驚きを隠せなかった。一方綱元は本当に知らなかったらしく、苛立ちと呆れが混ざった鋭い睨みを成実に向けている。その睨みは小十郎とはまた違った恐ろしさを含んでいた。小十郎のように怒鳴るような真似はしないが、無言の、見えないプレッシャーを与えられているようで逆に居心地が悪い。

「とにかくだ。オレ達でその野菜泥棒を捕まえる、いいな!?」
「政宗様のご命令とあれば」
「お、おうよ!」

ここに小十郎の野菜を守ろうと、三人の男達が立ち上がったのであった。

***

では具体的にどうやって小十郎の野菜を守り、犯人を捕まえるのか。一番手っ取り早いのは小十郎の畑を交代で二十四時間見張るという手段だが、これには色々と弊害があって難しいという結論に至った。まず小十郎の目を盗んで政宗が畑を見張るということが難しい。小十郎は政宗の護衛役。彼が長時間いないとわかれば、小十郎は政宗を捜しだすに違いないと思われる。なにより昼間は小十郎が畑にいるため不可能だ。なら犯人を捕獲するための罠を張るのはどうかという案も挙がったが、小十郎の目を掻い潜って罠を仕掛けるのは少々骨が折れる。

「じゃあさ、案山子は?」

ああでもないこうでもないと、様々な案が飛び交っていたときだった。成実が「案山子を作ったらどうだ?」という提案を出したのである。案山子という思いも寄らなかった発言に、政宗と綱元は揃って口を噤み成実の言葉を待った。

「少なくとも昼なら小十郎が畑にいるから、犯人は夜に野菜を盗んでいるってことになるだろ。だからこその案山子だよ。鳥避けならぬ人避けの案山子を作るんだ。世にも恐ろしい案山子を作って、犯人が驚いている隙に俺達が捕まえる……どう?」

見張りと罠。この両方を足した案に、政宗と綱元は考え込む。最終的に判断するのは政宗なので、綱元は政宗の意見を待っているだけかもしれない。

「案山子か……面白そうじゃねえか。早速作ってみるか?」

ということで、三人は早速案山子作りに取り込むことになった。幸いというか、小十郎が案山子を作るので、材料はたっぷりとあるので今すぐ作ることは可能である。小十郎にばれないようにこっそりと案山子作りに必要な木と藁を迅速に集め、比較的人気が少ない蔵の中で早速作り始めた。

綱元を除き政宗と成実は、案山子作り自体初めてではない。二人は小さい頃小十郎に教えられ案山子を作ったことがあったのだ。案山子作りの基本は木を組み合わせて骨組みを作り、服を着せて中に藁を詰め胴体を作るというもの。

今回は人を驚かすことを目的としているので、骨組みや藁を詰める作業にあまり時間を割くことはできない。政宗達は記憶を引っ張り出しながら、手短に骨格を組み立てていく。顔は中間で丸く折り返した藁を束ね、その上からシャツを被せて、上下をしばり、帽子を被せて顔を書けばできあがりなのだが、今回は案山子に恐怖感を求めているので帽子は被せず、顔も描かないことにした。変に顔を描くよりのっぺらぼうのほうが怖いだろうという考えからである。なんとか土台を完成させると、ここからが今回のメインとなる作業である。どうやってこの案山子に恐怖感を出すか、だ。

「シャツじゃなくて血がついた白い着物を着せてみたらどう?」
「顔は包帯で巻いてみたらどうでしょう?」
「よし、思いつく限りのことをやってやろうじゃねえか!」

これはどうだと三人は次々に意見を挙げていく。いつの間にか綱元も面白がって、淡々とした口調の中に嬉々とした感情が見え隠れしていた。そして三人の提案がただの「悪ふざけ」に変わろうかとしていたとき、例の案山子は完成したのであった。

***

その日の晩、小十郎にバレないように畑に案山子をセットした三人は、畑の隅に隠れて様子を窺っていた。ここからだと案山子がよく見える。三人の手によって不気味に生まれ変わった案山子は、暗闇の中で怪しく佇んでいるだけだ。白い着物を着ているため、暗闇の中でも少し異様な雰囲気を醸し出している。

「……作っておいて言うのもなんだけどよ。あれ、かなり不気味じゃねえか?」
「うむ……少し調子に乗りすぎたかもしれんな」
「確かに……あれならhaunted houseにいてもおかしくねえな」

三人の顔に後悔の色が滲む。暗闇に佇む案山子を見ていると、今更だがさすがにやりすぎたかもしれないという思いが芽生え始めたのだ。政宗に至ってはお化け屋敷にいてもおかしくないとまで言ってしまっている。

「作った俺ですら夜あれに遭遇したらさすがに引くわ……」
「………! 静かにしろ成実、何か聞こえる」

小さく、それでいて鋭い綱元に声に政宗と成実は表情を引き締める。綱元の言うとおり、耳を澄ませば微かに足音らしき規則正しい音が二人の耳に届いた。気配を殺すことに関しては三人ともプロなので、息を殺しながら近づいてくる何かを待つ。その何かが人影だと確信した三人は、決定的証拠を手に入れるため今しばらく隠れて様子を窺っていた。

伊達組の敷地内に侵入したという理由で捕まえることは可能だが、三人はあの人影が野菜を盗んだ犯人だという確信が欲しかったのだ。その人影は先ほどから小十郎の畑でうろうろしていた。その行動はどの野菜にしようか選んでいるようにも見える。だが案山子の存在には気づいていないようで、人影は丁度案山子の真下にあたる部分でしゃがみ込むと、なにやらゴソゴソと手元を動かし始めたではないか。それに加えてザクザクと地面を掘るような音まで聞こえ出した。間違いない、土を掘って野菜を盗もうとしている―――!

