短編 | ナノ

人体模型と僕

自慢ではないが伊達政宗は女を振ったことはあっても振られたことはない。日本だろうがアメリカだろうが、女に振られたことは一度たりともなかった。華那と付き合う前にも何人もの女達と付き合ったことはある。年齢はバラバラで年下から年上までと年齢層は幅広い。ただ全ての付き合ってきた女性に共通するのが、自分から告白したのではなく告白された、という点だった。

勿論、幼い頃から華那のことが好きだった。しかし男としての欲求も満たしたいという願望もあったことも事実。女達は本気でも政宗からすれば、ただの遊びにすぎないお付き合いを日本に帰国するまでしていた。帰国してすぐ華那と再会したため、華那は過去政宗がどういうお付き合いをしていたのか知らない。

多少話が脱線してしまったが、自分から告白したことがないということはだ、裏を返せば女に不自由していなかったともいえる。どうせ全員本気ではなかったし、なれなかった。そのため昔の政宗は来るもの拒まず、という状態に近かった。政宗クラスになれば彼女がいてもお構いなしで、女達は次々と告白をしてくる。来るもの拒まずの政宗は断るという真似をせず、告白してきた女達全員と付き合ったりもした。つまり浮気である。

彼の名誉のためにいえば本命は華那だけで、彼女と付き合うようになってからは華那一筋になっている。昔のような真似はもうしていない(なによりする必要性がないのだ)。浮気をしたことがあってもされたことはない。そんな彼にまさか浮気される日がくるとは、誰も想像すらしていなかったことだろう―――。

***

「竜の旦那ともあろう男が浮気されちゃうとはねー。世も末だね」
「Hey 猿、オレがいつ浮気されたってんだ。そもそも華那に浮気する度胸と技量があるわけねェだろ、寝言は寝てからオレのいないところで言え」

いつもの掴みどころのない抑えた声で華那が浮気していると告げられた。当然政宗はいつもの冗談と思い、佐助の相手をせずあえて聞き流す。政宗には確固たる自信があった。あの華那に限って浮気はないと。華那が自分にどうしようもないくらい惚れていることはわかっていたし、自分にバレないように二股をかけられるほど器用でもない。前者は自惚れだろといわれればそれまでだが、後者は長年幼馴染として一緒にいた経験からいえる。

「でも今回はそうじゃないんだよね。華那が公衆の面前で告白した姿を何人かの生徒が目撃しているし、そのときの態度が恋する女の子だったらしいよ。顔を真っ赤にさせて恥ずかしそうにもじもじしてたって……。まるで竜の旦那と一緒にいるときのような顔をしてたんだろうね」
「……猿、いい加減その口閉じやがれ。じゃねえとオレが強制的に閉じさせるぞ」
「おお怖っ! 余裕ぶいてるわりには全然余裕じゃないね、旦那」

一見余裕そうに見えても、実のところ政宗は動揺していた。華那が浮気をできるほど器用ではないことは間違いない。しかし華那から告白したという言葉は聞き捨てならない。佐助の思惑通りの反応をしてしまう自分に嫌気がさすが、こればっかりは自分の意思ではどうしようもなかった。

「……なにが告白だ。なんかの間違いだろ」

政宗にできることはなるべく佐助と顔を突き合せないことだけだった。わざと視線を外し、明後日の方向を見ながら淡々とした声で喋ってみるが、誰の目から見てもわかるほどあまりにもわざとらしすぎた。特に勘の良い佐助には逆効果ともいえる。

「ほんとだよ。華那がジェラールに告白したってみんな言ってるし」
「ジェラール? 誰だそれ、外国人か?」

そんな生徒いたか? 一応政宗は生徒会長だ。学校のことは普通の生徒よりも詳しい部類に入る。この学校にも何人か外国人はいるが、ジェラールという名の生徒は聞いたことがない。人よりも記憶力が良いと自負しているだけに、すぐさま思い浮かばないことに違和感を覚えた。

「Hey ジェラールっつー生徒っていうのは……」
「ジェラールは生徒じゃないよ、人体模型」
「人体模型!?」
「気になる? なら理科室に行ってみればいいんじゃない。おそらく華那もそこにいるはずだよ」
「理科室にいるのか? なんで華那まで……」
「決まってるじゃん。愛しのジェラールに会いに行ってるんだよ。旦那にバレないようにこっそりとね」

佐助の言葉がやけに気に触る。華那が理科室にいるとだけ言えばいいのに、何を思ってかジェラールと会っているといういらぬ情報まで教えてくれた。
ここで理科室に行けば佐助の思う壺だとわかってはいる。わかってはいるのだが、身体は自然と理科室へと向かっていた。

