短編 | ナノ

反逆マリオネット

世界平和とはいかないが、なんとなく平和な今日この頃。自分の心が穏やかだと、目の前に広がる世界まで平和に見てくるのだから実に不思議である。いつも騒がしい幸村も今日は何故か大人しく、おかげで今日一日実に平穏に過ごせたと佐助は思っていた。幸村だけでなく佐助の周りには常に騒がしい人間が他にもいるのに、そいつらまで大人しかったのだから実に珍しい日である。

しかしそんな彼の思いとは裏腹に、同じく横でぼーっとしている慶次は退屈で仕方がない様子でいた。佐助は窓の向こうに広がる青空に目を向けた。どこまでも続いているこの青い空。見ているだけで心が落ち着いて癒されていく。放課後だというのに人の行き交いが激しい廊下も、佐助の周りだけ穏やかな気分にさせた。文化祭が近いということで、放課後残って文化祭準備に励む生徒が多いため、校内は昼間並みに騒がしいのである。

「ここまで静かだと逆に怖いものがあるけど、今日は久しぶりに静かに過ごせそうだ」
「そうか? 俺は静かでいるより騒がしいほうが好きだけどなー」
「……つまりは暇なわけね、お二人さん!」
「うわ!? いきなり現れないでよ華那!」

突然現れた相手が先ほど考えた幸村以外の騒がしい人間だっただけに、佐助は心の中でひっそりと毒づいた。折角今まで平穏に過ごせていたというのに、最後の最後で華那と遭遇してしまった自分の運の無さを呪いたい。

しかし突然現れた華那の衣服が若干乱れていることに気づき、二人は訝しそうに目を細めた。まるで何かと取っ組み合いの喧嘩でもしたような感じがする。華那の場合なら相手が熊でも違和感がないのが恐ろしい。おまけに乱れているのは衣服だけでなく、彼女の息遣いも、だった。

「どうしたんだよ華那。珍しく肩で息なんかしちゃってさ」

華那の息遣いは誰がどう見ても荒い。よほど体力を消耗しているのか、額から一筋の汗が流れていた。前髪が額に張り付いている。すっかり涼しくなった今では汗をかくことなどあまりない。

「ちょっと油断しちゃって逃げられたものでね」

何かは知らないが逃げた何かよ。それは賢明な判断だ、華那に捕まっては身を滅ぼすことは明白である。目に見えない逃げたそれに佐助は心底同情した。

「ね、政宗見なかった?」

どうやら可哀想な被害者は政宗だったようだ。相変わらずよくやるよなと、佐助は声に出さず内心で呟いた。しかしこういう場合いつもなら政宗が華那を追いかけるのであって、今のように華那が政宗を追いかけることはあまりない。今回は立場が逆転しているだけに、何があったのか少し興味が湧いた。

「ところで佐助、なんでさっきから手を合わせているの?」
「だってこれくらいしか竜の旦那にしてやれることってないだろー?」

助けようとしたらこっちまで巻き添えを食らう。さすがにそれは御免被る。最も、最初から助けるつもりもないのだが、それはあえて言わないでおこう。佐助は硬く心に誓った。

「ところで華那は竜の旦那を捜してるんだっけ? なんで……というか何をした?」

どうして政宗を捜しているのかを訊ねるより、華那が一体何をしたか訊いたほうが早い。それを訊けば華那が何をしたかも分かるし、政宗が逃げた理由も分かるというもの。いい加減華那の行動を学習してきた佐助だった。

「何もしてないわよ。ただちょっと服を脱がそうと……」
「へえ。華那も意外と大胆な女だったんだな!」

慶次は素直に感嘆の声をあげた。いきなり政宗の服を脱がそうとする華那はやっぱり凄い。つまり華那の衣服の乱れは、政宗の抵抗の後なのだろう。きっと全力で戦ったに違いない。政宗の性格のことだから、服を脱がされるより脱がすほうが好きだと見える。女に服を脱がされるなんて彼のプライドが許さなかったのだろう。

「でもなんで服なんか脱がそうとしたんだ?」

一体どんな流れで男の服を脱がそうとなるのだろうか。政宗のファンならなんとなく分かるのだが(分かってもアレなのだが)、今回脱がそうとしたのは華那である。別に彼の裸が見たいとか、そんな趣味を彼女は持ち合わせていないはず。それに彼女の場合なら、そんなチャンスはいくらでも訪れるのだ。仮に政宗の写真を撮ってファンの女性達に売ろうと考えたとしても、彼女が政宗をその気にさせればいとも容易く裸体の写真は撮れるだろう。獰猛な獣に勝負を挑む必要性など皆無なのだ。

