イジワルしないでおにいちゃん
天気は雲ひとつない快晴。気温は寒くもなく暑くもない絶妙な具合。カーテンを開けたら眩しい光が差し込んできて、寝起きの目には少々キツイものがある。目をゴシゴシ擦りながらベランダに出て、太陽の光を身体いっぱいに浴びながら両腕を上げて背中を伸ばす。
「んー! 今日は絶好のデート日和ね」
今日は待ちに待ったおにいちゃんとデートの日。いつもと同じ休日のはずなのに、特別な日というだけで空気すらも違っているように思えた。人間というものは本当に単純な生き物である。
おにいちゃんがこっちに帰ってきてから、デートらしいデートをしたことがなかったので、デートがしたいと必死に頼み込んだ結果が今日だった。ホストという職業柄、生活リズムが違うのでなかなか一緒にいられる時間が少ない。そんな厳しい条件下でようやく勝ち取ったデートである。わたしの気合の入り方も違うのだ。
デートだからとびっきりお洒落したい。でも今日行くところは遊園地。あまりお洒落しすぎると動きづらいかもしれない。かといって普段着で行くのはさすがにな……。ど、どうしよう。あまり迷っている時間はないんだけど……!
ぎりぎりまで迷った結果、普段着とお洒落着の中間という微妙な服装で落ち着いた。これならおにいちゃんも変なリアクションはしないと思う。普段着ならもう少しお洒落しろって言うだろうし、お洒落しすぎると遊園地にその格好は動きづらくないかとも言いそうだし、そのあたりのラインが非常に難しかった。デート前だというのにちょっと疲れちゃったぞ。無駄に体力を消費しちゃったぞ。
おにいちゃんとは遊園地のゲート前で待ち合わせしている。わたしがゲート前に着くと、おにいちゃんは既にそこにいた。暇そうにボーっと空を仰ぎ見ている。慌てておにいちゃんの傍に駆け寄ると、何のつもりかいきなりわたしの頭に拳骨を落とした。おにいちゃんは手加減したと言うが、鈍い痛みが頭部に広がっている。
「いきなり何するのよ! 挨拶もなしに拳骨って酷くない!?」
「遅刻した華那が悪いんだろうが。これくらいで済んだことにむしろ感謝してほしいくらいだぜ」
そう言っておにいちゃんは腕に付けている腕時計を指し示した。しかし時計の針が指している時間は待ち合わせの時間である。となると遅刻はしていない。じゃあなんでわたしは拳骨を食らったんだ。おにいちゃんの理不尽な暴力に、恨みがましい視線をぶつけた。
「ちゃんと手加減しただろうが。それよりよく見てみろ。一分の遅刻だ」
「細かい! 細かいよおにいちゃん!」
言われて見れば待ち合わせの時間から一分経過している。だが一分だ。一分くらい多めにみてくれてもいいのではないだろうか。わたしなら一分くらいの遅刻は許容範囲だぞ。しかしおにいちゃんの言うとおり遅刻した事実に変わりはない。何も言うことができなくなったわたしは、頭を両手で覆いながら涙目でおにいちゃんを睨みつける。手加減したって言ってもまだ痛いですおにいちゃん……。
「………華那、一つ訊くがそれはワザとやってんのか?」
「わたしが何をしたっていうの?」
「………ワザとじゃねえってことはよくわかった。ならそんな表情は他の野郎に見せるなよ。ったく、どこでそんなワザを覚えたんだか」
何やらおにいちゃんはブツブツと呟いているようだが、何を言っているのかまではわからなかった。聞こうにもぷいっと明後日の方向を向いてしまっているので、これ以上は聞かないほうがいいと長年の経験から判断した。
こういうときのおにいちゃんは説明する気などない。深く踏み込めば機嫌を損ねるだけである。折角のデートでそんな事態は避けたい。何を言っているのか気になるところだが、ここはぐっと我慢するに限る。そうこうしているうちに、一人でさっさと入場ゲートを潜ろうとしているおにいちゃんの背中を見つけて、わたしは慌てておにいちゃんの背中を追いかけたのだった。
「で、やっぱ最初はあれから攻めるのが定石だと思うよな?」
と言っておにいちゃんが指差した先には遊園地の目玉ともいえるジェットコースターがあった。瞬間、わたしはしかめっ面を浮かべる羽目になった。何故ならわたしは絶叫系がてんで駄目なのだ。友達と一緒に来たときだって、どれだけ一緒に乗ろうと言われても頑なに断っている。あんな乗り物のどこが楽しいんだろう。怖いだけじゃない。高いところに昇って落ちて、猛スピードで振り回されるだけだ。