「政宗様」
「ああ、間違いねえな。成実、やっちまえ!」
「おうよ!」

政宗の合図で成実は懐中電灯を取り出し、スイッチをオンにして案山子を照らし始めた。突然発せられた眩い光に、野菜泥棒は眩しいといわんばかりに手で顔を覆い隠す。光が発せられる方向、つまり成実のほうを見ようとした際、自分の目の前にいた案山子に気づいた。そしてその不気味な姿故に。

「きゃーーー!?」

という、実に女の子らしい悲鳴をあげたのであった。成実と綱元は今がチャンスといわんばかりに、隠れていた場所を飛び出し犯人へと駆け寄っていく。だが政宗だけがその場から動くことができずに、ただただ呆然と佇んでいた。何故なら今しがた聞こえた悲鳴の声が、彼がよく知る人物の声とそっくりだったからである。

「さぁ、やっと捕まえたぜ。野菜泥棒さんよ! 俺達の平和のために大人しく捕まってく…れェ……!?」

真っ先に犯人の下へと駆け寄ったのは、意気揚々としている成実だった。彼は懐中電灯で犯人の顔を照らす。と、そのあまりに意外な人物に成実の声は裏返ってしまった。遅れて駆けつけた綱元も、懐中電灯に照らされた人物を見るなり、少しだけ目を丸くさせる。

「………な、何やってんの華那!?」

成実の悲鳴に近い大声に、政宗は「やっぱりな……」と長い溜息をついた。そう、一連の野菜泥棒の犯人は、政宗の恋人で、いずれはこの伊達組で姐さんと呼ばれることになると思う、音城至華那だったのだ。この案山子に驚いてしまったのか、華那はその場に力なくへたり込んだまま動くことができずにいたのである。

***

「……つまり、今月の仕送りの金を間違えて全部捨てちまって、食事すらまともに摂ることもできず、困った挙句小十郎の野菜を盗んで飢えを凌いでいた、と。間違いはねえな華那?」
「…………はい」

屋敷の客間で三人に囲まれ華那は、すっかり縮こまり正座させられて既に三十分が経過しようとしていた。客間には三人以外の姿はない。犯人が華那だとわかれば、政宗達も小十郎に突き出すことができず、何故こんな真似をしたのかとりあえず事情を聞くことにしたのである。小十郎に突き出せば華那ともいえど拷問に近い目に遭わされることは確実で、きっと政宗の説得にも応じないだろう。そして事情を聞き出したら、なんとも華那らしいというか、実に馬鹿げたオチだったのである。華那の両親は仕事で海外にいるため、彼女の生活費は毎月両親が銀行振り込みしている。華那はそれを毎月月末に全額下ろし、一ヶ月生活しているとのことである。

なのに華那は今月の生活費が入った封筒を、あろうことかゴミと一緒に捨ててしまったというのだ。捨ててしまった生活費の中には当然食費も入っている。これではご飯すらまともに食べることができない。空腹のあまり切羽詰った華那は、ついには悪の道へと進んでしまったのであった。

「あのなあ、だったらなんでオレに相談しねえんだ。飯くらいならいくらでも食わせてやるっつーのに」
「だって政宗に何か頼むと、そのたびにとんでもない見返りを要求するんだもん!」
「ああ、確かにそうだな」
「そりゃあ華那も素直に言えないよね」

うんうんとどこか納得したように頷いている成実と綱元を政宗の鋭い眼光が射抜く。

「ならば華那、政宗様ではなく俺や成実を頼ればよかったんだ。俺達なら政宗様のように無茶な見返りなど要求するつもりなどなかったというのに……」
「そうだよ。俺達友達じゃん。水臭いな、もう!」
「綱元ぉ……成実ぇ……」

二人の温かい眼差しを受け、華那はその大きな瞳に大粒の涙を浮かべる。今にも零れ落ちそうなくらいの涙を瞳に浮かべつつも、決して泣くものかと華那は必死に涙を堪えた。人の優しさに触れ、胸から込み上げる温かいものが華那の心を包む。

「テメェら……このオレを無視するたァ、いい度胸じゃねえか」

すっかり置いてきぼりを食らった政宗のこめかみには、数本の青筋がくっきりと浮かんでいた。それからというもの、来月の仕送りが送られるまで、華那は伊達組のみんなと楽しく、栄養満点の食事を頂くことになる。小十郎にこの一件を報告しなかったのは、政宗のせめてもの優しさであった。

「茶封筒の行方」に続く