「なんでって……コレ見たほうが早いんじゃないかな」

そう言って華那は、ポケットから四つに折られたプリントを取り出し二人に差し出した。佐助はそれを受け取ると、綺麗に折られたプリントを広げていく。まず目に入ったのは、カラフルな色の大きな文字。しかもフォントは可愛らしくポップ体を使用している。その肝心な内容はというとだ。

「女装が似合う学園王子は誰だ……って華那、なんか凄く見覚えのあるプリントなんだけど。まさかコレは……」
「そう。一ヵ月後に控えた文化祭の目玉イベントの参加申し込み用紙よ」

文化祭では各クラス出し物は一つだけだが、それとは別に学年関係なく誰でも参加できるイベントも幾つか用意されているものである。そのうちの一つがこのプリントに書かれた、「女装が似合う学園王子は誰だ」というイベントだった。

内容は書かれている通りで、この学園で女装が一番似合う男子生徒を決める大会である。参加条件は特になく、女装をする男子生徒一人と、彼をサポートする人間が最低でも一人いれば、誰だって参加できる形となっている。どうやら華那はこの大会に政宗を出場させる気でいるようだ。ちなみに審査員は文化祭に来場した一般参加者で、投票形式で誰が一番似合っているか決めるとのことである。

「で、華那は竜の旦那をターゲットにしたわけだ」

佐助は呆れたような視線を華那に投げかける。確かに政宗なら端正な顔立ちもあり、審査員の目も唸らすことが出来るかもしれない。だが政宗に女装をさせるということ自体が無謀だった。

「でも女装なら何も政宗じゃなくても、他に適任者がいるんじゃねえの? 例えばそうだな、幸村なんかどうだい?」
「駄目よ。既に幸村のクラスの女子達が掻っ攫っていったわ。ねえ、佐助?」

佐助は無言で華那の言葉に頷いた。そう、幸村が強制的にこのイベントに参加させられたから、佐助はこのイベントのことを知っていたのだ。幸村も最初は嫌がっていたのに、女子達の旨い口車に乗せられ、結局参加することになってしまったのである。ちなみにこの二人にはそんなお呼びはかかっていない。ちょっと寂しい気もするが、男としては嬉しい限りに尽きる。

「だからここ最近の女の子達が怖かったわけだ。どうも野郎を見る目がなんつーかこう、舌なめずりしてるって言うか、観察するって言うかさ」

それはきっといかに女装が似合うか見定めていた視線だろう。いくらカッコイイや可愛いと言っても、女装は似合う、似合わないかがはっきり現れてしまうのだ。意外と奥が深いのだ、この世界は。

「でもそこまで必死になる理由も分からねーんだよなァ」
「理由は簡単よ。なんたって優勝したら賞金が出るからだよ」
「なんだって!?」

二人はもう一度プリントに食らいついた。よく見ると隅っこに小さく「優勝者には豪華賞金か一年間食堂がタダになる権利か、どちらかお選びすることができます」と書かれていた。

「なるほど。そりゃ躍起になるよな」

慶次はまじまじとプリントを読み漁った。優勝賞金は優勝者だけでなく、優勝者がいるチーム全員に与えられると記載されている。つまりチーム全員にこの賞金が与えられるということだ。これならサポートとして参加しただけの生徒もやる気になるだろう。

「―――そう言えば私、政宗を捜していた途中だったわ。じゃあもう行くね」
「ちょっと待ったァ!」

二人の声が見事に重なる。二人に背中を向けて駆け出そうとしていた華那は、ゆっくりと振り向くと「何?」と短く訊いた。

「暇だったんだ、手伝うぜ!」

二人がそう叫んだ瞬間、華那がニヤリとしてやったりの悪魔の笑顔を浮かべたのはもはや予想通りのことだろう。まんまと華那の策略に乗せられた佐助と慶次であった。

***

「闇雲に捜しても見つからないだろうし、どこから捜すんだい?」

とりあえず一階の昇降口へとやってきた政宗捜索隊、もとい政宗に女装させ隊は、壁に立てかけられている案内板を眺めていた。政宗がいる場所は校舎内だけとは限らない。外には広いグラウンドや、憩いの場として使用される中庭などがある。とてもじゃないが人っこ一人見つける環境としては、あまりに広すぎる。華那と慶次は「う〜ん」と唸るが、唸るだけでは良い案が浮かんでくるはずもなく、「とりあえず、地道に聞き込みとかするしかないんじゃない?」という佐助の提案を呑むしかなかった。