***

理科室の前の廊下には不自然な穴が開いている。拳くらいの大きさで、まだ新しいことからつい最近誰かが壁を殴ったと推測された。しかし壁を殴っただけで穴が開くほどの怪力となれば、話はまた違ってくる。

まず女子では不可能だ。華那ならば可能かもしれないが、それは彼女の頭のネジが数本吹っ飛んでいるときだけである。理科室の前を通るたび、生徒達は不思議そうに首を傾げていた。一体誰がこんな恐ろしい真似を仕出かしたのか、と。別に壁に穴を開けたことに対してではない。重要なのはここが理科室の前という部分にある。

理科室は生徒達がその不気味さ故に恐れる明智光秀の領域だったからだ。変態奇人奇天烈。そんな言葉がよく似合う教師、明智光秀。担当教科は生物。準備室にはホルマリンコレクション(私物)があり、人体模型や骨格標本に愛称をつけた本人でもある。

この壁を破壊するということは、明智光秀を敵に回したと同意義なのだ。彼ほど敵に回したくない教師も珍しい。どんな報復が待ち受けているのかわからないから誰もがこの壁を見るたび恐れる。みんな巻き添えだけは食らいたくなかったのだ。

そんな中壁を壊した政宗だけは壁の穴に興味を示さなかった。今も穴を素通りして真っ直ぐに理科室へと向かっている。そこに華那がいると佐助が言ったからだ。そのときは気になるという気持ちのほうが大きかったから違和感はなかった。しかしこうやって歩いていると色々な考えが頭を過ぎる。

そもそもどうして佐助は華那が理科室にいると知っていたのだ。まずここからおかしいだろう。だが時既に遅し。政宗は理科室の扉の前にいた。ここまできて何もせずに戻るのは癪に障る。いてもいなくても扉は開けなくてはいかない。扉に手をかけたとき、中からボソボソと声が聞こえてきた。扉に耳を当て聴覚に神経を集中させる。

「……マジで華那かよ」

聞き覚えのある声に政宗は片眉を少し上げた。佐助の言うとおり理科室に華那がいることは間違いない。しかし誰と話しているのだろう。やはり華那の浮気相手のジェラールなのか。 だが耳を澄ましてみてもジェラールの声は聞こえてこない。聞こえてくるのは華那の声だけだ。ジェラールという男はそれほどまで無口なのか、それともただ口下手なだけなのか。

というか人体模型だから喋らないのは当たり前である。喋ればそれこそ大問題だ。どっちにしても華那には相応しくないと勝手に決め付ける。華那に相応しいのは自分だけだと日頃から豪語している政宗だ。自分以上に相応しい相手などいない。

しっかし妙な気分だぜ……このオレが浮気現場を抑えようとしているなんてな。

改めて思うと納得がいかない。華那如きに浮気されているかもしれないと思うだけで、プライドがズタズタだ。このオレが浮気するのではなくされている。どう考えてもおかしい、納得できない! もし本当に華那が浮気していたらどうする。まず相手の男をブチのめすだろ。再起不能にまで追い込んでやる。だが所詮人体模型だしな……。その後に華那の仕置きだな。泣き喚こうが何をしようが許してやらねえ。なんだったらしばらく監禁でもしてやるか? もう二度とオレ以外の男に靡かねえように、きっちりと調教する必要があるな。

「―――私もう……どうしたらいいのかわからないわ!」
「……華那!?」

どんなお仕置きがよいか考えていたら、結構楽しくなってきてしまっということは内緒にしていただきたい。自然と頬が緩む。そんなとき中から華那の悲痛な叫びが聞こえてきたのだ。気が付けば政宗は扉を開けていた。しかし彼はそのままの体勢でしばらく固まってしまった。目に飛び込んできた光景はなんともシュールなもので、華那が人体模型に抱きついているというもの。

―――何やってんだアイツ。ということ意外考えられない。他に何を思えばよいのだ。

彼女が人体模型にハグしている。さっきまであったはずの嫉妬心が音を立てて萎んでいった。なんとか状況を理解しようと脳をフル回転させるが、政宗の頭脳をもってしてもこの状況を理解することは難しかった。

「テメー……人体模型を襲うほど欲求不満だったのか?」
「そのツッコミもなんか違うでしょ、大丈夫政宗!?」

いや、お前のほうが大丈夫なのかと政宗は瞬時に思う。軽い苛立ちを華那に覚えた。そんな彼の心情を知らない華那は、人体模型から身体を離し政宗に向き直る。

「ところで政宗はどうしてここに?」
「その噂の真偽を確かめるためにオメーを捜してたんだよ」
「そうその噂! 誰から聞いたの誰発信!?」
「Ah 佐助だが……それがどうかしたのか?」
「……そう。また佐助発信なのね」

