ホスト連載 | ナノ
浮気ですかおにいちゃん

お兄ちゃん、浮気ですか? なんてことを真剣に、だけどどこか他人事のように考えてしまったのは、バイト先におにいちゃんが現れて一ヶ月ほど経ったあとのことでした。休憩中にスタッフ同士の会話を小耳に挟んだのですが、そのときの会話というのがこれです。

「ねぇねぇ、またあのお客さんが来たの!」

「あのお客さん」イコールおにいちゃんというのは、このお店のスタッフ間のみで通じる一種の暗号みたいなものだ。幸いまだおにいちゃんとお知り合いということはバレていない。あれから何度かおにいちゃんはお店に訪れた。わたしが接客するときもあったり、他のスタッフのときもあったりしたけれど、カウンターで雑談をしないせいか未だ誰かわからず仕舞いなのである。名前すらわからないのだから、他に知っていることなんて一つもない。夕方に現れるかっこいいお客様というレベルだ。

わたし以外のスタッフで接客にあたると、いつもあの手この手でなんとかお喋りをしようと試みるのだが、急いでいるのかおにいちゃんはさっさと注文して出て行ってしまう。決して店内で飲もうとせず、いつもテイクアウトしているのだ。わたしも不思議に思いつつも、あまり深く考えていなかったので追求はしていない。

素性がわからないということは、比例して妄想も膨らむことだと私は思っている。例えばどんな仕事をしているのか、これが非常に良い例だといえよう。現にここバックヤードでは休憩中のスタッフ同士が、その話で盛り上がっている最中なのだ。

「あのお客さんどんな仕事をしているのかな?」
「絶対普通の仕事に就いてないことは確かよね〜」
「私もそう思う。だってサラリーマンやってる顔じゃないもん。でもスーツは似合いそう!」
「アンタが言うスーツは仕事用のスーツじゃなくてホストが着そうなやつでしょ?」
「バレたか」

さっきからどんな職業に就いているか、この話題で持ちきりである。どうしてこれほど盛り上がれるのか定かではない。お耳をダンボにして聞いていると、どうやらおにいちゃんに普通の仕事は似合わないという意見が大半を占めていた。あの人に普通の職業は似合わない、何か特殊な職業に就いているんだわ! という乙女が多いことに驚きを隠せない。普通の職業が似合わないのなら、どんな職業に就けばいいんだ。一応おにいちゃんはサラリーマンやってたんだよ、三年間という短い期間だけど。

「ねぇ、華那はどう思う?」
「な、何が?」

突然話を振られても困るんだけど……答えないわけにはいかないか。だってみんなキラキラと目を輝かせているのよ。周りはピンクの靄がかかっていて、花やハートが浮かんでいるようにさえ見える。そんな期待に満ちた目でわたしを見ないで! わたしは本人を知っているから乙女ちっくな回答はできないのに。

「決まっているじゃない。あの人がどんな職業に就いていそうか、よ」
「ホスト、医者、弁護士、モデル……なんでも似合いそうよね」
「で、華那の意見も聞こうと思いまして」
「………別になんでもいいんじゃあ」

みんなの言うとおり確かにどれも似合いそうだし、おにいちゃんは頭も良いから医者や弁護士にだってなれる思う。スタイルが良いからモデルもありだな。ホストは……ってホストォ!?

「なんでそこにホストっていう選択肢が!?」
「だって似合いそうじゃない。夜の蝶よ、夜の蝶」
「サラリーマンが着るスーツじゃなくて、ホストが着るようなスーツだったら似合うって思ったのよ。着崩したらきっとフェロモン放ちまくりよ」

スタッフの一人に触発されて、私もついおにいちゃんのそんな姿を想像してしまった。びしっとネクタイを締めている姿もかっこいいけど、今回は着崩した姿だからネクタイはなしだ。お洒落なスーツでおにいちゃんに似合いそうな色は……やっぱり黒かなぁ。あ、サングラスかけても似合いそう。………アレ?