最初の聞き込み相手は食堂のおばちゃん(四七歳子持ち主婦)である。まずどこに行くだろうかと考えた結果、華那の息遣いや衣服の様子を考慮すると、きっと政宗も似たような状況かもしれないと思いついた。すると彼もまた息が上がっているはず。何か冷たい飲み物でも欲しくなるのでは? という結論に至り、食堂を訪れることにしたのだ。

三人はカウンターの奥でせっせと中華鍋で何かを炒めていた一人のおばちゃんに声をかけた。中華鍋を見た瞬間、華那の脳裏に嫌な出来事がフラッシュバックした。今も思い出しただけで恐ろしい。嗚呼、あの忌まわしい生の蜂の子入り肉団子。

「え、政宗ちゃんかい?」
「政宗ちゃん!?」

聞き込み開始早々驚かされる政宗に女装させ隊の面子だった。あの男をちゃん付けで呼ぶとは、食堂のおばちゃんの度胸は恐るべし。誰も政宗が怖くてちゃん付けでなんて呼べっこない。

「そういやさっきまでここに来たよ。酷く疲れたから水を一杯くれって。あたしから見ても満身創痍っていう感じがしたよ。それになんか服も乱れてたし大丈夫かねェ?」
「……華那」

じっとりと睨む慶次を尻目に、華那はおばちゃんを見たまま「アハハハ〜」と乾いた笑いを上げた。あの政宗を満身創痍にさせた華那は、もはや真の猛者なのかもしれない。

「で、どこに行ったか知らない?」
「さあねぇ。あ、でもここで水を飲んでいるとき、白衣を着た人に声を掛けられて、その人と一緒にどこかに向かって行ったよ」

おばちゃんは食堂の一角のテーブルを指差した。そこにいたと言いたいのだろう。

「白衣ってことは保健室? 政宗に用なんて珍しいこともあるものね。とりあえず保健室辺り、行ってみる?」

次の聞き込み相手は保健室の先生(三五歳独身)である。食堂からかなり離れた位置にある保健室に足を踏み入れた三人の鼻に、ドアを潜った途端に薬品臭い臭いが襲い掛かってきた。部屋には様々な医療器具を始め、ベッドやテーブル、デスクが設置されていて、そのどれもが白で統一されている。健康体にはこの無機質空間は居心地が悪い。奥のデスクでは一人の女性が煙草を吹かしながら、なにやら白い紙に目を通している。その女性は三人に気づくと、ゆっくりと顔を上げた。

「珍しいな、こんなところには縁がないほどの健康体三人が、雁首揃えて何か用か?」

これは褒められているのだろうか? この人が言うとどうも褒められた気がしない。健康体なのはいいことのはずなのに。これまで一度も健康診断に引っかかったことは皆無なのに。なのになんで嬉しくないのだろうか。

「っていうか先生、ここ保健室ですよね? 煙草なんか吹かしちゃ拙くないですか?」

清潔第一のこの空間で空気を汚したら拙いだろ。そんでもってこんな人が保健室の先生なのはいかがなものか。そんな性格だから未だに結婚出来ず独身街道まっしぐらなんだ。そう思いつつも華那はなんとかそれを心の中で留めておいた。

「ところで政宗の奴見ませんでした?」
「ああ、さっきまでいたよ。匿って欲しいって言ってきたから、しばらくここで匿ってやっていたのさ」
「またさっきまでかよ」

がっくりと項垂れる慶次の隣で、佐助がポンポンと優しく肩を叩いた。

「どこへ行ったか知りません?」
「知らないな。ああでも、女に引っ張って行かれたような……」
「どこどこ?」

女という単語に過敏反応を示した佐助を羽交い絞めにし、華那は話を促せる。男を羽交い絞めにしている華那に保健室の先生は若干恐怖を覚えていた。同じ女としても流石にここまでできない。あの子は将来大物になるかもしれないな、とそんなことすら思ってしまう。