またということは、他にも佐助からこの噂を聞いた人間がいるということか。すると華那は俯いたままフフフと不気味な笑い声をあげだした。彼女はユラユラと身体を揺らしながら、覚束無い足取りで理科室を後にしようとする。

「お、おい華那……頭でも打ったのか?」

自分の声が表情同様強張っているのがわかった。いつになく不気味な華那の姿に冷や汗が流れ落ちる。

「フフフ……フフ……佐助ェェエエエ!」

バンッと乱暴に引き戸を開け放ち、華那は野生児並の速度で疾走し始めた。佐助と叫んでいたところから間違いなく彼の姿を捜しに行ったのだろう。事情はよくわからないが、佐助が華那の求めていた答えに一番近い人物というところか。このあと佐助がどうなるか、あまり想像したくない。

「一体……何だったんだ?」

政宗はジェラールに訊くが、当然答えが返ってくるはずがない。と、ここで政宗は何か足りないことに気づいた。よく見ればないのだ。生物にとって一番大切なアレが。見間違いかと思ったがそこだけ変に空洞だった。何かあった形跡はあるのに、肝心のブツがない。

「華那……オメー心臓のpart持って行ったのかァァアアア!?」

華那の後を追おうと政宗が駆け出さんとした、まさにその瞬間だった。

「……ああ、ようやく見つけましたよ」
「うわぁぁあああ!?」

背後からひやりと冷たい何かが政宗の手をギュッと握った。死体と間違えてしまいそうなほど冷たい手に、政宗はガラにもなく大声をあげてしまう。目を剥きながらバッと背後を振り返ると、そこには氷のような笑みを浮かべている光秀がいた。あまりの至近距離に政宗は反射的に一歩後退する。

「いきなりなんだ!?」
「私はずっと貴方を待っていたのです。壁を壊した貴方をね。あまつさえ私の大切なジェラールの心臓まで隠すとは……どうやら久しぶりに痛いお仕置きが必要なようですね」
「Wait! 確かに壁を壊したのはオレだが心臓はオレじゃねえぞ!」
「……言い訳は聞きません。さあどんなお仕置きがいいですか? ソフトに? ハードに? ああ、考えただけでもう……!」
「なに興奮してやがんだ!? よるな変態! Shit 後で覚えていやがれ華那のやつ!」

***

最初はほんの些細なことだった。佐助は知り合いから華那が人体模型を見て変な行動をしていたと聞いたのだ。詳しく聞けば恥ずかしそうに俯いたり、突然照れて顔を真っ赤にさせたりと、その行動はまさに恋する乙女そのものだったそうな。

華那のやつ人体模型が好きなのか?

本当に「つい」だった。ついうっかり、佐助は思ったことをそのまま口にしてしまったのである。噂というものは必ずしも尾ひれが付くもので、本人が知らないところでありえないレベルにまで肥大しているもの。佐助が再び華那の噂を耳にしたときには、「華那が人体模型に告白した」や、「華那が浮気している」というものにまでなってしまっていた。ここで終わればいいものを、佐助はこの噂を遥奈に話し、先ほどには政宗にまで話したのだ。ちょっとした罪悪感があるといえばあるが、こうなってしまったらあとはもうどうにでもなれだ。

「今頃竜の旦那どうなってるかなー。結果的には俺発信な噂なだけにちょっと罪悪感があったりしてー」
「……そう、やっぱり佐助が発信源だったのね」
「へぁ!? 華那!?」

独り言に返事があると思ってもいない。それが華那ならば聞かれたくないというレベルではなかった。佐助は椅子からずり落ちそうになりながらも、ゆっくりと近づいてくる華那を正面から受け止める。彼女の手には何故か心臓が握られていた。人体模型の心臓であることは間違いない。だからこそどうしてそんなものを持っているのか、さっぱりと理解できなかった。

「……ちょっと落ち着こう華那、なんか怖いよ?」
「私はすっごく冷静よ。自分でも不思議なくらいにね、ふふふ」
「……って顔は笑っていても目が笑ってないじゃん!」
「問答無用―――黙って殴られなさい!」
「ぎゃあぁあああ!?」

佐助の悲鳴が教室に響き渡る。丁度このとき理科室でも政宗の叫び声が響き渡っていたころだ。二人の悲鳴が美しくないハーモニーを生み、この世の終わりと言わんばかりの狂想曲が奏でられたのであった。

完