短編 | ナノ

人体模型と私

「知らなかった、アンタ人体模型が好きだったのね」
「……私が言うのもあれだけど頭大丈夫、遥奈ちゃん?」

無表情に近い顔で「人体模型が好きだったのね」と訊かれたとき、人として女として親友として、どう回答するのがベストなのだろうか。しかも訊ねてきた人は自分より賢い。自分より賢くない人に馬鹿にされたら、人一倍プライドが高い遥奈は酷く怒るはずだ。彼女を刺激しないためにも、どう答えるのがベストなのか。華那は必死に祈り、答えを天に問うた。

「心配してくれてありがと。至って健康よ。で、人体模型のこと好きなんでしょ?」
「人体模型って理科室にあるやつだよね? す、好きじゃないわよあんなもの」

昼間なら直視できるが、夜間や真っ暗な教室では直視できない。一人で見るなら必ず明るいところではないと駄目なのだ。真っ暗なところだとただ不気味なだけで、恐怖心しか生まない代物である。現に真っ暗な教室では怖かったが、昼間、それも数人で見れば全く怖くなかったのだ。そんな人体模型を好きか嫌いかと訊かれれば、当然「好きじゃない」と答える華那である。別に嫌いではないが好きでもない、そんな微妙な距離感。

「ああ、これが世に言うツンデレってやつね。素直じゃないわね華那は」
「ツンデレ……なんのこっちゃ?」
「良いわよ別に、二人っきりのときはデレデレなんでしょ? ジェラールは隠し事しなさそうだし良い人ね!」
「別にデレていないし、そもそもジェラールって誰!? 人体模型? 人体模型のことか!?」

以前明智先生から聞いたことがある。理科室にある骨格標本には名前があり、明智先生は確かフランソワと呼んでいた。名付け親は当然のように明智先生本人である。となれば人体模型に名前があっても不思議ではない。人体模型の名前はジェラールというのかと、知りたくもないどうでもよい情報を入手してしまった。

「ジェラールって普段どんな感じ? どんなふうに甘えてくるの? 好きな食べ物は? 定番のデートスポットは? あ、実家のご両親に挨拶はした?」
「知るかァァアアア! しつこい! 普段は凄く冷たいのになんでジェラールのことにはしつこいの!? 第一実家の両親なんて知るかァァアアア! つか実家ってどこ?!」
「だって知りたいの。人と人体模型の種族を超えた結ばれぬ愛の行方が」
「種族云々じゃないでしょあっちは無機物! しかも結ばれないこと前提!?」

一気に捲くし立てたせいか華那の息は荒い。肩を上下に大きく揺らし、失った酸素を取り戻すのに必死だった。そんな華那を遥奈はニコニコと穏やかな笑みを浮かべたまま見つめている。まるで鉄仮面のように頑丈で崩れない。ここまで穏やかな笑みを見せ付けられると、一人で騒ぎ立てている自分が馬鹿らしく思えてきた。華那は一度大きく深呼吸すると、落ち着けと心の中で何度も呟く。

「……いいですか遥奈ちゃん。どういう経緯があって私が人体模型を好きだと思ったわけ?」

先ほどまでとは打って変わり、比較的落ち着いた口調で遥奈に質問する。落ち着けと心の中で念じている効果が現れたのだ。遥奈も華那をからかうことに飽きたのか、ようやく笑みを引っ込めていつものクールビューティーに戻る。相変わらず無表情に近いため、何を考えているのかわかりかねた。

「人体模型ことジェラールに告白したんでしょ?」
「してないしてないしてないからァァアアア!」

真面目な顔で何を言い出すのやら。

華那は落ち着けと念じていた自分を早くも忘れ、大声で力の限り否定する。動揺しているのが丸分かりな表情を浮かべる。華那に、遥奈は淡々と話を続けた。

「ちょっとした噂になってるのよ。華那が人体模型に告白したってね」
「いつ? いつだそれ!? 誰発信の噂!?」
「佐助発信。前に伊達君の告白現場を押さえてやろうとしたことあったでしょ? そのとき華那が顔を赤らめて恥ずかしそうにジェラールに告白してたっていう……」
「なにそれ……そんな覚えない……」

しかしここで華那はハッと目を見開いた。以前遥奈に唆され彼女と元親の三人で、政宗が告白される現場をこっそり盗み見た覚えはある。そのとき隠れる場所がなくて、理科準備室の掃除のためにたまたま廊下にぽつんと放り出されていた、人体模型ことジェラールの後ろに隠れたのだ。そこまではよく覚えている。しかし華那はその後の記憶が曖昧だった。どうやって教室に戻ってきたのか、そのお昼休みに何を食べたのかすら思い出せない。

告白を断るとき政宗が何か言って、その言葉がとても嬉しかったのは覚えている。勝手に脳内妄想劇場も始まった。もしかしたら嬉しさのあまりどうかしてしまったのかもしれない。まさか嬉しさのあまり人体模型に告白してしまったとでもいうのか? 華那の額から一筋、冷たい汗が流れ落ちる。覚えていないということがこれほど恐ろしいものとは思ってもいなかった。

「あのときはあれよ、脳内妄想を繰り広げていたことは覚えているけど。まさか思っていたことを口にしちゃってたってこと?」
「脳内妄想ねえ。どんなことを妄想していたのかしら?」