「な、中庭のほうに行ったような気がするな。ああでも……」
「中庭ですね。ありがとうございます!」

先生の話を最後まで聞かずに三人は部屋を飛び出してしまった。一瞬でこの場から忽然と姿を消した三人を黙って見送った先生は、プハーと煙草の煙を吐いた。

「……人の話は最後まで聞けっての」

保険の先生に貰った情報により、次なる聞き込み相手は中庭にいる女子生徒達に決まった。三人が中庭に訪れると、少し寒い季節だというのに、中庭にはちらほらと女性の人影がある。よくこんなところで話したり食事をしたりできるものだ。男には理解できない心理だ。

「とりあえず誰に声をかければいいのかしら?」
「その心配はないと思うよ、華那」

気がつけば横にいた慶次の姿がなく、華那はきょろきょろと首を動かし彼の姿を捜す。佐助は彼の居場所を知っているらしく、一度溜息混じりに苦笑してから、とある一点を指で示した。華那も示された方向に目をやると、飛び込んできた光景に目を点にさせた。

「なあ、政宗がどこに行ったか知らない?」
「私達も捜しているのよー。ねぇ慶ちゃん、手伝ってくれない?」
「一刻も早く伊達君を見つけ出して、あの毒牙からお救いしないと!」
「そうそう。ようやく見つけてお話を聞いていただこうと思っていたのにー」
「………さすが慶次先輩。知り合いが多いのね」

二人が呆れた視線を送る先には、沢山の女性に囲まれ一種のハーレムを展開している慶次の姿があった。人懐っこい性格をしている慶次らしく、そこにいる女性達のほとんどが知り合いだった様子である。

「おーい二人とも、政宗のやつさっきまでここにいたんだって!」

遠巻きに眺める二人に向かって慶次は大声を張り上げる。華那と佐助は政宗がこの場にいないという事実に、次なる手を考えるため話し合っていた。

「またぁ!? あいつ一体どこに行ったのよ。私から逃げるなんていい度胸してるじゃない」
「華那だから逃げるんじゃないの?」

誰だってこんな凶暴な女に追いかけられたら死ぬ気で逃げる。いや、もしかしたら潔く諦めるかもしれない。それほどまでに華那の執着は恐ろしかった。可哀想なことに政宗だけは諦めるということを知らないのでいつまでも逃げ回るのだが。

「……華那ですって?」

慶次を囲んでいた女性達が一斉に二人、ではなく華那を睨んだ。その表情はどれもこれも鬼のように歪んでいる。男ならこんな女性の顔は見たくない、と言って泣き出しそうだ。

ぎょっと目を丸くさせて驚く慶次とは対照的に、佐助は女性たちを眺めながら呑気なことを考えていた。こういう顔なんて言ったっけ? 何かに例えられるんだよな。微笑ましく目を細めて、すっかり傍観者となっている。隣にいる華那ですら少し腰が引けているというのに、佐助はすっかり関わらないことに決め込んだらしい。

「音城至さん、今日こそ決着をつけようじゃない!」
「私達ファンクラブがある限り、伊達君には指一本触れさせないんだから」
「多勢に無勢、観念なさい」

じりじりと歩み寄ってくる政宗のファンクラブの女性達に、華那はようやく合点がいったらしく、「ああ!」と手を叩きながら納得した顔を浮かべる。

「って私が何をしたっていうのよ!?」
「ファンクラブからすれば、華那って結構許されない存在だからねー」
「佐助まで!? そんな爽やかな笑み浮かべて私の存在を否定しないでよ!」

この男だけは敵に回してはならない、というのが華那の周囲での暗黙ルールである。最初は信じていなかったが、裏でこそこそ立ち回るのが上手いと知ってしまっては信じるしかない。普段ヘラヘラしているだけに、いざとなれば怖いのだ。

「華那、覚悟ォォオオオ!」

女子生徒達が一斉に華那に向かって襲い掛かってきた。飛び出すようにして迫り来る光景は華那ですら思わず足が竦む。華那の意思など関係なく、こうして中庭で乱闘が始まってしまったのであった。

