ホスト連載 | ナノ
隣のおにいちゃん

最近(といっても半年ほど前だけど)新しくマンションが建った。茶色のレンガを基調とした、全十二階からなるごくごく普通のマンション。一階エントランスはガラス張りになっており、そこは談話室の役割を兼ねているのかテーブルとイスが完備されている。大通りに面している場所に建てられたため、通りには広葉樹が道を挟むように植えられており、季節ごとに様々な色を映し見る人の目を楽しませていた。すぐ傍には公園まで作られたものだから、お昼になると子供が無邪気に遊ぶ姿が見える。

ただ普通のマンションと違うのは、少しお値段高めという点だろう。何も庶民には手が出ないというほど高いわけではない。わたしみたいな大学生が一人暮らしをするには、とてもじゃないが無理というだけだ。聞いた話じゃ、家賃は月十五万とか。そんなマンションの最上階に、わたしとあまり歳の違わない奴が一人暮らしをしているらしい。そいつは絶対ろくな仕事をしている奴じゃない。

わたしには所謂「隣のおにいちゃん」というものがいた。年の差は五つほどで、何かあるたびわたしはしょっちゅうその「お兄ちゃん」の家に入り浸った。頭がよくて運動もできて、わたしがわからないと思ったことの全てを知っている、そんなイメージまで抱いていたほどだ。小学生から見れば高校生は凄く大人で、まぁアレだ、憧れ……ていたんだと思う。

今にして思えば、「おにいちゃん」が着ていた制服は超有名学校の制服だった。頭がよくないと入れない難関校。やっぱりわたしと住む世界が違うと嫌でも思わされる。ちなみにわたしが着ていた制服は、近所にある平凡な公立高校の制服だ。ものすごく頭がいいわけでもなく、かといって悪いわけでもない。そんな学校である。ね、普通すぎるでしょ?

人生のエリートコースまっしぐら。と誰もが思っていたのに、人生とは何が起きるかわからないもの。海外留学を得て企業に就職したというのに、その会社を三年で退社すると「おにいちゃん」はとんでもない道に走ったのだ。お金で愛を売買するホストという道に……。

***

この日、わたしは浮かれていた。どれくらいかと訊かれれば、通りを歩けば道行く人が一歩引いてしまうほどわたしは浮かれている。頬の筋肉が緩むのを抑えられない。どうしてこれほど浮かれているかというと。まさに今日、その「おにいちゃん」にようやく会うことができるからだ。

大学時代は海外へ留学していたせいで会えず仕舞い。留学を終え大学を卒業しても、仕事の利便を考慮して遠くへ引っ越してしまったため、なかなか会うことができなかった。しかしその会社も三年で退社し、どうやらこちらへ戻ってくると言うのだ。退社した会社はおにいちゃんの父親が経営している会社の一つらしく、将来は否応なしに社長の座に就けたはずなのにどうしてやめてしまったんだろう。

なんでも今日は引越しの手伝いをほしいとのこと。予めメールで住所は聞いているので迷う心配はない。わたしは無意識で鼻歌を歌い、スキップをしてしまいそうなほど(いや、実際にはしないけどね)軽い足取りだった。

「ふおぉ〜……!?」

教えられた住所に着くと同時に、わたしは鼻息を荒くした。そこは近所でちょっとした噂になっていた、あのマンションだったからだ。近くで見たことはなかったけど、こうして見れば見るほど小洒落た造りである。控えめながら植えられた緑が鮮やかさを醸し出し、自然とわたしは笑顔になった。

「おにいちゃん」の家はいくつかの会社を経営している。その全てが有名なもので、彼は所謂「お金持ちのお坊ちゃま」という身分なのだ。なんだかんだで結構お金を持ってるんだろうな。

ドキドキと心音が速く、そして激しく打ち始めた。もうすぐ「おにいちゃん」に会える。その想いが早鐘のように押し寄せた結果だ。緊張にも似たこの想いが、今にも爆発して溢れ出しそう。思えば、これほど緊張したことはなかったように思える。受験のときだってここまで緊張したことはないのに、一体どうしてなのか……。とにかくっ! 落ち着け、落ち着けわたし! 

手を胸に当てて、わたしはゆっくりと深呼吸をする。震える手つきで教えてもらった番号を打ち、インターホン越しに聞こえてくるであろう「おにいちゃん」の声を待った。マンションに住んだことがないからわからないけど、エントランスに入るためには住んでいる人にロックを解除してもらわないといけない仕組みらしい。ちなみにわたしが教えてもらった番号とはポストの番号だ。どうやらこれが相手と話すために必要だとのこと。

「―――華那か?」

機械を通して聞こえてきた声は、より一層低く、少しだけ掠れているように思えた。声を聞いただけだというのに、わたしの身体はビクッと震えてしまう。目尻が熱くなってさえくる。まだ会えたわけじゃない、声を聞いただけだ。なのにこんなにも嬉しくて涙が出そうになる。大袈裟かもしれないと思うけど、本当に嬉しかった。嬉しくなると涙が出そうになるっていうあれ、本当だったんだと今更ながらに実感してしまうとは。