思い出そうと試みるが、何一つ思い出せず華那は首を傾げた。何を妄想していたか、真剣に思い出そうとすること自体おかしな話だが、それでも華那は必死に思い出そうと努力した。確かあまりの嬉しさと恥ずかしさで、自分の妄想だというのにテレまくったような気がしなくもない。何を妄想していたのか思い出せないが、思い出したくないほど恥ずかしいことだったということだけははっきりと覚えている。

「なんか政宗が政宗っぽくなかったような気がする。こんなセリフ政宗は言わないよーっていうようなやつ。言われたい願望はあるんだけど、いざ言われるとキャーってなるような……」
「……あんまり聞きたくないような内容ってことはわかったわ」

遥奈は溜息をつきながらこめかみ辺りを強く押さえる。噂の出所はともかく、華那の妄想シーンが遠目から人体模型に告白しているように見えたことは確かだ。ただしこの場合自業自得だと一言で片付けていいものか、と訊かれれば微妙なラインである。

***

「―――ジェラールさん、どうしよう。私あなたのこと好きでもなんでもないのに、私があなたを好きって噂が広まっちゃったらしいの。私には別に想い人がいるのに。あ、ごめん。ジェラールさんにも好きな人がいるかもしれないのに。私一人が被害者じゃないのにね」

遠く一点を見つめて立ち続けるジェラールを、華那はじっと下から見上げていた。ジェラールの前に力なくしゃがみこみ、頬杖をついている。手持ち無沙汰な彼女は、何気なくジェラールの心臓パーツを外した。それを触りながら、掌の上で転がしていく。どうしたものかと考えた挙句、お馬鹿な華那はどうしたらよいかジェラールに相談しに来ているのだ。同じ被害者同士なら良い案が浮かぶかもしれない、というのが華那の言い分である。

幸い理科室には誰もいない。準備室に引き篭もりがちな明智先生も今は留守だ。この現場を誰かに見られて噂に拍車がかかるかもしれない、という可能性を考えられるほど頭はよくない。

「私もう……どうしたらいいのかわからないわ!」

彼女は勢い余ってジェラールに抱きついた。自分の世界に入り込んでしまったのか、今の華那はさながら悲劇のヒロインである。丁度そのとき、静かに理科室の引き戸が開かれた。突然現れた人物に華那は目を丸くさせる。

「………何やってんだオメー……」
「ま、政宗……」

政宗は鋭い眼差しで、華那と人体模型(ジェラール)を交互に睨む。華那がジェラールに抱きついているという状況が理解できていないのだ。もしかしたら理解したくないだけかもしれない。

そりゃそうだ、自分の彼女が人体模型と抱き合っていましたとなれば、どういうリアクションをとればいいか一度は悩む。まして今回の場合は抱き合っているというより、華那が一方的に抱きついているのだ。これでは華那が人体模型を襲っていると思えなくもない。彼女が自分を放って人体模型を襲っている―――どうしたものか。

「テメー……人体模型を襲うほど欲求不満だったのか?」
「そのツッコミもなんか違うでしょ、大丈夫政宗!?」

政宗は薄っすらと額から冷や汗を流していた。珍しく真面目な表情で何を言うかと思いきや、華那同様意味不明なことを言いだす始末。華那はジェラールに抱きつきながらも条件反射でツッコミを入れてしまった。

「Shit どうやら噂は本当だったようだな……」
「噂って……私が人体模型に告白したっていうアレ?」
「ああ、まさかこのオレが華那如きに浮気されちまうとはな……!」
「普通に考えて人体模型に告白ってありえないでしょ? それと如きってなによ如きって!」

自分が言うのもアレだが、政宗も大丈夫か? と少し不安に陥ってしまった。とりあえず華那はジェラールから身体を離し、政宗に向き直る。

「ところで政宗はどうしてここに?」
「その噂の真偽を確かめるためにオメーを捜してたんだよ」
「そうその噂! 誰から聞いたの誰発信!?」
「Ah 佐助だが……それがどうかしたのか?」
「……そう。また佐助発信なのね」

華那は俯いたままフフフと不気味な笑い声をあげだした。遥奈のときといい政宗のときといい、噂の発信源は共に佐助である。頭が良い二人の発信源が佐助。となれば話が早い。佐助を締め上げて噂の出所を探せばいいだけのことだ。華那はユラユラと身体を揺らしながら、覚束無い足取りで理科室を後にしようとする。後ろから政宗の強張った声が聞こえたが、華那の耳には届いていない。

「フフフ……フフ……佐助ェェエエエ!」

バンッと乱暴に引き戸を開け放ち、華那は野生児並の速度で疾走し始めた。佐助と叫んでいたところから間違いなく彼の姿を捜しに行ったのだろう。事情はよくわからないが、佐助が華那の求めていた答えに一番近い人物というところか。このあと佐助がどうなるか、あまり想像したくない。

「一体……何だったんだ?」

政宗はジェラールに訊くが、当然答えが返ってくるはずがない。と、ここで政宗は何か足りないことに気づいた。よく見ればないのだ。生物にとって一番大切なアレが。見間違いかと思ったがそこだけ変に空洞だった。何かあった形跡はあるのに、肝心のブツがない。

「華那……オメー心臓のpart持って行ったのかァァアアア!?」

「人体模型と僕」に続く