「あ、思い出した。般若だ! こういう顔って般若に似てるっていうよな」
「って佐助!? 何すっきりした表情をしていらっしゃるの!?」

華那自身気づいてないだろうが口調がおかしくなっていた。

「凄いよなァ。竜の旦那を巡って女が戦っているんだぜ? あれだ、私のために争わないで! っていうやつだよな、これ」

佐助は慶次の横に並ぶと、これまた呑気な会話を繰り広げだした。乱闘騒ぎを起こしている女子生徒達を指差しながら、本気で感心しているようである。

「って私は違うわよ佐助ェェエエエ!」

なんであんな男のために無駄に体力を消耗しなくてはならないのか。想像しただけでも腹が立つ。しかも厄介なのは人間というものは、本気になればとんでもない力が発揮されるという点だった。

となるとこの場合、嫉妬というパワーで普通の喧嘩より何倍にも過激になる。現にただの殴り合いではなかった。関節をきめようとする者、技をかけようとする者。何より、全員が急所を狙って攻めるあたりがとてつもなく怖い。本当に全員女で喧嘩の素人か疑いたくなったほどだった。

「女だけは敵に回すな、か。先人はうまいこというよね」
「だよな〜。最初にこれ言った人、俺は尊敬する」

決して割って入ってはいけないというのが絶対の決まりである。男二人は止めようとはせず、ただこの喧嘩が終わるのを根気よく待ち続けた。

***

「お疲れ様、華那」
「お疲れ様、じゃないでしょ」

華那は征服の乱れを直しながら、刺のある声で佐助を諌める。乱れているのは制服だけでなく、髪の毛だってボロボロに乱れていた。先ほどの乱闘がいかに激しかったか、華那自身がこれ以上ないくらいに物語っている。

「あんな奴相手にしたくはないけど、売られた喧嘩は買う主義なのよ。多勢に無勢だろうが関係なし!」

喧嘩の勝敗はというと、華那の圧勝だった。だが決して自分からは攻撃は加えてない。相手の攻撃を全て受け流し、その力を利用して勝利した。つまりは守りに徹したということである。

「にしても華那って合気道得意だったのか。知らなかったよ」
「いや、得意じゃないけど、お祖母ちゃんが達人級の腕前でさ、小さい頃からよくそれでよく投げ飛ばされていたから、自然と身に付いたのよね。だからどちらかというと合気道を使う相手は得意なの。でも、今回は思いのほか上手くできたよね」

祖母は合気道の達人で、両親は元ヤン。華那の家系はどんなものか気になって仕方がない。きっと華那のこの性格は、そういった濃い家系の下成り立ったのだろう。祖母ということは少なからず五十代より上だと思うのだが、そんな高齢者が子供を投げ飛ばすというのであるから、かなり元気な高齢者だ。あと投げ飛ばされるようなことを、華那は頻繁にしていたのか気になるところである。

「まぁそんなことはどうでもいいのよ。問題は政宗の居場所よ。ここにきて完全に手がかりが途絶えてしまった今、私達も頭を使う必要がありそうです」
「だからってなんで放送室をジャックしちゃったわけ?」

中庭から移動して、三人は何故か放送室に立てこもっていた。それも放送部員を無理やり追い出し、わざわざジャックをしてまで、一体華那は何を企んでいるのか男二人には見当がつかない。

「ここでどうする気だい、華那?」
「簡単よ。マイクをオンにして、今から政宗のあることないことを延々と言い続けるの。ここに政宗が現れるまでね」
「……誘き出すってわけか。哀れなもんだな、竜の旦那も」

やはり逃げまわるとろくなことはない。潔く諦めたほうがいくらかましというものだ。

「じゃあ行くわよ。ピンポンパンポーン! えーえー、お暇な人もそうじゃない人も、今から流れるこの放送に耳を傾けてくださーい。特に伊達政宗君ファンの皆さんには朗報ですよ。何しろこれから彼のの知られざる日常が暴かれるんですからね」

語尾に音符マークが付きそうなほど、華那の声は陽気で楽しそうだった。彼女が政宗のことをフルネームで呼ぶときは、必ずと断言できるほど良いことはない。しかも誰だか分からないよう、変声器で声を変えるほどの用意周到ぶりだ。

学校中では誰もが手を止めてこの放送に聞き入っていることだろう。特に女子生徒達は瞳をぎらぎらと輝かせているはずだ。そんな光景を想像しただけで男二人は口元にうすらと笑みが浮かぶ。そして被害者である政宗は表情を失くして絶句しているはずだ。