「どうした華那? 急に黙りやがって……」
一見相手を心配しているようなおにいちゃんの声。あくまでも声だけだ。その証拠におにいちゃんの顔を見ると、人を心配するような表情をしていない。何かを面白がっている表情だった。わたしはジト目でおにいちゃんを見つめる。何故ならおにいちゃんは、わたしが絶叫系は駄目だってことを知っているからだ。知っていてわざと言っていやがるのだこのお人は。
「黙っているってことは反論の意思はねえってことだな。ほら、行くぞ」
「なんでそうなるの!? ってちょっと腕引っ張らないで……! い、嫌だァァアアア!」
が、わたしがどんなに泣き叫んでも、悲鳴をあげても、力の限り抵抗しても、おにいちゃんに勝てるはずがなく。むしろ嫌がるわたしをなにがなんでも乗せてやろうと意気込む始末だ。で、今。わたしはジェットコースターの順番待ちをしている。逃げようにもおにいちゃんに腕をガッツリ掴まれているため逃げることができない。まるで首輪に繋がれた犬のようである。
「大丈夫落ちるだけ……高いところから落ちてびゅーんと走るだけよ。百キロ以上の速さで走るだけなのよ。だから大丈夫。大丈夫だ華那…!」
「どこが大丈夫なんだよ震えてるじゃねえか。お、あと少しで乗れるぞ。楽しみだな、華那」
「なんでそんな満面の笑みで言うのよ!? 政宗の馬鹿ァァアアア!」
さっきからこの調子だ。順番が進むたびおにいちゃんはこのようなことを言ってくる。どうやらわたしを怖がらすのがよほど楽しいらしい。わたし達のやりとりを見ている前後の人達もクスクス笑っているし、なんだかもう早くこの場から立ち去りたい気分だ。これは気のせいだと思いたいがおにいちゃんよ、どんどん活き活きとした表情になっていってないか?
「お、ついに順番のようだぜ」
「嫌ァァアアア!」
最後のチャンスと言わんばかりに逃げ出そうとしたわたしだったが、おにいちゃんはそんなわたしの首根っこを掴むと問答無用で引っ張っていく。ここまで来てしまえばもう逃げ出すことは不可能だった。係員の人の案内に従ってジェットコースターに乗り込む。ガタガタ震えているわたしを見た係員のお姉さんは、きっとわたしの不安を取り除こうとしてくれたんだろう。
「大丈夫だよー。おにいちゃんも一緒に乗ってくれるから怖くないよー?」
わたしとおにいちゃんの目が点になった。今ばかりはさすがにわたしでも恐怖心を忘れてしまう。この係員のお姉さんはわたしとおにいちゃんの関係を兄妹と思ったらしい。おかしいな。いくら伸長差があるとはいえ、兄妹とくるとは予想できなかった。
とりあえず何か言うべきなのかなと思った瞬間、ジェットコースターはゆっくりと動き出した。ジェットコースターが動き出せば、もうそれどころではない。わたしはできることなら気絶してくれと自身に暗示をかける。こうして約三分間もあるおにいちゃんとの絶叫ランデブーが始まったのだった。
***
「……し、死ぬかと思った」
約三分間の絶叫ランデブー後、わたし達は観覧車に乗っていた。しかし外の景色を楽しむ余裕など今のわたしにはない。頬はすっかり痩せこけ、身体全体がなんだかげっそりしていた。向かい側に座るおにいちゃんは特に興味なさげに外の景色を眺めている。
「あんなものでdownしちまうなんて、ほんと華那はこういうのに弱いよな」
「弱いと思っているなら始めから乗せないでください……」
今のわたしの精神力じゃ、おにいちゃんに反抗するだけで精一杯だった。噛み付くだけで精一杯なので、その力もどこか弱々しい。
「それにしてもあの係員の人のおにいちゃん発言はびっくりしたわー……。本当の兄妹に見えちゃったのかな。いくら伸長差と年の差があるからっていっても、わたしってそんなに子供に見えるのかなァ。あ、それともおにいちゃんが老けて見えた……」
わたしの言葉はおにいちゃんの唇で塞がれ、最後まで続くことはなかった。
「……本当の兄妹ならこんなことしねえだろ?」
たしかに、本当の兄妹ならキスなんてしないだろう。それにしてもおにいちゃんは知っているのかいないのか、観覧車の中、よりによって一番上でキスなんて……。おにいちゃんって案外ロマンチストなのかな?
このキスのおかげでジェットコースター酔いが治ったなんて、わたしもつくづく現金なのかもね。
完
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