「Ah? 華那じゃねぇのか?」
「………ん?」

気のせいだろうか。今なんか、やたらと発音のいい英語みたいなものが聞こえたような気がしたんだけど……。不思議に思ったわたしは、ポカンとマヌケ面を晒してしまった。インターホン越しだから相手には伝わらないけど。返事がないことから、インターホン越しに感じる息遣いに若干の不信感が生まれたように思える。慌てて「あ、わたしわたし!」と答えると、ロックを解除してくれたのかエレベーターホールに通じる扉が開いた。うわ、なんかカッコイイ。

「確か最上階って言ってたから……十二階でいいんだよね?」

ポストを見ながら「おにいちゃん」が何号室なのか調べる。なんで最上階ってだけで、何号室に住んでいるか教えてくれなかったんだろう。きっと面倒臭かったんだろうな。なんでそこまで説明してやる必要があるんだ? というふうに。

十二階だから十二で始まる部屋を探していくと、一二〇六にローマ字で「DATE」と書かれているのを発見する。一二〇六と心の中で何度も呟きながらエレベーターに乗り込み、十二階のボタンを押した。一二〇六のプレートには、やっぱり「DATE」とローマ字で書かれていた。そんな些細なことが「ここまできたんだ」という想いを実感させる。どうしてローマ字なんだろうと思いつつも、カッコイイからいいかと勝手に納得したわたしはインターホンを押し、ドアが開くのをじっと待っていた。

この扉の向こうにずっと会いたかったおにいちゃんがいる。そう考えただけで口から心臓が飛び出そうになっていた。―――ガチャ、とドアノブを回す音が耳に届く。この瞬間、わたしの心音の激しさはピークを迎えた。

「I haven't seen you for a long time」
「………え?」

ドアが開くなり、第一声がコレだった。直感的に思ったことは、発音がいいということだけ。何を言っているのかサッパリである。別にそこまで英語が苦手っていうわけじゃないけど、日常会話ができるほど得意でもない。所詮は義務教育で習った程度の知識である。何を言っているのかわからないと思ったことが顔にでていたのであろう。「久しぶりだっつったんだよ」と、しかめっ面をしながらも親切に日本語に訳してくれた。

「………しっかし、ぜんっぜん変わってねぇな」

おにいちゃんは舐めるような視線をわたしにやると、しみじみとこう呟いた。明らかに同情している表情だ。心なしか感心という感情も入っているように聞こえる。あれか? ここまで成長していないことに感心しているのではないだろうな!? フツフツと怒りが湧き上がってくる中、「おにいちゃん」はブツブツと「もう少し大人っぽくなってるかと思えば……」と呟いていた。何故か今度は落胆という感情が混じったような……? できればわたしの思い違いだと思いたい。

「あのー……久しぶりにあった人に対して言うことなの、それ?」

なんだかさっきまでの浮かれた気持ちが嘘のようだ。風船が一瞬にして萎んだというか破裂したというか。ぶっちゃけ、失礼じゃないでしょうか? 失礼には失礼で返せ、それが礼儀だ。これはわたしが今までの人生で学んだ教訓の一つである。

「……そういうおにいちゃんも、相変わらず口がお悪いことで」

じっとりとした目つきと皮肉な口調で負けじと応戦する。しかし悔しいことに、いつだって「おにいちゃん」に勝てた例がないのだ。

「……華那のくせに、随分と生意気な口を叩くようになったじゃねぇか。それといい加減その「おにいちゃん」って言うのをやめろ」
「ひ、ひひゃいひひゃい!」

遠慮なしに両頬を引っ張られた。仮にも女の子なんだから少しは手加減というものをしてくれてもいいと思う。なのに「おにいちゃん」は力一杯引っ張るじゃありませんか。ペチペチと頬を引っ張る手を叩き、ギブアップの意思表示をするとようやく放してくれた。マジで痛い。きっと頬は真っ赤になっているだろう。おたふく風邪みたいになってないといいなぁ。

「っ! なんでいっつもいっつも苛めるかなぁ、もう!」

さっさと部屋の中に入って行こうとする「おにいちゃん」の背中を睨みつけながら、労わる手つきで自身の頬を擦る。が、このままじゃ締め出されると直感的に悟ったわあつぃは、慌てて「おにいちゃん」の後を追った。しかし「おにいちゃん」がふと足を止めたため、勢い余ったわたしは「おにいちゃん」の背中にぽすっとぶつかってしまう。今度は頬ではなく鼻を擦る私を横目に見ながら、面白いものでも見るような目で当たり前だという口調でこう言いのけた。

「よく言うじゃねぇか。―――好きな女ほど苛めたいっていうだろ?」

ニヤリと口角を上げて笑う姿を見て、かっこいいと思ってしまうあたりわたしも重症だろう。好きな女と言われてしまえば何も言い返すことができない。きっとこれは惚れた弱みだ。代わりに悔しさか恥ずかしさか嬉しさかはわからないが、いつも顔を真っ赤にしながら睨みつけることしかできなくなるんだ。すると「おにいちゃん」が「So cute」と呟いたものだから、わたしはさらに顔を赤く染める羽目になってしまった。

これが「おにいちゃん」であり私の恋人でもある―――伊達政宗との久方ぶりの再会だった。

続 BACK
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