「まずは伊達政宗君の知られざる嗜好を暴露しちゃいましょう。えーと、彼は意外なことにロリコンでーす! 年上好きかと思いきや、実はロリコンだったのでーす」

嗚呼、学校中から驚きの悲鳴が聞こえだしたよ。呆れる佐助の横では、慶次も「ええ!?」と目玉が飛び出そうなほど驚いていた。どうやら彼も華那の嘘に騙されてしまったようである。冷静に考えればそんなことがあるわけないとわかるはずなのに、政宗の幼馴染たる華那の言葉は妙な信憑性を窺わせていた。

「次はそうだなー。みんなが知りたいであろう、学校以外での伊達政宗君のことでも暴露しちゃいましょうかね。皆さん、イイデスカー!?」

華那がこの放送を聴いている女子達に、「イイデスカー?」と言ったときだった。学校中から「おおー!」と歓喜の雄叫びが聞こえ出すではないか。これが本当に女性の声なのか疑いたい。これには華那も驚きを隠せない様子で、「アハハ……」と苦笑を漏らした。

「俺たちは華那だって分かっているから笑っていられるけどよ。一歩外に出れば怖いよな、これ」

外では変声器を通したくぐもった低い男の声で、政宗の日常が暴露されているのだ。これではストーカーがいるみたいじゃないか。慶次が思ったことは当然である。だが政宗にはこんなことをしているのが誰か、分かっているはずだ。あと少しもしないうちに、噂の張本人がここに現れるはずである。

ここら辺が潮時かと、佐助と慶次はそろそろ逃げる準備をしたほうが良いのではないかと思い始めていた。華那には悪いが、自分の命のほうが大切なのである。竜の尾をわざわざ踏む必要性はない。

「……で、夜はですね」

突如、教室中に爆音に近い乱暴な音が響き渡った。その音は乱暴にドアが開かれた音で、ドアを開けた人間の機嫌がいかに悪いか、背後を振り向かずとも三人には感じ取ることができていた。華那はマイクのスイッチをオフして、この教室の会話が漏れないように先手を打つ。これから始まる会話を聞かれるのはさすがに不味い。何のために変声器で声を変えたのか意味がなくなってしまう。三人の背後では、珍しく肩で息をする政宗が絶対零度の目でこちらを睨んでいた。よほど急いでいたのだろう。額から汗が一筋流れている。

「………テメェら!」
「政宗……」

彼とは対照的に華那は実に涼しい顔だ。それが逆に政宗の神経を逆なでする。佐助と慶次は早くも我冠せず、二人のやりとりを傍観することに徹していた。

「いい加減にしやがれ! 何の恨みがあってあることねえこと言いやがる!?」
「恨みなんてないわよ。ただ政宗が逃げ回るから、こうして誘き出そうとしただけ」
「いきなり服を脱がそうとして組み敷いたのは華那だろうが! オレは女に組み敷かれる趣味はねえ!」
「……いきなりねえ」
「事情も何も説明せずいきなり脱がそうとしたんじゃ、独眼竜でも逃げるよな」

男二人はそんな光景を想像し、少しのおぞましさの後、吹き出しそうになった。あの政宗が女に組み敷かれる姿などありえない光景だからである。

「まぁそれも華那だからっていう油断のせいだろうけど」
「惚れた女には竜も勝てないってことか」

噂の二人こと華那と政宗の言い争いはますますヒートアップしていた。といっても、熱くなっているのは政宗だけであって、華那は至って飄々とした態度を崩さない。

「じゃあさくっと訊くけど、女装して人前に出てくれって頼んで引き受けてくれるの?」
「What!? 誰がそんなことするか!」
「でしょ? だったら無理やりするしかないじゃない」
「だからなんでオレが出なくちゃいけねえんだよ!」

こりゃ政宗に勝ち目はないな、と頭の片隅で考えながらも、遠巻き二人はあえて口にしない。結果的に政宗を捕まえることには成功したが、こりゃ大会出場は駄目っぽいなと早くも諦めムードである。何のために走り回って捜したのか。ただ疲れただけではないか。

それから一ヶ月、華那の女装説得は延々と続いた。そして同じくその間、政宗はあの放送のお陰で散々な目に遭ったと聞く。

完