「あのー……なんか白い粉を扱うヤバイ人になっちゃったんだけど?」

なんでかなー。ホストをイメージしようとしたのに、出来上がったイメージ図はとんでもないものになった。白い粉が商売道具で、特技は喧嘩ですっていう柄の悪いおにいちゃんである。どこで間違ったんだわたしよ。

「あー……そういう選択肢もありよね。確かに普通じゃないオーラを発しているもの」

おにいちゃん、普通じゃないオーラを発しているんですか? そしてそれがわかるアナタも何者ですか? と訊くことはできず、わたしはみんなの話に適当に相槌を打つ。わたしがイメージしたとんでもないおにいちゃん像が、あっさりと受け入れられたことはもう気にしない。

「そういえばこの前、そのお客さんを見たわよ」
「え、マジで!? お店じゃなくて?」
「うん、休みの日に買い物していたら、たまたまね」

一人のスタッフの発言に、落ち着きを取り戻しつつあったわたしの心臓が再び大きく鳴った。街で見かけたって言うけど、そのとき隣には誰もいなかったことを強く願う。もしわたしとおにいちゃんが並んで歩いていた姿を見られたとなると、「知り合いなの?」「どういう関係なの?」「抜け駆けなんて許さない」などと、お店で働くスタッフ全員の質問攻めに遭い、最悪嫌われてしまうかもしれないのだ。女の嫉妬とはそれほど恐ろしい。

「誰かと一緒だった?」
「ええ、残念ながら女の人と一緒に歩いていたわよ」

わたしの心臓が更に激しく高鳴る。天を仰ぎ叫びたい衝動をなんとか抑えつつ、わたしは頭を掻き毟っていた。どうしてわざわざ「女の人」っていう言い方をするのよ! もういっそひと思いに「華那だった」って言ってくれたほうが楽になれる。くっそー、きっとわたしが苦しむ姿を見て楽しんでいるんだな。じわじわとゆっくり答えに導こうとしないで、一言「華那だった」って言ってくださいお願いします。これじゃあ嬲り殺しだ。

「やっぱりいるんじゃん彼女〜……」
「あれほどのルックスじゃ、女のほうが放っておかないわよ」

早くも諦めムードが漂う中、わたしは今か今かと審判の時を待っていた。こういうときは変に時間を与えられるより、ズバって言ってくれたほうがこちらも素直に謝れるし弁解もできるというもの。

「どんな人だった? 綺麗系? 可愛い系?」
「ええと………」
「わー! 黙っててごめんなさいィィイイイ!」
「―――髪がフワフワっとしてて、とっても綺麗なお姉さんだったよ」

―――え? おもわず耳を疑った。髪がフワフワっとしてて、とっても綺麗なお姉さん? え、誰よそれ。目を丸くさせたまま固まっていると、みんなの視線が私に集中していることに気づいた。じーっとこっちを見てくるけどなんで?

「どうしたのよ華那? 何がごめんなさい?」
「あ、いや……なんでもない」
「もう、突然大きな声を出すからビックリしたじゃない」
「あはは、ごめんごめん……」

いやいやそんなことよりも髪がフワフワしてて綺麗なお姉さんって誰ですか? わたしの髪はフワフワしていないし、ましてや綺麗なお姉さんというわけでもない。第一おにいちゃんと一緒にいたのがわたしだったら、「華那だった」と言えばそれで済むことじゃないか。となると辿り着く結論は最悪なものになる。わたしの知らない女の人と歩いていたってことだ。

「……髪がフワフワしているのよね? けど私も以前見たんだけど、そのとき一緒に歩いていた女の人の髪はフワフワしていなかったわよ。サラサラのストレートヘアだったもん」
「え? ショートじゃなくて!?」
「綺麗なお姉さんっていうのもおかしいわ。私が見たのは可愛い子だったもん」

なんか色々な意見が飛び交っているんですけど……。それら全ての共通点がわたしじゃないことに驚きを隠せない。頭の中がグルグルして気持ち悪くなってきた。わたしを他所に盛り上がっているみんなの声がやけに遠くなってくる。どうやらみんなが見た、おにいちゃんと一緒にいた女性の特徴が違っていることで盛り上がっているようだ。いやいや、ここに一番混乱している人がいますからね。ちょ、本当にわからない。折角久しぶりに会えたのに。やっと恋人同士らしいことができるって思っていたのに。

―――浮気ですか、お兄ちゃん?

続 BACK
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